第138話 『ピアノ協奏曲第5番』 ベートーヴェン

 土俵の上で、押すことも引くこともかなわない、まさに横綱。


 シューマン先生とグリ先生(あ、グリーグ先生ですね。)とチャイコ先生のピアノ協奏曲さんが、タッグを組んで立ち向かったとしても、押し切ることはかなわず、うっちゃりなんて不可能で、引き落としもできない。


 結局、疲れ切ってしまって、タッグは解消、試合終了、となるでしょう。


 唯一。この曲に互角に立ち向かえるのは、同じべー先生の『ピアノ協奏曲第4番』さんであろう。しかも、真っ向勝負ではなくて、身体の内部から攻めるのです。・・・と、いいますのは、やましんの勝手ないい分であります。


 まあ、ヨコからだろうが、上からだろうが、中からだろうが、勝負の世界は勝てば確かに勝ちですが、音楽に関しては、実際のところ、そういうわけではありますまい。


 まずは、そのくらい、ものすごい傑作なのです。


 それは、大方の方が、頭のところだけでも、ちょと聞いてみれば『なるほど~~~!』とお思いになるのではないか・・・そんな気も致します。はい。


 『第1楽章』冒頭。逃げも隠れも小細工もしない変ホ長調の壮大な響きの中から、きらきらと空に立ち上って、ぐんぐんと昇ってゆくピアノのソロは、それだけで、新しい時代の到来を告げているようです。わくわくします。


 そうして一心にその期待を集める『第1主題』は、それを裏切らないカッコいい主題です。


 しかし、二つ目の主題は、少し愁いを帯びた、不可思議にして、世にも美しい音楽です。


 細切れのような姿なのに、なぜか、くっきりと、全体像が浮かび上がってくるのです。


 日本の紙細工みたいな、繊細な仕組みです。


 まあ、シュレッダーされていた紙が、逆に一枚のペーパーに、きれいにまとまって行く感じです。魔法のようなものです。


 管弦楽とピアノ・ソロが、雄大にして繊細に巨大な『第1楽章』を築き上げるのです。


 『第2楽章』は、ベー先生ならではの、懐の深い、すべてを抱擁する音楽です。


 そうして、あとにも先にもちょっと聞いたことがないような、驚愕の『第3楽章』に至ります。


 長い長い道のりを乗り越えての終結部は、もう感動的としか言いようがないのであります。


 初演は、1811年11月28日、ライプチィヒ・ゲヴァントハウス(ここのオーケストラは、メンデルスゾーンさんがやがて指揮者となり、現在まで続いている名門。)。


 しかし、当時の多くの聴衆の皆さまは、かつて聞いたことがないような、とてつもなく巨大な音楽には閉口したらしく、『早く終われよなあ!』なんていうヤジも飛んだとか。


 現代に在っては、忙しい忙しい日本人には、ちょっと全曲聞く時間的余裕がないかもしれないです。


 でも、お休みの日とか、どこかで時間を作って、毎日1楽章ずつ分けて聴くなどの工夫があってもよいかと思いますが、未聴の方は、是非聞いてみてください。


 この協奏曲、なぜか『皇帝』というお名前がついていますが、どうやら、この名前付けに関しては、ベー先生とは無関係らしいです。


 一説では、『交響曲第3番』・・・『英雄交響曲』ですね、と、題名が間違って(もしかして意図的に)入れ違って伝わったのではないか・・・なんというお話も、どこかで読んだ様な気もしますが、単なるやましんの勘違いかも、しれないです。


 もっとも、『第3交響曲』が、ナポレオンさまに献呈する目標で書かれ始めたことは事実とのこと。


 そのナポレオンさんが、『皇帝』になってしまったことに、共和主義者で反体制派だったベー先生は激怒し、スコア冒頭に書いていた献辞を消して、書き直したと言われます。


 『第3交響曲』の初演は、非公開では1804年の5月から6月にかけて、ロプコヴィッツ侯(べー先生に資金提供していた)のお屋敷で試演が行われたそうです。 公開初演は1805年の4月7日です。


 ナポレオンさんが皇帝になったのは、1804年5月。


 びったりと、時期が重なっているのは、まあそういうことが実際にあったと言う事を裏付けることにはなるのでしょう。


 ええ、すいません、『ピアノ協奏曲第5番』のお話でした。


 1809年、スペインに苦戦しているナポレオンさんを見たオーストリアは、ついに攻撃開始。多数の死傷者を出す戦争となりましたが、、辛くもナポレオンさんが勝利。ウイーンはナポレオンに占領され、バロック時代の終末期から生き抜いて来ていた偉大な老ハイドン先生は、その混乱の中、1809年に死去。後輩のモーツァルト先生は、前世紀の内にとうに早死にしてしまっていました。 


 そのナポレオンさんも、そう長くはなく失脚。


 1814年からウイーン会議。


 しかし、実権を握ったメッテルニヒさまは、混乱回避などを目的に、自由主義等をきつくご法度にし、スパイさんをたくさん配備。そのあおりなのか、1820年には、ご友人に連座して、シューベルトさんも一時拘束される事件もあり(すぐ釈放)、なかなか厳しく難しい世の中を、ベー先生もまた、かなり強引に生き抜いた感じです。


 ベー先生の周囲では、スパイさんが常時監視していたとかのお話しもあり。


 べー先生が、家政婦さんの顔に生卵を投げつけたという、奇行伝説は、家政婦さんがスパイだったのでは?という説もあるような。


 当局は、べー先生を危険人物として、逮捕したかったけど、体制側の有力者が付いていて、また、イギリスあたりに格好な攻撃材料を与える危惧があり、踏み切れなかったのでは?


 とかのお話しも読んだように思いますが、いずれ、激動の、また、たいへん、難しい時代に書かれた音楽なのです。


 なんだか、そう思って聞くと、いっそう感慨深い感じがあります。はい。


 でも、みんな、もう亡くなりましたね。



 ********** うき 🎆 🎆 うき ************

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