第三話 江下り

「ハハハハハ、それは災難でしたな!」

 貴公子然とした男がアレウスの説明を受け、呵々大笑する。

 バラーに逃げ込んだアレウスとレイはそのまま傭兵組合ギルドに駆け込み、現状を報告した。休む為に宿を取りたいところであったが、組合からバラー太守に報告を依頼されたのだ。当然、依頼とは名ばかりの拒否権のない指令であり、致し方なくアレウスとレイは呼び出されるまで組合の二階にある休憩施設で仮眠を取った。

 そして、アレウスの予想よりも早く呼び出され、予測より身分の高い相手の前に案内されたのが誤算と言えば誤算であった。

「御期待に添える報告だったか怪しいと思うがな」

 アレウスは淡々とした口調でそれに答えた。

 事前の申し合わせでレイには男物の衣服を纏わせ、一切喋らせなかった。後は自分で本当の事だけ報告して終わらせる予定だったのだが、太守直々の聞き取りは想定外であった。

「何、充分ですとも。ラヒルが落ちていると分かっていれば、対処の仕様もあります。一番拙いのは、落ちているか落ちていないか分からない状態で援軍を求められた時ですからね。この状態なら、落ちていると見なして援軍を求める書状は敵が我らを釣り出す為の策と断じて良いぐらいだ。全く以て傭兵組合には頭が上がりませんよ」

「そう云って貰えると有り難いがね」

「何か問題でも?」

「そこまで持ち上げられると後が怖い」

 真顔でアレウスはきっぱりと言い切った。

 大抵、この様な状況報告は良くて太守の副官、大体が警備の担当者当たりが聞き取り、自分たちで調査した後に組合を通して感謝状を送る程度の仕事であった。どこの息が掛かっているか分からない傭兵を代えの効かない太守などと言った職責の者に直接会わせる訳には行かないと考えるのが常識と言っても良いのだ。はっきり言えば、傭兵側からすれば太守直々の応答とはこれ以上ない待遇なのである。その上、丁重な持て成しに過分な褒め言葉とくれば、余程ものを考えていない者でもない限り訝しむ。

 その様な好待遇なのだ。相手が相手でなければ、アレウスは完全に逃げ支度をしたであろう。

「ハハハハハ、それは、それは。そちらの立場なら然う云うしかありませんな」

 再び大笑しながら男は深々と頷いて見せた。

「裏がないと信じるしか無いのが辛いところだ」

 平然と相手方を信じていないと公言しながら、アレウスは大きく溜息を付いた。

 男はその様なアレウスの態度に毫たりとも動じず、

「ふむ……。先に報酬の話しを致しましょうか?」

 と、提案してきた。

「直接報酬を貰う様な話しではないから、組合と話し合って貰った方が有り難い。俺が云いたいのは、俺達を何時まで拘束しているつもりか、という事だ」

 目の前にいる人物がファーロス一門の他の人間であったら、アレウスは傭兵組合の顔に泥を塗ろうとも逃げの一手を打ったであろう。幸か不幸か、目の前の人物は唯一の例外であり、話が通じてしまう相手だった。今後の事を考えれば、悪目立ちするのは避けたいところであったし、唯一話の分かる相手を敵に回すのはあらゆる意味で得策ではなかった。

 その為、妥協出来る範囲を態々言葉にして尋ねたのである。

「成程。道理だね。私個人としては既に聞きたい事は聞けたし、傭兵組合と要らぬ争いを始めたくないので直ぐにでも、と云いたい処なんだがね」

 男は苦笑しながら、「まあ、流石に王都が落ちた等といった話が飛び込んできたら、気が立つ者も出るからね。申し訳ないが、こちらでも王都が落ちた事を確認取れるまでは滞在して貰えると助かる」と、油断ならぬ目付きでアレウスを見た。

