第16話

「ヴェルトが消えただぁ!」

「大きい声出さないでよ!兎に角、あたしちょっとその辺見てくる。父さんもヘリオス叩き起こして手伝って!」

「お、おいーーー」


走り出したら止まらない娘の背を見送り、クロトは後頭部をポリポリと掻いた。


「全く…何処に行っちまったんだよ、あの馬鹿…」


呟いて、結局アンジュの言いつけ通りにヘリオスの元へと向かうのだった。


「ヴェルトが消えたぁ!」

「でけぇ声出すな、ヘリオス!」


小間物屋を営んでいるヘリオスの実家の玄関で騒ぐものだから、他の家人まで起き出してきた。


「あ、いや〜何でもねぇんだ。ヘリオスちょっとコッチ来い」


ヘリオスの首に腕を回して小声で囁く。


「今、ウチの鉄砲玉があちこち探してる。俺はルー先生の所に行ってくるから、今日の仕込み、お前に頼むわ」

「え?店開けるんですか?」

「当りめぇだ。せめて昼過ぎまでは開ける。じゃ、宜しくな」


そういうクロトも鉄砲玉の如く消えていく。血は争えないモノだと、ヘリオスの両肩を浮かせた。


「ヴェルトが居なくなったぁ!」

「先生、落ち着いてくれ」

「あぁ、いや…すまない」


誰も彼も同じような反応を示すものだと、クロトは己も含めて少し呆れた。

しかし、それだけヴェルトの存在がブリゾに馴染んでいた事の証拠でもある。


「何処に行ったか見当つかねぇか?ここ数日、あの僧侶が店に来てた事も気になるんだ」

「僧侶様が?」

「あぁ、アイツを送ってった時、何か言ってたか?」


ルーはいつものように顎に手を当てて考え出す。


「…あの時は、全くの別人として納得して貰った筈だけど…」

「…アイツ…行くとこなんてねぇくせに…」

「…まさか!ゴルゴーンに戻った?」

「まさかだろ。アンジュによりゃ、過去を悪夢で観るようで、どうも昨夜も様子がおかしかったらしい」

「…リヒトが危険だと言ったけど…それを気に病んで…」

「まぁ…そんなところだろうな」


責任を感じてか、念の為にゴルゴーンまで行くと訴えたルーは、馬車を用意し始めるとそそくさと出発してしまった。

もうすぐ開店の時間である。

一従業員が出奔した所で店を開けない訳にはいかず、本音としては自分も飛び出して探しに行きたい焦燥に駆られていた。

たかが数ヶ月の内に、ヴェルトはただの従業員だけでなく、既に家族の一員として溶け込んでいた事に今更ながら気付かされる。

何より、アンジュの気持ちに少なからず気付いていたクロトとしては、また娘が悲しむ姿を見たくない想いでいっぱいだった。

そのアンジュが肩を落として帰ってきたのは昼頃。

あちこち聴いて回ったらしく、ヴェルト行方不明の報がブリゾに広がるのに時間はかからなかった。

そしてルーも店に顔を出す。浮かない顔色から結果は知れた。

アンジュは唇を引き結んでエプロンを手に取る。

その姿にクロトの胸が傷んだ。


「先生、あの僧侶の居場所は知ってるか?」

「あぁ、確か南に家が」

「いつもの時間に来ねぇ。悪いが様子を見てきてくれるか?」


ルーは頷き、すぐに店を出た。見送るアンジュの瞳には不安が渦巻いている。


「大丈夫だ。すぐに見つかる」


力無い笑顔を向ける娘に、またチクリと棘が心臓に刺さるのだった。

ルーが戻ってきたのは1時間程で、その表情は酷く青ざめている。


「……僧侶様は…斬られて亡くなられていた…」

『⁉』


クロトの案で、昼過ぎに店終いにしていたリヒトに衝撃が走った。

まさかという思いと、もしかしてという疑いが胸に込み上げる。


「あぁ、犯人はヴェルトじゃないよ。ナイアード兵だ」


一様に安堵した4人に、ルーは事のあらましを説明する。

老人は南の貧民街に、粗末ながらも空き家を借りて住んでいた。元僧侶という肩書が効いたのは間違いなく、近所でも世話を焼いていたとの事だった。

ところが、日に日に情緒不安定気味になり、天を仰いでブツブツと呟いては奇声を発し始める。

不気味に思いながらも心配していたら、本日とうとう巡回中のナイアード兵達に絡み、[王は生きておられる][お前達はもう終わりだ!]等と捲まくし立てた結果だった。


「ご近所では、牢獄生活の支障が出たんじゃないかって噂してた」

「…爺さんには、気の毒だったな…」


クロトには心からの言葉ではあったが、少しの安心も入り交じっている事に忸怩じくじたる思いでいた。

と、ロランが店に飛び込んでくる。


「オイ!カイルスの親父が、今朝早くに荷物を持ったヴェルトを見かけたそうだ!街の西に向かってったらしい!」


カイルスの家は魚屋で、父親が早朝に大河のケルミス川で漁をしてから市場で売り出すのだ。

情報に時間差が出たのは、ブリゾの入口近くに市場があり、ヴェルト不明の報がカイルスに届くのが遅れた為だ。


「アンジュ!行け!」

「でも…今更だけど、どうやって引き留めたら…」

「でもじゃねぇ、お前ぇらしくねぇな!いいか、ヴェルトに最後に会ったのはお前だ。ヤツが心を許してるのもな!解ったらさっさと行け!」


アンジュは顔を引き締め、エプロンを剥ぎ取るとルーの馬車を奪って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る