不揃いな関係
早朝。朝靄が覆い被さる山は、蒼い影となった。
山中にいるモカたちの目にも、近くの木々は緑だが、遠くに見える山並みは蒼く映る。
湿気を含んだ空気は平地よりも冷たく張り詰めていて、まだ日の入りが甘いということもあり、宴のまま泉の近くで雑魚寝してしまった者たちは、肌寒さを感じて二の腕をさすった。
「……幻想的、三割増しですな……」
「いや、かっこつけてないで……。ほら、忘れ物はない?」
モカが腕組みして、朝靄の立ち込める泉を眺めて浸っていると、テキパキと出発の準備を整え終え、旅装になったノロが言った。
モカはパッと表情を普段通りに戻して、ノロに振り向きそれに答える。
「うん! バッチリだよ!」
「そう。じゃあ、もうそろそろ行くよ?」
ノロはモカの元気な返事に微笑みながら、地面に落ちた杖にするのにちょうどよさそうな枝を吟味している。
まだ長距離を、それも山道を歩いて下山できるほど、ノロの脚の具合はよくない。
「……トリマーズ、いなくなっちゃったね……」
その様子を見て、しゅんとするモカ。
せめて怪我が治るまではゆっくりしようよ、と言いかけて、その言葉を引っ込めた。
手紙を届けるという本来の目的を達成するためにも、これ以上この郷に長居することはできない。
けれど、そのための移動手段が、食糧を載せたままどこかへ逃げ去ってしまった。
今もこの山のなかにいるのだろうが、あの個性豊かなディアトリマたちが、三羽まとまっている保証はどこにもない。
それに、運よく見つけたとして、走るディアトリマに人の足で追い付くのは不可能だ。捕獲は諦めるよりほかないだろう。
また、この旅は領主であるローエンワイツからの依頼である。加えてオルタナ領の現状も加味すると、殊更、いつまでも待たせるわけにはいかなかった。
これからは徒歩でヒッセニア領へ向かわねばならないのだから、のんびりと悠長に過ごしている時間はないのだ。
「エ、エイモン、頭が割れそうだ……。水を……泉から水を汲んできてくれ……」
「若様……。だから言ったでしょう、泉の水はコカトリスの毒で飲めませんよ」
「くそ……コカトリスめ……この恨み、生涯忘れんぞ……!」
顔面蒼白なヘンリーが力のない声を出して、しかしその要求はエイモンにすげなくあしらわれた。これも良好な主従関係の、ひとつの形であろう。
二日酔いのせいで、コカトリスへの恨み節にも大した迫力はなく、だからこそ本当に根に持ちそうだ。
「行くのか、
そうしてモカたちとヘンリーらが、各々旅支度の確認をしていると、いつの間にか近くにいたドルイドが声をかけてきた。その後ろには、郷の小人たちが控えている。
「はい! 昨日は楽しかったです!」
モカが弾ける笑顔で返答すると、エイモンも
「
「うむ、よい。我らもあのような、めでたき大宴は久方ぶりであった。誠に良い酒であったぞ」
ドルイドはもてなしに対する礼を、素直に受け取った。そして脇にいる小人の青年をチラリと見て、目で合図を送る。
「昨日、会談の前に捜索隊を放っておいた。鳥どもは見かけなんだが、馬のほうは箱車を
その言葉と共に、二頭立ての箱型四輪馬車が、ゴトゴトと車輪を鳴らして登場した。
二頭の馬の手綱を引いている小人らは計八人で、馬一頭につき四人一組になっている。
彼らは御者台に座らず飛んでいるから、一見して手綱がひとりでに浮いているように見えた。
「おお! これはまさしくウェスクス伯家の家紋! ドルイド殿、並びに捜索に出てくれた小人殿たちにも、重ねて感謝を!」
「うぅ……エイモン、あまりでかい声は出さないでくれ……」
感激したエイモンが思いがけず大きな声を出すと、木に寄りかかっていたヘンリーが弱々しく呻いた。
「も、申し訳ありません若様。さぁこちらへ。馬車のなかでお休みください」
