失意の底

 硬い足音を響かせて、二人の男が廊下を往く。

 先行しているのは、衣服に嫌味のない刺繍が施された壮年の男。後に続くのは、白髪頭をきっちりと整えた初老の男だ。

 どちらの男も気品を漂わせているが、ダークブロンドの長髪を後ろでゆったりと結った壮年の男と、姿勢よく背筋を伸ばして歩く初老の男とでは、不思議と真逆な印象を受ける。

「私宛の手紙は届いているかな」

 そう口を開いた壮年の男の名は、ローエンワイツ・オルタナ・アスリーグ。このオルタナ領の領主であり、伯爵の称号を持つ男だ。

「はい。七通ほど届いております」

 そしてそれに答えた初老の男の名は、その従者のオルドレッド・チェンバレン。ローエンワイツの右腕であり、長年に渡りここオルタナ邸の家令を務める者だ。

 二人が開放感のある大きな窓の前を横切るたび、壁に掛かった高名な画家のものと思われる絵画に影が通り過ぎる。

「どうぞ」

 そう言ってオルドレッドがとある一室のドアノブをひねると、行き場を求めた風がふわりとカーテンを揺らした。

「ありがとう」

 ローエンワイツはその部屋へと入る。

 そこは赤い絨毯が敷き詰められた、四隅のない丸い部屋。

 広々とした空間には頑丈そうな金庫や机と椅子、ソファなどが贅沢に配置され、一部の壁には本棚が直接埋め込まれている。いかにも有力者の執務室といった趣きだ。

「改めまして、おかえりなさいませ、ローエンワイツ様」

 コチコチと時を刻む柱時計を、壁に掛けられた鹿の頭の剥製が静かに見守っているなか、二人は二三、言葉を交わす。

「うーん。やっぱり落ち着かないな」

「その様に仰っては、このお屋敷を建てられた先々代が浮かばれません」

 大きな窓を背に、重厚感のある執務机に着いたローエンワイツが唸ると、その正面で定規をあてられたように真っ直ぐと立つオルドレッドがたしなめた。

 しかしそれに構わず、ローエンワイツは机に置いてあった手紙をおざなりに確認しながら話し続ける。

「この絨毯の話だよ、オルド。知っているだろう? 私は赤が嫌いなんだ。赤は嘘つきの色だからね」

 そして手紙を机に伏せると、視線をオルドレッドに固定して真剣な表情で問う。

「さて、話を聞かせてもらおうかな。百聞は一見に如かずとは言うが、一見したもののさっぱりだったものでね。オルド、私の留守になにがあった」

「はい。それでは報告を始めさせて頂きます」

 そうしてオルドレッドは語りだした。

 なぜこの町が無残な状態にあるのか、なぜこの町で一番堅固な館の鉄柵が破られているのか、領主の留守を預かった家令として、その責を全うするために。

 その淡々とした口調は単なる事後報告ではなく、いかなる罰をも甘んじて受ける覚悟の表れだった。

「ローエンワイツ様がご帰還なさる二日前の昼過ぎ、我らがオルタナ領を九頭のイポトリルが強襲しました」

「……ほう」

 ふむ、と顎に手をやり、ローエンワイツが考え込む。

「あの大猪はわざわざ人を襲うものだったかな」

「いえ、生存本能でそうすることもあるでしょうが、自ら人里に降りてくるなぞ稀でしょうな」

 ローエンワイツの質問に答えると、オルドレッドは報告を続けた。

「侵入経路は、一番森に近い北方検問所です。領内に侵入した九頭のうち、四頭は町を襲撃、残る五頭はここローエンワイツ様のお屋敷を襲撃しました」

「……うん、続けてくれ」

「はい。……町を襲撃した四頭のうち、一頭は風車塔に激突し自滅。一頭は教会を襲った後、他二頭と共に町を蹂躙しました」

「ではたったの三頭で町がこの有り様なのか。お前たちはなにを?」

「はい。鉄柵を破り敷地内に雪崩れ込んだ五頭に銃火器を保管している倉庫を潰された為、我々は巡回用に携帯していた手持ちの剣と槍にてこれを撃破、領民の救助に向かいました」

 ローエンワイツはオルドレッドに全幅の信頼を寄せている。

 だからその言葉は、「まさか町を破壊されるのを、指をくわえて見ていたのか」という意味合いのものではなかったのだが、それでもローエンワイツはオルドレッドの返答を聞き、安心したように息を吐いた。

