第85話 『ボッカチオ』 スッペ
日本人にとっては、長く特別な演目でしたが、おそらく今はもう、そうした時代ではないのでしょう。
日本人による、最初のオペラ上演は、1903年、東京音楽学校の学生による、グルックの「オルフェウス」だったということですが、これは学内の上演であって、一般公開されたものではなかったようです。
1911年に「帝国劇場」が建てられ、当然そこで日本人によるオペラの上演が企画されたわけです。
オペラと言っても、オペレッタ(喜歌劇)も含みます。
イタリア人のローシー様が、身体を張って指導、また自らも出演して、『魔笛』『連隊の娘』『天国と地獄』『ジェロルスティン大公妃殿下(ブン大将)』『ボッカチオ』その他を上演してゆきました。
しかし、日本人には、なかなか馴染めなかったようで、4年ほどで終焉。
その後、1916年に旗揚げして登場したのが、赤坂の「ローヤル館」でした。
浅草オペラの栄光のスタートです。
浅草オペラのスターの代表は、田谷力三さんでした。
田谷さんは、1988年まで御存命でした。
やましんは、すでにサラリーマンでしたし、その時点の現代、なおも、テレビにも時々出演される田谷さんは、驚異の存在でした。
お若いころは、大変な美青年で、テナーだったのです。
当時、『ボッカチオ』は、人気となり、「ベアトリ姉ちゃん」(麗しの人よ聞き給え・・)とか、「恋はやさし」(あなたが愛してくださるならば・・)とかは、大ヒット曲となりました。
(やましんは、もちろんその実態は知らない世代ですが、すでに、ご高齢とは言え、田谷さんご自身が、生きて聴かせてくれるわけですからね、そりゃあもう、ありがたいことでした。)
しかし、やがて、海外から本格的な歌手や歌劇団が来るようになると、浅草オペラとの違いは、聴衆にも歴然だったようです。
浅草オペラも、時代の中に消えました。
とはいえ、榎本健一さんや田谷さんが歌う「ブン大将」や「フラ・ディアボロ」のアリアなどの録音も聞くと、言葉が分かると言う大きな利点があります。
ま、西洋歌劇を日本語で上演するのか、原語でやるのかというのは、大きな問題でもあったのでしょうけれど、「うきうき」での、やましんの主眼は、そこにはありません。
ただ、「ボッカチオ」の、ウイリー・ボスコフスキーさま指揮によるCDを聞きますと、さすがはスッペ先生の代表作であり、直ぐに言葉が分からなくても、それなりに楽しく、また実に良いものです。
フィアメッタ役の、アンネリーゼ・ローテンベルガーさまによる「恋は優し」なんて、美しすぎて、涙が出て来ます。
田谷さんのおうたも、もちろんいいですけれども。
なんにしても、時間はどんどんと、過ぎ去ってゆきます。
秋は苦しい季節です。
記憶のかけらや、あやふやな印象が、やましんの心を、ぐさぐさと、生のまま、突き刺してゆくのですから。
やましんは、くし刺し状態なのです。
パソコンに向かっても、身体中が痛くて、思うようには書けません(言い訳です!)
秋とは、そういう、季節です。
*参考本:『恋はやさしい野辺の花よ(田谷力三と浅草オペラ):清島利典さま著:1993年大月書店』
*参考CD 喜歌劇「ボッカチョ」 (ウイリー・ボスコフスキー指揮 国内盤 東芝EMI HS-2088)
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