痛切な残滓

 ひらめきをそのまま口に出したとしか思えない彼女の発言に、ドルイドが顔をしかめた。

「……唐突に何を言うか、森の巫女アルセイドよ。まだ毒で頭が回っておらぬと見える」

「いいえ、ドルイド様。あたしはもうすっかり正気です」

 反対に、小人の女は凛とした表情だ。

 このように意見されることなど滅多になかったドルイドは、さらに高圧的な態度を取った。

「では、今一度申してみよ」

「ですから、あたしはここを出ていきます。そうしたいんです。あたしがいなくなると、何かお困りですか?」

 そんな、小人の女のあっけらかんとした口振りが気に障ったのか、ドルイドはついに激昂して声を荒らげた。

「当然であろう! 汝は我が右腕ウァテスなのだぞ! の郷の森の巫女アルセイドとしての自覚はないのか!」

 すると、小人の女も張り合うようにして、大声で怒鳴る。

「いい加減にして! 何が自覚よ! なんにも気付かないくせに! あたしがフィオナのほうだって、誰も気が付かないくせに!」

「――!」

 その言葉を聞いて、やっとドルイドは小人の女へ顔を向けた。それは今日、この会談が始まってから、初めてのことだった。

「……なるほど、そうであったか……」

 まじまじと見て、ドルイドが小さな声を漏らした。

 小人の女は、いからせた肩で息をしている。

 どうやら軍配は彼女のほうに上がったらしく、言い合いはその一往復きりで終わった。

 あとには寄せた波が引いたかのように、いやにしんとした沈黙だけが残っている。

 その、次にどちらかが口を開くまでの間、モカは背筋を伸ばして硬直し、ノロはやれやれと脚をさすって、ヘンリーは腕組みしながら静観、エイモンはじっと事態を見守ることに徹していた。

「……ならば好きにするがよい。その代わり、汝を巫女ウァテスから除名処分とす。よいな?」

 仕切り直すように居住まいを正して、ドルイドが言う。

 それに小人の女は、ただただ黙って三つ指をつくと、深々と頭を下げた。


 フィローネ・ウィンドとは、偽りの人である。

 まず初めに、その名がすでに嘘だ。彼女の本当の名は、フィオナ・レアルタという。

 だからフィローネ・ウィンドなんていう名の小人フェアリーは、少なくともこの郷には存在しない。

 存在したのは、フィローネ・レアルタという名の小人フェアリーが一人だけ。他でもない、フィオナの双子の妹である。

 とどのつまり、フィオナは偽名に妹の名を混ぜて使っていたのだ。

 ただし、それにはそうするだけの理由があった。それは彼女らが、優れた巫女ウァテスの系譜であることに起因する。

 フィオナの本名であるレアルタとは、彼女の家系をたどった古い先祖の言葉で、『星』を意味するらしい。

 そもそも職業姓を用いるのは只人サリードの習慣であり、小人フェアリーを含めた他の人種は、地形姓や渾名あだな姓を用いることが多いため、小人フェアリーが自然物を冠する姓であることは、別段おかしなことではない。

 フィオナがウィンドと名乗ったのも、小人族フェアリーによくある姓だからだろう。

 しかしながら、レアルタ姓は特別だった。

 彼女の家系は、生まれつき星詠みの才に恵まれ、代々巫女ウァテスを務めてきた。

 したがって他の巫女ウァテスに比べ、そういった知識や勘に秀でているのだ。

 それは彼女ら双子の姉妹、フィオナとフィローネも、例外ではなかった。

 特に、フィオナは歴代でも一二いちにを争うほどの才覚の持ち主と評され、信仰の要であるオークの木の、しかもそのなかでも最も珍重される、宿木を宿した巨樹ロブル樹の巫女ドライアドに任命された。

