第三節 壮途

赤色の時間

 夕刻のオルタナ邸。黄昏に染まる部屋。

 ローエンワイツは執務机の椅子ではなく、猫脚のウィングバックチェアに腰掛けていた。

 その正面には低いテーブルをはさんで向かい合う一対のソファがあり、片方には体格のいい男が、もう片方には二人の子供がそれぞれ座っている。

 一同が腰を下ろしているこれらは応接用に設けられ、ローエンワイツが領主となって以降使う機会がなかったものだ。少なくとも、今日この日が来るまでは。

「――さて、キミたちに話がある」

 西日を背にローエンワイツが言った。その双眸そうぼうに映っているのは一組の少年少女。ノロとモカである。

 二人で一つのソファに身を寄せ合って座るさまは一見本当の兄妹のようだが、その居ずまいに関してはなにか異質なものを感じずにはいられない。

 それもそのはず、二人はここへ来てから挨拶どころか一言も発していないのに加えて、モカは終始うつむき両手を膝の上で固く握りしめ、ノロは無言でローエンワイツを睨みつけているのだ。領主を前にして不敬ともとられかねない挙動である。

 前者は不安、後者は警戒。似て非なるものだが、これには向かい側に座る男、二人をここまで引率してきたカイルも固唾を呑み、一目でわかるくらいに身を強張らせている。

「キミがモカくんだね?」

 そんな異様な空気が漂うのなか、ローエンワイツが問いかけた。鳶色の眼がモカを射抜く。

「……はい。わたしがモカです、オルタナ伯爵閣下」

「そんな大仰な呼び方はしなくていいよ、モカくん」

 入室時のカイルにならい失礼のないよう呼びかけたつもりが、本人によって更訂されてしまった。モカは内心動揺しつつも正しい呼び方を思索する。

「……領主様……?」

「それも大仰だ。町がこうなったのは私の責任に因るところが大きい。今の私では相応ふさわしくないね」

「……ローエンワイツ様……」

「それはあまり好きじゃないんだ。ごてごてと長いうえに、いかにも貴族ったらしい名前だろう?」

「……じゃあなんとお呼びしたら……」

「ローエン、と呼んでほしいな」

 万策尽きたモカが困り果てていると、肘掛けに頬杖をつき、足を組んだローエンワイツが言った。顔は確かに笑顔なのだが、好意があるとも思えない微笑みだった。

「……ロ、ローエン様、話というのは――」

「んん?」

 推奨された呼び方に躊躇とまどい、急ぎ話を進めようとしたモカであったが、ローエンワイツは執拗なまでに訂正を求めてきた。例えその態度に威圧する意図はなくとも、友好的なそれとはかけ離れたものに感じてならない。

「ローエンさん。俺たちになんの用ですか」

 なかなか本題に入ろうとしないローエンワイツに痺れを切らし、ノロが口を挟んだ。苛立ちを隠そうともしない突き放した声音だったが、ローエンワイツは涼しい顔で「さすがノロくん、話が早いな」と言ってのける。

「報告によると、モカくんはロアマになったんだってね? ということは、キミたち二人ともロアマだ」

 その言葉に、モカの肩が小さく上下した。ローエンワイツに呼び出されてからこの瞬間まで、モカが危惧していたのはこのことだった。

 家長であるドッピオがいなくなり、家業を継ぐべきモカもロアマになってしまった今、キッサー家に籍を置く者はいない。ノロだってロアマであり、戸籍上キッサー家の人間ではないからだ。

 だから統治者である領主からのその言葉は、モカにとって帰る場所を失い、失せ姓になってしまうだけでなく、父との思い出やその他多くの絆をも手放さざるを得ない危険性をはらんだものだった。

 家を守るためには領民として納税するしかないが、ロアマの自分にはその手立てがない。このままでは家が取り潰されてしまう。

 しからばタグを返還してまた領民に戻ればいい話だが、ノロがキッサー家に入ることを断り、タグの返還も拒んだことを知っていたモカには、どのみち一人で店をやっていく自信がないのも確かだった。

 これからどうなるのか、どうしたらいいのか、ドッピオがいた頃は同質な不安でさえまったく違って捉えられていたことに、年端もいかない少女は父の存在の大きさを痛感せずにはいられなかった。

