第19話

「な、何で……どうして、何があった……? 何でお前の足に……

 小金井サンは、先に戻ったんじゃねぇのかよ……?」

「し、知らないっ、アタシ、分かんない!」

「小金井サンは お前を先導してただろ!? 何で分かんねんだよ!?」

「だ、だって、波が……気づいたらいなくなっててっ、」

「足に小金井サンの手だけが残る何ておかしいだろ!!」

「ぁ、斡真、落ち着け、あんな状況だったんだから、、」


 斡真と由嗣が目を離した間に2人に何が起こったのかは分からない。

然し、非常事態での出来事を冷静に把握するのは、当事者にも難しい。

寒さに感覚を失っていた薫子は足に小金井の手がぶら下がっていた事に気づかなかったのだと、その事実が残るばかりだ。

それよりも、腕だけを残して消えた小金井が、今は何処にいるのか……


「どうなってんだよ、国生! 小金井サンはっ ――!?」


 振り返り、座席に深く凭れる国生の姿に斡真は目を疑う。



「国生、お前……どうした……?」



 体から煙を漂わせ、顔の半分は焼け爛れた国生の姿。

安全だろう この車両でも何かが起こったと言うのか、

国生は深い呼吸を繰り返すばかりで斡真の問いに答える素振りを見せない。

一部始終を知る結乃は、胸を押さえて項垂れる。


「黄泉に、近づいたから……」


 涙まじりのか細い結乃の声に、斡真は呆然と国生を見つめ、口籠もる。


「な、何だよ、それ……」

「国生サン、黄泉に近づけない体だったんです……

 それなのに、一緒にロープを引っ張ってくれた……

 体が焼けて痛いのに、我慢してずっと……」


 国生が黄泉に介入できない事は聞いていたが、

まさか体が焼け爛れる程の副作用があるとは思いもしない。

『人間では無い』と豪語しながら、その痛ましい姿は人以外の何ものでも無いだろうに、言葉を失う一同の静寂に、国生は僅かに目を開ける。そして、静かに一息を零すのだ。


「大事無し。ヤツガレの傷は何れ癒える」


 確かに、白い煙を上げながらも傷口は徐々に塞がり、皮膚の表面も再生している。

目に見える治癒力は、やはり人外の顕れに、一同は固唾を飲むばかりだ。

そして、2両目に留まるのは4名を目送し、国生は目を伏せる。



「小金井良男は食われたか」



 生々しい言われ方だが、どう食されたのか問うでも無いのは、あらかたの想像が出来るからだろう。


(あの人面に食われたのか……

 それとも、底に引き擦り込まれる途中で腕が千切れちまったのか……)


「―― なぁ、やっぱ……喰われりゃ痛ぇのか?」

「黄泉には痛みもあらば、空腹も乾きもある」

「そっか……じゃ、痛かったか、小金井サンは……」

「言わずもがな。

 然し、その腕だけでも戻ろうとは、さぞ生き長らえたかったのであろう」


 3両目は照明を取り戻し、車内は元の姿を見せている。


「小金井良男は黄泉の者となりて、この賽の河原に戻る事は出来ぬ身となった。

 然し、お主らが見事ヤツガレの所望を果したがゆえ、そこな黄泉を切り離す事には成功した」


 斡真は体を引き摺る様に立ち上がり、タケノコを国生の手に届ける。


「これだろ?」

「うむ。見事なり」


 国生が手に触れれば、タケノコは和櫛に形を変える。これが湯津津間櫛。

それを懐に収めた所で、国生の所望は完了だ。

命辛々の生還、本来ならここで『早く元の世界に帰せ!』と喚き立てる所だが、戻る事が適わなかった小金井の事を思えば、露骨な感情を表すのも不謹慎。

斡真はその場に腰を下ろし、国生を見上げる。


「こうまでして取り戻す価値があるモンなのか、それは……」


 国生はこれ迄に多くの者をこの車両に迎え、同様の所望をしている。

誰もが元の世界に戻る事を望んだに違いない。然し、闇空間へと挑むも遭えなく全滅。

夫々がどの様な結末を迎えたのか知る由も無いが、その所望が犠牲を賭すに相応しい物なのか、斡真には解からずにいる。


 国生は取り戻した黒御鬘と湯津津間櫛を収めた胸元を押さえ、目を閉じる。



現世うつしよの為、取り戻さねばならぬ物」



 現世とは、生者の住まう世界を言う。

生きとし生ける者にとって、国生の所望は必要不可欠らしい。

それは、多数を生かすには少数を犠牲するも厭わないと言い換える事も出来るが、斡真の視線の先に見える国生の表情には、随分な苦衷が浮かんでいる。


(どうしても必要だってモンを取り戻したってのに、コイツは喜びもしない……

 それは、犠牲を払ってる自覚があるからか……)


「喜べよ……

 でなきゃ、何の為に小金井サンが向こうに残ったんだか、意味、無くなるだろ……」

「……」


 斡真の言葉が耳に痛い。

国生は静かに長息を吐くと、ゆっくりと立ち上がる。

そして、灯りを取り戻した3両目の貫通扉を開け、4両目を真っ直ぐと見つめて言う。



「ヤツガレの所望は ――」



 この言葉に、一同は一斉に息を飲む。



「ま、だ……あるの、か……?」



 斡真の呟きに、国生は目を細める。



「ヤツガレの所望は、意富加牟豆美命オオカムズミノミコト



 3つ目の所望。

やっと この異常空間から開放されると思いきや、国生の口から発せられる3つ目の所望に一同は今度こそ愕然とする。



「また、化けモンの巣窟に、飛び込めって、言うのか……?」



 誰一人して体力を残している者はいない。

それ所か、2両目の床には小金井の腕が生々しく転がっている。

これは、1歩間違えれば同じ目に遭うと言う戒めだ。

そんな強烈なインパクトを前に4両目に突入できる者がいるのか、

緊張感に耐え切れず、薫子は悲鳴を上げて泣き叫ぶ。


「嫌ぁ!! もぉ嫌ぁ!! こんなトコいたくなぁい!! 帰りたい! おうちに帰りたぁい!!

 絶対に行かないからぁ! アタシ、絶対 行かないからぁ!!

 あんな風になりたくないからぁ!!」


 小金井の様にはなりたくない。薫子はそう強く訴え、膝を抱えて泣きじゃくる。

由嗣は薫子の背を摩って慰めながら国生を見やる。


「国生サン、もう僕達には無理です……立ち上がる力も、ましてや走る事なんて……」

「無理強いはせぬ。ここは賽の河原にて、痛みも無くば、空腹も乾きも無き世界。

 そうして余命が尽きるのを待つも良かろう」


 斡真は小金井の腕を一瞬ばかり見やり、目を瞑る。



「俺達は死んでねぇよ!!」



 目の前に死が転がっている。

小金井の様になってしまえば、それを死として認識する事は出来るが、ここに残っている4人は生きた人間と何ら変わらない。

それでも死んでいると言うのなら、小金井の今の姿をどう説明するのか、それを問いたい。


「死んだ人間が、何でまた死ぬんだよ!?

 死んでんなら腕が捥げようが関係ねぇじゃねぇか!

 テメェのその奇妙な力でここに降って湧かせろよ! リセットしてみせろよ!!」

「……」


 斡真の詰問に国生は口を閉ざす。

現状を受け入れる準備が整わない者に応えてやる意味は無いとも言いたげだ。

すると、斡真に代わり由嗣が意を決する。



「国生サン、アナタは嘘をついてる。事実、僕らはまだ死んで無い」



 由嗣の確信めいた口調に、国生の目が向けられる。

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