第二節 急転
稀人の力
「――それって、どういうことですか……?」
時が凍てついてしばらく、モカが震える唇でその真意を問いかけた。
「……そのままの意味です。私は、クレマさんを国に引き渡しました」
「……導士様、が……?」
表情もなくそう告げる導士に、モカは言葉を失った。
今の導士には、絶えずたたえている優しい笑顔や、時には叱ってくれたり、時には慰めてくれたりもしたいつもの面影はなく、落ち着いているようで慌てん坊、しっかりしているようでどこか抜けている、そんな親しみやすく人間味あふれる導士とは別人のようであった。
「フィナム。それは、フェノメナルという驚くべき力を行使することができる、稀有で非凡な者たち。彼らについてわかっていることは、その力は眼に関係している、ということです」
ゆっくりと、導士の口が滑らかに動く。
いつもであったら、ちゃんと二人が聞いているか、集中しているかを確認してから話を進める導士であったが、今はただ淡々と話を進めていくばかりだ。やはり、いつもの導士とは明らかに違う。
そんな導士の態度に、モカは気圧されて声を発することができなかった。
「まずひとつに、その瞳の色です」
そうして導士は、ろくに二人を構いもせずにフィナムと眼の関係性について語りだした。
「人間の瞳の色には、
導士曰く、例えば、同じフィナムが火を扱ったとして、最低ランクである
「ただし、高ランクになればなるほど、その人数比も少なくなっていきます。赤色の眼はアルビノでもない限り、生まれ持ってその瞳の色になることはない非常に貴重な色ですし、
また、まだ根拠の曖昧な仮説だが、同じ色に分類される瞳でも、その色がより澄んでいて美しいほうが、力が強力だとされている。根拠がないというのは、
しかしどのみち、範囲も威力も、瞳の色がとても大きな意味を持っていることに変わりはない、と導士は付け加えた。
「この瞳の色は、フィナムの二つ名にもなります。モカさん、あなたの姉であるクレマさんは、緑色の瞳を持ち、翠眼のフィナムと呼ばれています」
――翠眼のフィナム。
モカは心のなかで、その言葉をなぞった。
遥か遠く離れた地での姉の呼び名に、モカは怒りにも似た妙な感慨を覚えた。
だって、姉にはクレマという立派な名前がある。ドッピオとラテが名付けた、立派な名前が。
複雑な表情を見せるモカに、導士はなおも続ける。
「そしてもうひとつ。フィナムと非フィナムの違い。それは、フィナムはいずれも、四色型色覚の持ち主である、という点です」
四色型色覚。
これがフィナムの人口が少ない直接的な所以であり、そして、いまだに研究が進んでいない原因でもある。
なぜなら、自分にはどう見えていて、他人にはどう見えているのか、その感覚をそのまま伝えるのは非常に困難なことだからだ。
感触や匂いもそうだが、いわば見えている世界が違う、と言っても過言ではないだろう。
だから非フィナムは、フィナムの感覚を理解することができない。
四色型色覚の世界は、その者たちだけの世界なのだ。その逆もまた然り。
「通常、ヒトは三色型色覚です。ヒト以外の多くの哺乳類は二色型色覚で、一部の鳥類や蝶などの昆虫は五色型色覚を持っている可能性があるとされていますが、推測の域を出ません。また、ヒトの五色型色覚は確認されていません」
そして、この四色型色覚を利用したのがその判別法である。
「クレマさんもやりましたし、あなたたちも幼いころにやったと思いますが、意思の疎通に問題のない言語能力が備わったとき、教会で塗り絵などの色覚テストが行われます。それが現在唯一の判別法です。これには生まれてから何年目だとか、各領地内で一斉に実施するだとかの明確な時期はありません。各個人で行われます」
そう言って、導士はモカたちに背中を向けた。
「こういった理由から、後天的にフィナムになったという事例は報告されておらず、そのすべてが先天的なものです。言うまでもありませんが、フィナムでなければ先ほどお話しした瞳の色など大した意味を持ちません。フィナムであるからこそ、瞳の色に重要な価値が生じるのです」
