脇道な会談

「まずはこの郷を率いる長として礼を言おう、我々よりは大きく、宿り木よりは小さな者たちよ」

 案内された場所へついていくと、開口一番、長い髭を蓄えた小人の老人が言った。

 ここまで引率してきた小人の青年は「只人サリードでも落ち着ける場」と言っていたが、やはり体格差的に無理があったのだろう。用意された席は、嵐がきたときにでも倒れたのか、はたまた根が腐って自然と倒れたのか、ちょうど四人が座れるくらいの倒木だった。

 ヘンリーとエイモンは先に来ていたらしく、そこにモカの座るスペースを空けて腰かけている。

「あれ……ノロは?」

 自分の座るところを手で払いながら、モカが宙に疑問を投げた。しかし先に来ていた二人も知らない様子で、一同の視線は自然と小人の老人のほうへと向かう。すると期待通り、小人の老人がゆっくりとそれに応えてくれた。

「案ずるな、の者もじきに来る。まだあの足では満足に歩けまい。汝らには悪いが、の者が竜退治の一番の功労者であるからして、厚遇も当然のことであろう」

 他の小人から「ドルイド様」と呼ばれる彼は、モカたちの座るすぐ対面、目の前にある名前もわからない大きなキノコの上に鎮座し、ちんまりとした見た目からは想像できないほどの威厳を放っている。これが郷長の貫禄といったものだろうか。

 各々は、その重厚な言葉に殊に顔をしかめるわけでもなく、厳然たる事実としてそれを受け止めた。

 あるいは、一部始終を見ていた者は、「あれは竜の自爆だ」と異を唱えるかもしれない。けれど実際に立ち合った者のなかで、そうした不満を露わにできる者は皆無だった。

 ただし、それもただ一人を除いては、という注釈が付随してしまうのだが。

「フィーネさんだって、ものすごく頑張ってた」

 モカが真っ直ぐにドルイドを見据えて言った。小さな身一つで恐ろしい竜に挑んだ友人を、どうしても褒めてほしかったのである。

 しかしそれでも、ドルイドは威風堂々とした風格を漂わせたまま、これを否定する。

の者のそれは過ちだ、蛮勇とも呼べぬ。の者はこの郷のウァテス、それもこの山の森の巫女アルセイドなのだからな」

「……ウァテス?」

 言い返しもせずに、モカが首を傾げる。その傾いた視界のなかで、ドルイドの隣に座した友人がうつむいた。

 森の巫女アルセイド、というのは聞いたことがある。小人フェアリーの間では巫女とされるが、只人サリードからはしばしば森の精などと呼ばれる者たちのことだ。

 他にもこれと同様の性質を持っているのが、海精ネレイドや、谷精ナパイアなどである。一番の有名所で言えば、樹精ドライアドが広く周知されていることだろう。

 これらは総じてニンフ、またはニュンペーと称され、それぞれが小人社会において重要な役割を担っているのだ。

 なかでも各ニンフの代表者は、特別な任に就く。それが今話題に上っているウァテスである。

汝らサリードには馴染みがないか。ウァテスというのはな、生まれついての役目にして、我が右腕のことよ」

「うぁーんもう! だからそんなんじゃわかんないってば!」

「……僕もわからんな。エイモン、教えてくれ」

 泣きっ面で天を仰ぐモカの隣で、ヘンリーも眉根を寄せた。

 ドルイドの抽象的な物言いから、ヘンリーには彼が自分らに理解させるつもりなどないように感じられ、もっと噛み砕いて説明してくれるであろうエイモンに補足を求める。

「はっ。……ウァテスというのは、小人族フェアリーのなかでの肩書き、もしくは民族階級とでも言うべきでしょうか……祭司や神官と言った役割を果たすドルイドを、補佐する役目のことです。なんでも、天文学や自然科学を引用した占術や、神楽舞を奉じることで神託を得るのだとか」

「ほう、よく知っておるではないか。我々は教えを書き記さぬゆえ、知る者は少ないのだがな。流れ者にしては博識なものよ」

「これはこれは。知恵者として知られるドルイド殿に褒められるとは、なんと光栄なことだ。小人とは若い時分に縁があったものでな」

「ふむ、遠方の同胞はらからは、只人サリードと交流を持つか。難儀なことよ」

 エイモンへの返答にドルイドがそう返すや否や、うつむいていた小人が金髪を揺らし、キッと隣のドルイドを睨んだ。

「お言葉ですが、その只人サリードが郷を救ってくれたのです。この者たちがいなければ、郷は滅んでいたことでしょう」

「口が過ぎるぞ、森の巫女アルセイドよ。そも、神託の儀でお告げを聞き損なったのは、汝の双子の姉、フィオナの失態であろう。あれには期待していたが、オークを任せる樹の巫女ドライアドとしては力不足であったな」

