反動の重み
頭上から照りつける太陽は青く澄んだ空よりも高く、のんびりと浮かぶ雲を一層白く際立たせる。
キラキラと輝く塵が宙を泳ぐ書斎は静かで、微かに聞こえるのは一人分の呼吸音だけだ。
「……君はもう強いよ、モカさん。私とは大違いだ」
腰かけた椅子の背もたれに全体重を預け、導士がつぶやいた。
モカとノロは今頃、銃の訓練を始めている頃だろう。
クロッグの計画では明日の午後から始める予定だったのだが、モカが「待ちきれない」とごねるので、今日からにしたのだ。
「……ラズカ。ラズカ・レヴ。お前はたった十四歳の女の子よりも弱いのか。……あの頃のまま、なにも変わってないじゃないか」
導士は自身の名を呼び問いかける。
いつもと口調が違うのは、部屋に一人きりだからだろうか、それとも、なにか想うところがある故か。
自問自答というよりは、自らを叱咤するような語気だった。
漂う塵が微かに揺らめき、書斎に硬い音が二度響く。ノックの音だ。
湿った雰囲気が扉から漏れ出てしまっていたのか、とても控えめなものだった。
「ラズカ導士、いらっしゃいますか?」
「はい」
ラズカは脱力しきった身体を起こし、「どうぞ」とその控えめなノックに応えた。
「失礼します、ラズカ導士。お手紙が届いておりましたので、お渡しに……あの、どうかなさいましたか……?」
扉を開けながら、おどおどと消え入りそうな声で女が言う。
あまりにもゆっくりと扉を開けるものだから、かえって扉の軋む音が目立ってしまったのだが、女の声はその蚊の羽音のような、小さな音にも負けないくらいのか細さだった。
「ああ、ミレイ信士。なんでもありませんよ。手紙、ありがとう」
ラズカはいつも通りに柔らかく微笑むと、心配そうに近付いてきたミレイから手紙を受け取った。
ミレイはラズカと同じような黒衣に身を包んでいるのに、なんだか頼りない印象を受ける。
それは灰色の瞳が潤んでいるせいなのか、はたまたまだ教会員として、レヴ人として新米である信士という立場だからだろうか。
教会に身を置く者には、信士、奉仕、導士、戒士、律士といった階級があるのだ。
「どうしました? もう下がっていいですよ?」
おずおずとしているミレイに、ラズカはやんわりと退室を促した。
「はい……。……あの、無理はなさらないよう、ご自愛ください」
最近始まった勉強会で疲れているとでも思ったのか、ミレイはそんな言葉を残して出ていった。
足音も衣擦れの音も聞こえないが、ミレイが書斎から離れていくのに充分な間をおいて、「できる無理はしないと、強くはなれないのですよ」と、ラズカがこぼした。
そして受け取った手紙を封蝋する
「……亜分子によるフェノメナルの解明か……。ジフノ。お前は恐ろしいくらいに優秀だ。この調子でいけば、その命が尽きるまでにはフェノメナルを科学的に立証し、フィナムを国の所有にしてしまうだろう。……だが、少し待ってくれないか。私が彼らのその身を自由にできる、その日まで」
ラズカはそう言って、窓から空を眺めた。
高く青いオルタナ領の空に、乾いた破裂音がこだました。
オルタナ領西方検問所から、少し距離をとった領外。
腕を前に突き出した格好で、ノロに抱きかかえられたモカがいた。
その腕の先には、銃口が水平にふたつ並んだ短銃が握られている。
「……あっ、あっぶねーなモカちゃんよ! しっかり反動に備えろって言ったろ!?」
「……う……うん……ごめんなさい……」
頭をかばいながら姿勢を低くしたクロッグが、焦りと動揺を隠さず言った。モカは目をぱちくりとさせたままそれに謝る。
遠くに見える検問所から、「だ、大丈夫かーっ!」と心配そうな声が野に響くと、クロッグはその声にハッと我に返り、「大丈夫だー!」と返事をした。
