安寧の行方

「いったいどういうおつもりですか」

 モカたちが去ったあと、カイルが苦言を呈した。

 事前に依頼を申し込むことは聞いていたが、それが領外依頼だとは思っていなかったのだ。

 しかも領近辺で済むものではなく、他領への遠征。ほんの数日前にタグを手に入れた新米ロアマには荷が重い。

 それに父親を亡くしたばかりの子に対し、姉と家をだしに使ってまで引き受けさせるなんて、いくら領主と言えども咎めずにはいられなかった。

 カイルの浮かべる渋面に負い目が滲み出る。

 知らなかったとはいえ、自分もその片棒を担いでしまったという事実が、なんとも重苦しい気持ちにさせていた。

「私も必死なのだよ」

 ローエンワイツは言う。

 良心の呵責を感じているのか、視線は頬杖をついたままテーブルに固定され、カイルのほうを見ようともしていない。

 それでもカイルは、なんとか考え直してもらえるよう掛け合った。

「あの子らはまだ幼く、未熟です。領外……それも他領への遠征など」

 ましてや翠眼のフィナムを連れてこいなど、いくらなんでも無茶だ。

 そも、果たしてそこまでする必要があるのか、カイルには甚だ疑問だった。

「彼らへの依頼に変更はないよ」

 だが、ローエンワイツはきっぱりと言い切り、跳ねのけた。

 確かにカイルの陳情通り、自分のしたことは非道徳的で、決して褒められたものではない。そんなことは百も承知だ。

 しかし、もはや手段を選んではいられなかった。推測が正しければ、すでにこちらが後手に回っているからだ。そう、推測が正しければ。

「……ですが、復興には人手が必要です。あるかわからぬ襲撃や侵略に備えて翠眼を招致するより、まずは復興を急いだほうがよろしいかと愚考します」

「翠眼の招致はもとより期待していないよ。いくら肉親であっても、あの盟主殿が翠眼を手離すわけがないだろう? 例えお許しが出たとして、宮中伯あたりが止めるだろうね」

「……は……? それではなぜ……?」

「あれは方便だよ。悪いことをしてしまったが、あの娘が翠眼に会うことはないだろうね。一目まみえることさえ叶わないだろう」

「でしたら何のために手紙を……!」

「単刀直入に言おう」

 声を荒げて食い下がるカイルに、ローエンワイツは深いため息を吐いた。

「これで終わりではないのだよ。先日のイポトリルの襲撃は前哨に過ぎない。狼煙はとうに上がっていたのさ」

 それがローエンワイツの推測。導き出した答えだった。

「……どういうことですか? あのようなことがまたあると……?」

「ああ。私の見立てでは、何者かが裏で糸を引いている。あのイポトリルはけしかけられたものだ」

「偶然ではない、と……?」

 足を組みかえ、背筋を伸ばすローエンワイツ。背もたれから少しはみ出した頭のふちが、逆光に透けて金色に輝いた。

「偶然ではない。偶然というのはもっと目に見えず、無味無臭なものだ。――だが、今回の件は見えすぎている。不味いし、臭い」

 外交に長けたローエンワイツだからこそ言える言葉だった。

 旨い肉や魚はよい環境から。美味い野菜はよい土壌から。優れた品物は秀でた職人から。

 積み上げてきた貿易術で培った、物流を見定める力だ。

 ローエンワイツは鼻からゆっくり息を吸い込むと、愕然とするカイルに問いかけた。

「カイルくん。キミは件の日、北方検問所の担当だったね?」

「……えっ、あ、はい。自分が番兵の任に就いておりました。イポトリルの群れを発見し、詰所に応援要請を求めて走ったのも自分であります」

「ご苦労だったね。ところでキミの書いた検問録には、イポトリルの襲来より前に郵便屋がきたとあるが、それはいつもの者だったかな」

「……? いえ、初めて見る顔でした。雇われていた護衛も違ったと思います」

「その郵便屋からウェスクス領や周辺領地のことを聞いたとあるが、間違いないね?」

「はい。郵便屋も巻き込まれ、いつもの者は怪我を負ってしまって動けぬと……。その男も片耳を失う怪我をしておりました」

「うん。では、返信用の手紙の束を進呈されたとあるのは?」

「騒ぎのせいで配達が遅れてしまった詫びだと言っておりました。これからも懇意にしてくれと。職を失うわけにはいかなかったのでしょう。……あの、それがなにか?」

 しばしの沈黙のあと、ローエンワイツが口を開く。

「カイルくん。キミだったら、自身がイポトリルに襲われ、周辺の領も同様だと知っている状況で、配達ルートを変えず、森を抜けて北方検問所に行こうとするかね?」

「……いえ……迂回して東方検問所を目指すかと……」

「もうわかったかね?」

「……す、すみません。自分の頭では……」

 カイルは混乱する頭を整理する。

 あの郵便屋の一団がイポトリルをけしかけたとでもいうのだろうか。

 前任の郵便屋が怪我をし、後任の者が代わりを務めた。別段おかしな話ではない。

 騒ぎのせいで遅れたお詫びに返信用の手紙を置いていくのも、急がなければと最短ルートである道を通り、北方検問所に訪れたのも、これといって不自然ではないと思っていた。

 しかし。ローエンワイツの鳶色の眼が、冷たく鋭い光を帯びる。

「それではもう一つヒントをあげよう。イポトリルの侵入経路はキミがいた北方検問所だ。そして特に被害が酷かったのはこの屋敷。イポトリルが薙ぎ倒していった道筋をたどると、教会と風車塔に行き着く。これでどうだい?」

