第17話 『魚に説教するパドヴァのアントニウス』 マーラー 

 このアントニウスさまは、リスボン生まれの聖人です。(1195~1231)

 このいかにも何だか意味深のような、単なるユーモアのようなおうたは、歌曲集『子供の不思議な角笛』の第6曲です。


 アントニウスさまは、お説教が巧みであったと伝わるようですが、(あるひ?)お説教する相手が見つからなかったので、川に出かけて、お魚を相手にお説教をしたのです。すると、お魚たちがどんどん集まって来て、神妙にお説教に聞き入ります。『こんなにお魚たちの心にしみるお説教は、はじめてだ!』と。でも、お説教が終わっても、お魚たちは元のまんまで、何も変わりませんでした。


 という次第です。

 

 まったくその通りでありまして、どんなに偉い方がお説教してみても、お魚はお魚です。

 まあ、当たり前のことを歌っただけなんですが・・・


 そこが問題です。

 これでは、まるで、かつて上司が、四人がかりで取り巻いたうえで、やましんにお説教したようなものではありませんか。

 疲れ果てていたやましんは、「もっと働きなさい!」というお説教にもかかわらず、全然変わらず落ち込んだままだったのですもの。

(期待に応えられなかったのは、申し訳ない事です。辞職しても、いまだに悪夢にうなされ続けです、どうか、もう、少しお許しくださいませんでしょうか?)


 しかし! はたして、それは、やましんだけなのか?


 まあ、ここが問題です。


 国会を見ていても、なんとなく気には、なるのですけれども。(特に特定の方を皮肉ったのではございません。あくまで、一般論ですから、念のためです。)


 この音楽は、マーラー先生の『交響曲第2番(復活)』の第3楽章に、ひょこっと顔を出します。そこに、マー先生の何らかの意図があったのかどうかは、やましんにはまったくわかりません。でも、『あああ。これこれ、この音楽、あそこで聞いた!』というのは、まあ、なかなか楽しい事です。


 モーツアルト先生の歌劇『ドン・ジョバンニ』には、地獄落ちの場面が始まる前に、別の人気自作オペラの音楽が顔を出します。

 ハイドン先生も、オラトリオ『四季』で、自作の他の有名曲を、わざわざ引っ張り出しています。(それがなにか気になる方は、聞いて見てください。モー先生は他人の作品も取り込んでいるようです。この時代では、まだ、人の曲は自分の曲、でも、お互いよかったようですし・・・。)


 ちょっとした、コマーシャルみたいな感じもいたします。


 


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