「最初からそう云ってくれれば問題なかったのですがね」

 傭兵組合の人間としての交渉は終わったものと考え、アレウスは目上の者に対する礼で会話を続ける事とした。

「それは失礼。私にも立場があると理解して貰えると有り難いかな?」

 アレウスの態度を見て、男も幾分砕けた態度と仕草で応対をする。

「一介の傭兵に政絡みの判断を押し付けられても困るんですがね?」

「ハハハハハ。一介の傭兵、ね?」

 男は意味深に笑い、控えていた部下に目線を送る。「御二方を賓客として持て成し給え。我が家門に懸けて、呉々も丁重に、な」

「御配慮痛み入ります」

 アレウスは貴人に対する態度で丁寧に一礼した。

「上手くいけば、一両日中には状況を把握出来る。重ね重ね申し訳ないが、私の顔に免じて、暫く軟禁されていてくれ」

 男は敢えて軽く頭を下げた。

「俺個人としては全く以て納得しがたいものがあります。ですが、傭兵組合の一員としてファーロス一門の代表の要求に対し、応じる姿勢を取らせて貰いましょう」

 心中で大きな溜息を付きながらも、アレウスは表情を一切変えずに返答した。

 一応表向き一介の傭兵相手に一城の太守が頭を下げたのである。余程の理由が無ければ要請を撥ね付けることができない。間違いなく、目の前の人物がそれを計算して行ったとアレウスは正しく理解していた。

「いやはや、全く以て体面とは面倒なものだよ。お互いに望まぬ猿芝居を求められるのだからね」

「貴方がそれを云いますかね?」

 アレウスは思わず顔を顰めた。

 先程から明らかにアレウスが翻弄され続けているのだ。愚痴の一つも言いたくはなる。

「ま、私だから云えるのだよ。父や弟たちがこの様な態度取れる訳あるまい?」

「俺はそれに対しては何も言えませんね。寧ろ、貴方がここにいる事自体がある意味で理解出来ないんですがね?」

「他に人がいないからね」

 初めて渋面を作りながら男は答える。「ま、然う云う事だよ、アレウス。とりあえず、私個人としては君の行動に掣肘を加える気は一切無い。只、ファーロス一門としてはそうともいかないのはどうにもならなくてね。傭兵組合の一人として扱うのが精一杯なんだ。そこら辺を斟酌してくれると嬉しいよね」

「俺もファーロス一門に対して思うところが無いとは口が裂けても云えません。ですが、ラヒルに関しては報告しないと云う選択を傭兵組合の一員として為す訳にはいかなかった。それだけの話しです」

 私人同士の会話と言うことで公に記録が残らないと理解した上で、アレウスは敢えてぎりぎりの本音を語った。周りに控えている警護の士も間違いなく眼前の男の息が掛かっている者と見なした。要は、ファーロス家としての公式な会見が終わっている以上、眼前の男の判断こそが今この場を支配しているものと言えた。

「分かっているよ。だからこそ、私も私なりの誠意を示している。とは云え、目立つ行動をして欲しくないのも本音でね。隠し通せなくなるのはお互いに困るだろう?」

 男も又、アレウスの価値を正しく知っていたが故に、完全に手切れとなるような真似はしたくなかった。ファーロスの対外交渉を一手に引き受けている以上、没交渉になったら拙い相手を怒らす様な真似だけは避けたかったのだ。

 問題は、全部向こうの要求通りに動くのも又拙いという点であり、ある程度こちらの要求を通す事で家門の意地を守る必要も生じている点だ。尚且つ、アレウスが妥協できる範囲のもので、目に見える成果であることが望ましかった。

 そこで男が出した結論が、情報が正しいと分かるまで屋敷で歓待するというものだった。

 故に、態とらしい迄にあからさまな台詞まわしで男はアレウスの自重を頼み込んでいた。

「……正直云えば、バラーを統括しているのが貴方で助かったとしか云い様が無いですね。他の方ならば、痛くも無い腹を探られて又大立ち回りしなくてはいけなかったでしょうしね」

 アレウスは男の狙いを正しく理解した上で、様々な理由からこれを断れないと判断していた。

 自分で言った通り、他のファーロスの人間相手ならば同じ様な事をされた場合直ちに暴れ出してでも逃走しただろう。それによって被害を蒙る組織があろうとも、アレウスは知ったことではないと決断した筈だ。

 しかし、目の前にいる男が相手ならば話は別なのだ。

 他の人間ならばいざ知らず、ファーロス一門で唯一信じて良いとされている男なのである。男からしてもアレウスを丁重に扱わざるを得ないように、アレウスからしてもこの男の言うことを尊重しなければ色々と拙いのだ。

