第四話 迷宮都市

 舳先でアーロンジュ江の流れを酒の肴にしながら、アレウスはリ’シンと昼間から酒盛りを開いていた。

「ハハハハハ、それは不運であったな」

「まあ、久々に魔物モンスター相手の再訓練リハビリにはなったかな」

 久々に酌み交わす酒は互いの近況を語り合う場となり、驚くべき盛り上がりを見せていた。

「それにしても鶏蛇がそこまで繁殖していたとは、な。“紅玉”め、ファーロスの事が気になっていたと見える」

 リ’シンは小馬鹿にした感じで“紅玉”の民の不手際を笑った。その表情は“紅玉”のレ’ンズに比べれば圧倒的に分かり易く、多分それに慣れているアレウスだけでは無く、端から見ている初対面のレイですらどんな感情を抱いているのか直ぐに分かる程であった。

「どういう事だ?」

 アレウスは自分で相手したためか、“紅玉”が鶏蛇を見逃していた理由に興味を持った。

「何、“紅玉”の領域テリトリーがソーンラントの東西を繋ぐ陸路に面しておるのだ。大方、そちらに気が行きすぎて、鶏蛇が増えているのに気が付かなかったのだろうて」

 別段大した問題ではないとばかりに、リ’シンはあっさりとアレウスの疑問に答えてみせる。「まあ、うちの部族が同じ様な立場に置かれれば、似た様な事をしたかも知れんな」

「ファーロスは人間至上主義の最右翼だものなあ」

 アレウスはしみじみとした口調で頷いた。

 隣国であるハイランドですらファーロス一門の動向は最重要情報として珍重されていた。実情はどうであれ、ソーンラントの版図内にあることになっている“江の民”の集落であるのならば、それはもっと切実なものであろう。特に、ファーロスが東部に出張り、国の中心を今一度そちらに戻そうとしている最中なのだ。国の大動脈の傍にいる安心できない勢力をいきなり潰しに掛かってくる可能性は高いものと考えられる。それが、人間以外の種族ならば、猶更であろう。

 同族であるリ’シンは兎も角、アレウスは同情せずにはいられなかった。

「少なくとも我ら外の者は然う見ている。まあ、話が通るのもいるにはいるが、話が通らない者が何も考えずに殴りつけてくるのがファーロスだからのお」

 リ’シンも幾分か諦観の念を含ませた口調で肩を竦めて見せた。

「本当に真っ当な精神の持ち主だけが損をする家だよなあ」

 先頃出会ったエクサの事を思い浮かべながら、アレウスは心の底から同情した。

 ここまで警戒されていたのならば、陸路でも水路でも本隊に密使を送る事すら一苦労であろう。ある意味で自業自得とは言え、それを改善しようと努力している者までもこの扱いならば、大抵の者は開き直って人間至上主義側に靡くのも致し方のないことと思えた。

「故に、連中の監視を最大限に手配を整えるのは分からんでもない。だからと云って、己の住み処の安全を見過ごすのはどうかと思うのだがね」

 そうしたくなる気分は分かるのだが、と先程と同じ意見を呟きながら、リ’シンは杯を静かに眺めた。

「本当に関わると碌でもない目にしか会わない相手だよなあ」

 大きな溜息を付いてから、アレウスは酒を一気に呷った。なまじその苦労が分かる分、やりきれない思いも一入ひとしおである。本音を言えば、自分たちがその立場に置かれずに良かったなのだが、流石にそれを表に出すわけにも行かなかった。

 何とも言えない雰囲気になり、流石に居た堪れなくなったのか、

「ところで、何でまた“古の都グ’レゴル”に行くのだね? てっきり、もうやりたい事はやりきったのだと思っていたのだが?」

 と、リ’シンは思い切って大きく話題を変えてみた。

「ははははは。リ’シン、君は面白い事を云うのだね?」

 アレウスは本気で心の奥底から笑い飛ばし、「俺が何時、あそこを完全踏破したというのだね?」と、真顔で尋ね返した。

「踏破、か」

 ある意味で分かり切っていた返事が返ってきたため、リ’シンはアレウスの態度に動じることなく、静かに返した。

「そうさ、俺が知りたいのはあの迷宮の最深部に何があるか、だよ? いや、違うな。何があるのかを確認したいのだ。己の目で、ね」

 リ’シンが吃驚する程目をきらきらとさせ、アレウスは楽しみで楽しみで仕方ないと言った雰囲気を隠そうともせずに力説する。「何せ、現在残されている全ての史書にその存在を書かれているのにも関わらず、それが何の遺跡かは未だにはっきりとしない。何時造られ、何のために存在しているのか今や誰も知らないというのに、遺跡は生きている。果たして最深部に何があるのか、楽しみでならないね」

「我らの部族の口伝には『触る事無かれ』とあるがね」

 言った処で何の足しにもならないと分かってはいたが、一応族長としては先祖から代々伝わってきている警句を告げた。

「まあ、知らなければ良かった、触らなければ良かったと云った何かが眠っている事は否定出来ないね」

 かんらからと笑うアレウスに、

「それが分かっていても行くというのかね?」

 と、今一度尋ねる。

 “江の民”の中でも一部の鱗人リザードマンは迷宮都市のある島に人を近づけない様にと先祖代々言い伝えられてきていた。今となっては皮肉なことなのだが、“江の民”と盟約を結んだソーンラントの黎明期のとある王が幾つかの約束と共に探索者が迷宮に潜ることを当時の族長たちに認めさせたのである。

 ただし、潜る者は“江の民”が認めた者だけに限るとも条件を定めた。これが“江の民”が試練を探索者に課す根拠ともなっている。

 “江の民が”“大迷宮”に人の出入りを許す代わり、ソーンラントがその近辺を治めることは決してなく、迷宮に携わる者たちがその地域の安寧を司るという取り決めとした。

 要はその王が近隣を管理している鱗人たちに配慮し、彼らが認めない者が迷宮近隣の地に入ることを決して認めないことに同意したのだ。

 そうは言っても、迷宮に関わる他の種族全てに試練を与えることができる筈もなく、今では実質上形骸と化していた。

 アレウスはその形骸と化していた試練に打ち勝った数少ない珍しい人物であり、今の世の冒険者を鱗人が黙認する理由の一つでもある。

「……まあ、鱗人にとって、あそこが如何なる聖地であるかぐらい承知しているよ? だがね、うちの家──と、云うよりは一族の口伝に気になるものがあってね。俺個人としても、それを見届けてみたいのさ」

「口伝、とな?」

 興味深そうにリ’シンはアレウスを伺う。

「流石にそれはいくら俺と貴公の仲でも今は教えられんよ」

 苦笑しながら、アレウスは杯を乾す。

「ふむ、他の種族に伝わる口伝に興味があったのだが」

 心底残念そうに、リ’シンは呟いた。

「時が来たのならば、貴殿に教えると約束しよう。まあ、そうは云っても、本来ならば俺が知っているのはおかしいのだがな」

「どういう事だね?」

 アレウスの奇妙な言い種にリ’シンは疑問を覚えた。

 アレウスの性格上、他人に教えてはならないことを僅かでも口外するとも思えないし、特別な事情で知ってしまったことを他人に安請け合いで何れ教えるなど口が裂けても言い出さないはずなのだ。

「まだ家を出る前の話だが、兄に世界のありとあらゆる謎を解いてみせると啖呵を切った事があってね。その時に、兄上からその夢の一助となればと当主にのみ伝えられる話を聞かせて貰ったのさ。当然兄上からは、俺が見届けた謎が口伝通りならば信用出来る者と相談するなり話すなりしても良いという許可は貰っている」

 その答えを聞いて、

「それは随分とお優しい兄上だな」

 と、思わずリ’シンは素直に感想を述べた。

 アレウスの出自に想像は付くが、その様な家に伝わっている一子相伝の口伝を条件次第で口に出しても良いなどと許可を出すとなれば、余程の人物でもない限り決断できないことだろう。大物か、莫迦か、そのどちらかか、若しくはその両方か、はたまたアレウスのことを信頼しきっているのか。

 相手の実像を知らぬリ’シンには想像すらできなかった。

「身内に甘い方でね。そうでもなければ、俺がここにはいないさ」

 リ’シンの内情を知ってか、アレウスは端的に兄を評した。

「成程。出奔という訳でも無いのか」

 これまで得た情報から、実家のことを隠しきっていない当たり、そうではないかと思っていたことをリ’シンは確信した。

「多分、地元で病気療養している事になっているのではないかな? 確かめていないから分からないが」

 他人事の様に自分の扱いをアレウスは推測してみせる。

 実際、アレウスからしてみれば、余程のことでもない限り家に戻る気はないので、そこら辺の事情はどうでも良いと言えばどうでも良かった。

 ただし、快く送り出してくれた兄たちに対する感謝の念は忘れていないので、事ある毎に手紙と土産を欠かさずにいたが。

「それは長い病気療養だな」

 アレウスが地元を離れてどの程度になるのかを知っている為、リ’シンは些か呆れた口調で感想を述べた。

「剣術の病という意味では正しく療養中だな。問題は当人に治す気が無いのと、その病が不治の病という点だが」

 冗談めかしてアレウスは肩を竦めて見せる。

「何だ、病にかかっている自覚はあったのか」

 多少驚きを覚えながら、リ’シンはアレウスを見た。

 他人からどう見られているかと言った事柄に割りと無頓着に見えていたのだ。それが、はっきりと自覚しているとなれば、驚かずにはいられない。

「何故か誰も対人剣術を編み出そうとしていない世界で、一人世の流れに逆行していたんだ。嫌でも自覚はする」

 アレウスは自嘲の笑みを浮かべた。

 実際問題、この世界で人類種の最大の敵は何かと問われれば、魔物モンスターを始めとした意思疎通のできない生き物たちである。硬い鱗で覆われた亜龍や大型の爬虫類、巨大な虫や失われた古代文明の残した合成獣キメラなど例を挙げれば枚挙に遑がない程だ。

 そして、その様な化け物を粉砕できる力があれば、人類種もまた容易く殺すことができる。

 逆に人を殺せる技があったとしても、それで化け物を殺せるかと言えば疑問が残った。

 それに、人を殺す業などこの世界では戦争以外で役立つことなど先ずない。人を意図的に殺す職にでも就かない限り、役に立たない技術であった。

「ならば何故それを磨いたのだね?」

 そこまで理解しておきながら、剣術を研鑽し続けてきたアレウスの何が駆り立てているのか、リ’シンはそれが気になった。

 リ’シンが知り得る限り、アレウスは人類最強の剣術家である。少なくとも、冒険者の中でも指折りの兵が集う迷宮都市にすら彼に匹敵する腕前の剣士はいない。本人が自嘲する対人技術もだが、化け物を斬り倒す技術ですら隔絶した技術ものを持っていた。

 それだけの業を手に入れる為に一体どれだけの時間を費やしてきたのかを考えるとアレウスの人生そのもの全てを捧げてきているとしか言い様がない。

 リ’シンとて戦士である以上、強さを求める気持ちは分からないでもない。

 だが、それに己が人生全てを懸けるとまで行くと分からなくなる。

 だからこそ、その奥底に流れるものが何なのか知りたかったのだ。

「それしか無いからさ」

 真面目な顔付きで、アレウスはそれだけ答えた。

「……貴君がかね?」

 驚きの余り瞬時惚けてから、リ’シンは思わず問い返す。

「別に驚くほどのことでもない。上二人の兄が優秀すぎて家に居場所が無かった。いや、全く無い訳では無かったのだが、俺にはそう感じられた。産まれた時からと云うと些か大袈裟だが、物心ついた頃には如何にして斬れば人を容易く斬れるかと云う確信があった。本当に感覚的なものなのだが、実際その通りに剣を振れば予測通りに斬れたからな。思い通りになる事が楽しくてその技を磨き続け、気が付いた時には大の大人だろうと負ける気がしないぐらいには腕が上がっていてな。只、人斬りでは生きていけないのも確かだから、そこら中にいた腕自慢の武芸者に挑んではその技を盗んだり教わったりしていった。そして、気が付いたら化け物も容易く斬る術を手に入れていたわけだ。後は、それを机上の空論にしたくない一心で、旅に出たくなった。それだけの話よ」

 つまらなそうに言い放つと、アレウスは杯に酒を注ぎ直して一気に呷った。

「やれやれ。本当にそれしか無い者が聞いたら噴飯物の云い種だな」

「選ぶ道は確かにあったが、自分だけの自分のものと胸を張れるものがそれしか無かったという意味では誰にも文句を云わせる気は無いよ」

 自信満々にアレウスははっきりと言い切った。

「そして、それを裏打つだけの業もあるか。他に楽な道もあっただろうに、態々苦行を選ぶのだから、余程剣術が好きと見える」

「そうだな。それだけははっきりと云えるぞ。俺は何よりも剣が好きだ。それに全てを注いでも惜しくは無いと云い切れる位にな」

 アレウスは晴れ晴れとした表情で呵呵と笑った。

「成程、病膏肓に入るとは正にこの事か」

 リ’シンは深々と頷いてみせる。「すると、大迷宮に挑むのも己のやって来た事の確認の様なものかね?」

「それはどちらかと云うと求めている結果の過程に過ぎないな。先にも云った気はするが、迷宮の底にあるものを見届ける為だ。大迷宮に挑むのはそれ以上でもそれ以下でもない。まあ、剣の腕に自信があるからこそ、大迷宮を踏破しようと思ったと云う因果はあるかな?」

 杯を手の内で弄びながら、アレウスは意外にも真面目な顔で考え込んだ。

「“古の都”を目指しているのでは無かったのか?」

「ああ、最下層にあるとされるそこは目指している。ただ、俺が知りたい事がそこにある可能性が高いだけで、実際の処はそれが得られるのならばどこでも良かった。ただまあ、“古の都”が一番確実そうなのは間違いない事実なんでな。自分の手札と見比べて、遣れそうな事を選んだまでだ」

