第17話

 斡真は右肩を見やる。


(でも、誰かに揺り起こされたような……由嗣、だったんかな?)


 夢の副産物か、右肩に残る懐かしい掌の感覚。

だが、今は引き返す事に専念しよう。


 斡真は呼吸を取り戻し、ロープを片手に握って水を掻く。最中も水位は上がる。


「うあッ、」


 大波に体を揺すられ、全員揃って水中に飲み込まれる。

水を掻けど掻けど浮上できない。


(いつの間に底無しだよ!? 誰か、足を掴んでやがるッ、)


 足元を見やれば、泥煙に塗れて見える骨ばった手・手・手。



(ヤツらが目覚めやがった!!)



 水底から生える無数の手が、一同の足を掴んで底へ底へと引き摺り込もうとしている。

この儘では一網打尽にされてしまう。

斡真はロープを手放し、異形の手を蹴り飛ばしながら、薫子と小金井の足元へと泳ぐ。


(こなッ、クソ!!)


 力任せに薙ぎ払えば、異形の手は脆くも崩れ去る。

だが、新たな手がトコロテン式に生え変わるから切りが無い。

解放された薫子と小金井が水面へ浮上したのを確認し、斡真も2人に続こうとした所で、

波に漂う生首が口をパクパクと動かしながら突進して来る。


(何だありゃ何だありゃ、、 冗談じゃねぇぞ!!

 あんなのに食いつかれたら堪ったもんじゃねぇ!!)


 人面魚と言うよりは人面そのもの。

強烈にグロテスクな人面の襲撃に、斡真は驚き余ってに体勢を崩す。

人面は目と鼻の先。

斡真の顔に齧りつこうと言う所で、人面は砕けて水底に沈んで行く。


(ゅ、由嗣!?)


 斡真は瞠若。

恐怖に震え上がりながらも、人面の頭を蹴り落した由嗣の意外すぎる逞しさが その理由。


(ヤケるとイロイロ突き抜けちまうタイプか、コイツ、)


 オカルトは苦手だと言っていた由嗣だが、この期に及べば へっぴり腰ではいられない。

由嗣は両手で口を押さえると、アイコンタクトで斡真に浮上を促す。


「ハァ、ハァ、ハァッ、、全員無事か!?」


 水面に顔を出せば、薫子と小金井が必死にロープにしがみついている。


「オイ、戻るぞ! 早く、今の内に! こ、殺されちまう!!」

「ァ、アタシ、体、動かない、寒い、怖い……」


 薫子はガタガタと震えている。この分ではロープを握る手も悴んでいるに違いない。

由嗣は腰のロープを解くと、薫子に括りつける。


「薫子チャン、頑張って! 小金井サン、先導してあげてください!」

「しょうがないな、早く着いて来い!」


 由嗣は薫子の背を押し、斡真は一同の足が取られないよう水の中を注意する。


(クソヤべぇ、退路が だいぶ伸びてやがるッ、

 この水力じゃ、あのチビがロープを引っ張るにも限度があんだろッ、)


 一刻の猶予もならない絶望的な展開。



*



 斡真の予想通り、2両目に待機する結乃は両手でロープを引き続けるも、今に倒れてしまいそうな程に体は前後左右に大きく振らている。

3両目では中で何が起こっているのか知る由も無いが、まるで巨大な魚でも釣れたかの様だ。


「ぁ、斡真サンッ、、」


 斡真が力尽きていたとしても、引き返す由嗣達に救出して貰う事は可能だろう。

然し、それは一縷の望みか、全体重をかけてロープを手繰ろうと、結局はズリズリと床を滑って体ごと引き戻される。



『お前の力じゃ逆に あん中に引っ張り込まれちまうかも知れねぇ。

 ヤバくなったらロープを放せ』



「うぅ、、あぁあぁあぁ!!」


 斡真の言葉に従う気は無い。結乃は何度でもロープを引き直す。

その性懲りも無い結乃の姿に、国生は哀れむ様に目を細める。


「ヤツガレがその扉を開けておけるのも、残す所10分余り。

 羅川結乃、その手を放さねば、お主も黄泉へ引き摺り込まれようぞ」

「ッッ、、」

「ここは賽の河原。

 お主の末路は知れぬが、所望を果せずとも、終点までは苦痛も無く過ごせるであろう」


 引き返すよう合図を出してから、これだけ奮闘しているにも関わらず1人も戻らない。

ロープの大きな揺れから見ても、3両目は想像を絶して荒れ狂っているのだろう。

何処をどう見ても、結乃に4人を引き上げる力なぞ無い。

この期に及んでは諦めが肝心と国生が仄めかせば、結乃は斡真に負けぬ赫怒で言い逆らう。


「手を放すくらいなら、引き摺り込まれた方がマシだ!!」

「愚かな。お主は閉ざされた真の黄泉の姿を知らぬ」

「知らない……そんなの知らないけど!

 皆を見殺しにして1人だけ残ったって、そんな場所に苦痛が無い何て嘘だ!!」

「賽の河原に苦痛なぞ有りはせぬ」

「苦痛だ!! 1人だけ逃げる何て苦痛だ!!

 アナタは知らないんだッ、取り残される事がどんなに苦痛なのかを!!」

「――」


 国生は息を飲む。



「ここにいたって、私はとっくに苦痛なんだ!!」



 肉体における苦痛では無い。結乃の精神が悲鳴を上げている。

弟から引き離され、斡真達の背を見送った時点で、何処に身を寄せようと苦痛なのだ。

然し、人間では無い国生に、人間ならではの痛みを理解する事は出来ないだろう。



「人間とは、奇なるもの……」



 国生はハットを取ると床に落す。



「故に、羨ましくもある……」



 その呟きが背後の間近に聞こえれば、結乃は息を飲む。

ロープを握る結乃の両手を覆う様に、国生の白い手袋が重なる。



「ならば、吝かでは無い」



 国生がギュッとロープを握れば、忽ち白い煙が立ち上る。

その煙は国生の腕を伝い、仕舞いには全身を覆う。

黄泉に近づき、繋いだ事で、体が溶けようとしているのだ。



「こ、国生サン……?」


「せめて、ここが安住の地となるよう」



 ロープは徐々に手繰られて行く。

その手応えに、4人は光明を見る。


「斡真、僕、思い出したんだ、黄泉比良坂!」

「あぁッ? 何だよ、今それ必要か!?」

「日本神話なんだっ、知ってるだろ!?」

「知らねぇよ!!」

「ここは死後の世界じゃなくて、その一歩手前なんだ!」

「どーでもイイ!!」

「だから、僕達はまだ死んでない!

 だから国生サンは今の内なら、僕達を元の世界に戻せるって言ってるんだ!」

「あぁッ? そぉかよ! そいじゃ良かったな! 後にしろ!」

「それから、黒御鬘は葡萄で、湯津津間櫛は、―― ッッ!!」


 言いかけて、由嗣はザブン! と水の中に沈む。


「由嗣!」


 足を取られた様だ。

斡真は後を追って潜る。そこに見えるのは、痛み、苦しむ由嗣の姿。

由嗣のフクラハギには人面が食らいつき、その肉を引き千切ろうとしている。


(クソ!!)

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