旅立ちの日

 オルタナ領西方検問所。日差しが風に暖色を着け始めた午前。

 普段は番兵くらいしかいないこの場所に、珍しく人だかりが出来ていた。

「腕の調子はどうかな、ノロくん」

「問題ありません。あと二月ふたつきもすれば傷口も塞がるでしょう」

「それはよかった」

 ローエンワイツが指摘すると、ノロは包帯が巻かれた右腕を撫でた。

 曲げたり力を入れたりすると違和感があるが、痛みというほどのものはない。

 だいたい、この程度の怪我なら慣れっこだ。

 肉片ごと抉り取られたため縫合することはできなかったが、ミレイが適切な処置をしてくれた。化膿にだけ気をつけていれば心配いらないだろう。

「腕の調子はどうかな、モカくん」

「ばっちりです。カモシ――長銃のほうはまだ七割しか当たりませんけど、二発あれば問題ありません」

「それは……よかった」

 冗談のつもりで言ったローエンワイツが、何事かを呑み込んでうなずくと、モカはカモシカを撫でた。

 この二日間、黙々と練習した。

 時間こそ足りなかったが、一心不乱に、それこそ取り憑かれたかのように撃ち続けた。

 もともと勘がいいのか、それとも若いが故の吸収力か、扱いは随分と上達した自負がある。

 あとはやはり筋力。体格はこれから成長するにして、筋力不足からくる反動負けには改善の余地があった。

 なにせ領外へ出るのだ。今後に期待などと悠長に構えてはいられない。

 撃てば百発百中と、欲をかけば今日までにそう言えるようになっておきたかった。

 なぜならそう。今日は、今日こそが待ちに待った旅立ちの日なのだから。

 踏み出したことのない外の世界。いわば新しい世界へ旅立つ日。

 まだ見ぬ世界。いまだ知らぬ世界。

 憧れを抱き目指した場所へ、ようやく念願の第一歩目を踏み出すことができる。

「……ノロ。これ、受け取ってくれ」

 ローエンワイツの手前、おずおずとフロトーが歩み出た。

 差し出してきたのは、いつか貸してもらった短銃ホルダーだった。

「フロトーさん……。……ありが――」

「モカちゃん! ほらよ! 好きなだけぶっ放つんだぞ! 弾はいくらでも作れるが、タマは一つしかねえ。同じタマでも命は一つだ! ケチんじゃねーぞ!」

「これ、二人のために仕立てたの。よかったら着てね? 破れるような無茶しちゃダメよ?」

「うちからはこれ。保存がきくから……大したものじゃなくてごめんね? モカちゃん、ノロくん、頑張って」

「モカちゃん、ノロちゃん、これ食べて仲良くするんだよ? どうか無事でね」

 町民が殺到し、あれよあれよと増えていく荷物。

 弾丸やフード付きの外套はありがたいが、その大半は自分らでも用意していた食糧だった。

 これはもう一度荷物を整理しなくては、と思っていると、ローエンワイツが再び歩み出る。

「食糧はもう必要なさそうだね。私からはこれを」

 そう言って差し出したものは、懐中時計だった。

 試しに開いてみると、コンパスの機能も備わっている。さすがは伯爵家。高価そうなものだった。

「それとこれは欠かせない。なくさないようにね」

 次に二通の手紙と革製の小袋。この旅の目的であり、依頼の遂行に必要なものだ。

 それらを受け取り、大切に袈裟懸け鞄へしまうと、ローエンワイツがいやにニコニコしていることに気づいた。

「時にモカくん。キミの身長は……百六十くらいかな?」

「……? 多分、それくらいです、けど……」

「うーん、よしよし、ならば大丈夫だろう。カイルくん、ここへ!」

 モカは首を傾げ、隣に立つノロを見た。

 だが、頭一つ分ほどの高さにあるノロの目にも、同じく疑問符が映っていた。

「道を開けろ! 危ないぞ!」

 カイルの声だ。

 そうそう大声を上げない人なのに、とそちらへ視線を向けると、群衆の頭の上に三つ、ぬっとそれらが現れた。

「ローエン様……? あれ、なんですか……?」

「鳥さ」

「おっきくないですか?」

「大きい鳥だからね」

 人混みが割れ、近付いてくるその大きい鳥に釘付けになっていると、隣でノロが言った。

「……ローエンさん。なんでこんなところにディアトリマがいるのか、説明してもらっていいですか」

 ディアトリマ。別名を恐鳥という。

 走鳥類、あるいは走禽類や平胸類というカテゴリーに属する、飛べない鳥だ。

 使役動物としての歴史は実に浅く細々としたもので、輓獣ばんじゅうには向かずほとんどが乗用か駄載用として活用されている。

 走鳥類の使役動物は一般に觜鴕かくだと呼ばれ、他にジャイアントモアやフォルスラコス、ケレンケンなどがおり、いずれも乗用を主としていた。

 そのなかでもディアトリマは、全体的にずっしりとした体格に凶暴性を兼ね備えた、非常に御しづらい種である。

「うーん、新規の取引先に貰った、のだよ。お近づきの印にと。頑丈だし、森を抜けるなら馬より速いというものでね。だがどうにも……私にはなつかなくてね」

「……それで?」

「好きにしていいよ。遠慮はいらない。ほら、荷物がかさんでしまっただろう?」

――いや、いやいやいや。

 ノロは思う。これは親切心からなんかじゃなく、体よく押し付けられてるだけだ、と。

 モカに至っては、口をぽかんと開け、目前に迫ったディアトリマを見上げている。

 と、そのとき。

 ディアトリマの鉤状で大きな嘴がモカを狙う。

「あぶなっ!」

 間一髪、ノロがモカの襟首を引いたおかげで怪我を負わずに済んだ。

 その横でローエンワイツが「……やはり獲物として認識されてしまったか……」と顎に手をやりつぶやく、が。

「ノロ、多分大丈夫。任せて」

 モカはそう言うと、カモシカを槍のように構えた。そしておもむろに、ディアトリマの首根っこを突く。

「えいっ! このっ! どうだ! わたしがボスだ!」

 頭が心配になるようなことを口走りながら、幾度となくカモシカの銃口で突きまわすモカ。

 執拗に首を狙われ、当然暴れようとするディアトリマだったが、カイルや力自慢の領民が必死に手綱で制してくれた。なんとも奇妙な連携だった。

「……ようし、もういいでしょう。わたしがボス。わかったならこれあげる」

 どれくらい時間を費やしただろう、モカは仁王立ちして「ふうっ」と額を腕で拭うと、干し肉を取り出した。先ほどルミィから貰ったものだ。

「待て。待てだよー? ……よし食え!」

 驚くべきことに、ディアトリマはそれに従った。

 一連の流れを引いた顔で見ていたノロが問う。

「……どこで習ったの?」

「ノロ」

「えっ」

「ダメなことしたからお仕置きして、反省したからご褒美あげた。ノロがわたしにすることマネしてみたの」

「……あ、ああそう……。……え?」

 かくして、モカはディアトリマの獲物から脱し、手懐けることに成功したのだった。

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