「口伝で知った事かね?」

「それもあるし、まだ実家にいる時に色々と調べ廻った結果でもある。“世界樹”に関わる事柄、それを調べられれば俺が知りたいことに近づける」

 “世界樹”。

 数多の別の呼び名はあれども、そのもの自体は一つしか無いとされている。

 曰く、世界を支える大木。

 曰く、始原の生命。

 曰く、生命の始祖。

 曰く、全ての始まり。

 様々な伝承を多く残すが、森妖精エルフと深い関わりがあるという話だけは全て共通している。

「“古の都”に“世界樹”は無かった筈だが?」

 リ’シンも“世界樹”に関しては詳しくはないが、“古の都”と呼ばれる地に住んでいたのが森妖精でないことぐらいは知っていた。

「ああ、“古の都”自体には“世界樹”の欠片も存在すまい。只、そこに住まう者が“世界樹”と何らかの関係があった事は間違いないのだ」

「……何か、掴んだのか?」

 アレウスの自信満々な態度から、リ’シンは何らかの確証を掴んでいると睨んだ。

「さて……。と、云いたい処だが……」

 左右を見渡し、自分たちとレイしか居ないのを確認してから、「これを見ろ」と、懐から茶巾に包んだ何かを用心深く取り出した。

 リ’シンはアレウスに目線で許可を求めてから、慎重にその包みを開く。

 レイも何か惹かれるものを感じ、膝行で二人の許に何気なく躙り寄った。

 甲板に広げられた茶巾の中には黒い石の様なものが鎮座ましましていた。それには何やら文字らしきものが彫り込まれており、怖ろしく強い力を発していた。

「……何、これ?」

 ある意味でものを知らないレイがアレウスに尋ねる。

呪物マジックアイテムさ、太古の森妖精の、な」

 我が意を得たりとばかりに、アレウスはにやりと笑った。

「何で森妖精のものと分かるの?」

 ぱっと見只の黒石にしか見えないそれのどこをどうやれば森妖精の呪物などと確信を持てるのかレイにはさっぱり理解できなかった。

「それはな──」

 アレウスが何か言おうとした瞬間、

「友よ、直接触ってみても良いかね?」

 と、リ’シンが石から目を離さずに尋ねて来た。

 一瞬驚いた表情を見せてから、「どうぞ」と、直ぐに満面の笑みを浮かべてアレウスは頷いて見せた。

 その言葉を受け、リ’シンは恐る恐る黒石を己の手で触れる。

 触った瞬間、リ’シンは雷に打たれたかの様に身を硬直させ、直ぐさま手を離した。

「こ、これは……」

 幾分畏れの交じった驚きの声を上げ、リ’シンは行き成り黙り込んだ。

 にやにや笑いながら、

「レイ、君も触ってみるかい?」

 と、アレウスは水を向けた。

「危険なものでは無いの?」

 リ’シンの様子を見ながら、レイは怪訝そうな表情でアレウスに問う。

「命に別状は無いよ。何せ、俺が常日頃から持ち歩ける程だ」

「成程。他に別状はあるんだね?」

 アレウスとの付き合いがそれなりのものとなっているレイなのだ。アレウス独特の言葉の使い回し方には慣れきっていた。

「それは否定出来ないな」

 アレウスは訊かれなければ答えないが、訊かれた以上は素直に答える性質である。レイが自分が意図して隠した情報に辿り着いた以上、誤魔化す気はない。

「でも、触っておいた方が良いって事だよね?」

 レイは大きく溜息を付きながら、そのまま黒石に触った。

 触った瞬間、レイの頭の中に知るはずもない知識が雪崩れ込んでくる。

 その情報の奔流にレイは翻弄され、思わず両手を頭に当てた。

 そして、黒石から手が離れた途端に元通りの光景が目に飛び込んできた。

「え?!」

 驚きの表情を浮かべるレイに、

「命の危険は無かっただろう?」

 と、和やかにアレウスは告げた。

「最後まで見続けたらどうなっていたのだ?」

 二人の遣り取りを見てから、リ’シンは徐に口を開いた。

「さて? 情報で気が狂う程は詰まっていないと思うがね」

 リ’シンの言わんとしている処を先読みし、アレウスは己の推測を告げてみせる。

「何を根拠に?」

「この程度の欠片では自ずと限界があろうさ」

「……道理だが……。しかし、なあ?」

「結局、この石は何なの?」

 黒石が何か分かっていて話し合っている二人とは違い、レイはそれが何なのかがちっとも分からなかった。

 二人の会話がどんどん黒石についての深い話に入り込んでいきそうなので、致し方なく横槍を入れることにした。

 レイが唐突に黒石の正体について尋ねて来たことに驚くこともなく、

「世界樹の破片が石化したものさ。本来ならば、世界樹から離れた時点でこの種の力は本来無くなるらしいのだが、森妖精が刻んだ文字ルーンによって今でも生きているのであろうな」

 と、アレウスは簡単に説明した。

「世界樹は欠片も存在しないんじゃ無かったんだっけ?」

 先程のアレウスの発言を思い起こしながら、レイは小首を傾げてみせる。

「ああ、これは本来この地のものでは無い。拾ったのは大迷宮の中だがね」

「……? それって、存在していたって事じゃないの?」

 迷宮都市に疎いレイとて、大迷宮と呼ばれる場所が迷宮都市の地下にあることと、有史以前の謎に包まれた魔法文明と呼ばれている時代の都がタンブーロ湖に埋もれていることぐらいは知っている。大迷宮とはその都に通じる唯一の道と言われていた。

 レイからしてみれば、“古の都”に関わるものが大迷宮に落ちていても不思議ではないのだ。むしろ、何でそれが関わっていないと断言できるのか疑問であった。

「外から運び込まれた代物なんだよ、“古の都”に、な」

 レイの態度から直ぐに彼女の勘違いに気が付き、アレウスは黒石の由来を教える。

「何でそうだと分かったの?」

 アレウスがこの種のことで嘘をつく男でないことは先刻承知している。

 だからこそ逆に、そこまで確信している背景となる情報の存在をレイは気になったのだ。

 アレウスがそこまで信頼するものが何かと言うことを。

「これを見つけた場所が特殊でな。どこから来たか迄は分からなかったが、“古の都”が水底に沈んだ日に森妖精の使節団が泊まっていた宿舎であったらしい」

「随分と確信している物云いだな」

 どこ由来かと言うことに強い興味を持っていたのか、リ’シンは横から口を挟んだ。

「同じ場所に落ちていた日記やらその他諸々を解読した結果だ。あの時の徒党には頼りになる魔導師がいたのでね」

 アレウスは肩を竦めながら、「ま、今説明した世界樹絡みの知識は全部彼女の受け売りだ」と、苦笑しながら再び黒石を茶巾で包む。

「ああ、彼女か」

 リ’シンは深々と頷く。「ならば納得だ。当世最高の魔導師と名高かった彼女ならば世界樹に関する知識が深くてもおかしくはない」

「有名な人なの?」

「ふむ、有名かどうかと云われると難しい処だの」

 レイの問いに、リ’シンは考え込む。

「俺が迷宮都市に流れ着いた頃の北の冒険者界隈では少なくとも有名だったな。只、今だとどうであろうな? 徒党解散からそれなりの月日が流れているし、もしかしたら、彼女を越す魔導師が育っているやも知れぬからなあ」

 アレウスも首を傾げながら、「こんな事ならば、無理矢理にでもガットを連れてくれば良かったな」と、ぼやいた。

「まあ、仕方あるまい。本気で逃げを打った丘小人ホビットを捕まえられる者など滅多におらんよ。あれは天性の忍びの者故に、な」

「本当に船が嫌いだからなあ」

 アレウスはリ’シンの取り成しに苦笑で答えた。

「ああ、彼女がいつの間にか消えていたの、船が嫌いだからなのか」

「船酔いするわけではないのだが、どうにも水の上に居るのが落ち着かないらしい。ま、先にどうやってかして、迷宮都市に辿り着いているだろうさ」

 そこまで言ってから、「……そうか、最近の迷宮都市の噂話を先に聞き出すべきであったか。どうにも、気が抜けているな」と、アレウスは天を仰いだ。

 リ’シンは再び杯に口を付け、

「“覇者”に追われて五体満足でいるのだから、先ずは満足するべきであろうさ」

 と、笑い飛ばした。

「ま、人から見ればそうなのかもしれんがね。当人としては反省するべき点は反省しておかないとどうにも、な」

 ふっと破顔してから、「さて、リサ・マックニールの話であったな。彼女は俺が迷宮都市に辿り着いた時、最初に入った徒党に参加していた女魔導師だ。その頃から迷宮都市内で知らない者はいない優秀な女性でな。彼女の引きがあったからこそ、彼女の徒党に入れて貰えたと云える」と、アレウスは語り出した。

「リサ・マックニール?」

 初めて聞く名前をレイは鸚鵡返しする。

 アレウスがこれほど迷宮都市での話をするのは彼女からしてみれば初めてのことであり、これから行く先の前情報として、昔のアレウスを知る相手の為人ひととなりを知る為にもこの機を活かして聞き出したいところであった。

「ああ。俺が知り得る限り、彼女を越す魔導師を見た覚えはない。もし、彼女を宮廷魔導師として抱え込みたいならば、それこそ一国を購う位の価値を持つ呪物か、有史以前の時代に生み出された神器、若しくは彼女が満足する知識と引き替えであろうな。少なくとも、彼女が知らない有史以前の書物ならば一冊に付き一年ぐらいは雇える可能性が無きにしも非ず、程度かな?」

 暗にほぼ雇い入れる事は不可能とアレウスは言外に語りながら、何やら楽しげに呵々大笑する。

「何れにしても誰も用意できない先立つものが必要と言わないか?」

 呆れた口調でリ’シンはアレウスに問い返す。「国を傾けかねない給金、国の威信に懸け到底譲り渡せぬ様な国宝、太古より知識を伝承している森妖精ですら有しているか危ぶまれる書物。よくもまあ、ここまで不可能な話を連ねられたものだ」

「俺を雇い入れるのにもその程度必要だから変わりはしないな。大迷宮で第六層以降を問題なく歩き回れる冒険者の価値は一層下に行く程価値が跳ね上がるからな。第八層まで到達している俺達ならば現状その程度で済むであろうよ。まだ、値段を付ける事が出来る領域だ」

 大した問題ではないとばかりに、アレウスは笑い飛ばした。

「値段が付けられないって雇える相手なのかな?」

 意外にも真剣な顔付きでレイは悩み込む。

 命に値段を付けるのが当たり前の傭兵稼業を営んできたレイである。値段を付けられない仕事など逆に想像にも及ばなかった。

「まあ、友情で頼み込む、同じく値段の付けられない大業物を献上する等が考えられるな。要は相手の価値をどれだけ理解しているかをどう示すか、だ」

 その問い掛けに傭兵としても冒険者としても名を挙げてきたアレウスは、「結局の処、どこまでお互いに信が置けるかという問題に帰結するんだよ」と、ある意味で雇用関係に於ける究極の理を告げた。

「どちらにしろ、“古の都”を目指しておる連中がその程度で靡くとも思えんのだがの」

「それはそうだ。迷宮に潜る事を目的としている連中を仕官させるとなれば、余程の何かが無ければ先ず無理だろうさ。金儲けの為に潜っている連中なら、傭兵の様に金次第であろうが」

 アレウスは呵呵と笑ってから、「まあ、金儲けの為に潜っている連中だと今では大体第五層まで行ければ……そこで数年持続していれば一生食っていけるぐらいは何とかなる、か? 一生遊んで暮らしていくとならば、第六層まで行かないと辛そうだが、な」と、真面目に考察して見せた。

 迷宮都市の地下にある大迷宮は他の迷宮に比してもある意味で特殊と言えた。迷宮の最下層へ誰も至っていないこと、発見されて以来数百年近く経つというのに未だに何れの階層の魔物も宝物も枯れていないこと、そして何よりも迷宮の罠や仕組みがある程度の周期毎に回復していることである。迷宮郡の幾つかは完全に謎が解かれたものもあるが、大迷宮だけは謎の糸口に辿り着いた者が現れる様子がなかった。

 この特性上、大迷宮から産出される出土品や徘徊する魔物の遺骸で生活の糧を得ることができるわけで、それを失うかも知れない迷宮の謎を積極的に解こうとする者が現れない原因の一つとも言えた。

 故に、少なくとも浅い層はどこがどうなっているという情報がもたらされ、迷宮探索という意味では完全に効率化されてしまっていた。不確定要素は、どこでどの魔物と出会い戦ったか程度であり、それが収入を左右する大きな問題となった。

 そして、その副産物として大迷宮の何層で仕事が出来るという目安ができたのである。大迷宮に於ける冒険者の価値はそれが全てと言えた。

「要するに、それを越す額を出さないと雇えないって事?」

「後は身分保障、か。冒険者など、所詮は破落戸ごろつき扱いよ。貴族やら、王族やらの配偶者となり、老後の保障がされるのであればそれに乗っかる者もいるであろうな。そこら辺に価値を見出す者かどうかでも話は変わってくる」

 アレウスは大迷宮では手に入らないものを挙げてみせる。「実利の次は名を欲しがる者がいる事は世の常よ。逆に、大迷宮で稼いだものでそれを買う奴だって居るぐらいだ」

「アレウスにもそんな話は飛び込んできたの?」

 少なくとも、レイが何かの折りに聞いた軽い話では、アレウスは相当大迷宮で稼いだ筈だし、その腕前も確かなものである。彼の話が正しければ、アレウスにも仕官の話やら何やらが飛び込んでいないと筋が通らなくなる。

