【7】私もたまには外に出るぞ!

「夕陽が眩しいな。……うぅーん……はぁっ。外の空気は旨いな。一息ごとに健康になる気がする」


 指を組み腕を高く掲げ伸びをする。


「引き籠りが屋上に出ただけで何言ってんだ」

「屋上と言えど外だ」

「城外ですらないだろ」

「まあまあバルタス、そう揚げ足を取ろうとするな。魔王様が

仰るように屋上とは言え外ではないか。久しく空の下にお出でになったのだから、それだけで前進であろう。素直に喜ぶべきではないか?」

「マヌル、お前はある意味で私より魔王様に甘いな。チョロいと言われても仕方ない」

「ちょ、チョロいなどと言われたことはない!」

「はぁ、お前らはいっつもうるせぇな。あと前進とか言うな。私は倉庫に閉じ籠っていてもずっと前進してる。あーあ、これじゃ倉庫に居ても大差ねぇよ」

「魔王様! そんなことは決してありません! 黴臭い倉庫に閉じ籠るのとこの空の下で過ごすのでは天地の差があるのです!」

「文字通りじゃねぇか」

「文字通りですとも!」


 邪神が私の前に現れ、私と契約を交わして数日が経った。

 親父が死んでから、十日と少し。

 まだ一月も経っていない。

 しかし、状況はまるで変わってしまった。

 私は望んでなんかいないのに。

 誰も望みなどしなかったのに。


 元々敵対こそしていたが冷戦状態が続いていた人間共との戦争は水面下で刻一刻と進み、防戦に徹するとは言え私達も指をくわえてただジッとしているワケにはいかなくなった。

 城下の街は私の出した触れによって国民が我が身を最優先とした籠国の姿勢を徐々に整えつつある。

 その大半は食糧であり、武器ではない。殺傷能力の高い武器を持つことは原則として許さなかった。

 そんな物を持つくらいなら盾を持てと、魔法を打ち消し衝撃を逸らす防御に特化した防具を親父の宝物庫を開放し民に渡している。

 マヌルは渋い顔をしたが、私の意向を邪魔するつもりは無く、自身の魔力を防具に上乗せしたりと民を守ることに尽力してくれている。

 バルタスも国の兵をかき集め、守備に特化した訓練の指揮を自ら取っている。

 城では奔放な振る舞いを見せるバルタスも、一度ひとたび部下の前に立てばデモンロードという種族に相応しい悪魔のシゴキをする教官に変わる。

 長きに渡り親父を守護してきた魔王軍大元帥という大仰な肩書きは伊達ではないらしい。

 今こうして城の屋上で和やかに日向ぼっこしているバルタスとはまるで別人だ。


 王国には民兵はいない。

 職業軍人が国防の全てを担い、国民を守護する。

 守られる民は生産に従事し、軍人を支え自身の生活を守る為に後方で戦う。

 私が選んだ戦いはそんな単調なものだ。

 私は誰の死も望まない。

 それが嫌いな人間であったとしてもだ。

 望んでもいない戦争。

 それも、誰かの思惑と知れている図られた人形劇。

 その舞台上で人殺しに荷担するなど、馬鹿げてる。

 観客席に座る事すら不愉快でしかない。

 反吐へどが出る。


「魔王様、私達はこの国を、この国に暮らす民を守ることが出来るでしょうか」


 マヌルがぽつりと漏らした。

 その視線の先には、夕焼けに染まる城下の街。

 ザワザワと賑やかな、それでいて焦燥とした民の声が、遠くから聞こえて来る。

 皆、不安を抱えて日々を過ごしている。

 迫り来る戦争との戦いは、とうに始まっている。


「……お前は疑ってんのか?」

「相応の準備はしております。ですが不安は消えません」

「バルタス、お前もか?」

「俺は軍の一番上に立つ者。頭が臆病風に吹かれてちゃ手足は動かん。俺は魔王様の決意と、部下の働きを信じる。そして護る。それだけだ」

「大元帥に相応しい模範解答だな。情が込もってねぇ」

「魔王様、俺は守護する者だ。その対象が魔王様か全ての国民か、その違いでしかないんだ。出来ないと思えば出来るように兵を鍛え、武具を揃え、兵糧を備える。人間の軍に遅れは取らん」

