第7話

 さて、勇敢にも1人で2両目に飛び込む斡真は、強い生臭さを放つ空間に鼻を押さえる。


(さっきより臭せな……でも、壁の成長は止まってるみてぇだ。

 帰るヤツがいねぇからってなら、チビはもう向こう側の住人になっちまったって事か?)


 2両目は森閑としている。

然し、全方位から向けられる睥睨は確かなもの。


(冗談じゃねぇよ、

 大学デビューを機に やっとヤンキー卒業して、所謂プレイボーイに昇格したってのに、

 そんな俺が どうしてこんなクソキモイ所で勇者ゴッコしてんだよ?

 そもそも、そうゆうキャラじゃねぇだろぉが。然も、あんなパッとしねぇガキ相手に)


 結乃を思い出せば、ドンヨリとした暗い印象。

前髪が長すぎて顔も見えない様は、それこそ絵に描いたような幽霊だ。

何処ぞのホラー映画の妖怪と笑い飛ばしてやりたくなる。

どうせなら、薫子の様な多少なり花のある女の為に体を張りたかった所。


(他人の事より自分の事。

 それを地で行く俺様に反論できる程 立派な生き方してるヤツぁそういねぇ。

 チビっ子1人見殺しにした所で、多くの人権屋が『緊急避難デス』って、

 俺を擁護してくれんだよ。その辺、賢くも理解してんだけどなぁ、俺はぁ、)


 後悔先に立たずとは言うが、今がまさにその状況。

然し、不思議と引き返す気にはならないから平和ボケか、自分の馬鹿さ加減に嫌気が差す。

それはきっと、こんな時にも関わらず、脳裏では以前を思い返しているからだろう。


(なぁ兄貴、ちたぁ俺も成長したんかな?)



『斡真、何で母サンの葬儀に来なかった? バイクで走る約束の方が大事だったか?

 母サン、斡真がいなくて寂しかったと思うよ?』

『うるせぇな! 死んじまったもんにかける時間とか無駄だろぉが!

 どうせテメェもそう思ってんだろ! 偽善者!』



(以前の俺はクズすぎた。そんな俺を、兄貴はいつも悲しそうに見ていた……)



『辛すぎて、母サンの側にいられなかったたけだろ?』

『ちげぇよ、バぁカ!!』



(違わない。母サンは優しかった。出来損ないの俺にも優しかった……)



『でもな、斡真……どんなに悲しくても、逃げちゃいけない時がある。

 堪えなきゃならない時がある。そうゆう事、お前は しっかり解かる男だよ。

 母サンが そう言ってた』



(いきがる事でしか自分を主張できずにいた俺には、返す言葉も無かった。

 ただ、無性に後悔して、泣けた……)



『バカだな、斡真は』



(兄貴は母サンに似て いつでも優しかった。

 いつか俺も、優しい人間になりたいと思った。

 相変わらず、憎まれる選択しか出来ねぇ毎日だけど……)


 だからこそ、違う選択をしたい。

例え無謀な行為だとしても、この期に及んで無神経でいては、いつになっても優しい人間にはなれない。そう気づいている。


「チビ! いねぇか!? 探しに着てやったぞ! 出て来い!」


 襲撃覚悟で声を上げれば、壁が再び動き出す。

沸騰した湯に気泡が浮かび上がる様に、ブクブクと壁が盛り上がる。


「今度は何だよ!?」


 壁が成長した時とは様子が違う。

膨れ上がった気泡は徐々に緩やかな輪郭を成し、その正体を明かす。


(ひ、人!?)


 壁に人が埋め込まれていたとでも言うのか、醜態がモゾモゾと姿を現す。



「壁から化けモンが産まれてきやがった!!」



 産み落とされる様に、壁からは あの黄泉醜女と八雷神が続々と湧き、天井からもボトリボトリと落ちて来る。


「全体が化けモンで出来てる何て聞いてねぇぞ!!」


 国生の言った通り、1度 乱してしまった闇空間は醜態の巣窟。

斡真は携帯電話を握り、ライトを隈なく当てる。

何処かに先へ進む突破口は無いものか、

然し、肩を寄せ合って斡真を追い詰める黄泉醜女に隙間は無い。

ただただ、ライトに浮かび上がるおぞましい形相を確認するばかりだ。


〈見たなぁ……見たなぁ……〉


 低く淀んだ嗄れ声が、四方八方から向けられる。

黄泉の者の声は耳にするだけでも身の毛が弥立つ。


〈我等が姿を見たらば、愈々帰す訳にはゆかぬ……〉


「ンな、迫られりゃぁよぉ……

 つか、見てくれって言ってるようなもんだろが!」


〈ああ、憎らしや……

 こんな醜い姿を見られては、恥ずかしさの余り眠りについてはおられぬ……〉


「羞恥心!? 羞恥心なんか!? 奥ゆかしさが足らな過ぎんぞ!!」


 国生も『見てはならぬ』と言っていたが、この空間に送り込まれた以上 目を閉ざす事は出来ない。

既に異形となった黄泉の者は理性も自制も失い、録音された言葉を繰り返し流すだけの屍。

言葉すら理解されないのだ。ならば、退路も無い斡真の行動は1つ。


「こぉなりゃヤケクソだ!!」


 敵前逃亡したいのは山々だが、ここは後先考えずの玉砕覚悟。

無理矢理にでも突破口を作るしかあるまい。

飛んで火にいる夏の虫に、顎が捥げそうな程の大きな口を開けて待ち構える異形達。

そして、伸ばされた沢山の手が触れるか否か、斡真は腰を屈め、スライディング。

足元の泥濘を削りながら異形等の細い足を蹴り倒し、道を切り開く。


(攻撃力ともに守備力、量産型レベル!

 見た目通り体は脆い! これなら切り抜けられる!)


 光明。

強力な悪臭を放ち、蛆やミミズやらを纏った醜態と対峙したくは無いが、それだけ我慢できれば腐り落ちた異形の本体は脆弱だ。然し、量産型と言えるだけあって数が多い。

この空間である限り、異形は無尽蔵に生成されていくから体力勝負。


「チビ! 何処だ!! 返事しろ!! 絶対に助けてやるから!! 絶対に!!」



*



 斡真が救出を目指す中、結乃はウツラウツラと開眼する。

誰かの声が聞こえたような……と首を傾げた所で、体の自由が利かない事に気づく。

意識は忽ち鮮明に、ギョッと目を見開く。


「さ、さかさまっ? か、体、どうして? ここ、……え? 天井? 私、天井の中っ?」


 天井からぶら下げられている状態。

どうゆう仕組みになっているのか解からないが、肩から下がスッポリ天井面に塗り込まれている。頭に血が昇ってコメカミが脈打つ痛みに結乃は眉を顰める。


「う、ぅぅ……痛い、気持ち悪い、うぅ……」


 だいぶ夜目に慣れた事もあって、異形が闊歩している様が眼下に確認できる。

結乃が目を覚ました事に気づいたのか、数体の黄泉醜女が口を開けて見上げている。

どうやらこのザマは異形達の仕業の様だ。

目の縁から涙の様に蛆が溢れているのが見える距離。

余りの気色悪さに結乃は頭を振る。


「ぉ、下ろして……」


 言って伝わる相手とは思えないが、嘆願せずにはいられない。

最中、ゴクリと嚥下される様に体が天井に飲み込まれて行くのが分かる。

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