不憫な独白

 太陽も中天をとうに過ぎ、半ば夕暮れが近付いてきた頃、やっと話が本題に入った。

 その一因となったアラクネーの一件も一段落して、皆が真面目な雰囲気を取り戻しつつある。

「改めてごめんね、モカちゃん、ノロくん」

 しおらしく小人の女が頭を下げた。一つに結った金髪も、さらりと力なく垂れ下がる。

「別に平気! ねっ! ノロ!」

「もしモカがかすり傷一つでも怪我をしていたら、話は別だったけどね」

 明朗快活な返事をするモカとは対照的に、ノロが脚をぶらりとさせて言った。モカは快く許すと言っているのに、ノロは少し棘のある言いぐさである。

 だが、事の顛末を考えるに、ノロの気持ちもわからなくもない。成り行きで、なんて一言で済ませられるほど、竜退治はお手軽なものではないのだ。

「して、毒は抜けたか? 森の巫女アルセイドよ」

 ドルイドが言うと、姿勢を起こしながらも顔を伏せたまま、小人の女が返す。

「……。はい、ご迷惑をおかけしました、ドルイド様」

「よい。しかし、もう愚行は冒してくれるな」

「…………」

 毒と聞いて、モカの面差しに影が射した。

 今、小人の女の背に、翅はない。治療のため、胸囲に巻いた包帯が邪魔なせいだ。

 モカは、あのときノロの応急処置が終わるのと同時、突然倒れて苦しそうに喘ぐ友人を思い出していた。

 他の小人たちが異変を察知して様子を窺いに来なければ、危うく手遅れになるところだっただろう。

「……あの、あのさ、フィーネさん……。その、なんで翅に……毒なんか仕込んでたの……?」

 控えめにモカが問う。

 聞けば、翅に仕込んだ毒はコカトリスのものらしく、水に溶け込んだたったの一滴だけでも、驚異的な威力を発揮する猛毒だという。

 そんなものを、自らの翅に仕込んだ理由。

「…………」

 モカの気遣うような視線に、小人の女は黙りこくった。

 返す言葉を探しているのか、そもそも返す言葉がないのか、どちらとも言えない表情で目を伏せている。

「大方、此奴こやつはあの黒竜と刺し違えるつもりだったのだろう。毒翅もろとも己を喰わせてな」

 静かに、低くしわがれた声が代弁した。

 それに、ノロが「やっぱりな」とばかりに軽くため息を吐く。

 本当なら、そのコカトリスの毒が彼女を蝕むのは、ジャバウォックがゴクリと喉を鳴らしたあと。その胃袋のなかでのはずだった。

 しかし、ノロが翅を付け直した際に、翅の翅脈しみゃくを強く圧迫してしまったせいで細工が壊れ、極めつけに、モカの肩から飛び降りた拍子に、いつもの癖で羽ばたいてしまったことが、彼女の体内に毒が侵入する原因となったのである。

 幸いにも、それがほんの微量であったことと、ヘンルーダという解毒薬がすぐに処方できたことで事なきを得たが、一対の翅には、ジャバウォックを仕留めるのに充分な量の毒が仕込まれていた。

「要するに、玉砕戦法か。それがこの郷の方針だったのか?」

 今度はヘンリーが訊ねる。今のは小人の女ではなく、ドルイドに向けての問いだ。

にえは確かに出していた。巫女ウァテスのなかから、神の御許みもとへ送るに足る人物を選出してな。よって当然、毒はの者の独断よ。神の御側おそばけがれを持ち込むなど、許されざる冒涜だと言うに」

「では、貴様自らそのにえとやらに立候補すればよかったじゃないか。郷長なのだろう?」

「若様、それ以上はどうかお控えください」

「まったく、小僧の口達者なことよ。汝こそ、おのが郷を置いて逃げてきたと聞いたが?」

 言い返されて、ぐっと喉に言葉を詰まらせ、悔しみを呑み込むヘンリー。

 なにも言い返せず、偉そうな振る舞いをするドルイドに一泡ふかせるつもりが、逆に手痛いしっぺ返しを食らうはめとなってしまった。

「……本当に、巻き込んでごめんなさい。でも信じて、最初は騙す気なんてなかったの」

 ぽつりと、小人の女がつぶやく。目線は下に固定されている。

 それにドルイドが目をつむって、聞く姿勢を取ったことにより、一行いっこうも同様に次の言葉を待った。

「最初はね……、最初は、これっぽっちもアイツと戦わせようだなんて思ってなくって……。会ったら大変だって、避けて案内してたのよ」

「最初は、ね。じゃあ、いつから? あの大木のところへ誘導したときからかな?」

 アラクネーの上から、ノロが質問を投げかけた。小人の女は言いづらそうに答える。

「……四人に、増えたときに……。武器を持ってる只人サリードが四人もいれば、もしかしたら勝てるかも、……って……」

 言葉を途切らせながら、苦々しい表情で彼女は続けた。

「……あの木はね、あたしにとって一番大切なもので、一番大切な場所なの。……だから、取り戻したくて。あんなヤツの餌場にしとくのが、死ぬほど嫌で、受け入れられなくて」

 ここからは、もはや独白だった。

 懺悔だったり、悔恨や自責が入り雑じった彼女の真情の発露は、鳥の賑やかな森のなかでもよく聞こえた。

「でも、ノロくんたち、一回逃げようとしたじゃない? あたし、ああやっぱり逃げるよね、って。そりゃそうだよね、って。だから、結局騙して、うちの郷みたいに生贄みたいなやり方をした、自業自得だなーって割り切って、……最初からね、成人の儀が終わったら、やってやろうって思ってたのよ。コカトリスの毒なら、アイツもただじゃ済まないだろうし」

「フィーネさん……、もういいよ……」

 一点を見つめる友人の目から、いつしかぽろぽろと大粒の涙がこぼれているのに気付き、モカが声をかけた。けれど、友人は気にせず続ける。

「あそこでモカちゃんの背中に寄りかかって、あの木をぼーっと眺めてて、自分がやろうとしてることに悩んでた。騙しちゃったあたしに、モカちゃんはありがとうって言ったの。それで、あたし何してんだろって。そう思い始めたら、そっちのオジサンの狙い通りに、モカちゃんたちが騙されるの、黙ってらんなくなって」

 別に、責めるような視線で刺されたわけでも、また、咎めるような口調で言われたわけでもなかったのだが、泣く女に言われたエイモンは「うぐ」と小さく呻いた。

「それにね、こんな行い、絶対あの子は許してくれないな、って」

「あの子……?」

 モカが復唱した。

 その人物については、だいたい察しがつく。多分先ほど、空気が悪くなったドルイドの発言のなかで、軽んじられていた人物だ。

「うん、あたしの双子の片割れ。あたしの唯一の家族で、あたしの分身で、……あたしのすべて」

 そして小人の女は、膝に涙を垂らしながらも、微笑んで言った。

「――うん。そうね。ドルイド様、あたし、ここを出ていきます」

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