「俺は無いな。何せ、深く潜り過ぎていたから、がっちりと商家が囲い込んでいてな。金の話ではどうにもならなかった上、“大徳”からの仕官話を蹴っていたのもある。御陰で少なくとも俺は無音状態で大迷宮に挑めていたぞ?」

 レイの予想とは逆の答えをアレウスは平然と答えた。

「御主が潜るのを止めるとなれば、囲い込んでいた商家は大打撃だったのでは無いのか?」

 商家が囲い込むと言う事は、それだけアレウスの徒党が富を生み出していたということである。商家がそれを失う事を何もせずに手を拱いていたのかという疑問をリ’シンは当時から抱いていた。良い機会とばかりに、思い切ってリ’シンはそれを尋ねる。

「さて? あそこはかなり手広く遣っていたからな。他の徒党があるから、俺達が潜っていた頃よりは荒稼ぎできないが、それなりの儲けは出せているのではないかな? 今でも、それなりに何かと良くして貰っているし、それが他の冒険者への信頼を買う要因になっているであろうから、損はさせていないつもりだよ? 流石に、向こうも徒党壊滅に関しては何も云えぬからなあ」

 リ’シンの問いが尤もであったからこそ、アレウスは首を傾げながらも自分の考えを纏めながら答えてみせる。

 アレウスにとっても、彼が世話になっていた商会が特に条件も出さずに解散を認めたことは彼にとっても少しばかり疑問であったのだ。

「アレウス以外何人生き残っているの?」

「純粋な意味で生き残って大迷宮を脱したのは、俺とリサだけだ。後は瀕死の重傷ながら何とか自力で脱出劇に最後まで付いてきた神官プリーストに、臨死体験しながらも蘇生の奇跡で何とかこちら側に帰ってきた盗賊シーフの二人ぐらいか。敵の攻撃を一身に受ける壁役をしていた戦士ファイターと優秀な弓の使い手だった野伏レンジャーの二人が完全に帰ってこれなかったな」

 当時の事を思い出してか、アレウスは大きな溜息を付いた。

 アレウスの態度から強い未練を感じたレイは、

「立て直せなかったの?」

 と、短く尋ねた。

「残念ながら。迷宮というのはあれで過酷な環境でな。特に迷宮都市の迷宮郡は深層に行けば行く程“瘴気”が強くなる。大凡おおよそ人間の生きていける環境とは云えん。その様な場で瀕死であったり死を体験した者は心の奥底に何らかの恐怖を抱く。迷宮を拒絶する様になるのだよ」

 真面目な顔付きでアレウスは重々しく語る。「それで迷宮に潜る冒険者を止める者は数多くいる。冒険者にとっての一つの上がり、とも云えるな」

「新しく徒党員を集めて潜り直すという選択は?」

「無い訳じゃ無かったが、流石に俺達と同じ領域に入っている奴らはいなかったし、育て直すにしても時間と金が、な。あと、致命的だったのが仲間を失った事でリサの心が折れていた節があってな。こればかりは時間以外の解決法を見出せなかった。一人で遣り直す気にもなれなかったのもあるが、生き残りで話し合った結果、徒党解散という形を取ったのだ。俺個人としては、もう一度潜る気はあるのだがね」

 肩を竦めてから、「ま、時宜じぎが悪かったとしか云い様が無いな」と、アレウスは苦笑した。

「今戻るのはその時宜が来たって事なの?」

「……さあ?」

 レイの問い掛けにアレウスは首を傾げる。「それは俺にもよく分からんな。俺は兎も角、リサの奴はあの徒党の壊滅の時が自分の仲間の死に直面した初めての時だったのだ。折れるまで行かなくとも、心にそれなりの傷が付いたのは間違いない。そうでもなければ、あの時解散の話を自分から切り出しては来ないだろうからな。その傷が癒えていなければ、今行っても何の成果を得る事はあるまい」

「観光かね?」

 アレウスの答えを聞き、リ’シンは呆れた口調で尋ねた。

 リ’シンも暇人というわけではない。それなりに重要な事柄に繋がると思ったからこそ、自ら出向いていたのだ。何か意味ありそうに行動しているアレウスが何の目的も無く動いていたと分かれば、流石に呆れたくもなる。

「本来ならば、もう少ししてから行こうと思っていたのだが、世情の流れには逆らえん。ならば、これが天より与えられた機会と見なして流れてみるのも一興よ」

 開き直った態度でアレウスは豪快に笑い飛ばした。

「ボクはそれに付き合わされているのかー」

 レイは思わず天を仰いだ。

 流石に遣り過ぎだったと思ったか、

「まあ、全く目処が立っていないわけでもないさ。一応、リサとの連絡は絶やしていない」

 と、アレウスは落ち込みそうになるレイに現況を語った。

「そうだったの?」

 アレウスが無策のわけがないと端から信じ込んでいるレイはそれをあっさりと信じた上で、説明を求めた。ただ、アレウス宛の手紙が家族からしか来ていないことも知っている為に、不安を全て払拭できたわけでもなかったのだが。

「傭兵組合を通して手紙を実家に転送して貰い、そこから兄上に届けて貰っている」

「素直に実家教えても良かったんじゃないかなー」

 余りにも迂遠な遣り口にレイは呆れながらも、連絡が取れていたことには納得がいった。

「……流石に、迷宮都市もソーンラントの影響圏内にある訳だから、ハイランド人が堂々と自分の身の上を語るわけにもいかなくてなあ」

「それは確かに出来ぬな」

 アレウスの言にリ’シンは深々と頷いた。

「そんなに酷いの?」

 南の生まれであるレイにとって、ソーンラントが周辺諸勢力から異様に警戒されているのが不思議で堪らなかった。

 確かに大国であり、周りに与える影響も大したものであろう。

 しかし、今のソーンラントがそこまで恐れるべきものなのかとレイは疑問に思っていたのだ。

「レイ、お前さんは一つ大きな思い違いをしている」

 何となくレイの言いたいところを察したアレウスは、「なんやかんや云ってな、北の人間は皆、ソーンラントを怖れているのだ」と、真面目な顔付きで答えた。

「だって、帝国と匹敵する程の力を持っていたのは随分昔の話でしょう? 今や、中原王朝の五分か、場合によってはそれ以下なんじゃないの?」

「そのかつてのソーンラントの影響力が今でも残っておるのだよ」

 リ’シンがアレウスを制してレイに答える。「そうでもなければ、我らが必死になって抗ったりはせぬよ」

「版図は確かに見ようによっては減っている。だが、その影響力までは変わっていない。寄らば大樹の陰、いざという時に助けて貰う為に支配下を脱していてもよしみを結び続けようとする者達は多いのだ」

 リ’シンの言葉を補足する様にアレウスは分かり易く人の心の動きを語る。

「何せ、南とは違って、北ではソーンラントが勝手に大きくなって、勝手に小さくなる以外の動きはないからの。外の味方を付けようとする場合、ソーンラントだけが選択肢になる事が多い。そうするとな、どこからか漏れた情報をソーンラントに御注進する様な輩が出てくる訳よ。アーロンジュ江北岸の自由都市然り、我ら“江の民”しかり、あの“山の民”ですらその様な不埒者がいるぐらいだ。人間が中心となっている迷宮都市ならば、その度合いが酷くなっておっても、我は驚かんがね」

 リ’シンも自分の言葉が足りなかったのを理解してか、ある程度具体的な例を挙げて見せた。自らの種族の恥も含めて。

「要するに、俺の正体をどうやってかして知られた場合、リサがハイランドに付くと怖れたソーンラントの何者かの手で彼女が暗殺される可能性が高かったという事だ」

 エクサの反応からアレウスは自分の正体がソーンラントの人間にならば直ぐにばれると確認できた。

 リサと別れた当時はそこまで確信してはいなかったが、今となっては用心していて良かったと思っている。間違いなくファーロス一門以外の有力者に知られたら最後、リサを人質に取るか、ハイランドに落ち延びる前に暗殺するかのどちらかであっただろうと確信していた。

「え? そこまでやるの?」

 アレウスの台詞を聞いてレイは目を大きく開いて驚いた。

 彼女が知っているソーンラントの要人と言えば、エクサだけである。その知識から、そこまで手を汚す様な真似をするとは思えなかったのだ。

 実際、ファーロス一門は暗殺などの搦め手は好みではないのでレイがそう感じたことに間違いはない。

 当然、付き合いの長いアレウスはそこら辺の機微を読み、

「まあ、レイはエクサ殿しか知らないからなあ」

 と、ソーンラントの気風をそれとなく目の当たりにさせなかった自分の判断に思わず溜息を付いた。だからと言って、実際に他の有力氏族とアレウスを含めて出会う事自体不可能だったのだから、どうしようもなかったのだが。

「あの御仁か。顔で判断すると痛い目を会うな」

 アレウスの雰囲気から話題の方向を変えた方が良いと読み取り、リ’シンは自然な流れで問題なさそうな話題に変えて見せた。

「あれで四十路で子持ちだからなあ。三十路処か、二十代でも通じるぞ」

 リ’シンの配慮に感謝しながら、心底呆れた口調でアレウスは首を横に振って見せた。

 各地を放浪している間、多くの人と交流を深めてきたアレウスにしてみても、エクサの見た目の若さと比肩する者を見知らなかった。

「人間の年の差などは分かり辛いが、流石にあの男は実年齢に比して若すぎる気がするな」

 鱗人にしては人間と交わる機会が多いリ’シンであったからこそ他種族である人間の違いをある程度見極められた。流石に相手の年齢と見かけを完璧に見極められはしないが、それなりに違いが分かる様にはなっていた。

 しかしながら、そのリ’シンにしてみても、ある意味でエクサは違和感の塊であった。

 見かけからしてみると内面と釣り合わない。その内面からにじみ出す重厚さを他に見てきた人間と比べると明らかに彼から見ても見かけが若すぎた。

 話が分かる相手だからこそ交渉相手にしたいのだが、交渉相手にしようにはリ’シンからすると違和感による警戒心が先に来てしまう。どうにも、遣り難い相手であった。

「それを最大限に利用しているから、あの方は老獪だよ。見た目に騙される奴が多すぎる」

 リ’シンの態度を見て、アレウスは深々と頷いて見せた。

「アレウスだって、会ったの初めてだったんでしょ?」

 偉そうな態度で論評するアレウスにレイは些か呆れた。

「噂はかねがね聞いていたからな。驚くに値しなかったし、それに俺は気の流れで大体の年齢が掴めるからなあ」

 別段大した問題ではないとばかりにアレウスは然う言い切って見せた。

「少しその探査方法は万能過ぎないかなあ?」

 アレウスならそれをやれると分かってはいても、レイからしてみると何か納得がいかないものがあった。

「そうでもないぞ? 魔法生物の様な造られしモノや不死者アンデッドの様な生気を持たないモノには気の流れなど無いからな。目視が重要になる」

 使いこなしている本人からしてみれば、気とはそこまで万能なものではない。それを理解して貰おうとアレウスは知らず知らずに熱を籠めて力説していた。

「そんな物騒なモノと出会う人が少ないんだよなあ」

 何とも言えない顔付きでレイは思わず溜息を付いた。

 レイの言う通り、魔法生物にしろ、不死者にしろ、人間の生活圏内にそうそう存在するものではない。

 魔法生物は読んで字の如く、魔法により仮初めの命を吹き込まれた存在全般を示す。魔導師が術で使役する魔導人形ゴーレム当たりが有名であるが、古の昔ならば兎も角、現在の魔導師では良くて数日間働く程度のものしか作ることができない。

 故に、太古の昔から動き続ける魔法生物と出会うとするならば、それ相応の場所のみとなる。

 魔導人形以外にも何らかの気体に生命を吹き込んでみたり、財宝そのものに命を吹き込むことで自分自身を守る番人にするなど、侵入者がまさかと思う様なものを動かす方法で迷宮の罠としても活用している。

 一方の不死者は魔法生物よりは一般の民衆であっても出会うことがある化け物だ。不遇の死を遂げた生物が末期の無念やら未練、強烈な生への渇望など眼前に迫った死を拒絶する頑強な精神が自然な生命の循環を撥ね除け、不自然な形で世界に残る。命は尽きているはずなのに、その場にある状態、それが不死者である。

 低位のものならば、合戦のあった地で供養もせずに死体を放置すれば大量に発生するし、濡れ衣を着せられて殺されたものが亡霊ゴーストとして化けて出ることもそれなりにある。

 だからこそ、人々は死者の無念を少しでも和らげる為に神に祈り、その代行者足る神職につく者が浄化して廻るのである。

 ただし、それは不自然ながらもある意味で自然に発生する不死者である。

 中には、死を怖れて自ら不死者となる者もいる。

 しかしながら、どうやれば不死者と変成するのか詳しい知識がなければただ無駄死にするだけであり、魔導を極めた者やら、神に仕えていた者が何らかの理由で不死者を目指すでもしない限り滅多に起こりえない事柄でもある。

 要は、この類の特殊例を生きている内に見ると言う事は、余程運がないということだ。

 熟練の冒険者が幾つもの難関迷宮を乗り越えて一回会うかどうか、と言ったところである。

 一般論で考えれば、レイの言い分は正しく正鵠を射ていた。

「安心しろ。大迷宮を潜っていれば、どちらとも嫌でも出会う」

 引っ込みが付かないのか、それとも意固地になっているのか、アレウスはそれでも自説を曲げずにいた。

「五層程度迄では会う筈在るまいに」

 “江の民”の迷宮都市対応担当としての側面も持つリ’シンは流石に知られている階層であるならば、どの程度の化け物が徘徊しているのかを知っていた。

 付け加えれば、アレウスがどの程度の化け物と遣り合っていたのかも知っている。

 アレウス自身の感覚で言えば、アレウスの台詞は嘘では無いと知っているが、一般的な冒険者目線で言えば間違いなく大袈裟である。

 アレウスの相棒として各地を廻っていたレイならばそこら辺の感覚の齟齬を分かるだろうとは思ったが、それでも言っておかねば分からないこともある。勘違いさせたまま、迷宮都市に行かせるのも何かの心残りとなりかねないので念のため、リ’シンは言ったのだ。