「ま、まあしょうがねえやな、初めて撃ったんだ、そうなるわな……でけえ声出しちまってすまねえ」
クロッグは謝りながらも、「町から離れて正解だったぜ」と額の汗を拭った。
「モカ、スタンスが悪いよ。片足を引かなきゃ。横並びにした足じゃ踏ん張れないよ」
「あ、うん……」
ノロに言われるがまま片方の足を引くと、モカは短銃を握り直し、ふたつある引き金のうち、まだ撃っていない残りのほうに指をかけた。
見据えるのは、三十メートルほど前方にある、干し草を大きな円筒状に固めた標的。
その中心に当たるよう、腰だめながらもしっかりと狙いを定め、引き金を引く。
刹那、反動と轟音。
停滞した空気を押しのけて、のどかな草原に耳をつんざく破裂音がこだました。
今度はノロに受け止めてもらわずに済んだが、それでもやはり、わずかに後ろによろめいた。
「今の……当たったのかな……?」
一瞬、干し草がパッと散るのだが、遠目では弾痕も確認できず、モカが不安を口にした。
「うーん、的があれじゃあわかりづれえなあ……でも大丈夫、多分当たってるはずだぜ。そいつは散弾銃だから、初心者でも当てやすいしな」
クロッグはそうフォローを入れると、モカが握る短銃の扱い方を指南する。
「そいつは
「あ、うん」
クロッグの指示通りに銃身を下方に折ると、煙を上げた薬莢がポンっと飛び出た。
その様子に、見ていたクロッグが「どうだ、俺の仕事ぶりは」と得意気な顔をした。
「そっちは?」
モカはそんなクロッグを無視してもう一丁の短銃を指差したが、クロッグがその表情を崩すことはなかった。
「こいつは
「うん、わかった。じゃあそのでっかいのは?」
クロッグの言葉を遮ったモカだったが、それでもクロッグは上機嫌のままだ。
話題と共に長銃へと持ち替えて、弾丸を込めながらクロッグは言う。
「こいつは
「これの扱いは難しいぞ、モカ」
「お父さん!」
自慢気なクロッグの説明を再び遮ったのは、他でもない、この三丁の銃の持ち主であるドッピオだった。といっても、先ほどから無下に扱われているクロッグのおかげで、旧式から新式へと改良されているようだが。
「お客が引いたから様子を見に来たよ。クロッグ、ありがとう、僕の相棒たちを生まれ変わらせてくれて」
「へっ、なに、大したことねえよ。俺にかかりゃこんなもん、朝飯前――」
「さて、モカにはこの長銃とその短銃、ノロにはこっちの短銃だ」
クロッグが言い終えるより先に、ドッピオはそれぞれ、
さすがにお礼を言われた直後、上げて落とされたのはこたえたらしく、クロッグは背中を向けて草むしりを始めてしまった。
「えっ? 俺にもですか?」
クロッグの哀愁漂う背中を意識的に視野から外して、ノロが言う。
一応、領外に出るということで剣と短剣を身に着けてきたのだが、自分にはこのふたつの刃があるし、それを知っているドッピオが、まさか自分の分まで用意しているとは思わなかったのだ。
そんなノロの肩を叩くと、ドッピオは呆れ顔で言った。
「当然だろう。僕がモカに与えて、ノロに与えないわけがないじゃないか。それじゃあ、それぞれに名前をつけてあげなさい」
「名前?」
「ですか?」
突拍子もないドッピオの発言に、モカとノロは阿吽の呼吸で聞き返した。
「そう、名付けだ。相棒には名前をやるもんさ。……って、僕がロアマだったときに知り合った、先輩ロアマに言われたんだけどね。いわゆるゲン担ぎみたいなもんさ」
そんなことを言いながら後頭部を掻くドッピオ。いかにも彼らしいなあと思いながらも、ノロが「名前かあ……」と悩んでいると、隣から元気のいい声がした。
