始まりの一歩
半刻後、旅の支度が整った。
予期せぬことに時間を取られてしまったが、旅に予想外はつきものだ。
それがもし、まだ旅に出る前だとしても、今ここに集まった気持ちをぞんざいに扱うことなんて、二人には考えられなかった。
なにより贈り物のほとんどが、示し合わせたように二人分で、お揃いで。
いったいいつから準備していたのかは知らないが、それが当たり前のことになっているのが、なんというかくすぐったくて、つい頬が緩んだ。
「これでよし、と」
領民からもらったフード付き
手首までを被うその合わせ目がはためいて、ベストに着けた懐中時計のチェーンが揺れる。
「おお……袖があるのを着込むよりだいぶ動きやすいな」
腕を回しつぶやくと、ディアトリマと目が合った。心なしか、不貞腐れているように見える。
「……それに、お前たちのおかげで荷物も軽くなったよ」
その責任の一端が自分にあると思うと、なんとなく気まずくて、目を逸らしながら感謝を述べた。
それは同情心からくる罪滅ぼしの言葉ではなく、本当のことだ。
当初は徒歩での旅を予定していたため、それぞれが袈裟懸け鞄一つに諸々を詰め込んで、さらに提げ紐にランタンなどをくくりつけていたのだが、ディアトリマのおかげでだいぶ楽になった。
旅具や領民からの餞別で圧迫されていた荷物を、三頭目のディアトリマに運んでもらう寸法だ。
一時はどうなることかと思ったが、これにより旅装もだいぶすっきりしたし、結果的に負担が減り、食糧にも余裕ができた。
だから移動に加え、三頭のディアトリマが旅程に大きく貢献してくれたのは、紛れもない事実だった。
「ねえノロ、どお? 似合う?」
ノロとお揃いのケープを身に纏い、くるりと一回転するモカ。
三つ編みにした髪に遠心力が働いて、遅れて肩に着地する。
「うん? うん、とっても――」
ノロは言いながら、上から下へと視線を流す。
ケープを留め、シャツを絞るコルセットベルトと、膝下丈のズボンに、靴下、靴。
「なんか探偵みたい」
「ノロだって似たようなもんじゃん! むしろ違うのベストとズボンの丈くらいじゃん!」
「いや、似合ってるよ?」
「それを最初に言うの! 開口一番! 一言目に! まったく……スカートはダメって言ったのノロじゃん。大変だったんだからね、くれたズボン仕立て直すの!」
ぷんすか怒るモカ。ノロがどうしたものかと思い悩んでいると、救世主はすぐに現れた。
「いいないいな! かっこいいなーっ!」
興奮した様子でコルテが言う。
きらきらと輝く眼差しに、モカは満更でもない顔で「うんうん」とうなずいた。
「ほほー。モカちゃんでもサマになるもんだなあ」
「あーっ、どういう意味ーっ?」
「っへへ。でけえ方はアレだが、まあ、それはこれから馴染むだろうよ」
「この子はしばらく杖代わりにでもするもーん」
しみじみと言うクロッグに、機嫌を持ち直し照れ笑いを浮かべるモカ。
確かに手に持つ
「大きくなったもんだなあ」
「ふふ、そっかな」
「ああ、大きくなった」
鼻をくすぐりながらフロトーが言う。
あどけなさが残るのは、ルミィに編んでもらった三つ編みのせいだろうか。
いや、どこからどう見てもまだ子供だが、もっと小さなころを知っている町民からすれば、「大きくなった」のだろう。
「ノロ兄ちゃん」
左太腿を引っ張る感覚。ホルスターに収めたはずの
「うん?」
「ぼく、ノロ兄ちゃんみたいになるよ」
どこから拾ってきたのか、木の枝を腰にくくりつけたコルテが言った。
アイネがそれを優しい目で見守っている。
「俺みたいに?」
ノロが目をぱちくりさせていると、コルテは子供らしく、元気な笑顔を向けた。
「うん! しゃきんしゃきん! 遅くなってごめん、よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
「……えーっと……?」
突然始まったちゃんばらごっこにノロが困惑していると、アイネが困ったような、申し訳なさそうな顔をして近寄ってきた。