「アレウス?」

 問い詰めるかの様なレイの視線に対し、

「まあ、待て」

 と、アレウスは右手を前に出して制止する。

「一応云い訳は聞いてあげるけど?」

「俺は少なくとも第五層でどちらとも会った」

「……初耳だぞ?」

 アレウスの断じる言葉にリ’シンは目を真開いた。

「大っぴらに云う事を禁じられているからな」

「……一寸待って。又聞いたら引き返せない類の話?」

 レイの確認に、

「別段然う云う話ではない。只、大迷宮から出土するもので金を儲けている商家から少しばかり敬遠される様になるだけの話だ。結果的に干乾しになるかも知れぬが、俺と組んでいる限りはそうはならない」

 と、アレウスは笑って答える。

「やっぱり面倒な話じゃないか」

 レイは首を左右に振ってから大きな溜息を付いた。

「第五層でそれ程の化け物が出るのならば、怖じ気付いてそこまで潜らなくなる徒党が出る、と?」

 アレウスの台詞から箝口令の理由として考えられる事柄をリ’シンは口にしてみた。

 商家が嫌がる事と言えば、契約している徒党が安全重視で浅い階層ばかり潜る様になる事だろう。冒険者と言えど、命は惜しいし、食っていけると分かっていれば無理はしなくなる。命を懸ける以上は当たり前の考えと言えた。

「その通り。安定した収入を求める連中からすれば、悪夢の様な話だからな。逆に商家にとってしてみれば、四層と五層では利鞘の桁が違う。折角第五層を安定して潜れる様になった子飼いの徒党が四層に戻るようなことになれば大損だ。故に、この話は余り大っぴらに広めないでくれと頼まれてはいる。俺に云わせれば、第五層で想定外の敵に出くわして全滅した方が大損だと思うのだが、自分達は大丈夫とでも思っているのかねえ?」

 アレウスは然う言いながら首を傾げて見せた。

「出会う条件も掴んでいるのか?」

「大凡の処は」

 リ’シンの問い掛けに対し、アレウスは頷いてみせる。「第五層以降にはその階層の番人とでも称すべき様な強敵が極稀に生じる。ある意味で四層にもいると云えばいるのだが、何故か常時湧いているからそうだと誰も認識していないがな」

「第四層……。卒業試験、か?」

 アレウスの台詞から、リ’シンは冒険者達が第四層を攻略した際に口にしている独特な表現に思い当たった。

 曰く、第四層では考えられない強敵が絶対に辿り着かなくては行けない場所の手前にいて、それを倒さない限り第五層に到達できない。第五層に到達できる徒党を一人前と見なす慣例から、その強敵を倒す事を半人前からの卒業試験と渾名していた。

「御名答。四層を抜ける為に必要な特殊な魔力波動が籠もった鉱石を採掘する為に通り抜けなければならない広場に何度倒してもいつの間にか蘇っている主。あれと同じ類の存在が下の階層にも存在している。ただ、四層の主と違い他の層のそれは蘇るまでの周期が非常に長い上、別段探索しなくても良い辺鄙な場所で湧いている。だから気が付かないものも多い、知らない者も多い。実際、気が付かない方が幸せな腕前の者の方が多いのだがね。だが、下の階層で充分やっていける者ならば、危険を冒さずにあれだけの強敵と戦えるのだから勿体ないとも云えるのだがな」

「だが、それ程の敵ならば、もう少し知られていないとおかしくないか?」

 アレウスの言葉から、リ’シンは彼が番人と称した相手の強さを理解した。

 理解したが故に、噂一つ聞かなかった事に疑問を覚えた。

「知っている奴が他に教えるわけ無かろうが。折角の稼ぎが台無しになる。知らない奴が間違えてそこに入り込んだのならば……まあ、良くて逃げ帰れれば良いかな、程度か?」

「そんなに強いの?」

 この種の話でアレウスが多少大袈裟に言うことはあっても、嘘をつかないことを知っている。だから、この問いかけは疑いと言うよりは確認のためであった。

「大体大迷宮におけるその層の主というものは二階層下で出てくる様な化け物が待ち構えているからな。そこに何が出るのか知らない様な経験の浅い徒党ならば、生きて帰れれば御の字よ。正直、五層を巡って糧を稼ぐ程度の収入ではその類の強敵に勝てる様な装備を用意も出来ないし、整備メンテも出来ない。己の分にあった仕事をする事が、大迷宮で生き残るコツよ。しかし、俺達以外であれを討てる者がいるかと云えば……かなり背伸びしないときついであろうなあ」

 アレウスは些か考え込む姿勢を見せる。「現状、第六層以降の素材を供給できるであろう徒党が……一つか二つあれば良い方。連中が無茶する気を起こすかと云えば……ないだろうな。すると、今頃はあの番人共は絶賛放置中か? おっかない話だな」

「腕が足りないって事?」

「どちらかと云えば、装備の方かな」

 真面目な顔付きで、「考えてもみてくれ。例えば、鶏蛇バジリスクの鱗を只の剣で斬れると思うか? 俺の太刀とて山小人の業物よ。そこら辺のなまくらであったら、あそこまで綺麗には斬れん。自身の腕もだが、装備の質も相手に併せる必要がある。四層を切り抜ける腕と装備ならば、五層で出くわす相手ぐらいならばどうとでも出来ようが、それ以上となれば話は変わる。五層で得られる素材を使い装備の質を高め、六層に挑むなり、今迄よりも楽に五層を探索する様にするかを自分達の状況によって選択する必要が生じる。そして、その装備の質を維持する為に、少なくとも五層で手に入る素材を常に手元に用意する必要もある。大迷宮を探索すると云う事は、その繰り返しだ。何もかも一足跳びにするには自分達よりも先行している徒党のおこぼれに預かるしかない。二階層下の敵と渡り合おうとするならば、装備の質に変わる何かを準備してやっと、と云った処だ。正直、遣らずに済むならやらない方が賢いというものであろうな」と、アレウスは滔々と語った。

「そのおこぼれを生み出す徒党が現在はいないと来ている、か」

 リ’シンはそうぽつりと呟いてから静かに考え込む。

 大迷宮第四層までかなりの冒険者たちが踏破できるのは長年の探索による情報の集積と先行している者たちが通過する層で拾ってきたものを惜しげもなく売り捌いているからである。

 逆に、先ず自分たちが使う分を確保するそれ以降の層の素材が市場に出回ることはまず滅多にない。故に、その種の物を買い求めようとすると怖ろしく高くつき、壊れた際の修復を考えると実用品に用いることは憚られていた。

 アレウスの徒党が活動していた頃は、第五層の素材や第六層の素材を自分たちで使うことはなく、第七層のものもものによってはそれなりに放出していた。これにより、後一歩で第五層を抜け出せそうだった徒党が第六層の探索に手を付けられる様になったり、第四層止まりだった徒党が第五層で活動する様になったりと空前の迷宮探索大活性時代とでも言うべきものが到来した。

 この好循環はアレウスの徒党が全滅するまで続き、アレウスが迷宮都市を後にしてからは再び自分たちが使う分は自分たちが確保しなければどうにもならない時代に戻った。

 それでも、第五層辺りの素材ならば昔よりは出回っているのだから、全てが失われたというわけでもない。

「ああ、それで聞いておきたかったのだが。俺が迷宮都市を後にしてから、七層以降に挑んだ徒党は現れたのか?」

「現れていたら、貴君の許にも話が回ると思うのだがね? 今となっては第六層の素材ですら高騰気味だ。道中で手に入れたその辺りの素材を流通させていた腕利きが消えたのだからな」

 丁度考え込んでいた内容でもあり、リ’シンは即座に答えた。

「耳が痛い話だな」

 アレウスは思わず苦笑した。

 アレウスからしてみても自分がどれだけ迷宮都市で影響を及ぼしていたのかは把握していた上での質問だから微妙にばつが悪かった。

「何、貴君の責任でもあるまい。寧ろ、活性化させた張本人として大きな顔をしていても問題在るまい。少なくとも、第五層で活動できるものが増えた状態が続いているのは今でも貴君の影響が残っておる証左よ」

 リ’シンは己が感じたままのことをそのまま告げた。

 アレウスが大迷宮に潜るより前に比べれば、間違いなく今は恵まれた状態が続いている。第五層を安定して探索できる者が多い内に第六層に取りかかれれば、長らく第四層で止まっていた安定して冒険できる階層が上手くすれば一層分下がるかも知れない。

 それだけでも充分アレウスは大迷宮に爪痕を残したと言えよう。

「だと良いのだがね」

「何か懸念でも?」

「俺が潜り始めた頃は第五層以降の情報は先ず手に入らなかった。自分の商売敵には絶対に教えないという風潮があったからな。それ自体は……まあ、致し方在るまい。只、その風潮の所為で迷宮の探索が遅々として進んでいなかったのは間違いない処だからな。又そこに逆戻りしているとしたならば、些か苦労しそうだ、と思ったまでよ」

 アレウスは大迷宮で自分が得た情報をどうでも良いものと命に関わるものは只で他の冒険者に流していた。ただし、自分たちで描いた地図やそれなりに重要そうな情報は対価を支払った者にだけはこそりと教える様にしていた。

 これにより、慣れぬ階層で全滅して帰って来なくなる冒険者の数は相当数減り、壁となっていた階層を何とか突破できる者たちもそれなりに増えた。

 その結果、秘密主義よりある程度の小遣い稼ぎができる内に自分たちしか知らないだろう情報を他の徒党に売った方が儲かるという風潮が生まれたのだ。後生大事に隠していた秘密を先に他の徒党が公開することで無価値になるかも知れない。無価値になるぐらいならば、その前に価値がある内に換金してしまえと開き直る者たちが慌てて動き出した結果でもある。

 何せ、その風潮を生み出した徒党こそが尤も深い階層まで潜っているのだ。自分たちが握っている情報が陳腐化する可能性の方が高い以上、売れる内に売ってしまえという心理が働いたのも無理はないところであった。

 当然、アレウスは冒険者が多数生き残ることによって自分たちに大きな利があると知ってこの様な流れを作ったのである。

 彼の仲間で彼の狙いを完全に理解していたのは多分リサだけであろう。

 冒険者の底上げをすることで、いざという時に代わりの徒党員を速やかに見つけ出せる様にしておく、それだけのために彼は冒険者同士が啀み合うのではなく助け合う土壌を作り上げたのだ。

「成程、新たに徒党員パーティメンバーを募るにしても、腕と経験を求めたいのか」

 アレウスの狙いを当時から薄々気が付いていたリ’シンは得心する。

 最初からアレウスは本気で大迷宮を踏破するための準備を怠りなく用意していたのだ。

 そのために作り上げた風潮が全ておじゃんになっていることを怖れていたと遅ればせながらリ’シンは気が付いたのである。

「昔に逆戻りしているとすれば、それも期待できそうに無いからな。いやはや、どうしたものかね?」

 リ’シンが自分の意図に気が付いていると見越したアレウスはそれとなく今の迷宮都市に於ける冒険者のそこら辺の意思がどうなのかを尋ねる。

「前衛一人に後衛一人、迷宮では未知数の前衛がもう一人。素直に一から育ててみたらどうだね?」

 リ’シンは暗に冒険者たちの意識がアレウスの望んだ方向に進んでいないと答える。

「“覇者”が動いていなかったならば、それも選択肢の一つだったのだがなあ」

 アレウスは思わず溜息を付いた。

 時間が無いと理解しているアレウスにとって、それはどうにもならない凶報であった。

「ソーンラントが大変になるだけであろう?」

「世の中は繋がっているのだよ、我が友、リ’シン。“覇者”と相対しているのはソーンラントだけではない。“帝国”だってそうなのさ。そして、“覇者”が直接出て来ないと分かった以上、“帝国”はこの隙に他の国に攻め込むだろうさ。流石に、実家に危険が迫ったのならば、俺は帰らざるを得ないからなあ。その時はもう一度迷宮都市に戻れるかも怪しい処だ。だからこそ、成る可くならば今回の滞在で目的の一つや二つは果たしておきたい処なのだがねえ」

「ハイランドに危機が訪れるかね?」

 アレウスの言よりリ’シンは彼がどう予測しているのかを正確に把握した。

 リ’シンは“江の民”の一方の顔であるだけあって世間のことをよく知っている。

 知っていて隣村までと言った民衆が大半を占める世界で、どこにどの国があり、そこを治めるのは何者かと言うことを即座に答えられるとなれば、余程の立場にいる者と考えなければならない。なぜならば、それらの話は相当に調べ上げなければ分からない事柄なのである。

 だからこそ、国同士の関係までそれなりに把握するとなれば、一国の宰相であっても舌を巻くであろう。何せ、自分の国の民ですら知っていないことが多いのだから。

 付け加えるならば、“江の民”から見れば人間の国など本来は興味がないものなのだ。中原の主な住人である人間ですら把握し切れていない話を完璧な状態ではないとは言え、“江の民”であるリ’シンが知っていること自体、相当に珍しい話なのである。

 しかしながら、鱗人と人間の考え方の差は埋めがたく、アレウスが至った結論をアレウスの説明なくして理解するところまでは至らなかった。

「少なくとも“帝国”の北進が始まるのは間違いない。“覇者”の方も首尾良くバラーを落としたならば、ハイランドにちょっかいを駆け始めるだろう。平穏無事な時代は終わったとしか云い様が無いな」

