第18話

 斡真は人面の顔を掴み、上顎と下顎を力任せに抉じ開ける。



  ガコン!



 人面の顎は砕け、粉になって水中を漂う。然し、それだけは留まらない。

水底から生えた手は、数千・数万にも増殖している。

侵入者を手繰り寄せようとするその手の動きが水流を作り、勢いをも増す。


(す、吸い込まれる!!)


 渦に飲まれれば一溜まりも無い。

押し上げようとする斡真の助けを受け、由嗣は水面まで伸びる低木の枝を掴む。

ここに掴まっていれば、流れに飲み込まれる事は無いだろう。

由嗣は未だ水を掻く斡真に手を伸ばす。


「斡真!」

「!」


 互いの指先が触れるか否か、

斡真の体は錘をつけられたかの様な速度で急速落下。

由嗣は寸での所で斡真の手を取り逃がす。


「斡真ぁ!!」


 無数の手は、斡真を掴んで離さない。



*



 一方の小金井は、2両目の灯りが見え出した所で後方を振り返る。


「オイ! 後ろの2人は着いて来れてるのか!?」


 背後に薫子は確認できるが、その先は見えない。


「ゎ、分かんないっ……ハァハァ……」

「分からないって、お前なぁ!」

「分かんないんだモンっ、もぉヤダぁ、怖いぃ、寒いぃ……」

「そんなの皆同じだ! グズグズ言うんじゃない!」


 小金井の様な男に猫撫で声は通用しない。

言い捨てる様に薫子を叱責すると直ぐ、小金井の体がズルリと水中に引き摺られる。


「えッ、……な、―― うあ!!」


 咄嗟の事にロープから手を放してしまう小金井は、助けを求めて薫子の制服をわし掴む。


「き、きやぁ!! やぁあぁあぁ!!」

「し、沈むッ、助けッッ……うぅ!! 引っ張ってくれ、早くッ」

「いやぁ!! 怖い! 怖い! やぁあぁ!! ヤダ! 沈んじゃうッ、離してぇ!!」

「ォ、オイっ、、お前、クソ、、自分だけッ、、」


 3両目の出口は間も無くにも関わらず、2人はバシャバシャと争いながら溺れる。



*



 斡真の体は異形の手に雁字搦めにされ、底とも知れぬ泥沼に飲み込まれ様としている。


(か、完全にアウトだ!! 望みの欠片も見えねぇよ!!)


 斡真は沈みながらも口の端を結ぶ。

この水を一滴でも飲み込めば最後。黄泉の物を食した事になってしまう。


(息、ヤベぇしッ、肺、潰れるッ)


 黄泉は侵入者を許さない。決して帰すまいとした執拗さに抜かりは無いのだ。

泥沼に腹まで飲み込まれるのも時間はかからないだろう。

飲み込まれた先には どんな世界が広がるのか、異形に変化する過程に どれだけの時間を要するのか、そんな嫌な想像に頭を振る。

すると、最後の力を振り絞り、水を一掻きした所に、頭上から無数の枝が降り注ぐ。


(あぁ?)


 中々骨太の枝だ。あの低木の物に違いない。

枝は水流の勢いに乗って、随分な速度で水底に落下。

斡真の体にもガツンガツンと ぶつかる。


(って、、 イテっ、イテっ!!

 何でこんなモンが降ってきやがるんだって……って、由嗣、アイツの仕業か!?)


 随分と闇雲な作戦だが、それが功を制して枝を掴まされた異形の手の動きは奪われつつある。

斡真は枝の1本を取ると、箒でゴミを攫う様に異形の手を薙ぎ払う。

そして、失せた手と手の間に、奇妙な物を見つける。



(タケノコ!?)



 秋の味覚・タケコノ。

斡真が大慌てで水面に顔を出せば、由嗣は忽ち顔を綻ばせる。


「斡真!! 無事だったんだね!!」

「テメ、言いてぇ事が山ほど、……つか、タケノコ!!」

「山ほどタケノコ!?」

「うるせぇッ、話は後だ!! 兎に角、戻るぞ! ゼッテェ戻るぞ!!」


 斡真の手には確かにタケノコ。

水没した闇空間でも随分と立派に育ったタケノコの姿に、由嗣は目を丸めてならない。


 さぁ、水流が弱まっている今が退路を縮める好機。2人は必死に水を掻く。

そして遂に、2両目の灯りが視界に飛び込む。


「斡真サン!! 由嗣サン!!」


 結乃の声に戻って来た事を実感する。


「チビ! タケノコ!」

「タケノコ……」


 まるで野山にタケノコ掘りにでも行って帰って来たかの様な言い草に、結乃は目に涙を溜めて笑う。


「戻って来るって信じてました!! さぁ、早く!!」


 薫子は貫通扉にしがみついたまま動けずにいる。よじ登る力は残っていない。

結乃にも引き上げる力は無いだろうから、斡真は先に由嗣に上らせる。


「由嗣、頼む!」

「分かった!」


 由嗣は2両目に上がると薫子を抱え上げ、その儘ヘナヘナと腰を抜かしてしまう。

由嗣も体力は限界だ。腹這いになっての帰還。そして、貫通扉が閉まる。



  ガコン。



「丁度60分が経過した」


 間一髪。

後1秒でも遅れていれば、斡真の爪先は闇世界に持って行かれていただろう。

一先ずは無事の帰還に安堵するも、結乃の顔色は青くなる。


「あの、小金井サンは……」


 疲労困憊に寝転がっていた斡真と由嗣だが、結乃の言葉に水飛沫を立てて起き上がる。

由嗣は脹脛に怪我は負うも、傷が痛んでいる様子は無い。

薫子は傍らにうつ伏せて息を荒げている。だが、小金井の姿だけが無い。

斡真が貫通扉を振り返ると同時、結乃は慄いて声を引き攣らせる。


「ひぃ!!」


 込み上げる悚懼しょうくに、結乃は座席に腰を抜かして倒れ込む。

一体何をそれ程に恐れると言うのか、その視線は薫子の足元に向けられている。


(何だ……何が、あったんだ……?)


 斡真と由嗣は喉を鳴らし、黒目ばかりで結乃の視線を辿る。恐る恐ると。



(手……?)



 手なら何万本も見て来た。

然し、灯りの元で見るその手は、指先から肘までの長さを残し、異形の者とは違った瑞々しさがある。手首にはめられた腕時計が持ち主を物語っているだろう。



「小金井サンの、手……?」



 うつ伏せていた薫子は、呼吸を取り戻すとムクリと起き上がり、皆の視線の先に目を落とす。

そして、遅ればせながらに取り乱すのだ。


「やぁッ、何よ、これぇ!?」


 まさか、自分の足に手だけになった小金井が掴まっているとは思いもしない。

ゲシゲシと乱暴に蹴り払い、縮こまる。

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