「ごめんなさいね。この子ったらあの日以来ずっと言ってるの。ノロくんかっこいいノロくんかっこいいって、そればっかり」
「……ああ……」
言われてノロはやっと気づいた。
遅くなってごめん。よく頑張った。もう大丈夫。
それらはどれも、母子をイポトリルから助けたときに、自分の口から出た言葉だった。
そしてもう一つ思い出す。
――遅くなって悪かったね。
脳裏に浮かんだ光景に、確かにあれはかっこよかったな、と笑った。
「ぼく、ノロ兄ちゃんみたいに強くて優しくてかっこよくなるんだ! そんでぼくがお母さんを守る!」
とても眩しくて純粋無垢な正義に、ノロはしゃがんで目線を合わせる。
「帰ってきたら剣を教えるね。俺と一緒にみんなを守ってくれる?」
「ほんとうっ?」
「うん」
「嘘つかない? 絶対だよ?」
「嘘なんてつかないよ。なんたって俺は、国境越えのロアマだからね」
記憶にある台詞と共に悪戯な笑みを返すと、コルテは目を輝かせ、顔にぱあっと花を咲かせた。
そして「一番弟子! 一番弟子!」と繰り返すと、嬉しそうにアイネに抱き着き、「約束だよっ」とはしゃぐ。
ノロは首肯で返答すると、右腰に下がった
太腿にある違和感にはまだ慣れないが、大切な形見だ。フロトーから貰ったホルスターも併せて、手放すつもりはない。
「さてさて、二人とも。名残惜しいが、そろそろだ」
ローエンワイツが手を二度打って、二人の周りに集まる人々を解散させる。
「モカくん。キミの父君は立派だ。いや、素敵と言ったほうがいいな。素敵な人だった」
ローエンワイツはそのままの立ち位置で、最後の口上を述べ始めた。
「我が愛する領民もみな口を揃えてそう言うだろう。こうして見送りに来たのが何よりの証拠。そして私もまた、心からそう思っているよ。今回の件でも、我が領地を守ろうと奮闘してくれたと聞いている。留守だったとはいえ、私は彼を失ってしまったことを悔やんでいる。そして、キミたちから素敵な人を奪ってしまってすまないと思っている」
語られたのは感謝と謝辞。
先ほどまでのローエンワイツとは思えないほどの熱量に、領民はみな押し黙って続きを待った。それはいよいよ、話が核心に触れる予兆のように思えた。
「しかし私はそんなキミたちに依頼を申し込まなければならない。私が彼と交わした誓いを守るためにだ。他でもないキミたちに頼むのは忍びないが、今現在我が領は危機に瀕し、総力を以てして復興にあたらなくてはならない。この旅はロアマであるキミたちを措いて成せる者はいないのだ。わかってほしい」
誓いとはなにか。そんなことを訊く者など誰一人としていなかった。
ローエンワイツとドッピオの間にある誓いなのならば、その誓いは二人のものだ。
それぞれの胸にそれぞれの誓いがある。
それらは等しく守らなければならないもので、果たさなくてはならないもの。
そして今、ローエンワイツはその誓いを守ろうとしている。その守ろうとしているものを訊くのは、いくらドッピオの身内と言えど
「知っての通り我が領には斡旋所がない。だからこれは、先に述べたことに対するせめてもの詫びと、いまだ重傷から起き上がれないラズカ導士からの気持ちとして受け取ってくれ」
依頼の報酬は別としても、もうすでに充分な量を貰っているというのに、ローエンワイツは更なる餞別をよこした。
それは、ロアマにとって一番大切なものだった。
「少年少女よ。私はすでに大志を抱いた。さあ、行きたまえ。我がオルタナ領のロアマよ」
モカたちはそれを受け取ると、ディアトリマに
首のロアマタグを、受け取ったオルタナ家の紋章入りのタグに付け替え、いつの間にやらぐずぐずと泣き出していた領民を背に、片腕を掲げ、言い放つ。
「いってきます!」
「必ず戻ります!」
三頭のディアトリマが甲高く鳴き、西方検問所を飛び出した。
声援はその背が見えなくなるまで、いつまでも続いた。
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