「あっと、世間話をしている場合じゃなかった。さてノロくん。キミに依頼がしたい」

 みるみるうちに青くなるモカと、それを察して歯噛みするノロとを交互に見やり、ローエンワイツは飄々と言った。

「依頼……?」

「そう、依頼。モカくん、キミにもね」

「わたしにも……ですか……?」

 いぶかしげな表情のノロと、疑念にまみれるモカ。それぞれの反応に、ローエンワイツは至極当然といった調子で続ける。

「そう、依頼だよ。ロアマのキミたちにね。依頼斡旋所を通してはいないが、私からのオファーだ。正式なものと言っていいだろう」

 再び沈黙が訪れる。ローエンワイツの言っていることはもっともだが、ノロはなにか裏があるのではと勘ぐった。でなければ先ほどの脅しともとれる言い方に納得がいかなかった。しかしローエンワイツの鳶色の眼からは、なにも推し量れない。

「……すみませんローエンさん。俺たちはその依頼――」

「それはどうかな。キミたちは、キミたちなら引き受けてくれると思うのだけどね」

 断ろうとしたノロにローエンワイツが被せた。ノロは更に険しくなった顔で問う。

「それはどういう意味ですか」

「キミたちがキッサー家だからさ。それに内容や報酬を聞かずして断るのかい?」

 ノロは警戒を強めた。家を取り潰さないのを条件に、とんでもない依頼を吹っかけてきてもおかしくないからだ。ここは慎重に事を運ぶ必要がある。

「……聞くだけ聞きましょう」

 ノロが言うと、ローエンワイツは余裕の笑みを浮かべた。その反応に、もとより選択肢はなかったのだと思い知らされる。

「まずノロくん。キミへの依頼は、モカくんを守ること、だ」

「……は?」

「え……?」

 身構えていたノロとモカは、同時に小さな声をこぼした。なぜそれを依頼とするのか、二人には到底理解しえなかった。

「そしてモカくん。キミへの依頼は――」

 ローエンワイツが人差し指を立てて言う。

「――キミの姉、翠眼のフィナムを、ここへ連れてきてほしい」

 言葉にならなかった。いや、声にならなかった。モカの頭を独占するのは、「そんなことが可能なのか」という疑念のみ。

 もちろんそれは、おいそれとまかり通る話ではない。幼子を親元から引き離し、そのうえ教会の所有とし、あまつさえ国に貸し出す世界構造だ。田舎の一領主が手を挙げたところで、その申し立ては届かないはず。だが、目の前のローエンワイツは笑う。いやらしく口角を吊り上げ笑っている。

「正確には、キミたちに私の書いた手紙を届けてほしいんだ。ある人物にね。二通ある。無論報酬は別々だよ? ノロくんにはキッサー家の保全を約束しよう。モカくんには一等アシュエル金貨四枚と、二等アシュエル金貨を三枚でどうだろう」

 破綻している。この依頼にローエンワイツ側はなんのメリットがあるのだろうか。家を守ってくれるだけではなく、別途報酬がある。破格の条件だ。ノロは刮目かつもくし、モカは開いた口が塞がらなかった。

「……や、やりますっ!」

「モカっ!」

 気づけばモカはうなずいていた。父を失った今、姉に会わなければいけない気がしていた。会ってそのことを伝えなければならないと思った。自分が依頼を受けることで、あの家が守れるならばという打算もあったが、しかしなによりも姉を、家に招待したかった。

 だがそれは、思考停止にほかならない。降って湧いた話にすがりついているだけだ。

 もっとじっくり考えるべきだと、ノロはそう言いモカを制止しようとしたが、それより先にローエンワイツが言う。

「いやあ、助かるよ。あとで詳しい話をしよう。キミたちは旅支度を始めてくれるかい? なにせこれは町の復興にかかわることだ、時間が惜しくてね」

 ノロのこめかみに一筋の汗がつたう。断ったところで他に手段はないし、逆に状況が悪化する恐れもある。しかしこの男の話に乗っていいものか、決めあぐねているのだ。モカの不利益になることは当然受容できない。が、もしモカが幸せを感じることが、ひとつでもあるのなら。

「ノロ? ほら、早く行こう?」

 いつの間にか、モカが執務室のドアから手招きをしていた。ノロはどころなくそれに続く。

「ノロくん」

 すると、後ろからローエンワイツが声を投げてきた。ノロは閉まる扉を押さえて振り返る。

「座り心地はどうだったかな。屋敷の物をいくつか手放して、復興資金の足しにしようと思っているのだが、これは買い手はつきそうかな?」

 言われてノロは眉根を寄せた。どういうつもりでそんなことを訊いてきたのか、その真意がつかめなかった。しかし、下唇をつつくようにしていじるローエンワイツを見て、やがてノロはハッとする。

「タヌキが」

 閉まりゆく扉の隙間から、冷たい目をしたノロが吐き捨てた。

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