 アレウスの方も、リ’シンが並の人間以上に物知りとは言えど理解できない話もあると重々承知している。しているが故、自分が出した結論の概要を軽く説明する。

 流石にそこに至る迄の判断材料を何から何まで話すわけには行かなかったので、本当に詳しい者がこの場にいたのならばその根拠を追及されたであろう程度の話ではあったのだが。

「やれやれ、ここら一帯も騒がしくなるかの」

「最初から騒がしいだろうに」

 リ’シンのどこか戯けた口調にアレウスはくすりとした。

 少なくともソーンラントと“江の民”の諍いは数百年来の問題であり、ここ数年で動向なったという問題ではない。お互いにそれを知った上での戯れ言であり、アレウスの気分を晴らそうとした行動と誰から見ても丸わかりであった。

「あれ? そうすると、その騒がしい地域のど真ん中にある迷宮都市って、凄く面倒な場所?」

「ソーンラントからすれば、アーロンジュ江を制する為に抑えておきたい要地であろうな」

 はたと気が付いたレイに対し、アレウスは和やかに答えた。

「だが、我らの口伝にも人間が付けている歴史にもあの島が落ちたという話は存在しない」

「落とせるわけがない」

 アレウスはクスクスと笑いながら、「誰が亜龍を苦も無く倒す戦士を屠るのだ? 有象無象を焼き尽くす魔導師の術からどこに逃げるのだ? 迷宮の怖ろしい闇ですら己の隠し場にする忍びの者をどの様にして見つけ出すのだ? 第四層を抜けた冒険者は既に人の域を越している。どれもこれも英雄に成りおおせてしまっているのだ。一人二人の英雄相手ならば人の力でなんとでもなるが、英雄の群れを相手に有象無象で何が出来るのかという話よ。その上、良くて上陸戦、悪くて船戦。どちらも、少数で多数を打ち破る勝機のある戦い。さてはて、中原随一の精鋭が揃う島に数だけで何とかなるものなのかな?」と、愉しそうに楽しそうに語る。

 何か言いたげなレイに対し、

「先に云っておくが、我ら“江の民”でもどうにもならぬぞ? 水の中に引き込んだ処で何とでもされてしまうからな。流石に、歴代でもアレウス程の使い手は少ないが、その領域に手が届きそうな強者が迷宮で産した神器や呪物で身を固めておるのだぞ? 人間より数の少ない我らではどうにもならん」

 と、リ’シンは先手を打った。

「最初から力押しをする気が無い方からそれを保証されてもなあ」

「どういう事?」

 アレウスの意味深な台詞にレイは首を傾げる。「“江の民”にとって迷宮都市のある土地は聖地なんじゃないの? だったら、自分達のものにしたいんじゃ?」

「確かに迷宮都市のある島やその地下にある大迷宮を“江の民”は神聖視しているが、別段そこを探索するのを禁じているわけではない。禁じていることがあるとすれば、俺達が未だに辿り着いていない最下層についてのみ。そこに至る迄の道程は“江の民”にとって重要ではない。逆に、冒険者にとっては、そここそが宝の山。だからこそ、リ’シンの様な監視役を迷宮都市に置いているのだ」

 レイの持つ疑問を至極もっともだと思ったアレウスは冒険者と“江の民”の意思の違いをさらりと説明して見せた。

「……ん? 最下層、監視役? それって、アレウス以外にもいるの?」

 レイはふと首を捻る。

 アレウスの今までの言が正しいのならば、今の大迷宮探索者の大半が生活の糧のために生きているわけである。その様な中でアレウスたちだけが本気で下へ下へと冒険を続けていたのだ。

 “江の民”が大迷宮の立ち入りを監視するにしても、中を探索していないのならばどこまで潜っているかは探索者たちの自己申告制となるが、些か形式張っているだけに思えてしまう。

 誰もが見たことのない最下層だけを立ち入り禁止にしているとするならば、あるいはそれだけは検知できる何か奥の手があるのやも知れないが、それにしても何やら違和感だけが残る。

 大迷宮の探索者たちにそれだけの労力を掛けるだけの意味があるのか。若しくは建前上最下層を目指すと公言している探索者がそれなりにいるのか。それとも、他に何らかの目的が“江の民”にあるのか。

 アレウスをして監視役とまで言い切らせたお役目の者を何の成果もない様な無駄飯喰らいとして買い殺しにする程“江の民”が間抜けだとも思えない。

 だからこそ、本当に少しばかり違和感を覚えたのである。

「おらんだろうな」

 リ’シンは肩を竦め、「我が知る限り我が友以外に本気で“古の都”を目指している者を知らん」と、首を横に振って見せた。

「すると、実質アレウスの見張り?」

「表向きは」

 アレウスは苦笑する。

「我が友よ。寧ろ、それが裏の仕事だ」

 リ’シンは溜息を付いた。

「どういう事なのさ?」

 二人の話が微妙に食い違っていることにレイは混乱する。

「我の表向きの仕事は“江の民”と迷宮都市の意思決定機関である評議会との連絡役だ。確かに我が友の云う通り、“古の都”に至ろうとしている者を監視する任はあるがね、形ばかりのものだ。隠しているつもりは無いが、別段それが今の我らにとって最重要な案件では無い」

「その割には俺に与えた試練が洒落になっていなかったのだがな」

 アレウスにしては珍しく粘度の高い恨み節をリ’シンにぶつけた。

「いや、流石にアレは狙ったものでは無い。偶然の産物だ」

 やや焦り気味にリ’シンはアレウスに言い訳をした。

「あそこまでの大物、迷宮ですらお目に掛からないのだがな? リサが居なければ、今頃俺はあの世行きだったぞ?」

「我らとてあそこまで育っているとは知らなんだ。もし、知っていたとしたならば冒険者組合の方に依頼を出しておったわ」

 追及の手を緩めないアレウスにリ’シンは平身低頭で謝罪をし続けながらも言い訳も続けていた。

「……レ’ンズさんに云っていた多頭蛇ヒドラの話?」

 アレウスの受けた試練で思い至ることと言えば、レ’ンズに対して鶏蛇の方がましと言い放った多頭蛇しか浮かばなかった。

 故に、レイは素直にそれを口にした。

「そうよ、それそれ。あれと一騎打ちは流石に洒落にならなかった」

 遠い目をしながら、アレウスは首を横に振った。

「流石にあそこまでの大物と知っていれば、一騎打ちという条件は出さなかった、そこは信じてくれ」

 リ’シンは猶も焦った様子でアレウスを宥めた。

 常日頃は何があっても泰然自若としているアレウスがこれほどまでに拘る事が珍しく、

「多頭蛇ってそんなに怖いの?」

 と、レイは首を傾げた。

 レイとて多頭蛇が怖ろしいものである事ぐらいは理解しいているが、アレウスがここまで怖れ戦く程のものなのかと疑問を持ったのだ。

「小物ならばそれ程なあ。再生能力が桁外れなだけで、致死毒に気を付けていれば対処法さえ理解しているものならば余程の事が無い限り不覚は取らない。小物ならば、だが」

 首を左右に振りながら、アレウスは多頭蛇の大きさに只ならぬ拘りを見せた。

「何でそこまで大きさに拘っているのさ?」

「再生能力は、個体の大きさに比例するからだ」

 アレウスははっきりと言い切った。

「そうなの?」

「ああ。半ばこの世の存在では無い不死鳥ならば兎も角、この世のものの再生能力など本来ならば大したものでは無い。失ったものを作り直すのに何ら代償無い事などあり得まい。失われた器官を丸まんま全部作り直すのだからな。それが並の生き物なのだが、偶に生命力が無駄に溢れているナマモノが居てな。多頭蛇はその内の一つなんだが、その中でも別格と云って良い化け物でな。確実に止めを刺すまで常に再生し続ける生命力の塊だ。一本の首を落とした処で、他の首を落とすのに時間を掛けていたら落とした首がいつの間にか復活しているなんてのはざらだ。その上、年を経た多頭蛇は首の本数からして違ってくる。付け加えれば、首の本数が多い上に首回りが若いのに比べて太くなる。本体の胴回りなど云う迄もない。再生能力だけならばごり押しできれば何れは勝てるかも知れないが、一噛みで即死する激痛を招く毒まで持っている。故に、成長しきった多頭蛇を相手にするぐらいならば、鶏蛇の群れに突っ込んだ方がまだ生き残れる」

「うへえ。そこ迄なんだ」

 鶏蛇の群れがどの様なものなのかは自分の目で見た為にレイはアレウスがどれほど大物の多頭蛇を警戒しているかが如実に理解できた。

「まあ、ありとあらゆる化け物揃いの大迷宮ですら滅多に会わない様な代物だ。リ’シンの云い訳の方が正しいという事ぐらい、俺だって分かりはする。だがな、理解出来ても納得出来ないこともあると云う事だ。冗談抜きで、リサが仲間でなかったら、俺どころか碧鱗の連中も全滅していた、然う云う相手だったのだからな」

「本当に、あれを見逃していたことに何と詫びて良いか、我にも分からぬ」

 アレウスの剣幕に対し、リ’シンは叩頭虫こめつきむしの様に何度も平身低頭を繰り返す。

「諄い様だが、鶏蛇の群れを見逃していたなどと云う話では無いぞ? アーロンジュ江下流域の人類生息域が無くなる様な話だからな、あれ」

 真顔の儘、アレウスは厳かに想像も付かない様な状況を宣告する。

「分かっておるわ! あれを教訓として、近隣の見廻りを厳重にしておるわ」

 流石にこうも諄く念を押されたのが悔しかったのか、リ’シンも声を荒げてそれに応えた。

「えっと、そんなに凄い話だったの?」

 それまで話半分で聞いていたのだが、深刻な二人の態度を見てアレウスが言った言葉が嘘ではないとレイは直感した。

「一言で云えば、ヤバイ」

 アレウスは珍しく乱れた言葉遣いをする。「古龍エンシェントドラゴンが狩り場を変えたという話並みに拙いな。まだ、古龍には知性があるから場合によっては棲み分けが出来るが、多頭蛇は蛇並みの頭しか無いから、餌を求めてそこら中を食い荒らす。それを嫌って近隣の支配者が兵を出せば返り討ちになる。兵を出さなかったならば、餌を食い尽くした後に移動してくるかも知れない。討伐するまでは安心して寝られる日が来ないだろうよ」

「再生能力か、致死毒のいずれかだけならばまだ対応出来るのだがな」

 リ’シンも力なく首を左右に振ってから、項垂うなだれた。

「想像も付かないや」

「まあ、中原辺りではこの種の化け物は少ないからな。致し方あるまい」

 レイの態度にアレウスは理解を示した。

「ところで、何でリサさんが仲間に居なかったら死んでいたって云っているの? 多頭蛇とは一緒に戦った訳では無いのでしょう?」

「ああ、それなあ」

 レイの問い掛けに対し、「多頭蛇と戦う際に必要な遣り方は知っているか?」と、笑いかけた。

「んー、確か……斬った端から再生してくる首の根元を焼き落とすんだっけ?」

「そうだ」

 レイの答えを聞いて満足そうにアレウスは頷いてみせる。「まあ、それでも放って置けば数日もすれば火傷跡から首が再生されるのだがな。只、流石の多頭蛇でも討伐するぐらいの時間では傷口の火傷すら再生しきらない。面倒な話だが、多頭蛇を殺しきるには完全に息の根を止める以外の方法は無い。要は、心臓をどうやってかして止めるほかに術はない訳だ」

「問題は、その心臓に至る迄に全ての首を落とし、切り口を再生できない状態にしておいて漸く止めを刺せるかどうかと云う事。当然、多頭蛇とて死にたくは無いから抵抗してくる。小物ならばその牙を気にすれば良いだけだが、大物となるとその巨体すら武器となるから質が悪い?」

 採点を求めるかのようにレイはアレウスに対し首を傾げてみせる。

「その通り。で、だ。このリ’シンが試練として持ち出した多頭蛇が洒落になって無くてな。全体の大きさがそこらの丘ぐらいあり、首を断とうにも一太刀では到底間に合わぬ大きさ。その上、それを一人で倒せという」

「いや、流石に正体を知ってからは手助けすると云ったのだぞ?」

 猶もねちねちと言ってくるアレウスに、リ’シンは慌ててアレウスの方こそが自力で倒すことに拘ったと力説した。

「前衛がいくら増えても逆に足手纏いにしかならん。自分一人で斬り合った方が増しな状況だったでは無いか」

 今更何を言い出しているのだという顔付きでアレウスは当然とばかりに自分の腕を殊更自慢して見せた。

「その割には、件の大魔導師殿に手出しさせなかったな?」

 リ’シンとてただでは引き下がらない。

 前衛に足を引っ張る者しか周りに居なかったとしても、その時最良の後衛が同行していたことを指摘する。

 自分の不手際が事の発端だとしても、ここまで事あるごとにあげつらわれる覚えはないのだ。追及できるときに追及しなければ何時までもねちっこく文句を言われ続けるとあれば、機を逸する訳にはいかない。

「まあ、一人でどこまでやれるか愉しかったので、な」

 リ’シンの剣幕に一種のばつの悪さを覚えながら、目を背けてアレウスは告白した。

「……質が悪いのはどちらだか」

 呆れた口調でリ’シンは首を横に振る。

 自分の不手際がある以上それに対して大きな口を叩けないが、どう考えても自分のやった事以上に質が悪い事をしていた男が大きな顔をしている理不尽さにリ’シンは何とも言えない気分となる。

