花畑の鬼

 小鳥のさえずる、気持ちのいい朝のこと。

「モカ、おはよ、朝だよ」

 腰ほどの高さの小さな箪笥たんすやクローゼットなど、木製の温かみのある家具が配置された部屋。

 嵌め殺しの窓から光さすベッドで寝息を立てるモカを、ノロが揺り起こす。

 なんの変哲もない、キッサー家ではもう見慣れた光景。いつもと変わらぬ朝だった。

「……ノロ……。あのね、夢を見たの……」

「夢? どんな?」

「えーっとね、お花畑にね…………。やっぱやめた」

 途中まで言いかけて、モカはひとり笑うと話を止めた。

 ちゃんと口もとを手で隠しているところを見ると、寝ぼけているわけではなさそうだ。

 モカが寝ぼけているときは、だらしない顔を隠しもせずに笑うから。

「なんだそれ」

 ノロが呆れた様子でため息をつくと、モカはいまだ笑いを含ませて言った。

「笑わない?」

「わからないけど、きっと笑わない」

「じゃあ、言うね?」

「うん」

 モカはノロに確認すると、一息つき、笑いを噛み殺して続きを話し始めた。

「お花畑にいるの。……それでね、わたしはお花で冠を作ってて、それをみんなはずっと怖い顔をして見てるの。もう鬼みたいに! もし冠がちぎれちゃったり、下手っぴな時は、みんなすっごい怒るのよ! こぉーんな顔して! ほんと、鬼みたいだったわ」

 モカは話しながらころころと表情を変え、最後に鬼の形相を浮かべて言った。

 みんなというのはきっと、ノロやドッピオ、フロトーにクロッグやアイネと、この町に住む人々のことだろう。

 フロトーやクロッグならまだしも、あの優しいルミィが怒るところなんて、ノロには想像できなかった。

「……怖い夢?」

 いまいち要領を得ないノロはモカに問う。それに対し、モカは首を小さく横に振って答えた。

「ううん。きれいにできたときはすっごい褒めてくれるの。とっても楽しい夢だった」

「……そっ、か。いい夢だったんだね。……それじゃあ、起きよっか」

 ノロが、特に笑うところなかったな、なんて思いながら起床を促すと、モカは上目遣いで言う。

 それはモカがわがままを言うときの前触れだ。

「ねえ、ノロ?」

「うん?」

「行きたくない」

「ダメ」

 ノロがバッと毛布を剥がした。これから始まることもまた、キッサー家ではもう見慣れた光景だ。

 特に、ここ二週間は欠かさず繰り返されている。

「いやだぁぁぁぁぁぁお勉強やぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「ダメ。ほら起きて、遅刻しちゃう。導士様が待ってるよ」

「だからやなのーっ!」

 小鳥だけが優雅な朝。ノロの苦労は絶えない。それこそが、モカの兄としての宿命なのだ。


「遅い! 今日はこれまでの復習をするから早くおいでなさいと言ったはずですよ!」

「すみません」

「ごめんなさい……」

 ごねるモカをやっとの思いで教会まで連行すると、そこで二人を待ち受けていたのは、導士の雷だった。

 ノロにとってはため息の出る話だが、不幸中の幸いだったのは、ここが導士の私室という点だ。

 石造りの壁には本棚が窓をよけて陣取り、当然そこにはぎゅうぎゅうに図書が詰まっている。

 あとは部屋と椅子に不釣り合いな大きさの長机と、その上に積まれた本。

 小さなインク入れにふわふわの羽ペンと、またまた本。

 これだけ音を吸収するものがあれば、声の響く礼拝堂で、四方八方から雷撃を受けるよりはマシというものである。

「導士様はこれのどこで寝てるの……」

「え? ここは書斎なので寝室は別にありますよ?」

「金持ちだ!」

「お黙りなさい!」

 導士はモカにぴしゃりと一喝すると、薄くなめした木の皮をそれぞれの前に置いた。

 薄くなめしたといっても弾力性はなく、丸めたりするには一苦労な代物だ。

 これはココベリーという甘い実をつける樹木の皮を加工したもので、釘なんかで傷つけるとその部分に樹液が染み出し、紙代わりになる。

 粗悪な紙よりも使い勝手がよく、上等な紙よりも安価なので、二人はいつもこれを使っている。

「それでは復習を始めますよ。まずは貴方たちが必要となってくるロアマの知識から。ノロくんは詳しいと思うので、モカさん、特に重要となってくる、ロアマタグと依頼について、答えてください」