それに焦ったエイモンは、すぐにヘンリーのもとへ駆け寄り、肩を支えて車内へと誘導する。
そしてヘンリーが馬車のあちこちに捕まりながらも、ようやっと箱車のなかに乗り込んだのを確認すると、エイモンはその扉を閉め、サッと御者台に腰掛けた。
「では、
「うむ。……ん? なんだ? あの者らは乗せていってやらんのか?」
エイモンがピシリと手綱を打とうとしたとき、ドルイドが髭を撫でつけて言った。
それを耳聡く聞いていたモカが、期待した顔になる。
対して思案顔を浮かべるエイモンに、ドルイドは続けた。
「汝らの旅が別々だということは聞いておる。だが、汝らはこの二日間で、多少なりとも縁を持とうて。行き先が同じであるならば、乗せていってやるがよい。箱車もまだ空いておろう?」
「し、しかし……
「いいじゃないのよ、乗せてあげるくらい」
渋るエイモンに、飛んできたフィオナが噛みついた。
彼女も一度自宅に帰り、郷を出る支度を済ませてきたはずなのだが、荷物らしきものは腰につけた巾着だけだ。
その軽装のおかげか、彼女は思いのままに宙を飛び、エイモンの鼻先でピタリとホバリングして言った。
「モカちゃんたちを信用できないってんなら、あんたらのがよっぽどよ? 騙してトンズラここうとしたんだからね」
「うぐ……!」
「でも、それはあたしも一緒。だからあたしは償うの。あんたたちもヒッセニアに行くんでしょ?」
「あ、ああ、そうだが……」
「なら乗せなさい。それくらいしなさい。それに、あたしはモカちゃんたちを道案内するつもりだから、乗せればあんたたちも早く着けるわよ」
「ぬ、ぬぅぅ……しかし……っ!」
「な、何よ、とっとと決めなさいよ」
「エイモン、乗せてやれ」
エイモンが葛藤に唸っていると、その背後で御者台側にある箱車の小窓がパタリと開き、ヘンリーが顔を覗かせた。
「乗せてやれ、エイモン。僕は構わな……うぇっ……くっ、……構わない。その女の言う通りだ。僕らは償うっ……べきだ……うぇっ」
「わ、若様……」
エイモンは「ご立派です」と言おうとして、けれどヘンリーの有り様を見て言い損じた。
代わりにフィオナ、そしてモカやノロのほうへ向き直り、言う。
「……若様の仰せです。
「ぃやったぁ! いいのっ? ありがとう! フィオナさんもドルイドさんも、おじさんもゲロゲロくんもありがとうっ!」
モカがピョンピョンと飛び跳ねて礼を述べると、ドルイドは「うむ」と一言残して、郷の奥へ下がって行った。
ノロはその背に、「不器用だなぁ」と一人つぶやく。
「ぶ、無礼な。僕の名はヘンリーだ、ゲロゲロくんなんかではない……まだ吐いて……うっ、く、……吐いてなんかないぞ……!」
「お邪魔しまーす! おぉ~、わたし、初めての箱型馬車だ……。ほら、フィオナさんもノロもおいでよー!」
ついでにヘンリーも不名誉な呼び名に異議を申し立てていたのだが、おてんばが発動したモカには聞こえなかった。
そんなモカに呼ばれて、フィオナも車内の様子を見に箱車へ入っていくと、ノロは杖をついてエイモンに近寄った。
「俺もそっちを信用してない。お互い様だ。だけど、この脚だからね。分が悪いのはこっちだと言えば、少しは安心して運転に集中してもらえるかな」
「……申し訳ありませんでした。初対面の
「……ヒッセニアまでよろしく頼むよ、エイモンさん」
「はい。若様の従者として、ウェスクス伯家の家名を汚さぬよう、全身全霊をもって」
かくして、モカとノロの旅は、昨日の晩にフィオナが加わり三人に。
そして今、ヒッセニア領までの暫定として、ヘンリーとエイモンも数え、五人になったのだった。
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