裏腹な事情
「……で、あなたが仕掛けた罠から、モカが蝶を逃してしまったと……」
両者から事情聴取すること数分、やっと話が見えてきた。
ぴゃーぴゃー泣くモカとがーがー荒ぶる小人を
ニモツトリマはここぞとばかりに脱走を試みるし、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図といった光景だったのだが、唯一冷静だったノロがその場をなんとか平定し、双方の言い分から状況を整理するまでに漕ぎつけたのである。
おかげで二人はようやく落ち着きを取り戻し、代わりにノロはげっそりとしていた。
もしも次に同じようなことがあれば、きっと見て見ぬふりをするに違いない。
「え、ええそうなの。そういうことされるとちょーっと困るっていうかぁ、あたしたち
モカトリマの
脚を組んではいるものの、先ほどまでの暴君ぶりはすっかり鳴りを潜め、今は借りてきた猫のように大人しい。
しかし死活問題などという不穏な単語が混じるあたり、未だ溜飲が下がってはいないようだ。
「こんなの
対して、ノロの背中にしがみつき、ぽそっとつぶやくモカ。
一応反省はしているみたいなのだが、諸々の私情を含めこちらもまだ納得がいかない様子で、その恨めしそうな顔には多少の、いや、多分に私怨が滲み出ていた。
「こんなのってなによ。あたしのどこが
「……だってなんか怖いもん」
「怖い? どっからどう見てもかわいい
「……えっ? あ、ああ、そうですね」
流れ弾に被弾したノロが咄嗟に適当な返事をすると、小人は「わ、はぁあ……っ!」と両手で頬を包んだ。
ほんの数分前までは、その形容詞からはかけ離れた一面を披露していたというのに、まったく乙女とは裏腹な生き物である。
しかしその主張はあながち的外れなわけでもなく、手のひらサイズの小さな身体と背中に生えた四枚の翅は、その証の最たるものだといえよう。
おまけに自称するだけあって、容姿も一概に否定できないほど整った造形をしており、まるで絵本から飛び出してきたかのようだった。
「わたしがちっちゃい頃に読んでた絵本じゃ、
だが、モカが思い描いていたイメージとは、ほんの少し、わずかに違った。
もちろん本物の
「はっ、蝶の翅なんか飛びにくいったらないわ。あんなの揺れて酔うだけよ」
しかし目の前にいる本物は、拗ねたモカの苦し紛れの一言を鼻で
なんとも夢のない
「……
「あるわよ、成人の儀の練習にね。蝶の翅はパーティとか……そういう儀式とか式典用だから」
もたげた疑問をモカがぶつけてみると、小人は事も無げに言ってのけた。
そしてそれはまさに、モカを更なる奈落へと突き落とす一言だった。
「……もしかしてその翅――」
「モカ、それ以上はいけない」
恐る恐るそれを口にしかけたモカに、すかさずノロが制止に入る。
「付け替えれるわよ? なに? 直に生えてると思ってたの?」
が、時すでに遅し。禁断の箱はとうに開いていたらしい。
「……ねえノロ?」
「……うん?」
「嘘……だよね?」
「……モカ……ごめん」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「えちょ、どうしたのっ!? あんたなに泣いてんのっ!?」
知らぬが仏。そういうものも、世の中にはある。
そして数分後、そこには覚悟を決めた顔をするモカがいた。
断固として「信じない、証拠を見せろ」と泣くモカに、事情を知った小人も「
「……はい……じゃあモカ、肩甲骨の間のとこ、よく見てみて」
自分では抜けないため、ノロが代わりに小人の翅を慎重かつ丁寧に抜くと、そこには二人の言う通り、胎内にいた頃の名残があった。
腹部のそれとは別に、ちょうどサイコロの目のように四つの窪みが並んでいる。
「ちょっとあんたちゃんと見てる? 嘘じゃないでしょ?」
「……ほんとーだぁ……でもおへそっていうより、判子注射の痕みたいだねぇ……」
本物に堂々と証明され、まるで崩れ去った夢を惜しむみたいな声音でモカが言う。
