第20話

「余命は幾許と無し」


「だけど、虫の息は残ってる。違いますか?」


「―― 相違なし」



 由嗣だけは この状況を理解しはじめた様だ。


「確かに、国生サンの言う通り、ここには感覚的なものが存在しないみたいだ」


 由嗣は3両目で傷を追っている。

泳ぐ人面にフクラハギを噛まれ、ズボンには歯形の穴が空くにも関わらず、不思議と痛みは無い。


「由嗣、止血は……」

「必要ないよ。最初から血なんか出てないんだから」


 流血していてもおかしくない負傷が手当ても不要とは、現実的には有り得ないだろう。


「国生サン、アナタが何者なのかを追究するつもりはありません。

 きっとそれは、僕がするには烏滸おこがましい事だ。

 ただ1つハッキリしているのは、この黄泉比良坂を上りきるまでなら、

 アナタは僕達を元の世界に戻せる。それは、現実の世界で虫の息になった僕達の意識を

  “目覚めさせる事が出来る”、と言う意味ですよね?」


 由嗣の断言に、国生は僅かに目を見開く。



「見事、相違なし」



 国生は感心しきった様子で頷く。

雖も、斡真と結乃・薫子は困惑するばかりだ。


「由嗣、どうゆう意味だよ? サッパリ分かんねぇ……」

「斡真、何も考えず聞いて欲しい。多分、このままなら僕らは間違いなく死ぬ」

「考えずに聞ける話か!」

「突飛な事だよ。でも、僕らが あの世に向かってるのは確かなんだ。

 この電車が停まって、駅に降ろされると同時、現実の僕らの心臓も止まる」

「何、言って……」

「辛うじて生きているんだよ、現実の僕らは」


 国生の言葉なら言い逆らいたい。

然し、共に苦境を乗り越えた由嗣の言う事ならば、俄かに信憑性が増す。

否、信じるに匹敵する。


「待てよ、、でもそれじゃ、何が起こったんだ、、俺達に……」


 ここにいる皆が半死半生と言う事になるが、そこに至る経緯が思い出せない。

微苦笑を浮かべる由嗣は何かを思い出している様にも見えるが、頭を振る事で誤魔化す。


「兎に角、国生サンが出来るのは、僕達が死に絶える前に意識を取り戻させると言う事。

 あの暗闇の中に閉じ込められても、このまま終点を迎えても、僕らは自動的に死ぬ。

 迎える死の性質が変わるだけ何だ」


 由嗣の道破に、斡真は自らの両手に目を落とす。


(天国か、黄泉か、地獄か、行き先の違い……

 全てを否定するなら、意識を取り戻さなければならない……)



『残念だが、お主えあの余命も幾許。然し、こうして出会えたも縁。

 せめて苦しむ事無きよう、今暫くはこの場に安住するが宜しい』



(ここに留まれば、少なくとも静かに死を迎える事が出来る……)



『斡真、お前は長生きしろよ……』



(親父……)



『帰りましょう、絶対に』



 斡真は共に帰還を誓い合った結乃を見やる。

然し、結乃は胸を押さえ、グッタリと首を寝かせている。

3つ目の所望に立ち向かう気力も無い様子に、斡真は肩を落とす。


「だから……どうする、って……由嗣、お前は どうしたい……?」

「……ごめん、分からないよ、、」


 状況は把握できても気持ちが定まらない。

どうしたいのかが解からない。否、選択は限られているのだ。

黙って電車が停まるのを待つか、最後まで諦めずに挑むかの二者択一。


(国生はこうなる事が判っていたから、俺達に何も語らなったのか……

 無責任じゃなく、国生の出来る唯一の優しさだったって?

 あぁ、嗤える……嗤えるくらい、俺はバカだ。

 国生は犠牲を払ってる自覚をしてる何てもんじゃねぇ、

 俺達に申し訳ないとすら思って、だから……)


 斡真は国生に目を側む。

全身が焼け焦げる痛みはどれ程のものか、死を間近にしても想像すら出来ない。

然し、その痛みを負ってでも余りある程の苦悩を国生は抱えている。



「優しい人に、なりたい……」



 斡真がポツリと呟けば、それは車両に染み渡り、一同の顔を上げさせる。

一体なにを言わんとするのか、誰にも斡真の真意を知る事は出来ない。


 兎も角、一同には考える時間が必要だ。

この期に及んで急かす事も無い国生は、頼りなく転がる小金井の腕を拾い上げ、

丁寧に抱えて3両目の中央座席に腰を下ろす。こうして結論を待つ心算だ。


 由嗣は体を重たそうに立ち上がると、薫子の肩に手を置く。


「薫子チャン、椅子に横なった方が良いよ。斡真も。

 結乃チャンは大丈夫? 眠ってしまっても良いから」


 切迫した状況にも関わらず、由嗣の気配りは大したものだ。

自分の事で手一杯な斡真は自嘲の笑みを浮かべる。


「お前、スゲェな……大物になるって、」

「うん。ありがとう」


 2人は肩を並べて座席に腰を投げ落す。


「疲れたな……」

「うん……」


 車窓から見えるのは、相変わらずの暗闇。

耳には闇を切り裂くホワイトノイズ。車体は左右に僅かな揺れを伝える。


「なぁ、お前、幾つ?」

「19だけど?」

「うわ、俺と同い年かよ、最悪だな……」

「何で?」

「出来が違いすぎるっつぅか……つか、学生?」

「うん。K大」

「マジ? 一流じゃんか。もっと最悪だっつの」

「何でぇ? 斡真は?」

「N大」

「ああ。N大は理系に強いよね」

「強いって、K大の足元にも及ばねぇっつの」

「関係ないよ、そうゆうの。僕は斡真を尊敬してる」

「あぁ?」

「結乃チャンを助けた。それにタケノコだって採って来た」

「その言い方、パッとしねぇなぁ」


 『タケノコでは無い、湯津津間櫛だ』と言いたげに、斡真は苦笑する。

電車がいつ停まるのか、今は その事を考えたくは無い2人は会話を続ける。


「斡真は将来の夢はあるの?」

「ねぇよ、そんなもん」

「じゃぁ、警官になったら? 斡真は正義感が強い。根性もあるし、向いてると思う」

「ハ……ハハ、お巡り、ねぇ」


 高校時代は随分と世話になった派出所の警官を思い出す。

獰猛なヤンキーが警官を薦められる様になるとは、これも成長のか、空笑い。


「俺の事はイイっつの。そうゆうお前は? K大なら選びたい放題だろ」

「教員になりたくて」

「ぇ……?」


 由嗣の答えに斡真は瞠若し、凭れていた背を伸ばす。


「何? どうしたの?」

「ぃゃ、別に……いや、兄貴と同じだったもんだから」

「へぇ! 斡真のお兄サンが? 会いたいなぁ」

「ぁぁ……」


(そう言えば、由嗣の落ち着いた感じは、兄貴とカブるかも知れねぇ。

 思いやりがあるっつぅか、深いっつぅか、

 こんな時だって自分の事より他人の事みてぇなトコあるし。

 このまま電車が停まって……

 俺は地獄行き確定だろうけど、由嗣なら天国にいる兄貴に会えるかも知れねぇな)


 斡真が俯いて沈思を見せれば、由嗣も神妙に考え込む。

そして次には、この場に不似合いな笑みを浮かべる。


「斡真。僕、決めたよ」

「?」

「国生サンの所望を果す」

「ぇ……」

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