「向こうの神とやらが出てきたらどうすんだ」

「邪神様に働いてもらおう。神の戦いは専門外だ」

「違いねーな。私もそう思ってるよ」


 あの腹黒い邪神が何を考えてんのか知らんが、恐らく最初に働いてもらうのはその時だろうな。

 顔も名前も知らん連中のいざこざに引っ張り出されたのは私達なんだから、手に負えない時には後方から出張ってもらう。

 つーか、何で私達が神の抗争の肩代わりをしなきゃならないんだ。

 はぁ。

 父親まで失っておいて、それでも民のために手先にならざるを得ないなんて、親父だったら私を笑うだろうな。

『お前らしい』とか言って。

 ふざけんな。私はしたいことだけして楽して生きていくつもりだったのに。


「おい魔王。私は空腹だ。私はまたアイスが食べたい」


 いつの間にか私の隣に立っていたアウラが昨日食べた冷菓を強請ねだる。

 私は空腹だ。じゃねーよ。飯食わなくてもいいんだろが。

 気に入ってんじゃねーよ。

 こんな奴の手先に成り下がってしまったんだと思うと自分が憎らしく思えてくる。

 コイツは天災でしかない。

 風邪じゃん。などと前に軽口を言ってやったが、その風邪は未知の死病だったというのが真相なんだから洒落になってなかった。

 邪神が運んで来るのは紛れもなく死の風だったということか。


「……もうじき陽も落ちきる。飯にするか」

「私はアイスだけでよい。お代わりを用意させておけ」

「邪神様、魔王様がいくらお優しいからと言って、その御厚意に甘えないでいただきたい」

「マヌル、辞めとけ。戦の前にアウラの気紛れでお前が殺されてしまうような事があっては困る。バルタスもだ。アウラに不用意に関わるな。お前達が死んでしまってはその時点で国の存続は潰えると理解しろ」

「俺はそんな馬鹿な真似はしないが」

「私ならしでかしそうとでも言うのか!」

「魔王様を罵られでもしたら、しないと言い切れんだろ」

「私は契約を交わした者を侮辱したりなどしないが」

「ホントかよ……」


 そう言っておいて笑いながら騙し討ちして来そうな不穏さがあるからなコイツ。

 無害そうな淡々とした口調に気を逸らされてはダメだ。


「そんなことは今はどうでもよい。さあ、食堂へ行こう。アイスが私の到着を今か今かと待っている」

「アイスの到着を待ってんのはお前の胃袋だろ」

「相思相愛ということだな」

「需要と供給って言うんだ」

「結ばれることには変わらない」

「一方的に食いもんになってるけどな」

「食べ物だから仕方あるまい」

「……だな。食堂行くか」


 会話を句切る。

 振り返り、城内に戻る。マヌルとバルタスが私の後に続く。アウラは会話が終わったと判断すると、すぐに転移したようだ。

 廊下を歩きながら、食堂までの僅かな道程の中、私は自分が口にした言葉を思い返した。

 一方的に食いものにしている、か。

 私達も、アウラにとっては冷菓と変わらない同じ食べ物か。

 意思があろうがなかろうが、一方的に搾取する対象でしかない。

 それは人間を繰っている神も、私達を守護しているとのたまった邪神も、本質は同じ。

 私が守ろうとしているこの国も、民の命も、アウラにとっては家畜と同義なんだろう。

 寛容に振る舞って見せているのも、家畜の鳴き声に気を荒立てることなどないということなのかもしれん。

 夕陽を浴び、紅に染まった美しい街並みを思い出す。

 私が護ると決めたあの街も、そこに暮らす民も、邪神の管理する箱庭にすぎないのか。

 切ない夕暮れ時に外に出た所為か、アウラと不用意に言葉を交わしてしまった所為か、何だか気が滅入るな。

 一番用心しないといけないのは私か。


 食堂に着くと、既に皿を何枚も積んだアウラが待っていた。

 積み上げられた空の皿を見て、ゾッとする。

 コイツは食欲など無くてもそこに『食いもの』が有れば平らげてしまうのだ。

 私達もそうなるのだろうか。

 明日からまた倉庫に閉じ籠る時間が増えるな、と思った。

 猶予はもう、残り僅かだ。

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