 付け加えれば、実際、様々な意味で話が分かる相手なのだ。思想的に問題が多い人物が主流のファーロスにしては、柔軟な考え方をし、こちらの考えも汲んでくれる。ファーロス一門に人多しと言えど、比喩表現抜きで話が通じる唯一の相手だからこそアレウスは本音を敢えてぶつけたのである。

「ハハハハハ、誉められたと受け止めておくよ。館の敷地内ならば、君に付ける警護の者にさえ云って貰えればある程度好きに動いて貰って結構だ。幸い、今この屋敷にいる者は私の臣下で固めているからね。街に出なければ、問題にはならないよ」

 当然、この男もそれを理解した上である程度本音を出している。ある意味で幸運なことに、バラーに駐屯しているファーロスの手勢は全てこの男の手の者である。後々問題になるような事は男の胸先三寸でどうとでもなる。

 アレウスのことを正しく理解し評価しているからこそ、今この場に彼の意が通らない部下が一人でもいたのならば、男の気苦労は増すばかりであっただろう。そういった融通の利かない者が揃って東の戦線に駆り出されていることもあり、余裕を持って望んだからこそ、アレウスがぎりぎり受けざるを得ない提案ができたのだ。

「俺個人としては貴方と争いたくないです」

 ここまで交渉上手な相手との伝手を失うことを含めて、アレウスは心中怖れている事を正直に言った。

「ならば、ここは私の指示に従ってくれ。私も面倒事はいやなんだよ、これで」

「承知しました。それと、連れはこれでも女性なので配慮を求めたいのですが?」

「……流石にそれは私を侮りすぎでは無いかね、アレウス? どう見ても女性だろう」

 レイを眺めて男は不本意そうに答える。

 実際、男装しているとは言え、前とは違い女性である事を隠して居らず、ちゃんと観察すれば女性と見極められる程度には化粧していた。

「傭兵仲間には気が付かれていなかったので、念のためですよ」

 肩を竦めてアレウスは答えた。

「それは周りの見る目が無いのか、余程仕事中の振る舞いが上手いのか判断尽きかねるな。それでは暫く客室で寛いでいてくれ給え」

 男は部下に目線を送り、引見の終わりを告げた。

 即座に扉を開き、

「こちらです」

 と、アレウスとレイに合図を送ってから一礼する。

 アレウスは節度を弁えた礼をし、案内する男の部下に続く。

 レイもアレウスを真似て一礼してから、早足で後に続いた。

「御屋形様、宜しいのですか?」

 アレウスたちが退出したのを見計らって、控えていた部下が男に確認を取る。

「どれがだい?」

「大殿への報告を握りつぶす事です」

「親父様からは私の仕事の範囲内の事であるならば、事が成るまで独断で進めて良いと許可を貰っているからね。報告すれば碌な事にならない以上、ある程度成果が見えてから纏めて報告するさ。それに、現状陸路でしか使者を送れないのだから、ラヒルの情勢を見届けてから使者を送り出しても遅くはあるまい」

「しかし、あの者は──」

 男は部下を制し、皆まで言わせなかった。

「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。どちらにしろ、東の事も片付いていないのに、“覇者”と相対さなければならないのだ。これ以上無駄に敵を増やすのは真っ平御免だな、私は」

 男は大きな溜息を付きながら、机の上に近隣の地図を広げた。

 指の先でラヒルを差し、それから徐に北上してバラーに至る。

「指呼の間な上、途中に要害が無いと来ている。バラーから見ると、ラヒルが敵勢力下にあると不便極まりないな」

 男は大きく溜息を付いてから、「攻めて来るならば籠城しかあるまい。攻めて来ないならば、敵補給線を擾乱して体制が整うのを先延ばしさせるしかあるまいな。軍議を開くとしよう。主立った面々を招集せよ。それと、状況が判明するまでは警備を厳重にせよ。泳がせていた敵陣営の密偵に怪しき動きがあれば始末して良しと通達しておけ。ま、捕らえてくれる方が嬉しいがね」と、一気に指示を出した。



 客間に案内された後、アレウスは部屋に備え付けられている棚からそれなりの値段と思われる酒を取りだし、机の上にあった洋杯グラスに注いだ。

 一つをレイに渡した後、自分の分を一気に呷った。

「飲んでも良いものなの?」

 自宅で寛ぐかの様な態度のアレウスに対して、レイは困惑を隠せなかった。

 レイもそれなりに物を見る目は肥えている。そのレイからして見ても、明らかに度を超した価値の物ばかりが備え付けなのだ。アレウスが手に取った酒も恐らくは並大抵の者が手にすることすらできない物だろう。