 それはとても名誉なことで、妹のフィローネにとっても、自慢の姉だった。

 だが皮肉にもそれが、フィオナに白羽の矢が立つ原因ともなった。

 優秀であるがゆえ、神の傍らへ寄るに相応しい人物として、彼女が生贄となることが決定したのである。

 もともと、フィオナはそういった文化を嫌っていた。

 神官ドルイド巫女ウァテス詩人バルドといった民族構成をではない。人身御供の文化をだ。

 しかし信仰とは、文化とは根強いもので、それは自分が生贄とわかる以前に、敢えて「神託の儀に失敗した」と言ってみても、結局避けて通れぬ道だった。

 そしてそれを知ったフィローネは、自分とフィオナが瓜二つであるのを利用して、身代わりとなった。

 フィオナは悲憤した。それを良しとする信仰に、文化に、置き手紙に。

 フィオナは忍従した。それを良しとした郷長に、郷民に、妹に。

 姉妹は不幸にも早くに両親を亡くしている。

 巫女ウァテスになれたおかげで彼女らが食いっぱぐれることはなかったが、けれど守ってくれはしなかった。

 今回の件で、フィオナは独りになった。

 鏡を見るのが、大嫌いになった。

 なのに、彼女は毎朝毎晩、鏡を見ては、「おはよう」と「おやすみ」、そして「ごめんなさい」を言うのだった。


 夜半。泉の周りで、祝宴が催された。

 と言っても、小人フェアリーは基本的に火を使わないから、焚き火はない。月明かりの落ちたところを囲んで、輪になるのだ。

 これを、妖精の宴フェアリーリングと言う。

 この妖精の宴フェアリーリングの跡地には、彼らが飲み食いした際にこぼした食べかすや酒などが養分となり、環状にキノコが生える。それがそのまま、呼称の所以ゆえんとなっている。

「どうして火が苦手なの?」

 モカが、目を腫らしつつも晴々とした表情のフィオナに問いかけた。

「翅よ。ほら、火を使うと、どうしても火の粉が飛んでくるでしょ? そうするとね、翅がダメになっちゃうのよ」

「へー!」

 知らないことを、自分の目と耳で知る。それがロアマの醍醐味だ。

 小人フェアリーの暮らしぶりもそうだが、改めて実感できたその素晴しさに、モカは瞳を輝かせた。

 知れたことは他にもある。

 例えば、ジャバウォックの首と胴は見事に切り離され、その肉は今、郷に備蓄されていた酒の肴となっている。

 このことから、竜類ドラゴンの肉は体温などの性質上細菌に強く、馬みたいに様々な部位が生食できるのを知れた。

「若様、そんなにたくさん飲まれて大丈夫ですか……?」

「なぁに、父上はもっろガブガブ飲んれいら。僕らっれこれしきなんともないぞ。ハハハハッ!」

 心配するエイモンをよそに、ヘンリーがご機嫌な笑い声をあげる。文句なしに呂律が回っていないが、泥酔状態にある本人はわかっているのだろうか。

 その少し離れたところで、ノロとドルイドが話をしていた。

「竜退治の只人サリードよ、脚の具合はどうだ」

「おかげさまで。さすがは小人フェアリーの薬だよ、郷長さん」

「そうであろう、パナケアは我らが誇る万能薬であるからな。汝に少し分けてやろう。持ってゆくがいい」

「それは、フィオナさんへの贖罪のつもり?」

 一度、会話が途切れた。その隙間に、宴を楽しむ喧騒が滑り込む。

 会談はあのあと、一通りまとまった。

 郷の事情から、フィオナが抱えていた背景、そして退治したジャバウォックの処理、配当、報酬に関する事柄。

 話はつつがなく進み、意見が割れることはなかった。

 しばしして、再びドルイドが口を開く。

「……贖罪ではない。餞別だ。……頼めるか、竜退治の只人サリードよ」

 言われたノロは、楽しそうにフィオナとしゃべっているモカを眺めたのち、一言だけ返した。

「ノロだよ、俺の名前はノロ。ただのノロだ。あんたは人の名前を覚える努力をしたほうがいい」

 フィオナに始まり、小人フェアリーは取引上手なようだ。

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