なんだか目の生気が失われていっている気もするが、これもまた冒険の一環と言えよう。
「ふふ、あたしらにはね、
あまりに得意げに言うので、痙攣という単語を言い直したことには誰も触れなかった。
というか、もはやモカは顔面全体に死相を浮かび上がらせ、ノロも沈痛な面持ちでその頭を撫でて慰めていたので、誰も気にしていなかったというのが正解だ。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ、なんていう言葉があるが、こういうときに使ってもさして問題ないのではなかろうか。字面的に、今のモカの心境を表すのにぴったりだから。
「
「フィローネよ。フィローネ・ウィンド」
モカを木陰に座らせ、気を取り直してノロが話を振ると、小人が言った。
それがこの小人の名前だと理解したノロは、そういえばお互いにまだ名乗っていなかったことに気づき、フィローネの翅を付け直しつつ、遅まきながら自己紹介をした。
「俺はノロです。ただのノロ」
「へぇ、ノロくんっていうんだ……ノロくん……ノロくん……」
するとフィローネは、口のなかで何度もその名を転がした。
けれどそう何度も呼ばれては、気が散って翅がうまく付けられない。
「それでフィローネさん、今回は本当に――」
「あっ! ちょっと待って!」
「はい? なんでしょう。あ、背中、痛かったですか?」
止められ、ノロは謝った。
やっぱり手元が狂ってしまったのか、そもそも細工師でもないノロに、この細かい作業は難しい。
抜いてしまった手前言いづらいが、森に
「いえ、違くて……フィ、フィーネって呼んで。ノ、ノロくん歳は? おいくつ?」
「はい……? ……十六ですが」
「くっ、年下かっ、それも二つも……! ……いや、でもまあ……」
「……あの、なにか?」
しかし、翅の件ではなかったようで安堵した。
背中越しにもごもご言っているが、なんか話が逸れていっている気がする。
「なんでもないわ。ノロくん、その子は?」
「ああ、モカです。この度はモカが本当に――」
「そうじゃない、そうじゃなくて」
「……はい?」
「あっ、ああいえ、なんでもないの。……それで、あなたの恋人がしてしまったことだけど」
「あ、妹です。なので俺が兄として償いを――」
「妹なのねっ!?」
「えっ。あ、はい。モカは俺の妹ですが……?」
食い気味にくるフィローネ。
やっぱり話が逸れているというか、微妙に噛み合っていないというか、謝ろうとしているのにこれでは埒が明かない。
だが、被害者的には関係者の立ち位置をはっきりさせ、責任の所在を明らかにしておきたいのだろう。それも一理ある。誠意をもって答えなくては。
「ええと、すみません、さっきお兄さんと呼ばれたので、てっきりわかっているものだとばかり」
「いっいえ、いいのよ。それより本当に妹さんなの? 失礼だけど、その、似てないわね」
「ええ、義理なので。ですが本当の妹のように思っています。なので償いは俺が――」
「なんでもするの?」
「えっ」
またしても食い気味なフィローネ。もはや狙っていたかのようだ。
これで必要な情報は開示したし、多少強引なりとも話を推し進めようとしたノロだったが、急転直下、事態は思わぬ方向へ向かってしまった。
これ以上あれこれ聞かれまいとしたのが、運の尽きだったのだろうか。
「なんでもするの?」
「……できるだけのことをせさていた――」
「できることならなんでもする?」
「……そのつもりです。俺にできることなら」
「っし……!」
フィローネの小さなガッツポーズが、背中越しに見えた。
放心状態のモカを差し置いて、話はどんどん進んでいく。それがこの先、吉と出るか凶と出るか。
「……すみませんが、出来る範囲でお願いします」
どう考えても凶が出るとしか考えられず、当たらぬも八卦を願うノロであった。
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