「飲ませたくないものならば、ここに置いていないよ。それに飲ませたくない客ならば、ここに通さないさ」

「それはそうだろうけど、薬を入れられているとかの心配はしないの?」

 レイにとって、覚えのないことおで歓迎されると言うことは恐怖でしかなかった。

 相手を敢えて想像を絶する程の歓待をし、油断したところで始末をする。古来より良くある謀殺の手順である。

 それ故に、今の状況は疑心暗鬼に陥るしかなかった。

「エクサ殿が? まさか」

 朗らかに笑いながら、アレウスは再び酒を洋杯に注ぐ。「あの方は然う云う事をしない方だよ。何せ、後ろ暗い事をしたらファーロス一門を誰も信じなくなるからな。あの方が最後の頼みの綱であり、それを自分が一番良く認識している苦労人なのだよ」

「どうやったら周辺からそこ迄信用されなくなるのさ」

 アレウスの言葉からファーロス一門が周りからどう見られているか如実に理解したレイは溜息を付いた。

「まあ、それは、なあ」

 流石に現在世話になっている相手を悪く言う事に気が引けたのか、アレウスは目を泳がせた。

 それを見て、レイは何かを察したのか、何も言わずに洋杯の酒を飲んだ。

「あ、これ、美味しい」

「それはそうだろう。アーロンジュ江北の穀倉地帯で作られた絶品だからな。ソーンラントの豊かさの象徴の一つよ」

「……やっぱり、何か問題があるの?」

 アレウスの台詞自体は純粋に褒め称えるものであった。

 しかしながら、それなりに付き合いが長くなってきたレイには何か陰の様なものをその口調から感じたのだ。基本的に陽性な生き物であるアレウスがそう言ったものを見せることは少ない。

 だからこそ、レイは引っかかりを覚え、暫し訊くか訊かないか悩んでから思い切って尋ねることに決めたのだ。

「いや……無いな。多分、無いのだ、この国では」

 幾分寂しそうに、アレウスは笑った。

「そう」

 レイは気が付いた。アレウスが口を濁したという事は、この場では言えないことなのである。

 だから、敢えて聞かないことにした。必要なことならば、後で何らかの形で教えてくれるだろうと知っている。アレウスが言わないことにも何か意味があるとレイはこれまでの付き合いから気が付いていた。

「まあ、とりあえず、暫くは暇になった訳だ」

 アレウスは取り繕うかの様に言葉を紡ぐ。「ラヒル脱出から休めていなかったのだ。久々に休ませて貰うとしよう。とりあえず、風呂入っても良いか聞かないとな。レイはどうする?」

「んー、身体洗ってから着替えたいけど、一寸限界かな。先に休んでからお風呂は入れるなら入るよ」

「ならば確認してくるとしよう。先に休んでて良いぞ。状況は書き置きしておこう」

 アレウスと違って、彼が馬を引いている時も馬上でうつらうつらしていたとは言え、ほぼ数日間真面な睡眠を取らずにここまで来ているのである。既に体力の限界を超えていたのだ。

 むしろ、レイが今の今まで起きていることこそ驚異的と言えよう。どう考えても、荒事向きの氏素性ではなさそうなのだ。傭兵暮らしがそれなりに長いとは言え、ここまで体力を温存できない仕事はさせたことがなかった。先の事を考えれば、良い経験になったと言えようが、それは先の事である。今は何にせよ休ませた方が良いとアレウスは断じた。

「うん、そうさせて貰うよ。お休み、アレウス」

「お休み、レイ」

 客間に備え付けられた隣の寝室にレイは残っている自分の荷物と一緒に消えていった。

 それを見送ってから、アレウスは廊下への扉を開けて、

「風呂は使っても良いのかね?」

 と、警護の兵に尋ねた。

「屋敷内ならば自由に動かれても問題ないと上の者から仰せつかっております。客間のものよりも大浴場がお好みでしょうか?」

 貴人に対する様な丁重さで兵はアレウスに答えた。

 その対応を見て、アレウスは密かに心で舌を巻く。どこの馬の骨とも分からない傭兵相手に対して、些かの隙もなく、平然と丁重な対応をするのだ。いくら主君がそうしろと言ったところで、中々やれるものではない。ファーロス一門の脅威の一端をアレウスは知れた気がした。

