第16話

「お主等は死地に向かう死者なりて、今や肉体を持たぬ魂だけの存在。

 賽の河原に留まる迄は苦しむ事も無いが、黄泉ではその性質が異なる」

「何を、言ってるんですか……」

「黄泉に在るには黄泉の者でなくば、その存在を維持しつづけるは適わぬ事。

 故に、力尽きる事にもならば、黄泉との同化を迎えるばかりになろう」


 灯りの点いた車両にいる分には、何の事は無い。

腹も空かなければ眠くもならない疲れ知らず。

そんな感覚を、結乃も実感し始めていた所だ。

それが死の顕れなのだとしたら、不可解さは取り除かれる。


 謂わば、この1両目と2両目は生と死の境=賽の河原。

然し、黄泉は形を保つ魂の力を貪る空間。

力尽きれば、黄泉の物を食べなくても戻る事は出来ない。

魂は溶け、闇に取り込まれる。



「3度も黄泉に至っては、無理も無い」


「!!」



 斡真が闇空間に向かうのは、これで3度目。

1度目は2両目を逃げ戻り、2度目は結乃を助けに戻り、そして今。

体力の消耗は限界を極めていたのだ。こうなる事は、国生には範疇だったのだろう。

覚りきった口調に、結乃は大きく頭を振って貫通扉に踵を返す。


「そ、そんなの嫌ぁ!!」


 中に飛び込んで助けようとする結乃の背に、国生は投げかける。



「その命綱は如何に?」


「!」



 結乃は息を飲み、踏み留まる。


「その綱の先には他の者の命も繋いでおろうに、

 それを手放し、高槻斡真を助ける事に何の意味があろうか」

「意味!? 助ける事に意味はあるでしょう!?」

「羅川結乃よ、お主が手繰らずして、その綱に何の意味があろうか」

「!!」


 ロープの先には由嗣が繋がれ、薫子と小金井がせめてもの支えとして掴まっている。

彼等が引き返す時には、成長する退路から戻るべき光を見失わないよう、

逃げ遅れる事が無いよう、結乃はこのロープを力の限り引き続けなければならない。

容易に手放して良い物では無いのだ。


 これには返す言葉も無い結乃だが、言い収まる訳にはいかない。

振り返り、国生に詰め寄るとロープを突き出す。


「だったら国生サン、アナタが持ってください!!」

「ならぬ」

「どうして!?」

「ヤツガレは黄泉の扉を開き、祓う事は出来ても、繋ぐ事は出来ぬのだ。

 ましてやこれ以上、黄泉に近づく事も適わん」

「!」


 言われて見れば、国生は黄泉の入り口とは一定の距離を保ち、近づく事は無い。

そうしないのでは無く、それが出来ないでいるのだと理解すれば、今が万事休すであるとも知る。


「うわぁあぁあぁ!! 私の所為で、私の所為でぇ、うあぁあぁあぁ!!」


 結乃は泣き崩れ、闇に向かって両手を突いて頭を垂れる。

結乃を助けに2両目に向かわなければ、斡真は戻って来られたかも知れない。

少なくとも、3両目に挑むだけの体力を失う事は無かっただろう。

その自責に声を上げずにはいられない。


「助けてくださいぃ、助けてくださいぃ!!」



『兄貴が死んじまってから、親父がヤケに老け込みやがってさ。

 あぁ、こりゃ俺が何とかしなきゃならんなぁ、とか思わされたっつーか』



「もう良いからぁ! 私が身代わりになりますからぁ!!

 だから返してくださいぃ!! お願いします、お願いします!!」

「諦めよ、羅川結乃。黄泉に声は届かぬ。これも人の運命さだめ


 敷かれた線路の上を走るだけの一生。

人生を静かに全うするも、踏み外すも、予め定められたプログラム。

そうして気づかぬ所で運命は作られ、人はその流れに逆らう術も持たず生涯を過ごす。

だが、その事実に無駄と解かって贖うのも、人間の性。

諦観だけで生きられる程、愚かでもいられない。


「人で無し!! そんな事を言えるから、アナタは人間じゃないんだ!!

 何者にもなれない成り損ないなんだ!!」


「――」


 人間どころの始末では無い、何者にもなれない無い成り損ない。

そう言い放たれれば、国生は言葉を失う。



*



(誰かが、泣いてる……? いや、水の音か……)



『―― 真、斡真……』



(誰だ、俺を呼ぶのは……今、イイトコなんだ、やっと眠れたんだ……

 ホント、眠くて、眠くて……)



『斡真、そんな所で寝てどうするんだ?』



(そんなトコってどんなトコだよ……大体テメェ、誰だコラァ……)



『長生きして、優しい人になるんだろ?』



(優しい、人 ――)



『ここで終わるのか?』



(長生きさえしてりゃ、俺みたいな出来損ないでも、

 優しい人ってのになれるんじゃねぇかって……そんな事、思ったっけな……

 でも俺はもう、少しの力だって出せねぇんだよ……ゲームオーバー……)



『お前を待っている人がいるのに?』



(いねぇよ、そんなヤツ……)



『思い出してごらん』



(あぁ、やっぱり、誰かが泣いてる……それから、親父は何て言ってたっけ……)



『自分で決めた事なんだ、兄チャンが見てなくたって、もう大丈夫だろ?』



「―― 兄貴……?」


「斡真!!」


「―― !?」


 刮目。

斡真は両手でバシャバシャと水を掻き、頭を上げると激しくと咳き込む。

どうやら水は飲んでいない様だ。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……

 ャ、ヤベぇ、死ぬ、死ぬトコだったッ……って、な、何だ!? 由嗣!?」


 いつの間に引き返して来たのか、目測の位置に由嗣がいる。

だが、再会を喜んでいる暇は無い。

膝の高さだった筈の水位は顔の半分が隠れる程に増し、荒波の如く水飛沫が舞っている。

まるで大海原だ。


「斡真! ロープが引き戻されてる! 時間が無い!」

「見つかったのか!?」

「ごめん、駄目だった、もう引き返すしか無い!

 小金井サン、薫子チャン、絶対にロープを放さないように泳いで! 斡真も早く!」


 結局、湯津津間櫛は見つからず仕舞い。

斡真の到着を待った由嗣達だが、ロープが強引に引き戻された事でタイムリミットを察知したと言う訳だ。

手ぶらで戻っては国生との契約は不履行になるが、貫通扉を閉められでもすれば それこそ阿鼻叫喚。口惜しいながら、斡真は踵を返す。


(何でこんな時に呑気に夢なんか見てたよ、俺ぇ! アホか俺ぇ!

 つか、どんな夢かも覚えてねぇけども!)

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