「これで残りは三頭か。それで?」

「残る三頭のうち、二頭はキッサー家が対応していました。最後の一頭は我々が駆け付けた後、射殺しました」

「キッサー家が? ふむ……なるほど。しかし、巡回装備については考え直さなければいけないなあ」

 言葉尻と共に、ローエンワイツは視線を下げた。

 本来であれば全面的に私兵団が対処すべきところを、守るべき領民にやらせてしまったのだ。これは領主として、決して看過できない由々しき事態である。

 そんなローエンワイツを見て、オルドレッドは自分の不甲斐なさを呪った。しかし、それを主に気取られないよう、毅然たる態度を崩さず言う。

「続いて被害報告へ参ります。宜しいでしょうか」

「ああ」

「全壊した民家は在りませんが、窓や扉、各家の倉庫や塀等への被害が二十七件。教会と風車塔の壁面が一部破損。北方検問所、及びその門を含めた付近の木柵が損壊。ここオルタナ邸の鉄柵の一部分、武器保管庫、一部館の壁面に破損がございます」

「……うん、わかった。早急に対応しなくてはならないね。こんなときに余所から攻められてはひとたまりもない」

 そう言って、ローエンワイツは頭のなかで復旧の算段をたて始めた。

 いくらアシュエル公国連盟が平和な国だと言えど、いざこざくらいはある。むしろ国同士よりも大事にならずに済む分、国内の諍いは絶えない。それはどこの国でも抱える問題のひとつなはずだ。

 オルタナ領が平和なのは、ひとえにローエンワイツの外交手腕の賜物といえよう。

「それが、ローエンワイツ様。隣のウェスクス伯領と、その近辺の領地は消滅したとの情報が入っております」

「んん? ウェスクス領が?」

「はい。先日手紙を届けに来た郵便屋の話によりますと、同じくイポトリル共が押し寄せて来たとの事です」

「……確かウェスクス領はうちと違って領壁を築いていたはずだが。あそこら一帯は賊が多いからと、前にウェスクス卿に自慢された覚えがある」

 ローエンワイツは眉をひそめた。

 ウェスクス領を囲む壁は、決して高くはないが強固な壁だったと記憶している。あの壁を突破するのは、いかにイポトリルとて無理だろう。

「はい。ですが、成熟しきっていない個体でも、助走も無しに我々の背丈を超える程の跳躍力を持つとか。ならば巨体になっても助走をつければ、あの壁を飛び越える事は可能かと」

「……ふむ。しかし侵入されたとして、あのウェスクス領の兵が太刀打ちできなかったとは考えづらい」

「あそこらは賊に加え、アシュエルの主要連盟領……アスリーグの名を賜っていない男爵、子爵が次々に領地を開拓しております故、小競り合いが多くあります」

「兵が消耗していたと……。しかしそれでも、近隣の領すべてが消えるのは得心いかないな。猪がアシュエル公国連盟内の領地を潰し廻っているとでも?」

「偵察部隊を編成しますか?」

「いや、いい。今は他の領地を構っている暇はないからね」

 オルドレッドはいまだ顎をつかんで懐疑的な表情のローエンワイツに「かしこまりました」と返事をすると、話を戻した。

 町が破壊された経緯、その処置、被害を述べてきたが、それだけでは報告は終わらない。まだ肝心な部分に触れていないからだ。

「続いて人的被害です。軽傷者三十名、重傷者二名、うち兵士は軽傷者が十一名。――そして、死者が一名。……以上です」

 告げられた言葉に、ローエンワイツの身体がぴくりと動く。

「……死者だと……?」

 繰り返された言葉に、オルドレッドは拳を握りしめた。

 罰や叱られるのが怖いのではない。これもやはり、自分の不甲斐なさ、そして、これからその名を出すことで、己の主君がそれを酷く悼むことがわかっているからだ。

「はい。留守を預かってこの失態、誠に申し訳ございません」

「……私はそんなことを言っているのではないよ、オルド。……二頭のイポトリルはキッサー家が対応したと言っていたな?」

「……はい」

「死者というのは、ノロくんか?」

「……いえ、違います」

「では、一人娘のほうか?」

「……いえ、恐れながら」

「では死者というのはキッサー家ではないのか?」

 いたたまれない問答に、オルドレッドは静かにその名を告げる。我が主が失意のどん底に堕ち、嘆き悲しむであろう、その名を。

「……死者は、キッサー家の家長である、ドッピオ殿です」

「……なんだと……?」

 ローエンワイツの顔色が明らかに変わった。

 それを見てなおも毅然とした態度を取り続けるのは、オルドレッドにとって不可能なことだった。

「……申し訳ございません。ローエンワイツ様の大切な御友人を、失わせてしまいました」

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