「長旅という程でも無いが、旅塵を落として身体を伸ばしながら漬かりたいのでね。客が入っても問題ない大浴場はあるのかな?」

 自分の内心をおくびにも出さず、アレウスは和やかな顔付きで要求を言って退けた。

「流石にそれがしの一存では決めかねますので、上役に聞いて参ります。宜しいでしょうか?」

 同僚に目線で何かしらの合図をしてから、兵はアレウスに申し出た。

「よしなに」

 アレウスは和やかに然う言うと、部屋に戻る。(流石に、見張りが一人と云う事は無かったか。抑えるところは確りと抑えている)

 茶器を用意し、最初から何故か用意されていた水差しに入ったお湯を確認し、荷物からお気に入りの茶葉を取り出す。

 鼻唄交じりに茶を蒸らしていたところで扉を軽く叩く音が聞こえてきた。

「どうぞ、開いている」

 アレウスの入室を許可する言葉の後、

「失礼致します、御客人」

 と、それなりの立場に立って居るであろう騎士が入ってきた。

「こちらこそ御手数を」

 アレウスは立ち上がると一礼した。

「いえ、当方こそ気が回らずに申し訳ない。御屋形様より屋敷の大浴場に案内する様に命ざれました」

「おや、構わないのかな?」

 流石にアレウスも確認せざるを得なかった。

 この屋敷はバラー太守の為に用意されているものであり、太守とその家族が住まう為の者である。臣下の者達は近くに用意された宿舎やそれなりの者の為に用意されたたちに寝泊まりするから、この屋敷にある大浴場は太守の身内が使う為のものと言えた。

 高々一介の傭兵にそれの使用を許可するのだから、破格の扱いとしか言い様が無く、確認するのも仕方ないことであった。

「主から問題ないとの言伝を受けております。それだけ見合うものを貰った、と」

「見合うもの、ねえ。互いにそれの価値がずれていると反応に困るものだね」

 何とも言えない表情でアレウスは肩を竦めて見せる。

「致し方ないものかと。我らにとって王都陥落の報は値千金ですが、貴公の様な傭兵ならば情勢が分かり切っている以上価値が無い。高く売れる所に高く持ち込んだ、それだけの話でありましょう」

「どちらかと云えば逃げ込んだ、かな」

 アレウスは思わず苦笑した。

「どちらにしろ、我らから見れば貴公は恩人なのです。今、この屋敷にいるものならば誰も異論を唱えませぬ」

「いない者は唱える、か」

 比喩的表現では無く、それが事実である事をアレウスは瞬時に悟った。

 騎士はアレウスの表情を見て取り思わず苦笑し、

「流石に、本隊の人間は大抵ハイランド訛りがある相手を信じようとしませんからな」

 と、遠回しに肯定して見せた。

「それ程訛っているかね?」

「いえ、我らで無ければ気が付かない程度かと思われます。貴公がソーンラント訛りを聞き逃さないであろう様に、こちらも同じでありますよ」

「何と云うか、職業病みたいなものかね」

「流石に見逃す訳にはいきませぬからな。ハイランドとは小競り合いが続いておりました故に」

「確かに」

 話せる相手だとお互いに今迄の会話から想像が付いてはいたが、流石に腹を割って話すには拙い内容でもあり、アレウスはこれ以上話を転がさない為に短い相槌を打った。

 騎士の方もそれで察し、

「今すぐ御案内致しましょうか?」

 と、本題に戻った。

「お願い出来るかな? こちらも直ぐに支度をする」

「承知致しました。部屋の外でお待ちしております」

 一礼し、騎士は客間から退出する。

 アレウスは茶碗に茶を入れ、一服してから替えの下着と衣服を荷物から取りだし、荷造りすると部屋を出た。



 風呂を出た後、部屋でレイに書き置きを残してから、アレウスは自分に割り当てられた寝室で随分久しぶりの真面な睡眠を取った。

 目を覚ましたのは日が西に沈もうかとしている時刻で、流石のアレウスも気怠さを取り切れてはいなかった。

(ま、未だに敵地にある以上、完全な睡眠は望むべくもないか)

