宿命とは

 ゆっくりと回る風車。石造りの教会。丸太造りの家々。

 それらを取り囲むように、ぐるりと突き立てられた木柵。

 丘向こうには深い森が控え、足元には小指の先ほどの草むらが広がる大地に、緑の禿げた地べたが筋となって、放射状に延びる茶色い道を作っている。

 そんな田舎町の夜に、絵本を読んでくれと父親にせがむ、一人の幼い娘がいた。

 青白い月明かりを頼りに、ブリキのランタンにオレンジ色の光を灯すと、父親はベッドから身を起こして、娘をちょいちょいと呼んでやる。

 すると娘はすぐさま駆け寄り、父親の両腕の間に身を潜り込ませると、胸に寄りかかって嬉しそうに絵本を開いた。

「ぱぱ、これこのヒトがやってんのー?」

 我が子の柔らかい栗色の髪を撫でながら、父親がしばらく絵本を読んでいると、娘は絵本を指差した。

 その指の先には、手をかざして火を操る、フードを被った女の挿絵が描かれていた。

「そうだよ。これは『フェノメナル』っていうんだ。このヒトは『フィナム』なんだね」

「なんそれー」

 初めて耳にした単語に、娘は父親の顔を見上げた。

「フェノメナルっていうのはね、燃やしたり、押し流したり、吹き飛ばしたりする力のことだよ。その力を使えるヒトを、フィナムっていうんだ」

「ふーん」

 この年頃の子は、わかっているのかいないのか、いまいち判断し難い返事をする。

 父親が「難しかったかな」と再び言葉を選び直していると、娘は小さな手を突っぱねて、ランタンに向かって「んっ! んっ!」と力んでみせた。

 そんな娘の愛らしい行動を見て、思わず頬を緩める父親。

「モカはフィナムじゃないから出来ないよ。ちょっと前に検査したろ? ほら、教会でいろんなものを見て、いっぱいある絵具で塗り絵したりしたろ?」

「えー? しらなーい」

「ええ……」

 つい先日のことなのに、もう忘れたという娘。

 実はそのときの塗り絵をこっそりもらって、寝室に飾っている父。

 こういうことの積み重ねが、後々反抗期に効いてくる。

 この父娘に反抗期など無縁かもしれないが、こういったことを愛情というのだろう。

「ぱぱは?」

「えっ?」

「ぱぱは? できるの?」

「ああ……」

 娘の問いかけに、一瞬、不意を突かれた父親だったが、すぐに笑みを戻して我が子に答える。

「パパもフィナムじゃないからできないよ。でも、モカのお姉ちゃんはフィナムだったんだぞー」

「そうなの!? モカのおねーちゃんこれできるの!?」

 娘が途端に目を輝かせる。

 その瞬間から、娘にとってまだ見ぬ姉は、尊敬の対象に入った。

「そうだぞー。今は、都で頑張ってるんだぞー?」

 語尾を優しく伸ばす父親の話し方は、心底家族を愛しているという心の表れだ。

 小さな我が子に少しでもわかりやすいよう、優しく聞こえるよう、精一杯の配慮が窺える。

「ままもみやこ?」

「ん?」

「ままもおねーちゃんとみやこ?」

「あ、ああ……ママはな……」

 父親の笑みが曇った。

 その言い淀み方は、先ほどとはまた違った意味を孕んでいたが、そんな父の様子に首を傾げる我が子を見て、すかさず笑顔に戻ると、うんと優しい声で娘に答えた。

「ママはな、別の、どっか遠いところに行ってるんだ。ママは、『ロアマ』になったんだよ」

「ろあま?」

 またもや飛び出した新しい単語に、「むむむ」と娘が口を尖らせる。

 父親は「ははっ」と小さく笑うと、娘の疑問に答えた。

「そう、ロアマ。ロアマっていうのはね、あちこち旅をするヒトのことさ。パパも昔はロアマで、ここに来てママと出会ったんだぞー?」

「ぱぱもろあま!?」

「あだっ!」

 尖らせた口をパッと開いて、娘が背筋をピンと伸ばした。

 勢い余って父のあごに頭突きを食らわせたことなんて、興奮した娘にとっては些事なことだった。

「ぱぱもままもろあま! おねーちゃんはふぃなむ! モカはっ!? モカもかっこよくしたい!」

 上下にゆさゆさと身体を揺らしながら、娘が鼻息荒くまくしたてた。

 父親は涙目であごをさすっていたが、やっぱり愛らしい我が子を見て微笑んだ。

「パパは元ロアマ、なんだけどね……。うーん、でも、そうだな。フィナムじゃなくてロアマになら、モカにもなれるぞ? でも、楽しい塗り絵なんかじゃなくて、もっと厳しい試練があるんだけど……モカにできるかなー?」

「できるっ! やって!」

 ふすー、と鼻から息を抜く娘。

 まるで、今から試練に臨むのだ、と言わんばかりに、その短い腕を組んでいる。

「いや、試練受けれるのは十四歳からだから。あと十年は先だよ?」

「ええぇーっ?」

 だるん、と脱力して拗ねる娘に、父は優しく諭すようにして言った。

「しっかりご飯を食べて、いっぱい寝て、大きくなれば、試練も楽勝、かっこよくできるよ。だから今日はもうおやすみ?」

「……あーい」

 ふてくされながらも、父親の言うことを聞く娘。自分の感情にも、父の言葉にも素直な子。

 そのまま父娘は、同じベッドで眠りについた。

 このとき、この晩の出来事は、父親からしたら、これから娘と共に歩む、長い年月のなかのたったの一晩。これから何度も越えていく、数多の夜のなかの一夜。

 そんな、埋没していく日常の一コマなのだと思っていたことだろう。そんなありふれた一コマのはずだったのだ。

 しかし、その晩から、娘が絵本を読んでくれとせがむことはなくなった。

 相変わらず父の寝床に潜り込んでくるが、絵本をせがむのはこの日が最後の日となった。

 代わりに毎晩毎夜、母と姉の話や、父親がロアマだった頃の話を、何度も何度も繰り返し聞きたがるようになった。


 宿命とは、雪のようなものだ。同じものはふたつとない雪の結晶が寄り集まり、ひとひらの雪片となる。

 そしてそれは知らないあいだに、否が応でも等しく、しんしんとそこかしこに降り積もるのだ。

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