「決まった! この子はフクロウ!」
中折式水平二連短銃を掲げながら、モカは高らかな声をあげた。
ノロとドッピオは「……フクロウ?」と首を傾げるが、モカは気にもせずに満面の笑みで言う。
「そう! まんまるお目々がふたつあって、フクロウみたいでしょ?」
「……じゃああのでっかいのは?」
そんな調子で名付けるのなら、底碪式長銃はどうなるのかとノロが問う。
「カモシカ!」
しかしすでに決まっていたようで、モカは躊躇なく言い放った。
一瞬黙ってしまったノロだったが、「……理由は?」とモカに尋ねると、モカは底碪式長銃の銃口を下に向けて言った。
「こうするとカモシカの脚みたいでしょ? それにさっきクロッグさんがしたの、ぴょんぴょん跳ねてるみたいだったし!」
「ああ……そう……そうだね……」
ノロは額に手をあてながら、心の中で「脚の部分だけかよ……」と辟易した。
しかしそんなノロを見ても、モカの勢いは留まることを知らない。
「ノロのその剣はイタチ! そっちのちっちゃな剣はツバメ! それでね~」
「ちょっと、ちょっと待って、モカ、落ち着いて」
自分にまでアニマルシリーズを引っ張られちゃたまらないと、慌ててノロが制止する。だが、敵はもう一人いた。
「うん、剣の滑らかでスラッとしたカーブがイタチみたいだし、短剣の左右対称なフォルムも翼を広げたツバメに見える。可愛いし、いい名前だ」
「え……ドッピオさん……?」
ノロに戦慄が走る。さすが父娘、とでも言うべきか、モカに賛同するドッピオ。
同時に、ドッピオはどんな名前を付けていたのだろうかという疑問が、ノロの脳裏をよぎるのだった。
「でもね、モカ。相棒の名前は自分でつけてこそ意味があるんだ」
「ええ~? ピッタリなのにぃ~ねえノロいいでしょぉ~? 他にいい名前ないでしょぉ~?」
モカを諭してくれたドッピオだったが、モカのおねだりはいまだ健在。ノロがどれだけ目を逸らしても、その手を緩めることはなかった。
「……イタチとツバメで」
そしてノロは折れた。折れてしまった。
「いいのかい? 僕もピッタリだとは思うけど……じゃあせめてこの短銃はノロが自分で名付けるといい」
その言葉に、唯一無事な活罨式短銃を見つめるノロ。
容赦なく注がれる父娘の熱い視線と、否応なしにのしかかるプレッシャー。
しばしの沈黙のあと、ノロは小声で言った。
「……イ、イルカで」
逃げられなかった。もうノロの頭の中はアニマルシリーズに侵食されていた。
撃鉄の部分がイルカの背びれに見えてきて、そうなると引き金の部分も胸びれに見えて仕方がなかったのだ。
「なにそれ! なんで? 全然見えないよ!」
「うーん、どこがイルカに見えるんだい?」
「…………」
こうして、モカの底碪式長銃はカモシカ、中折式水平二連短銃はフクロウ。
ノロの剣と短剣はそれぞれイタチとツバメ、そして、活罨式短銃はイルカと名付けられたのだった。
「……なあ、町のほうが騒がしくないか?」
しばらく草むしりをしていたクロッグが不意に口を開いた。確かになにやら領内のほうが騒がしい。
「なんだろうね。オルタナ伯がご帰還でもしたかな」
そう言ってドッピオが領内へと歩き出すと、検問所にいる男がこちらに向かって叫んだ。
「来るなぁーっ! イポトリルだぁーっ! そっちにいろぉーっ!」
悲鳴にも似た鬼気迫る絶叫に、クロッグとモカは唖然とした。
そんな二人を置いて、ドッピオとノロは町へと駆け出す。ドッピオはその手にカモシカを、ノロはイタチとツバメを持って。
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