「先に云っておくが、リサが作った呪符が無ければ素直に助力して貰っていたからな?」

 場に漂う雰囲気を察し、アレウスは矛先が完全に自分へと向く前に先手を打って自儘にやれた理由を明かす。「俺とて何の手立ても無いのに多頭蛇に挑む程無謀では無い」

「最高の魔導師が作り上げた呪符か。確かに、それは十二分な切り札ではある」

「俺だって再生能力を封じる一手も持たずにあんなモノと一騎打ちに応じやしませんよ? 君達、俺のことを高く買い過ぎていろんなモノ見落としていやしませんかね?」

「確かに、あの多頭蛇は松明片手に勝てる相手ではなかったからな」

 アレウスのぼやきに思わずリ’シンは苦笑した。

「呪符って何?」

 二人のやり取りを聞いていたレイが首を傾げた。

「レイ、お前さんに魔導師の知り合いは居ないんだっけ?」

 素っ頓狂な声を上げた相棒の方をアレウスは見て、「ふむ。そうか、呪符を知らないか……」と、考え込んだ。

 アレウスが考え込むのも無理はないことで、アーロンジュ江流域に住む人類種にとって術とは身近なものである。故に、魔導に精通した者が書き上げた呪符を知らない者はいない。

 一方、ジニョール河流域の人類種は人間が多く、その生来の適正から魔導を始めとした術式とは縁の遠いところがある。例外は“帝国”であり、オルドス大森林に住まう森妖精の一部族が臣従している事もあり、術に対する研究も熱心に行われている。

 南の文化に被れたソーンラントならば兎も角、これから向かう迷宮都市はありとあらゆる種の術式が集う中心地である。一通りの知識が無くては苦労することが目に見えていた。

「付け焼き刃でも無いよりは増し、か」

「アレウス?」

 怪訝そうな表情のレイを無視し、

「迷宮都市まで時間が無い。軽く詰め込んでいくぞ」

 と、アレウスは船の進む先を見ながら宣言する。

「もう少しすれば、タンブーロ湖が見えてくるな」

 アレウスに同調するかの様にリ’シンも目的地が近いことを暗に匂わせる。

「平たく云ってしまえば、呪符というものはアレだ。術者が前もって術を発動できる状態で保存しておいたものだ。良くある形はこの様な──」

 アレウスは懐から一巻の巻物スクロールを取りだし、「巻物の形が好まれる。他に札だったり、術具だったりするがそこら辺は製作者の趣味だな。リサはアレで保守的な奴だから昔ながらの製法や形を頑なに守っているが」と、説明した。

「へー。どうやって使うの?」

「巻物ならばそのまま封を切って開けば発動する。どこで発動させるかは製作者の癖に寄るから何とも云えぬが、リサの場合は使用者の視線の先で発動する様に調整しているな。御陰で俺でも楽に使い熟せる」

「それって凄いの?」

「そりゃ凄いさ。何せ、中には巻物封を切って発動させたい場所に投げ込むとか、作りが甘くて開いた途端に開いた場所で発動するとか酷いものも在るのだからな。リサのは使い易い上、扱い易い」

 巻物を懐にしまいながら、アレウスは機嫌良さそうに笑う。

「扱い易い?」

「ああ。これ又矢張り製作者によっては作りが相当違ってな。封を切っていないのにひょんな拍子から発動する様なものから封を切って規定の条件を満たしているのにちっとも発動しないものまで、それこそピンからキリまである。大迷宮に潜る冒険者としては、呪符次第で生き残る確立が変わってくるものだから、そこら辺は命に関わる重要な話よ」

「直ぐ発動するから何かの際に便利って事?」

「まあ、それもあるが、大迷宮で出くわす化け物の中には物理的な攻撃が殆ど極まらない相手も居る。然う云う相手に段平で攻撃するよりも術で攻撃した方が効率的であろう? その為にも例え殴り合いを基本軸にする前衛であろうと、何らかの形で術が使える様にしておくことに越した事は無い。俺はリサに呪符を作って貰うことでそこら辺を解決していた訳だ」

 大迷宮を知らない者がそれを正しく想像することができないのを知った上で、アレウスは説明している。なまじアレウスの腕前をよく知っているため、レイは彼が断ち切れない相手を想像できていないのだ。

 それを理解しているが故に、アレウスはくどくならない程度に彼にしては言葉を尽くして説明していた。

「んー、じゃあ、アレウスは常日頃から呪符を持ち歩いているの?」

「ある程度は、な」

「使っていれば何とかなったんじゃ無いの?」

 レイは“覇者”の軍勢に追われていたときのことを暗に仄めかす。

「人相手に使って良いモノではない」

 首を左右に振り、「あの数に対応出来た手持ちの呪符は威力があり過ぎた。今の俺の手持ちでは敵軍のみならず、周りの環境も壊滅させる威力を持つものしか無い。リサ本人ならばそこら辺を制御できるのだろうが、俺が使う呪符は呪符に書かれている通りの事しか出来ない。それにな、それだけの被害が出たのならば、その原因を探りに来るだろう。俺の力で何とか切り抜けられる状況なのに、それが原因でリサの奴が痛くも無い腹を探られる様な事態に陥る真似をする事は寝覚めが悪いのだよ」と、アレウスは真顔で言った。

「……色々と問い糾したい話が多すぎるんだけど、周辺にも被害が出るってどういう事?」

「その儘の意味だ。リサの術式は威力が大きすぎてリサ自身が制御していない限り、周りにあるもの毎、目標を破壊する。軍勢相手にこの種の術を使うとなれば、広範囲高威力のものを選ばざるを得ない。すると、どう考えてもその周りにあるものまで犠牲にする事になる。己の命の危険があるならば兎も角、流石に何とかなる状況と判断している以上、火事を起こす様な真似は出来んからなあ」

 ある意味でとんでもない事を幾つも同時に言い出しながら、アレウスは意外にも真面目な顔付きで首を左右に振ってみせる。

「火事? 火が出る術って事?」

 あれを命の危機では無かったと言い張るアレウスの言を敢えて無視して、聞き流せなかった情報をレイは確認する。

「爆破でも氷撃でもこの際何でも良いが、その属性に見合った災害を巻き起こすこと間違いない。それ程の術を使いこなせる者など直ぐに足が付く。その場にそれを為せる術者が居なかったと分かれば、今度は呪符を使った仕業と見極めが付こう。どう足掻いてもその術の威力からリサの許に辿り着くだろうさ。俺の命は助かり、リサの命は風前の灯火となる。ははは、中々笑えない冗談だなあ」

 目だけは笑っていない和やかな表情で、「俺は仲間を売らない主義でな。“覇者”が目を付けたと知れば、ソーンラントは確実にリサを殺しに来るだろう。一方の“覇者”殿も手段を選ばずにリサを引き込もうとするであろうな。彼女の意思を無視して」と、己の推測を語った。

「仕官を望まない人?」

 アレウスの台詞から、レイはリサという人物が名声に興味がない人種だと推測した。

 アレウスという実例が居るからこそ、レイもその様な人も居ると納得できる様にになっていた。

「迷宮都市に置いて、唯一俺と同じ目的で大迷宮に潜っていた、と云えば想像が付くか?」

「知識欲を抑えられない人って事かな?」

「……その側面は否定出来ないな」

 アレウスは僅かに目線を逸らす。「彼女の名誉の為に云っておくが、俺より先に“古の都”と森妖精の関係に注目していたのはリサだからな?」

「さっきの石を鑑定したのも彼女って事だよね? すると、リサさんは最初から大迷宮と世界樹は関わっていたと考えていたって事かな?」

「その通り。彼女が大迷宮に挑んでいた最大の理由が、正にその事を裏付ける為だ。“古の都”に住んでいた者達が世界樹と何らかの関係があると様々な調査から窺えていたらしくてな。だからこそ、世界樹の欠片を見つけた時の浮かれようと云ったら無かったものだよ。そして、あれが何故にそこにあったかを推測しきった。ま、それが遠因で徒党が全滅する事になったのは皮肉と云えば皮肉か」

 大きく溜息を付いてから、アレウスは静かに天を仰いだ。

「何かあったの?」

 レイはその理由を聞いて良いものか悩まない訳はなかったのだが、それでも聞かなければ始まらないと決断した。

「大きな発見をすると云う事は、その陥穽に嵌まらない様にする自制心が必要という話でな。更なる成果を求めて深入りしてしまう事が良くあってな。いくら稼いでいるからと云って、そこら辺の心の余裕が出来る訳では無い。潜れば潜る程金が掛かる様になる。そこに一攫千金の機会があれば、手を出してしまうのが人情よ。その上、その機会が一国をあがなえる代物であれば、猶更、な」

 苦い顔付きでアレウスは思わず再度溜息を付く。

「あの石、そんなに価値があるものなの?」

 価値がないと思っていた訳ではなかったが、実際に役立つか怪しいものが高く売れる理由を見出せなかったレイとしてはアレウスがそこまで思い詰める程高く売れるものかと首を傾げた。

「値を付けるとすれば、だ。まあ、重要な情報が然程無いからその値段で売れる訳が無いのだがね。故に、一つ見つかった以上、他にも、それも価値があるものが在ると考えてしまうのが人情であろうよ」

 アレウスとしても、理解できない思いではなかった分、止めきれなかった事に後悔しきりであった。彼にしては珍しく、今でも夢に見る程悔やんでも悔やみきれない痛恨事なのだ。

 それ故に、どこかしら自嘲を含んだ言い種となっていた。

「一番皮肉なのは、それを一番望んでいた二人が慎重論であった、という事かな、友よ?」

 それ以上深みにはまらせまいと、敢えて冗談じみた良い方でリ’シンは茶々を入れた。

「何、いくら慎重論を有していたと云えど、止められなかった時点で然したる意味は無いよ」

 リ’シンの入れた茶々に対し、苦み走った笑みを浮かべてアレウスは答える。「それに、慎重論側の二人が迷宮以外でも一攫千金を狙える立場だったのだから、説得力が無かった。今となったから見えてくるものもあるが……あいつらが俺の事をどう思っていたかは別として、惜しい戦友を失ったと思っているよ」

 アレウスの台詞を聞き、レイはちらりとリ’シンの方を見て見るが、静かに首を横に振っていた。アレウスと違い、初見のレイでは自分の表情を読み切れないと判断しての行動であった。

 レイもそれで何となくリサ以外の徒党員がどの様な心情を有していたのかを何となく察した。

 察したが故に、

「それで、アレウスは兎も角、リサさんは他にどんな稼ぎの道があったの?」

 と、露骨に話題を変えた。

「そうだな。一言で云えばこれだ」

 アレウスは然う言いながら再び呪符を取り出してみせる。「今俺が持っているもので……んー、多分、一城を贖える額、かな?」

「は?!」

 余りもの想定外の額面にレイは思わず素っ頓狂な声を上げた。

「嘘では無い」

 再び自分の方を見ているレイに対し、リ’シンは重々しく頷いて見せた。

「考えても見ろ。遣ろうと思えば“覇者”殿の軍勢を周りの森と一緒に焼却し得る能力を持った術を自在に使えるのだぞ? 安い訳があるまい」

「云われてみればそうかも知れないけれど……」

 アレウスの言葉を受けて、レイは悩み込む。

 南部生まれの彼女とて、高位の術者がどれだけの価値を有するかは理解している。その術者にしか使えない術が他人でも使えるとなればそれ相応の価値が生じるのも理解できる。

 できるのだが、それが一城と同価値を持つと言われれば流石に首を傾げたくもなる。

「我からも付け加えるならば、術者の才能が無いのにも関わらずそれだけの術を自在に使えるという点の方が重要であろうよ。並の術者ではそこまで威力のある呪符を生み出す事すら出来ぬ。それだけの呪符を作れると云うだけでも破格なのだよ」

 リ’シンが言う通り、術者というものは特別な存在である。誰でもなれる訳ではなく、才能を持ったものがそれ相応の教育を受け、その才を磨き上げてようやく一人前になれれば良いな、ぐらいの狭き道である。

 その数える程度しか居ない才能の持ち主だけが使いこなせるものを誰でも使えるとなれば確かに大きな意味を持つ。

 問題は、優秀な魔導師に一城を与える事が無駄でないにしても、流石に使い切りの物品にそれだけの価値があるかと言えば、レイからすれば疑問しか持たない。

「お前の疑問も当然だがな。勘違いしないように付け加えれば、これだけの威力を有する術を誰にでも使える呪符に落とし込めるのは俺が知り得る限り片手の指にすら満たない程度だ。失敗すれば、リサ以外にいないと云っても良いぐらいだろうな」

 アレウスの補足を聞いて、ようやくレイも納得する

 価値が付けられない領域にあるからこその値段なのだ。だから、アレウスは態々多分という言葉を付けたのであろう。実際は如何なる資産であれども買えるような代物ではないのだ。

「信用出来る相手にだけ、特殊な交換条件で作って貰えるって事かな」

「本当にお前は勘が良くて驚くよ」

 和やかな表情でアレウスはレイに拍手した。

「それで、本当に誰でも使えるの?」

「使えるとも。俺にだって使えるのだ。術を発動させるだけの代償を使用者が支払えば、だがね」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、「術者としての才覚もなく術を使うのだ。当然代償の大きいものならば只ではすまない。代償を支払いきれずに昏倒し、その儘その場で術が発動すると云う事故もわりと良くある話でな。己の分を弁えて自分が使い熟せる呪符を見定めて仕入れておくべきであるな」と、爆弾発言をさらりと言って退けた。

「一寸待って? 昏倒した状態で発動した術って、自分でどうにか出来るの?」

「他者から見れば、手の込んだ自殺に見えるのではないかな?」

 本気で焦るレイに対し、飽く迄もアレウスはしらばっくれた。

「己の限界を知っておくのも才能の一つと云う事だの」

 矢張り他人事のようにリ’シンはぽそりと呟いた。

「これが実は意外と良くある事故でな。追い詰められた状況で逆転を狙って切り札を切るのに失敗して徒党壊滅、かなりの頻度で聞く割と笑えない話だな」

 流石に説明抜きで酷い勘違いされるのも問題だと判断したのか、アレウスは迷宮内で追い詰められた状態という事象の中では割と有り得る話として呪符での事故の話を切り出した。

