それは夕立のように

もがみたかふみ

それは夕立のように

 それはいつもいきなりやってくる。


 面倒とか、厄介ごとってのはいつもそうだ。どうも僕のツキには、一定の周期があるらしい。ツキが悪くなる時期ってのがあるのだ。それは突然僕を襲う。


 今日だって、ほんとはいい日になるはずだった。実際前半はすごく良かったんだ。結婚したばっかりの友人に呼ばれて、新婚夫婦と一緒にランチ。楽しく過ごして別れたトコまではよかった。


 ところが別れて帰る途中、電車を降りたところで、店に忘れ物をしたことに気がついた。それは午前中に仕事仲間から渡された書類で、明日までに提出することになっている。大慌てで電車に飛び乗り店に戻ったが、見つからない。散々待たされたあげく、店の人は、見つかったら連絡すると言う。やむを得ず家に帰ったら、見つかったという留守電が入っている。また電車に乗って店まで戻り、返してもらう。帰りの電車の中では足を踏まれる。薄汚い酔っぱらいにからまれる。


 駅を出ると、もう夕方近かった。うちまでは結構歩く。こんな日は寄り道せずにまっすぐ帰った方がよさそうだ。


 いくらも歩かないうちに、ポツリ、と来た。夕立だ。やれやれ。折りたたみ傘を持ってきてよかった。でなかったら、目もあてられないところだった。家までは、まだけっこうある。ずぶぬれになってはかなわないし、万一書類が濡れると困る。


 どんどん雨が強くなってきた。こりゃいかん。いったん手近の軒先に入って、鞄を開け、折りたたみ傘を取り出す。その時だった。ひとりの若い女性が軒先に飛び込んできたのだ。


 サーモンピンクのワンピースを来ている。おそらく同じくらいの年齢だろう。手に紙包みをかかえている。表情からして、その包みは濡らしてはマズイものらしい。この道を通る人はあまり多くないから、多分、この先の住宅街か、団地あたりまで歩く人だろう、と思った。時計を気にして、どうやら雨がやむのを待つわけにもいかない様子だ。傘も……当然持ってないのだろう。


「あのぅ」


おせっかいとは知りつつも、つい声をかけてしまった。田舎で育ったせいか、他人に話しかけるのにあまり物怖じしない性分なのだ。


「はい?」


その女性はびっくりしてこっちを見た。田舎の人だ、と思った。都会育ちの人は、知らない人に話し掛けられると警戒した目をする。


「折りたたみ傘ですけれど、もしよろしければお入りになりますか?」


女性は遠慮深い性格のようだったが、本当に進退に窮していたらしい。


「でも……よろしいんですか?」


「どうぞどうぞ」


「では……すみません」


チャーミングな人だな、と思った。にっこりと笑うとえくぼができる。愛想のいい人だった。ようやくツキが戻ってきたか。


「どちらまでいらっしゃるんですか?」


「ええ、この先の団地まで……」


当たり障りのない話題をしながら、分かれ道まで来た。


「では、この傘、持ってってください」


「え?」


「団地まではまだ結構ありますよ。僕のアパートはすぐその先ですから」


「でも、それは……」


「いいんです、どうせ人からもらった傘ですから」


軽いウソをついた。団地ほど遠くはないが、アパートまではまだ少しある。それに傘も一応買ったものだ。まあどうせ1000円程度の安物だし、そうでも言わないと、この人は団地に着くまでにびしょぬれになって、ここまで傘に入れてあげたのがかえって仇になってしまう。


「じゃあ、すみません……」


女性は傘を受け取った。僕はにっこり笑って、傘から飛び出した。


 アパートに着くと急いでドアを開け、風呂場のタオルを取って前髪の雫を払った。それから荷物を置いて……やれやれ、油断大敵だ。チャーミングな女性でツキが戻ったと思ったのは楽観的すぎたようだ。かばんの口が開けっぱなしで、雨が降り込んでいる。多分、傘を鞄から出した時だ。もちろん書類もびしょぬれになっている。今晩徹夜で書き直さなくてはいけない。