 しわがれた声がそう弁じた瞬間、漂う空気に怒気が孕むのを感じた。

 もともと和やかな雰囲気ではなかったにしろ、それはげんを発したドルイド以外の誰もが知覚できたことだろう。

 あとに次ぐ言葉はなく、また、誰も口を開こうともしない。そんな険悪な場に、ため息混じりな声が一つ、投じられる。

「勘弁してほしいな。先に集まってるっていうから、もうあらかた話も済んだ頃合いかなと思えば……なに? そこのお爺さんは、俺たちに内輪揉めを見せたかったの?」

 言わずもがな、ノロだった。

 まるで「くだらない」とばかりに萎えた口調で、ともすれば竜退治の功をふいにしてしまう発言だ。郷の長であるドルイドに対して、無礼千万である。

 だが、当のドルイドがそれに反応するよりもずっと早く、モカが悲鳴に近い喚声を響かせた。

「ノっ、ノロっ!? なんで裸の女の人に跨がってるの!? っていうかそれ誰!?」

「えっ? ああいや、モカ、これはヒトじゃな――」

「きっ、貴様! 昼間から何をしている! 貴様こそ僕らに何を見せたいのだ!」

「いえ、若様、あれは人間ではなく……」

 ノロの弁明を遮り、ヘンリーも語気を荒げた。それをまたエイモンが宥めるが、火の付いたように騒ぐ二人はもはや手がつけられない。

 特にモカなんて、すっくと立ち上がってノロのほうを指差したまま、聞く耳を持たなかった。

「落ち着け只人サリードの子ら。あれはアラクネーである。我が郷の飼い蜘蛛よ」

 やかましそうにモカたちをめ上げ、ドルイドが言う。そこまで声量があったわけではないのに、低く威圧感のある声のおかげか、二人はぴたりと騒ぐのをやめた。

「……アラ……」

「……クネー……?」

 そして一呼吸置いて顔を見合わせると、もう一度ノロのほうを見やる。

 やはり一見して、ノロは仰向けになった女性の腹部に馬乗りになっているように見える。しかしよくよく見てみれば、その肌色の脇には黒々とした脚が左右に三本ずつ生えていた。なるほど蜘蛛の脚らしく、ケバケバとした毛も見てとれる。

 残りの二本は女の細腕みたいにつるりとしているが、この腕、もとい、脚を合わせて計八本の歩脚だ。

 つまり、それは奇怪ではあるものの、確かに蜘蛛であった。

「ほ、ほんとだ……蜘蛛だ……」

「……蜘蛛、だな……」

「なんだ只人サリードの子らよ、アラクネーを見るのは初めてか? さほど珍しくもあるまいに」

 一旦そうやって認識を改めると、人間の女性に見えていた部分も、乳房にあたる部分が眼であることなどがわかった。女の体を成した頭部の裏には、髪と見紛う毛束のなかに、捕食の際に用いる鋏角きょうかくをうまく紛れ込ませて隠しているらしい。

 アラクネーは巣を張らない徘徊性の蜘蛛で、こうして人間の女に擬態することで、自らを死肉や瀕死の獲物だと思わせ、貪りに来た肉食獣を捉えるのだという。

「……え、てことはこの蜘蛛、肉食なの……?」

「草食の蜘蛛がおるのか?」

 モカが恐る恐る尋ねると、ドルイドは「何をおかしなことを」とでも言いたげな表情で返事をした。

「それって……こんなに大きいんじゃ人も食べるんじゃないの……?」

「我らのような大きさでは腹の足しにもならんだろうが、汝らくらいの大きさならば話は別であろうな」

「それは……まずいのではないか?」

 ドルイドの言葉に、ヘンリーが慌てて腰の剣に手をやる。だが、この場は郷長との会談の席だ。帯剣は許されていない。

 そのヘンリーの間抜けな動作を見て、ドルイドは心底愉快そうな笑い声を上げ、言った。

「あのよこしまな竜に挑んだ割りには、に小心なことよ。心配無用、汝らには手を出さん」

「なぜ言い切れる?」

 笑われたことで、少し不機嫌になったヘンリーが詰める。しかし、ドルイドは余裕の笑みだ。

「汝の目は節穴か? 汝は今、目の前で、何よりの証拠を見ているではないか」

 確かにドルイドの言う通り、どっかりと上に乗っかっているノロが、今のところアラクネーに襲われる気配はない。

「……エイモン」

「……申し訳ありません若様、私にもわかりません。ドルイド殿、いったいどういうわけか、お教え願いたい」

 ヘンリーに意見を求められたエイモンも、アラクネーを前に丸腰でいる不安からか、胡乱うろんげに顔を強張らせている。

 それも当然のこと、エイモンの知る限り、アラクネーは飼い慣らせるような生き物ではなかったはずなのだ。

 なにせ、たまにアラクネーだと気付かずに野晒しの死体だと勘違いをして、埋葬しようと近づいた者や、遺品目当ての盗賊が食われた、なんていうのは間々ある話。

 それを抜きにしても、相手は虫である。意思の疎通が可能だとは思えない。だからこそ、エイモンは確証が欲しかった。

「知れたこと、トリカブトの匂いよ。昨夜のうちに、汝らの外套にはトリカブトの汁を馴染ませておいた。アラクネーも嫌う匂いのするものは食うまい」

「……なるほど、アラクネーはトリカブトが苦手なのか……。さすがはドルイド殿、その智者ぶり、恐れ入る」

 エイモンが感心する傍ら、二つの呆れた声がこぼれた。

「いや、そんなことよりさ、話って全然進んでないんでしょ? さっさと終わらせて欲しいんだけどな」

「ほんとよ……もう、あたしから話そうかしら……」

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