「かなりの頻度?」

 嫌な予感を拭いきれぬまま、レイはアレウスに問い返してみる。

 それに対して真面目な顔付きでアレウスは、

「んー、一ヶ月に一度か二度は必ず聞くなあ。それで全滅する事は少ないのだが、徒党解散に至る事はしばしばだな。大体やらかす奴は何度もやらかすからな」

 と、虚ろな笑みを浮かべて見せた。

「え、痛い目に遭ったら、二度と遭わないように工夫するものでしょう?」

 アレウスの反応から冗談ではないと気が付いたレイは驚きの声を上げる。

「傭兵にしろ、冒険者にしろ、それが長生きする秘訣なのだがな」

 アレウスは静かに苦笑する。「俺も人の事を云えた口ではないのだが、いざという時に退き時を間違える二つの陥穽があってな。一つは深追いしすぎる事、もう一つ物欲で目が眩む事、だ」

「……ん? どっちも同じじゃないの、それ」

「こう云う事には勘が働くな、レイは」

 一つ二つ頷いてから、アレウスはクスクスと笑った。

「いや、だってそうでしょう? 深追いするという事はまだ行けるという欲を抑えきれない事だし、物欲はどう考えても欲そのものじゃない?」

「然り然り。然れど、大迷宮に於いてその二つの欲は別々のものと考えた方が良かろうよ」

 正に我が意を得たりとばかりに手を打ち、アレウスは機嫌良く頷いて見せた。

「その心は?」

「何故深追いするかと云えば確かにより稼ぐ事を望んでだが、それが即ち金に直結している訳ではない。もう一方の物欲の方も必要に駆られて、と云う時がある」

 アレウスは肩を竦めながら、「どちらにしろ自慢できる状況ではなかろうがね」と、付け加える。

「大迷宮は特殊だからな」

 リ’シンは大口を開けて鱗人特有の笑い声を撒き散らした。

「んー、知っているとツボにはまる様な話なの?」

 初めて見る鱗人の大笑を見て、レイは困惑気味に尋ねる。

「ある意味では、な」

 何とも言えない顔付きで、アレウスは答える。「大迷宮に於いて、勘違いしてはいけないのが金などものの役に立たないという事だ。ああ、必要不必要の話であるならば必要だぞ? 問題は、金があってもそれだけでは何の役にも立たないと云う処でな」

「お金は大切でしょう?」

 アレウスの言っている意味が分からないと云った顔付きでレイは首を傾げた。

 傭兵としてのイロハをレイに叩き込んだのはアレウスであり、その時に金に無頓着気味であったレイを叱り飛ばしたのもアレウスである。

 そのアレウスから金は役に立たないなどと言われては、困惑以外の感情を持つ事は難しかった。

「同じくらい人との縁が重要と云う事だろうて」

 何となくレイの心情を読み取ったリ’シンが軽く助け船を入れる。

「後、素材だな。表層ならば兎も角、第四層以降の階層に挑むのならば、先程も云ったが最低でもその階層で手に入る素材を使った装備が必須だ。そして、その様な素材を金で手に入れようとするならばいくらあっても足りはしない。それに物欲と云ったが、純粋な意味での財産の話ではなくてな、取引材料となる素材の話でもある。金よりも現物の方が好まれるからな、迷宮都市では」

 アレウスはにやりと笑い、「だからこそ、あと一戦遣れる余裕がぎりぎりあるからと云って背伸びしてみたり、もう少しだけ素材を集めれば目的のものが手に入るから何とか無理矢理にでも探索を続けるとかする者が後を絶たぬ訳よ。まだ行けるはもう行けない、大迷宮を潜る冒険者ならば誰もが知っている金言を無視しても、な」と、肩を竦めて見せた。

「何せ、金で取引すると重みで床が抜けると云った笑い話がある程だからのお」

「取引を分かり易くする為に造られた貨幣が意味を無くすのだから笑って良いのやら、感心して良いのやら複雑な心境にもなる」

 リ’シンの言葉にアレウスは深々と頷いた。

 中原近郊で一番信頼されている山小人の金貨一枚で買えないものと言えば、余程の価値を持つものぐらいである。何せ、庶民が何とか一月生活するのに十分な価値があるのだ。それ程の物が塵芥のように扱われているという時点で迷宮都市の経済感覚は異常だと言えた。

「あ、面倒な政の話は流しちゃおう。今は、迷宮都市の事情を知りたい」

 放っておくとどんどんそちらの話題に転じそうな雰囲気を察知したレイは話題の転換を提案した。

「素直で実に宜しい」

 如何にも楽しそうにアレウスは笑う。「物の価値を計るという意味での金の意味は当然迷宮都市でも通じる。だが、金よりも貴重な素材がゴロゴロしている所為で貴金属の価値が暴落していてな。大迷宮で態々着飾って冒険する者も無し、迷宮都市でじゃらじゃらと装飾品を身に付ける暇があれば素材を扱える相手を探す時間に割いた方が価値があるような場所だ。外で価値がある物も、迷宮都市では無価値と見なされる事が多い。金もその中の一つで、ある意味、貨幣経済が破綻しているのだよ」

「物々交換の方が信頼されていると云っても過言ではないからの」

「流石に金貨を何千枚も常に持ち歩くのはしんどいからな」

 リ’シンの言い種に思わず苦笑しながらも、アレウスはその理由を端的に表現した。

「寧ろ、腕利きの冒険者の場合、手持ちの数千倍にも及ぶ全資産を誰が貨幣で用意できるというのかね?」

「一理あるな」

 二人は同時にかんらからと笑い出す。

 顔を見合わせて笑っている二人に、

「価値が見合わなかったり、お釣りが生じる場合は物々交換だと不公平を生むよね? その場合はどうなっているの?」

 と、レイは尋ねた。

「貨幣を直接使わないだけで物の価値自体は山小人の金貨で換算されている。仲介に立つ商家が為替を発行し、取引を成立させる訳だ。ま、物々交換と云ったら云い過ぎではあるのだが、俺達から見ると、な」

 苦笑しながらアレウスは本当の事を言う。「迷宮都市に食い込む商家同士が動かす金は一日で一国を一年動かすに値する額にもなる時もある。実際にそれだけの金を動かせる訳がないから帳面上の扱いとなる訳さ。そこら辺が分からない冒険者から見れば物々交換をしている様にしか見えない。故に、その感覚の摺り合わせが商家の腕の見せ所でな。迷宮都市で稼ぐ商家と稼げない商家の差は冒険者の信頼を得る事が出来るか否かに掛かっている訳だしな」

「ま、冒険者の信頼を稼いだとしても、外の販路を持っていなければ今度は外の商家に喰われるからのお。本当の意味で稼げている商家はどれほど居るものかの」

「まあ、外でぼられたとしてもそれ以上に儲けているから、一度食い込んだら余程の事が無い限り身代畳む事は無いだろうさ」

 リ’シンの言葉に、アレウスは肩を竦めながら応えた。

 迷宮都市の商家が外から入れる物資で足元を見られたとしても、大迷宮で産出した物を売り捌く際には逆に相手の足元を見て売買しているのだ。外では到底手に入れることができない品を用意されては、どう足掻いても外の商人に勝ち目はない。必要物資の値を釣り上げて金を巻き上げようにも価値が違いすぎてどう足掻いても赤を出すのだ。それどころか、物価上昇による煽りを喰らい、赤字が更に跳ね上がるまであるのだ。対迷宮都市の貿易赤字を無理矢理減らそうとするよりも他の場所でより稼ぐ方が結果的に大きな儲けを出す方がましな選択である。

 従って、迷宮都市で地盤を築けたのならば、余程の間抜けでもない限り儲けを吐き出すことはなかった。

「ま、取引先の徒党が解散したり、全滅したならば話は変わるがの」

 アレウスの言わんとしている事を理解し、リ’シンは迷宮都市内で成功している商家が没落する唯一無二の理由を指摘する。

「徒党が一つ二つ無くなった程度で潰れるような商家なら仕方ないな。話にもならん」

 アレウスははっきりとした言葉で冷たく言い放った。

「まあのお。そうさせない為にも幾つかの徒党を飼えぬようでは、な」

 リ’シンは真実を理解しながらも軽口を叩く。

 大迷宮に挑む徒党はそれなりの数である。

 ただ、商家が望むだけの稼ぎをたたき出せる徒党となると一気に数が減る。

 アレウスの言うところの徒党を一つか二つ子飼いにしている商家の方が迷宮都市全体で見れば多いのだ。

 むしろ、成功している徒党を複数囲い込んでいる商家など、余程の大店でもない限りまず有り得ない。

 目が出るか分からない駆け出しの徒党を幾つか囲い込み、その内の一つが成功して経営が軌道に乗ってきたところで更なる金の卵を見つけ出して囲い込む。

 この繰り返しである。

 それができてようやく迷宮都市で世渡りしていく商家として一人前と言ったところなのだ。

「徒党からしてみても、自分達の要望に応えられない商家など存在するだけ有害だからな。潰れて貰った方が助かる。だからこそ、新しく割って入り込むならば、その商家ならではの売りがなければ、な」

 アレウスにしては珍しく吐き捨てるかのような調子で嘲笑った。

 そのアレウスの調子から、彼が嫌う種類の商家は想像が付いた。

 しかしながら、彼が心の奥底から付き合いたいと思うような商家は見えてこなかった。

 分からない事を分からないままにするよりは、多少しつこいぐらいでも聞きだしておいた方が何れ役立つに違いなかった。

 素早くそう勘案したレイは、

「アレウスが付き合っている商家はどんなとこなの?」

 と、率直に尋ねた。

 アレウスの性格上、どうでも良い相手とは繋がりを持ち続けるとは思えない。

 今でも繋がりがあると言った以上、それなりに気に入っている商家だと判断できた。

 故に、レイはその商家のことを知れば、アレウスの好みの商家が理解できると考えたのだ。

「俺か? 俺はリサに誘われた徒党に入り込んだだけだからな。元々その徒党と付き合いのある商家が最初からあった状態だったからなあ。別段俺だから、と云った話は一切無いな」

 アレウスは虚空を見詰めながら、「俺達が潜っていた頃は相当稼いでいたが、今はどうなのやらな」と、ぽつりと呟いた。

「彼の魔導師殿の呪符を取引のある徒党に融通したり、外との取引に力を入れるなどしている様だの。再び御主が潜り始めるまでに足場を確りと固める方針のようじゃな」

 今でも迷宮都市と繋がりのあるリ’シンはアレウスの呟きの答えを知っており、あっさりと彼が知りたかったであろう現況を報告する。

「俺がもう二度と潜らないと判断しない辺りがあそこらしいと云うか……」

 些か呆れ気味の口調でアレウスは大いに納得していた。

「でも、アレウスは最初からもう一度潜る気はあったんだよね?」

 これまで共に行動してきた時のアレウスの言動より、レイは彼が迷宮都市に戻って大迷宮に挑む心算を有していると見極めていた。

 そして、自分が見極められるのだから、彼との付き合いが濃かった者ならばそれを見通すことぐらい容易かっただろうとも察せられた。

「俺にあったとしても、その望みに足る徒党を組めるかは又別の話だ。深層に達せないなら俺としては潜る理由がなくなる訳だからな。それに、五層程度で良いのならば、俺達でなくとも人は居る訳だ。俺が潜ると見なして準備しているという事は、少なくとも七層以下に挑む徒党が復活すると目論んで用意を進めているという事になる。俺が潜るのを諦めたならば、相当な赤を出す様な博打だよ。そこまで理解した上でやっているのだろうから、俺としては偉く勝負に出ているな、としか云い様が無い」

 妙に感心した顔付きでアレウスは静かに一つ二つ頷く。

「まあ、魔導師殿との繋がりを守っている辺り、勝算はあると信じているのだろうよ」

 リ’シンは真顔で、「些か逆説的ではあるが、そうしなければ身代を保ち得ないと考えているのやも知れぬな」と、続けた。

「身代を保ち得ない、か。急激に膨張しただろうからなあ」

 思い当たる節があるのか、アレウスはしみじみとした口調で呟いた。

 アレウスの台詞でぴんと来たレイは、

「そんなに儲かっていたの?」

 と、尋ねてみた。

 急激に身代が増したという事は、それ相応に人を雇い入れたということであろう。

 そして、一度雇った以上、そう簡単に辞めさせる訳にも行かない。

 保てないという意味はアレウス達の徒党が抜けたことで今の体制を維持し続けるのが厳しいと言うことだと結論付ける。

「それはそうだろうよ。今迄誰も到達しなかった第六層や第七層の素材を一手に扱っていたのだ。どれほど莫大な富が転がり込んだのか、俺達では想像も付かぬ」

 思わず苦笑しながら、アレウスは在りし日の自分たちの成果を振り返っていた。

「持ち込んでいたのに?」

 レイは思わず驚きの声を上げた。

 彼女が知るアレウスはそこら辺きっちりとしていた。己の取り扱う物の価値を知らずに売り払う姿を想像できなかったのである。

「ああ。俺達の利鞘と、あちらの利鞘の差を知らぬからな。怖ろしく儲けているのは想像付くが、それがどの程度なのかは推測すら付かぬさ。序でに云えば、俺達に対する態度が良すぎて、こっちが他の商家に鑑定の依頼をする気すら無くしていたからな。価値の比べ様がない」

