第15話

「ウアッ!!」


ルーの訪問から5日、毎日のようにアノ夢を視ては飛び起きていた。その都度自分の顔を触り、肌の感触を確かめてから大きく息を吐く。

まだ真夜中にも関わらず、ノックの音が扉を叩いた。


「…ヴェルト?どうかした?」

「…アンジュ…」


遠慮がちに扉を開けるその表情から、今日は声をあげていたのだと解った。


「すごい汗。…悪い夢でも観たの?」

「…アンジュ……アンジュ!」


ベッド際に立った彼女の腰に、まるで子供が母親にするようにしがみつく。

カッと頬に朱が指したが、以前よりも怯えたヴェルトの様子に、静かにその頭に手を置いた。 


「大丈夫。あたしは此処に居るよ」


以前と同じ言葉を、出来るだけ優しく紡ぐ。


「アンジュ…俺は…どうしていつも鉄仮面を着けて…牢に居るんだ」


そこで漸く、彼を悩ませる夢の正体を知ったアンジュは、咄嗟にヴェルトを包むように抱く。その身体は小刻みに震えていた。


「大丈夫。それは全部夢で、ヴェルトはちゃんと此処に居るじゃない」


残酷な過去は、ここまで彼を苛なんでいた。

アンジュはいたたまれなくなり、瞳に込み上げるものを懸命に押さえ込んで抱く腕に力を込めた。


「大丈夫。…ヴェルトは此処に居る」


動揺した時は心音を聴く事で気持ちを落ち着かせる効果があると、以前ルーに聞いたような気がする。

静かにヴェルトの耳に自分の鼓動を聴かせるようにすると、徐々に震えが治まっていく。

ゆっくりと上げたヴェルトの顔に、不安は消えてないようだったが、顔色は幾らか良くなっていた。


「…少し落ち着いた…。ありがとう。…夜中にすまなかった」

「良かった。…もう少し眠れる?」


頷いて自分から促したにも関わらず、アンジュの体温が離れていく事に、酷く寂しさを感じた。

閉じた扉を背にして座り込むと、どこから来る恐怖なのか解らずに、両腕で己を抱いた。


その翌日だった。先日の僧侶が店を訪れる。しかも、一番忙しい時間帯にである。

老人は静かに1つの席に腰をかけたが、その目はヴェルトを注視している。

大勢の客の前で、この前のように騒がれたらどうするか、4人に緊張が走った。

しかし、老人は普通に注文をして昼食を済ますと、店を後にした。

途端に安堵の溜息が漏れた。

ところが翌日も、その翌日も僧侶は現れて、そしてヴェルトを見つめながら食事をする日が続く。と、流石に不気味さが伺える。

だが、不気味だからという理由で追い返す事も出来ず、更に4日が経とうとしていた。


そこは薄暗い、石畳の部屋だった。

粗末な藁のベッドに横たわり、見上げる高さの穴から僅かな光が射している。

山積みにされた埃が被っている本。

ふと顔に手を当てると、冷たく硬い感触。


(大丈夫…これは夢だ!すぐに目が覚める!)


しかし、いくら待っても夢が覚める気配がない。と、壁の方から何かしら音がしている。

カリカリと何かをかじるような音に、訝いぶかしながらも壁に耳を側立てた。


(カリカリ…………ト)


音と共に微かな声も混じって聴こえる。


(カリカリ……ルト……カリカリ……ヴェルト……ヴェルト!)

(アンジュ!)


「アンジュ!」


ハッと目が覚めると、そこにはアンジュが立っていた。

荒い呼吸を整える間もなく、縋すがるように抱きしめた。

心臓が痛いくらいに脈打っている。


(さっきの夢は何だ?)


この前と同様、アンジュは心音を聴かせながら、呪文のように大丈夫だと繰り返す。


(壁から何かをかじる音とアンジュの声……まさか、牢に居た!)


ヴェルトは勢い良く顔を上げて腕の中の小柄な彼女を見つめる。

何処か差し迫った様子のヴェルトに、アンジュは大きな瞳に笑みを作った。


「大丈夫だよ。ヴェーーー」


アンジュの言葉を遮ったのはヴェルトの唇だった。

息つく間もなく押し付けられたそれに、彼女の思考は完全停止している。

月明かりの中、漸くアンジュを開放したヴェルトは、そのまま強く抱き締めた後、強引に彼女を部屋から出した。


「ちょ…ヴェルト?」

「悪かった…もう少し寝る…」


不審がりながら暫くその場に立っていたが、頑なな扉はビクともしない。アンジュはまるで何が起こったのか理解出来ずにいたが、諦めて自室に戻るしかなかった。


ヴェルトが姿を消したのは、その夜だった。

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