第30話 『モアパラティノ』 スウェーリンク
いやあ、これがまた、良い音楽なのですなあ。
スウェーリンク(1562~1621)先生の時代の音楽に対する、やましんのぼんやりとした印象からしても、いかにもすっきりさわやかで、分かりやすく、近代的なイメージがあります。
むかし、SOLSTICE レーベルから出ていたCDの解説を見れば(豆粒のような小さな字なので・・・大変・・・「ドイツの学生の酒の歌である、『モアパラティノ』は、ヨーロッパじゅうで知られ、ブル、ジョンソン、ギボンズ、サミュエル・シャイト、フレスコバルディ、ブクステフーデ、ファン・アイク、その他に霊感を与えた。・・・・」
とかであります。
一方、これもかつて MNレーベルから出ていた「スウェーリンク鍵盤作品全集」では『Almande Gratie』(優雅なアルマンド)、と題されております。
いずれにしても、こいつは変奏曲でありまして、その主題がヨーロッパでは広く知られていたものだった、ということなんでありましょう。
あれ、じゃあ『ドイツ学生歌』のLPレコードなんかにもあったけなあ~~~~。
とも、思いましたが、その昔のレコードも、持ってたはずだけど、今はいずこやら。
まあ、このあたりのさらに詳しい事は、お調べになるか、専門家などにお尋ねくださいませ。
やましんの手には負えませんから。
それにしても、良い音楽なのです。
もう冒頭から、うきうき、であります。
曲自体は良い加減に短くて、聞いた後味も、すっきりとして、最高です。
このお方は、アムステルダムに生まれ、ほぼ、ずっと、そこで活躍した方です。
よい地位も得られて、お給料もなかなか良かったようで、生活は安定しており、市の象徴のような人物でもあったそうですし、スウェーリンク先生の音楽や生徒たちの流れは、やがてバッハ大先生にと、流れ込んでゆくのでした。めでたしめでたし。
で、大バッハ先生(1685~1750)の前半生時代には、ブクステフーデ大先生(1637頃~1707)と言う、これまたオルガンの大名手がいましたが、このかたこそは、スウェーリンク先生の流れをくむ、北ドイツ・オルガン楽派最大の存在となった方です。
生まれは、デンマークのヘルシンボリらしいですが、活躍したのはリューベック。
そうして、大バッハ先生は、この方の演奏を聴くために、わざわざ休暇をとっておでかけし、そのまま無断で休暇を延長して、リューベックで粘っていたそうです。
まあ、それは、ものすごい人だったんで、ありましょう。
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