「……はい。えっと、ヒトはその繁栄に、苦しみの七日間を味わったことにより、その祝福と加護があるようにと、ロアマになる人には七日通しが行われます。そこでもらえるのがロアマタグです。依頼には主に労働人員の臨時確保のための領内依頼と、危険生物群や特定個体の討伐、資源や食料の採取を目的とした領外依頼があります」

「……よろしい。ではノロくん、補足があればどうぞ」

「……七日通しを受ける資格は十四歳の誕生日から生じ、耐え抜かないとロアマタグはもらえません。もし定住を希望する土地があれば、その領地の公的機関にロアマタグを返納することで可能です。あと、依頼完了証明に依頼主の印が必要で、報酬には現金と現物があります」

「よろしい。加えて、国境や領地の検問所を通過する際には、然るべき身分の方からの紹介状がない場合、原則として納税が必要なことも覚えておいてください。また、依頼執行証を発行する機関はその領地の領民が組合を組織し、その運営費用を賄っています。くれぐれも他の領地で不遜な態度をとらないように!」

「は、はい」

「モカさん、聞こえませんよ! もっと大きく!」

「はい!」

 ノロは思う。導士はモカに対して厳しすぎなのではないかと。

 しかし、普段は見せない導士の張り切りようと、わずかに上がった口角を見て、今朝モカが話した夢の話を思い出した。

「お花畑の鬼か……」

 きっと、心配なのだ。だからこんなにも厳しくするのだ。

 勉強しなさいと言ったドッピオも、そのドッピオに頼まれた導士も。

 だから、自分もここにいることが、ノロには嬉しく思える。まるで身体の内側に、暖かいお湯がじんわり注がれていく気持ちになった。

 このお湯をもし愛情と呼ぶのなら、こぼれないよう、こぼさないよう、大事にしようと誓った。

「ノロくん? 聞いていますか?」

「え、あ、はい。あの、導士様」

「なんです?」

「これは、いつ使ったら?」

 ノロは目の前にあるココベリーの樹皮の出番がわからず、導士に目配せをした。

 さっき導士が言ったように、これは復習だ。ロアマに関することはもう家に三枚分もある。同じことを書いては、いくら安価といえどもったいない。

 それに、文字の読み書きや貨幣価値を用いた算術で、すでに相当な枚数を使ってしまったことを考えると、なおのことだった。

「ふむ……そうですね。では、そろそろ本題に入りましょう――」

 導士の口角がふっと落ち、いつになく真剣な表情をつくった。

「――これからお話しするのは、フィナムと、国家についてです。よく聞いて、各自まとめるように」

 途端、モカの表情も自然と真剣なものになった。

 それは導士につられたわけではなく、モカにとって有用となり得る情報だったからだ。

 いまだ知らぬ姉。名前はクレマ。ドッピオでさえ詳しく話さない彼女のことが、少しでもわかるかもしれない。

「先に謝っておきましょう。フィナムたちについては、いまだ解明されていないことのほうが多いです。それだけ研究困難な分野なのです。……わかっているのはその判別法。それでも、取りこぼしがいるのでは、とされています」

 導士の「取りこぼし」という言葉に、モカは言いようのない身体のざわつきを覚える。心臓が鼓膜をノックしているようだった。

 そんなモカを見ても、導士は一瞬たりとも目をそらさず、真っ直ぐ見つめて言い放つ。

「そして、モカさん。あなたの姉を……クレマさんを都に送ったのは――私です」

「――えっ……?」

 モカの耳の奥で、花環の緒の千切れる音がした。

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