依頼と女
閉門後。教会の鐘も止んでしばらく経ち、時刻は十九時四十分。とある古めかしい
「や、ヤバイよフィオナさん……」
フィオナと合流したモカは、ベッドにうつ伏せになって、枕に顔を
「なにがよ。誰にも見られなかったと思うけど?」
自分が不正侵入した件だと思い込み、机の端に座るフィオナが言う。しかし、モカはもうそんなことなど気にしていなかった。もとい、気にしている余裕がなかった、が正しい。
「お金がないんだよぉ~っ! この宿に泊まれるのもあと一日が限度! そしたらもうスッカラカンなの! 明日はお風呂に入れないぃ~!」
ガバッと起き上がり、モカが喚く。質素な二人部屋に、なんとも情けない叫びが虚しく響いた。
あのあと、斡旋所で一通り依頼に目を通したモカたちは、まずは寝床の確保が優先だとして、颯爽と街へ繰り出した。
そのときは依頼の受注申請をせず、先に女店員が紹介してくれた宿屋に、部屋を取りに行ったのだ。
モカが現状を思い知ったのは、その直後。
街での買い物で、ノロの言う「今後のための必要経費」を買い込んだら、
例えば、ジャバウォックとの交戦で消費したモカの銃弾。箱詰めではなくバラ売りのものを、消費した分だけの補填だったが、それでも結構な額となってしまった。塵も積もれば山となるを実感した瞬間だった。
それに、ノロの短剣の
モカの目算では、ボロボロになったノロのズボンくらい買い換えられると思っていたのに、結局、服屋にさえ寄れなかった。
本人は「岩清水で洗ったし、穴も縫ってくれた」と気にしていないみたいだったけれど、コカトリスがいた山の水と、蜘蛛の糸を
それに、蝶の鱗粉でごまかしたとはいえ、血のシミも完全に目立たなくなったわけではない。それらに馴染みのない
「あたしがちょろっと貴族街にでも行って、お金くすねて来よっか? 空から見た感じ、あれなら多分イケるわ」
フィオナが言う。斡旋所でのモカと同じく、短絡的で犯罪思考な発言だ。
でも確かに、もしかするとフィオナなら可能かもしれない。小さな身体と飛べる
「でもフィオナさん、金属触れないじゃん」
「うっ……」
モカはフィオナの提案を咎めるのではなく、一旦受け止めた上で、じとっとした目で真っ向から反論した。痛いところを突かれたフィオナはダメージを負いながらも、一生懸命言い返す。
「いっ、石なら、宝石なら持ってこれるわ!」
「はっ! その手があったか! さすがフィオナさん!」
「で、でっしょ~? 仮にも元
「頼りになるぅ! でっかいやつね! なるべくでっかいやつ!」
モカが
「……声、結構外に漏れてますよ。気を付けてくださいね」
紙袋を手に、ノロが帰ってきた。
ヒッセニア領の
紙袋を机に置いて外套を脱ぎ、次に剣や短銃といった装備も外しながら、ノロが言う。
「だいたい、宝石が金庫に入ってたら? 鍵付きのケースに入ってたら? そもそも扉の取っ手は金属製だし、窓にだって鍵くらいついてるでしょう。よしんば入れたとして、金属なんてそれ以外にもいたるところにありますよ。特に貴族の家ならね」
怒られて、しゅんとする女二人。でも、モカは知っている。ノロは怒るだけじゃないことを。怒っても、優しいことを。
「とりあえず、明日から依頼を受けます。フィオナさんは大人しくしててくださいね」
「はい……」
言いながら、ノロは苺を「はい」とフィオナに差し出した。うつむいていたフィオナはそれに気づくと、またうつむいて、はにかんだ。
「ノロ~、わたしには~?」
苺に隠れて照れるフィオナを羨ましく思い、モカもノロに甘える。
「モカのも買ってきたけど……今食べるの? これ、明日の朝用にって思ってたんだけど」
「食べる食べる! 今食べる! お腹空いた!」
「よく食べるなぁ。食べたらもう寝なよ? 明日は朝から依頼をこなさなきゃなんだから」
「はーい!」
ガサゴソと紙袋を漁り、ノロがモカにオレンジを
モカは微笑んで、「それも仕方がないか」とノロを
「おやすみ、ノロ」
「うん、おやすみ。食べたらランタン消すんだよ。フィオナさんもおやすみ」
「わかってるよーだ」
「おやすみ、ノロくん。……ありがと」
その晩、
翌朝。依頼斡旋所にやってきたノロとモカは、掲示板の前に直行した。
「うむむむむむ……」
目を皿にして、モカが唸る。
ここへ来る途中、効率よく稼ぐために別々の依頼を受けようという方針になったので、必要以上に緊張しているようだ。
「モカ、あれなんていいんじゃない?」
ノロが、たくさんあるなかの一枚を指差した。モカはその指先を追ってゴクリと喉を鳴らし、依頼書を読み上げる。
「なになに? ……領内、求人、給仕……。って! 報酬はいいけどこれ
「うん。だからモカなら完璧にこなせるでしょ?」
「そういうことじゃなくて! 初仕事が
「そんなこと言われても……生きるってこういうことだよ……」
憤慨するモカに、ノロはため息をついて続けた。
「じゃあこうしよ? 俺は……この駆除依頼とこっちの討伐依頼、二つとも受けるつもりなんだけど、でも受けたとして、今日都合よく討伐対象と出くわすとは限らないよね? だから今日は、駆除依頼をやりながら
「ああ! それなら! ――って言うと思った!? わたし昨日ノロが『六件はいけるかな……』とかブツブツ言ってたの聞こえてんだからね! 一人で終わらせちゃうつもりでしょ! それに結局わたしの初仕事はそのまんまじゃん!」
「…………。それは……足の調子を確かめたかったんだよ。
「嘘! 昨日の夜帰ってきたときちょっと汗臭かったもん! 街の
「……え、嗅いだの?」
「話そらさないで!」
掲示板の前で言い合う二人。
周囲の者が「依頼の取り合いか?」と聞き耳を立て始めたとも知らずに、その内容は「稼がなくちゃ」といった恥ずかしい内情の暴露に転がっていった。そのとき。
「金に困っているのか?」
二人の頭上、二階へ伸びる階段の途中から、不躾な質問が飛んできた。
昨日の女店員と同じく、喧騒のなかでもよく通る声。だけど、親しみやすい女店員と比べて、どこか背筋を正されるような、そんな凛とした声質だった。
「……あなたは?」
ノロが聞く。その人物は手すりを撫でながら階段を下り、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「高いところから失礼した。私の名は、ユピア・アスウォード。少し前からこの街に世話になっている」
白磁のような肌に、長いブロンド髪の麗人だった。歳は二人よりも上に見える。言葉を
「少年、私と組まないか?」
その唇が、ぎこちなく弧を描いた。
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