「……すみません、自分にはさっぱり……」

「よくよく思い出してみるといい。これはキミが書いたものだろう?」

 ローエンワイツはそう言って、検問録をテーブルの上に広げた。そして指先でトントンと紙面をつつく。

 そこには手紙の宛先が記録してあった。ローエンワイツが言う通り、それは番兵をしていたカイルが書いたものだ。

「……ローエンワイツ様への手紙が七通、ラズカ導士様への手紙が一通、ツィーグラー家への手紙が一通……」

 差出人はそれぞれ、付き合いのある各領の領主、他領の教会、そして他領に住む職人仲間からのもの。これも不審がることではない。

 が、次にローエンワイツが口にした言葉で、言わんとしていることがカイルにも伝わった。

「ツィーグラー家の場合、風車塔で壁面の煉瓦を整備している父に、息子が手紙を届けにいったらしい。これでわかったね?」

「イポトリルは……いずれも手紙を狙っていたのですか……?」

「半分正解だ。正確には手紙につけた匂い、だね」

 イポトリルは匂いに高い誘引性をもつ。それだけ言われれば、イポトリルの分布域で生まれ育った者なら誰もがピンとくる。

「イポトリルはちょうど今が繁殖期……」

 イポトリルは他の猪よりも少し遅く、春先から夏にかけてが繁殖期だった。

「そう。たった一頭でも牝を捕えられれば、発情した雄を呼び寄せられる。手紙に匂いを染み込ませてね。報告によると異常興奮状態にあったらしいから、問題はどうやってそこまで錯乱させたか、だがね」

 カイルは卒倒してしまいそうだった。

 次もあるというのなら、今度は何頭で襲って来るのか。長い繁殖期が終わるまで怯えて過ごさなくてはならないのか。次はどんな手を使ってくるつもりか。いや、イポトリルの嗅覚ならば、なんにでも細工はできる。

――あのときあの男たちを捕縛していれば、こんなことにはならなかったというのに。まだあいつらは、この近くで機会を窺っているのか?

 そこでカイルははたと気づく。

「では! あの子らを外にやるのは危険なのでは!」

「いいや、逆だろう。と、言いたいところだが、多分どのみち同じだろうね」

 そう言うと、ローエンワイツはつり下がるシャンデリアに視線を移す。

 実は子供たちの説得に際し、ローエンワイツは他にも手を用意していた。

 クレマで首を縦に振らないようなら、ドッピオの人間性さえ利用するつもりだった。

 例えば、「キミたちの父親なら引き受けてくれただろう」という具合に、なんとしてでも引き受けさせるつもりだった。

 そうするに足る理由は、十二分にある。

「同じとは……?」

「さあ。今キミに話したことは確定ではない。確定ではないが、確実だと思っているよ。ただ、どちらかはまだ断定できないのさ。内乱を狙っているのか、あるいは――」

――探しているのか。

 そう言おうとしたとき、カイルの不安がついに爆発した。

「内乱ですと!?」

 ローエンワイツは大声に驚きつつも、言葉を返す。

「……ああ。それもなかなかの規模を考えているんじゃないかな。野盗どもがただ領地を奪いたい、もしくは乗っ取りたいだけなのであれば、ウェスクス領を落とした時点で達成されているはずだ。あそこには堅固な領壁があり、川があり、栄えている。それに比べうちは壁とは言い難い木柵に、地下水源に頼るほどの小川。ちょっかいをかける意味がない」

 それに、ローエンワイツに代替わりしてから年々兵力も落ち、脅威に思うほどのものでもなかった。

 それでも荒らしまわることをやめず、オルタナ領を狙った理由は、他に目的があるからだ。

「まあ、私も杞憂であればいいと思っているが、やることはやらねば、ね。大丈夫、壁は築かなくとも、金策なら築いてきた」

 赤く赤く染まる部屋。ローエンワイツはカイルを落ち着かせ、子供たちへの心配をどうにか言いくるめて解きほぐすと、ノロの言葉を思い出す。

「なあ、カイルくん」

「なんでしょうか」

「私はどちらかというと、タヌキよりはキツネだと思うのだが、どう思う?」

「……は、はあ……」

 気の抜けた声が、柱時計に混じって消えた。

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