 軽くシャワーを浴びて体を拭いた。簡単に晩飯を済ませ、パソコンで書類を打つ。そのうちに、体が熱っぽく、目が充血しているのに気付いた。ああ、なるほど。こりゃぁ風邪だな、と思う。本格的に不運な日らしい。


 気付くともう朝になっていた。書類を打ちながら眠ってしまったらしい。熱を測ると、39度はある。こりゃ、ダメだ。今日は会社を休もう。書類もまだ出来ていないし……。課長にイヤミを言われるのは覚悟の上だったが、こんな時に限って、機嫌がいいらしい。


「ああ、風邪? 39度、それはいけないね。今日一日ゆっくり休んで明日元気になってから来たまえ。ああん? 書類? ああ、あれか。あれなら今週中でいいよ……」


今週中でいいなら、最初からそう言ってくれれば昨日あんなにあわてて取りに戻る必要もなかったのに……。優しい言葉がかえって恨めしい。


 布団に潜り込んで、次に気がつくと、もう昼を過ぎていた。頭がぼんやりして、眠っても、眠っても、まだ眠い。電話が鳴る。普通なら会社にいる時間だ。誰だろう、会社の人かな、と思いながら電話をとる。


「あら、留守電に入れようと思ったのに。あなた、会社はどうしたの?」


近所に住んでいる叔母だ。この人も、そういえば団地に住んでいるんだったな、と思った。


「風邪? あら、そう。あとでお見舞いにいくわ。あ、そうそう。金井さんとこの子がね、うちに来てるのよ。子供の頃、よく一緒に遊んだでしょ?」


金井さんというのは、父方の親戚で、こわい爺さんだという印象しかない。僕は苦手だった。子供? ああ、タカヒロくんか。僕よりひとつ上で、一緒によく林に入って遊んだりした。


「あとであの子と一緒に行くわ。ちょうど会いたがってたから、夜に行こうと思って電話したのよ。それじゃ、ちゃんと寝てるのよ」


おばさんはそんなことを言って電話を切った。とりあえず、夕食の心配はしないでよさそうだ。世話好きの叔母は、なにかと僕の心配をしてくれる。おせっかいに思う事もなくはないが、こんな時は素直にありがたい。


 またうとうとして、目が覚めた。そろそろ夕方だ。ふらふらと水を飲みにキッチンに立ったとき、玄関のチャイムが鳴った。


 叔母だろうと思って確かめもせず玄関を開けた。そこには、さっき傘を貸した女性が立っていた。


「あ、さっきの……」


「え、あ……」


相手の女性は何やらびっくりしている。考えてみると、どうして僕の家が分かったんだ?


「あ、私、アキです。あの、昔よく遊んだ……」


そういえば、タカヒロくんには妹がいた。今まですっかり忘れていた。顔を見合わせて、ちょっと照れ笑いする。


「あ、どうぞ……叔母さんは?」


「ちょっと手の離せない用事ができて、後で来るって言ってました」


「あ、そう。えーと、汚い部屋ですみません」


叔母とタカヒロくんが来ると思っていたので、掃除も何もしていない。部屋を急いで片付けはじめると、彼女はあわててそれを止めて


「あ、寝ててください。大丈夫ですから」


と言った。言われてみれば、病人が片付けているというのもかえって気まずい。


 彼女が夕食を作ってくれるつもりらしく、キッチンに入った。ああ、キッチンも汚れ放題だ……。顔から火が出そうになりながら、僕は布団にもぐりこんだ。それに、思い出した。タカヒロくんと会うとき、実は彼女に会うのが楽しみだった。彼女は昔からかわいかった。そして、彼女は今でもかわいかった。


 それは、夕立のように、いつもいきなりやってくる。面倒とか、厄介ごと、不運で不幸な何もかも。そしてそれにくっついて、突然、恋がやってくる……そんなのも、ちょっとわるくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それは夕立のように もがみたかふみ @mogami74

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る