 肩を竦め、アレウスは自分としては充分満足していたことを告げる。

「今でもその待遇を続けているのであろう? あの男は賭けに勝ったと見える」

 アレウスが他の商家に浮気する気がないと見切り、リ’シンははっきりと言い切った。

「まあ、一代で財を為すだけの事はあるな。投資をすると決めたら最後まで遣り通す。徒党を解散した相手に対して、中々出来るものではないな」

 ある意味で他人事の様にアレウスは感心してみせる。実際、他人事ではないはずなのだが、時としてアレウスは怖ろしく客観的にものを見る時があった。

「我に云わせれば、貴殿に対して金を払っているだけで、迷宮都市に関わる幾つかの組織と優位に交渉できるのであるから、止める方が愚かしいと思うのだがね」

「義理堅い奴らだな、全く」

 リ’シンの指摘した人物を思い描きながら、アレウスは思わず笑みを浮かべる。

「命を救われたのだ。それを忘れるようでは迷宮都市で生きてはいられまい」

「同じ徒党の仲間だ。戦友を見捨てるという選択肢は俺の人生に存在しない」

 当たり前の事を当たり前の様にやってのけただけ、アレウスはそう考えている。

 仮に、他の者がアレウスに同じ様なことをしても、して貰ったことに感謝はするが、当然のことだと受け止めるだろう。

 また、力が足りずに失敗したとしても、恨みすらすまい。大迷宮での自分の失敗は仲間の失敗、仲間の失敗は自分の失敗なのだ。その様な状況に陥った自分の判断が悪かったと思い、粛然として己の死を受け入れたであろう。

 実際、仲間の内二人は消滅ロストしたのだ。生き延びたり、蘇ったのはアレウスの手柄と言うよりも本人たちの資質があったからとしか言い様がない。

 命を救ったのはそれまでの各々の生き様であり、如何なる状態でも生に齧り付く良い意味での生き汚さである。アレウスはそれに少しだけ力を貸したに過ぎない。少なくとも当人はそう考えていた。

「生き延びた人って盗賊と神官だっけ? そんなに影響力がある人達なの?」

 先程の話を思い起こしながら、レイは話の流れからその二人こそがアレウスを今でも迷宮都市での影響力という点で軽く見ることができない要因になっていると察した。

 アレウスがどう考えていようが、周りもそう考えるとは限らない。命を救われた者ならば猶更であろう。

 そして、それに影響される者たちもまた、更なる配慮をせざるを得なくなる。

 そう考えれば、アレウスが未だに持つ影響力を手放さないお抱え商家の判断は正しいとしか言い様がない。アレウスが他の商家に転ぶ理由がなくなる上、アレウスの影響力を何かしらの形で利用できる。アレウスに愛想を尽かされない限り、だが。

「俺が旅立つ前はそうでもなかったな。まあ、本人達が所属していた組織の中ではそれ相応だったようにも見えたが」

 当時のことを思い起こしながら、アレウスは真面目に答える。

「組織?」

盗賊組合シーフギルドと寺院だよ。どちらも迷宮探索に深く関わっている存在だ。それらの意向を無視してあの街で行動出来たものでは無いな」

「盗賊は迷宮を探索する上での生命線、寺院は武運つたなく迷宮で死んだ際に最後に頼る場所。どちらも、無視できる様な相手ではないの」

 盗賊組合と寺院は中原の大きな街ならばどこにでも存在していると言って良い。

 盗賊組合が裏稼業である盗賊たちがお互いに情報を交換しあい、助け合う場として密やかに存在するのに対し、寺院は神が実在する世界で人々から大いなる信仰の場として尊崇されていた。

 ただ、迷宮都市では些か毛色が異なる。

 盗賊組合は闇に潜む訳でもなく、寺院もまた目に見える実益をもたらすものとして認識されていた。大迷宮の探索に盗賊の助力なくどうにかできる徒党はなく、様々な恩恵をもたらす神の奇跡なくして大迷宮で負った様々な傷を癒すことは難しい。

 どちらも、冒険者として営んでいく上で必要なものとして考えられているため、領主なき自治都市でもある迷宮都市では街の運営を左右する絶大な影響力を有していた。

「最後の最後に世話になったからなあ。流石の俺でもそれは否定出来ない」

 アレウスは思わず苦笑しながら杯を空にし、「さあ、麗しのタンブーロに帰ってきたぞ」と、視線を船の進行方向にやった。

 レイも釣られて見て見ると、そこには驚くべき光景があった。

 元々対岸が霞んでしか見えない程の川幅だったのが満目の水面で視界が覆われ、再び海に向かう江がどこから始まるのかがちっとも見渡せず、ジニョール河の光景しか知らないレイとしては莫大な水量に絶句するしかなかった。

「先ずはタンブーロの街で一泊か。いや、一泊で済めば良いのだがなあ」

 独り言ちるかの様にアレウスは脳内の考えを口にした。

「迷宮都市に渡る許可が必要だからの。御主ならば、もう少し早く済むかも知れぬが、旅の疲れを取るのも悪くあるまいて」

 事情をよく知るリ’シンはアレウスの愚痴めいた独り言を宥めるかの様に身を休めることを提案する。

「迷宮都市の方には何もないからなあ、うん」

 湖の彼方を見詰めながら、アレウスは大きく溜息を付いた。

「まあの。元々狭い島じゃて、冒険者に必要な施設を優先して建てたら他の施設を用意する程の余裕がないからの」

 何とか大迷宮に挑む者が暮らせる程度の広さしかない島の上にある迷宮都市を支えているのは、対岸にあるタンブーロの街である。

 迷宮都市で産出されたものや迷宮都市に送り込む生活必需品を売買し、一時的にでも溜め込めるだけの場所が求められるのは当然の帰結であり、それが迷宮都市から最も近くで都合の良い場所が選ばれるのも必然と言えた。

 その様な経緯で作られた街であるため迷宮都市に足りないものが常に用意される場所となり、その代わりとして大迷宮絡みの品々が溢れる街となった。近隣どこにもないような品を抑えようとして大店は挙ってタンブーロに集まり、そのおこぼれに預かろうと中原中から様々な商人が集まってきた。

 そして、気が付いた時には中原有数の大都市に成長していたのである。

「現役時代は命の洗濯をタンブーロでしていたしな。今も当然変わる訳が無いか」

 杯を乾してから、「あいつらの墓は……アスティアに聞けば分かるか。問題は、彼女が暇かどうか何だが……暇じゃないよなあ?」と、リ’シンに尋ねた。

「寺院の最高責任者が暇ならばそれはそれで問題よの」

「ん、んん? 最高責任者?」

 アレウスにしてみても初耳だったのか、思わず問い返す。

「逆に聞くのだがね、友よ。タンブーロ周囲で彼女程神の声を真摯に聞き、奇跡を使いこなす神職が居ると思うかね?」

「居たら驚きを通り越して、なんでこんなところで燻っているのか問い糾すな」

「ま、同じ様な奴が我の前にもいるのだが……この際それはどうでも良いとしよう」

 何か言いたげな雰囲気の儘、「少なくともアスティアは我が知る限り最高の神官よ。人当たりも良く、組織の運営も得意としておる。どこをどう遣れば教団の頂点に祭り上げられなくなるのか、知っているのであれば彼女に教えてやるのだの」と、首を横に振った。

「確かに、当人は祭り上げられるより力なき者達を救う活動を望んでいたからなあ」

 しみじみとした口調でアレウスは二三頷いて見せた。流石のアレウスでも、自分の夢を現実の都合で諦めざるを得なくなった相手には同情の念を抱く。それが戦友とも思っている相手ならば猶更であった。

 アスティアの夢も事情も知っているリ’シンからしてみても、道を示した相手が結果的に裏切りを働いていたことに思うところがあったのか、

「神託を得て、己の夢を叶える為の能力を研鑽する為に大迷宮へと挑んでいたのに、その行き着いた先が最も望まぬ結果なのだからのお。彼女を導いた神とやらは皮肉な存在らしいの」

 と、聞く者が聞く者であれば、不敬であると糾弾される様な台詞を嫌みったらしく吐き捨てた。

「笑えねえなあ」

 沈痛な面持ちでアレウスは首を左右に振る。「それで、フリントの奴は何をしている?」

「盗賊組合で迷宮方の代表をしているよ。その腕も相俟って、今や組合の二番手ナンバーツーとして辣腕を振るっておるよ。我も助けられている」

 盗賊組合の幹部ともなれば迷宮都市のことで知らない話を探す方が難しい立場である。

 “江の民”の迷宮都市担当者としてみれば、盗賊組合の上から数えた方が早い幹部の知り合いともなれば重宝して当然のことである。その上、お互いにアレウスを通しての仲ともなれば便宜を図らないわけがないのだ。リ’シンからしてみれば大いに助かっていることであろう。

「そりゃ又暇そうじゃないご身分だな、え、おい。結局、リサだけか、自由に動けるのは?」

「元々二人には期待していなかったのであろう? 期待していたのであれば、あの時旅立たなかったのであろうしな」

 リ’シンは薄々勘付いていたことをはっきりと言う。

 それまでのアレウスと徒党解散を決めた時のアレウスの仲間に対する態度の違いに少しばかり違和感を覚えていたのだ。

 迷宮に挑む時の人数と徒党の最大人数は決して同じではない。大抵の徒党は大迷宮に挑む主力の小隊に補佐サポート用の小隊やら複数の部隊を編成し、状況に応じて参加する徒党員を変更することが多い。アレウスのかつての徒党の様に常に同じ顔ぶれで挑む少数精鋭という方が珍しいのだ。

 事実、アレウスも状況次第で徒党の人数を増やすことを考えているとリ’シンに語っていたことすらある。

 迷宮に対する心の傷トラウマを負ったとは言え、アスティアとフリントは迷宮都市でも屈指の強者だったのだ。彼らを看板にしつつ徒党の再編も選べたはずなのにあっさりと解散して街から立ち去っている。まるで、彼らに力を借りることが無駄だとばかりに見捨てているのだ。アレウスから見て、二人を見切らざるを得ない何かがあった、そう考えた方が自然であった。

「ま、否定はせん」

 くつくつと笑いながら、「土壇場で妥協する様な意思しかないのならば、最後まで貫けぬよ。あれら二人は徒党の仲間としては決して相容れぬ者となったであろう。そう考えれば、あの時に道を違えてお互いに幸せだったのやもしれんな」と、言い放った。

「貴兄の願いを考えればそうであろうな。然れど、些か情を感じられぬ様にも聞こえるが?」

 ある種の皮肉な言い種にリ’シンは首を傾げる。

 身内の失敗を己の不覚と考える男が突き放した態度を取っているのだ。終わったこととは言え、死者を含めて道を違えた者たちを切り捨てる様な真似を今更取ることに違和感を覚える。

 ある意味で裏切り行為を行った相手であるから身内として数えなくなった可能性もあるが、そうだとしても何かしらの疑問が残る。

「ふん。何を勘違いしているか分からぬが、親しみを持てぬ様な輩と付き合う程俺は暇では無いぞ? それにな、あの大迷宮から命懸けで死体を持ち出したのだ。友誼を覚えぬ相手に遣れる事では無い。只、同じ夢を追い続けられるだけの縁が無かっただけだ。残念ながら、な」

 至極残念そうな顔付きでアレウスは首を左右に振って見せた。

「彼の大魔導師殿だけが貴君の目利きに適った、と?」

 リサに対する態度だけは昔から変わっていないと感じていたリ’シンは探るかの様に尋ねてみる。

「彼女だけがぶれていなかったからな」

 アレウスは徳利を手に取り、杯に酒を足す。「大迷宮に潜る理由が各々別なのは致し方ない。財産目的の者が多いのも当然よ。その次は己の腕を鍛える為、かな? しかしな、大迷宮に潜ることは手段であって目的ではないのだ。ある程度目的を叶えたから、手段を変える。大いに結構。そこら辺は死んだ者を含めてぶれてはいなかった。問題は、目的を叶えたのにも関わらず、より一層の成果を求めて迷宮に囚われる者よ」

「ふむ。他の者達は囚われていた、と?」

 アレウスの台詞から何を言わんとしているのか気が付いたリ’シンは鸚鵡返しに尋ねる。

「少なくとも俺はそう見立てた。何時もならば退き時だと理解して帰還を選ぶ場面で更なる成果を求めようと云い出すなど狂気の沙汰よ。死んだ二人はある意味でいつも通りだから未だしも、同調したフリントと徒党が割れるのを怖れて意見を云わずに中立に転じたアスティアは八層の雰囲気に呑み込まれていた。仮にあそこで全滅せず帰って来られたとしても、徒党の瓦解は目に見えていたからな」

 大きく溜息を付き、「リサと俺が呑まれなかったのは目的がもっと先だと理解していたからだ。他の四人は七層の時点で既に己が立てた目的を達成してしまっていたのだよ。だから、判断が狂った。あの時点では流石に気が付けなかったが、大迷宮から離れてみて漸くその結論に至った」と、アレウスは杯を乾してから床に置いた。

「資質があったとしても適正があるとは限らない、か」

「欲望を制御し、平常心でいる事。あそこに至る迄は皆持っていたのだから、大迷宮だけに挑み続けている内にある意味で摩耗していたのであろうな」

 そう言って立ち上がり、アレウスは舷側からタンブーロ湖を望む。

 流石のアレウスでも迷宮都市のある島を見ることはできなかったが、見慣れた湖面を見て帰ってきたという実感は湧いた。

 ふと気が付いたことがあり、

「然う云えば、この船はタンブーロまで安全に辿り着けるのか?」

 と、振り返ってリ’シンに尋ねる。

「今更だな」

 思わずリ’シンは苦笑する。「“紅玉”から御主が試練を受けているとの連絡が来た時点で“碧鱗うち”の者を通り道に住む他の部族には話を通してある。“江の民”に関しては問題あるまいよ」

「それならば無事に付くか」

 一つ大きく頷いてから、「レイ、アレを見て見ろ。あそこが今日の目的地、タンブーロの街だ。何時ぞやの約束を果たすかね?」と、笑いかけた。

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