つまり、青紫色の瞳を持って生まれたとしても、四色型色覚でないと意味がないし、四色型色覚である青紫色の瞳の持ち主など、ほんのわずかな可能性でしかないということだ。
「そして、子がフィナムだと判明した場合、それは教会の所有となります」
「……所有……」
まるで物のような扱いに、モカは憤りを覚えた。が、次に口を開く間もなく、導士が告げる。
「そうです。フィナムとは、とどのつまり力です。それをそのまま国の物、領地の物としてしまえば、どうなるかはお分かりでしょう。だから、まだ謎の多い今のうちは、その力は神からの賜りものとし、私たち教会の……レヴの民の物だとしているのです」
「……レヴ……」
レヴというのは、教会員たちのことだ。
生物学的にはモカやノロと同じサリードであっても、教会に身を捧げる者たちはレヴ人と呼ばれる。ただの呼称だけの人種だ。
「ですが、その力は国の防衛……存続のために必須です。だからこそ、私はクレマさんを……フィナムであり、緑色の瞳を持ったクレマさんを、国に引き渡しました。……実質、翠眼のフィナムの存在は大きく、このアシュエル公国連盟を守る抑止力となっているでしょう。この国が平和なのは、クレマさんや、他のフィナムたちのおかげなのです」
「お姉ちゃんが……守ってるの?」
「そうです」
一呼吸おいて、モカが弱々しく震えた声で言う。
「じゃあ……じゃあお姉ちゃんは……お姉ちゃんのことは、誰が守ってくれるの?」
その問いかけに、しばしの沈黙をおいて、導士は背を向けたまま答えた。
「……それは……先ほど言った通り、フィナムの存在は貴重かつ重要です。国の騎士団や兵士が総力を挙げて守っていることでしょう」
「導士様……それじゃまるで――」
まるで「国に引き渡したあとのことなど知らない」とでも言うかのような導士の口ぶりをモカが指摘しようとしたとき、書斎のドアがノックされた。
導士がそれに「どうぞ」と応じると、扉を開けたのは大きなケースを抱えたクロッグだった。
「ようお前らぁ! ちゃんとやっ、てっ……か……?」
いたずら小僧のような笑みで登場したクロッグだったが、なんとも重苦しい室内の雰囲気に自分の場違いさを感じたのか、その笑みを強張らせた。心底、居心地が悪そうだった。
「クロッグさん、どうかしましたか?」
「あ、ああ。ドッピオから頼まれてたもんが出来上がったんで、届けに来たんですけどね……こいつらに見せてやろうと思って……」
「お父さんから……?」
クロッグが「お説教中でしたか?」とおよそ見当違いなことを訊きながら、そのケースを落とさないように持ち替えて、モカたちに向かって開いて見せた。
「……これを……お父さんが……?」
中に入っていたのは、一丁の長銃と、二丁の短銃。
木材を削りだして作られた銃床や銃把などは年季の入った鈍い光沢を放っているが、金属でできた撃鉄や引き金なんかの部分は使い古された感がなく、新品のように見える。
「どうよこれ! 随分と旧式だったもんだから、最新式にしといてやったぜ! なんだよそのツラ。これをお前らにって、ドッピオから聞いてねえのか? 昼飯食ったら練習すんぞ。明日っからは、午前中は勉強、午後からは射撃訓練だ」
まったくもってそんなことは一言も聞いていなかったモカだったが、見覚えのあるケースを見て、これらが本当に父の物であり、クロッグの冗談ではないことを理解した。
同時に、自分らにそれを託す意味と、この二週間勉強させられていた意味も。
「……導士様」
「はい」
「導士様は……悪くないです。だって平和のためだもん。幸せのためだもん。だから、あんな顔しなくていいし、背中を向けなくて大丈夫です」
そして、驚いた顔でモカを振り返った導士に、モカは言った。
「わたしも強くなります。強くなって、お姉ちゃんが守ってる世界を見てきます」
その言葉に、ずっと横目でモカの様子を見ていたノロが、目を伏せ、声を出さずに笑みを作った。
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