 ハイランド出身者にとって、ファーロス一門は代々の仇敵に近い。いくらエクサ・ファーロスが話の分かる男だからと言って、完全に気を許せる相手でもなかった。

 それでも、ほぼ一睡もせずにラヒルから強行軍でバラーまでやってきた後なのだ。心安まらなくとも、肉体の疲労は少しでも回復させるに越したことはなかった。

(迷宮都市までは気の休まる時は無いか)

 この先の旅路を考え、些かアレウスは気が重くなる。(早めに彼らと接触出来れば問題ないのだが……流石に今の江の様子は分からないからなあ)

 着替えながら、何時でも強行突破で逃げられる様な荷造りを心掛け、アレウスは直ぐにも人と会える姿に身を整えた。

 愛刀を腰に差し、客間へと足を運ぶ。

(……ふむ、レイは起きていないのか……)

 寝る前に書き置いたものがそのまま机の上にあるのを見て、アレウスはレイがあれから一度も起きていないと察した。

 そのままになっている茶道具をざっと確認してから、アレウスは湯が入っていた水入れを見る。

(湯を入れ替える為に部屋に入ってきてはいない。こちらから何か云うまでは干渉しないという事かな? 俺の事を考えれば、誠意ある対応と云えるな)

 心中でエクサに対する評価を更に高めて扉に向かおうとした時、おとないを告げる音が高らかに響いてきた。

「どうぞ、開いている」

 アレウスは仕方なく席に着いてから返事をした。面倒なことだが、自分を安くみられない様にするための必要措置である。アレウス個人としては趣味ではないが、残念ながら彼が何者かを知っている相手と交渉しているのだから、そこに配慮した行動をする義理はあった。

「失礼致します」

 先程の騎士が一礼してから入室してくる。「我が主から夕食を共に取らないかとの言伝を預かって参りました。如何でしょうか?」

「それを断る理由が無いのがな。喜んでとは云えないが、太守殿さえ良ければ御相伴仕る、とお伝え願えないだろうか? あと、茶を淹れ直したいので、湯を所望しても良いものかね?」

「承知仕りました。我が君にお伝えして参ります。湯の方は後程他の者に運ばせますれば、暫しお待ちを」

 騎士は然う言うと、再び一礼してから退室していった。

 アレウスは再び立ち上がると、今度はレイが寝室に使っている扉の前に立つ。一呼吸置いてから、扉を右手で徐に叩いた。

 暫し反応を待つが、うんともすんとも反応が無い。

 致し方なく、アレウスは再び扉を叩いた。

 再び待つが、矢張り反応は無かった。

(……泥の様に眠っているか)

 バラーに辿り着くまでの事を考えれば、それも当然であるとアレウスは思った。

 ここが自宅なり宿屋ならばアレウスも放置したのだが、賓客と遇されているとは言え、太守の屋敷なのである。客として招かれた傭兵として振る舞うならば、多少無理でも起きていなければならない時もある。夕食に誘われた以上、余程の事でも無い限り断るのは難しいものと考えられた。

「レイ、入るぞ」

 もう一度ノックしてから、アレウスは扉を開ける。

 完全に遮光窓掛カーテンで遮られた室内は真っ暗闇であり、西日が一片たりとも入り込んでいなかった。

(ここまで見事な遮光ならば起きないのも仕方ないか)

 これだけの寝室を作るのにいかほどの金と技術を掛けたのかアレウスは束の間考えてみたが、直ぐに考える事を止めた。ソーンラント程の大国が重要拠点に金を掛けない理由が無いのだ。その客間となれば、自国の威信を懸けた物を作り上げるのは当たり前と言えば当たり前であった。

(莫迦の考え休むに似たりとはよく云ったものだな)

 己の心中の動きを自嘲しながら、アレウスは窓掛を開く。

 直ぐに厳しい西日が部屋に入り込み、目がまだ闇に慣れきっていないアレウスですら一瞬たじろいだ。

 しかし、この部屋を我が物として使っているたった一人の女は明るさを嫌って、顔を布団で覆い隠した。

「レイ、起きろ」

 アレウスは流石にそれを引っ剥がす真似はせずに、先ずは言葉で起こそうとした。

「……眠い……」

 寝言なのか本音なのか分からない呟きをレイは発し、そのまま布団へ更に潜り込んでいった。

「起きろ」

 容赦の欠片一つ存在しない厳然とした態度でアレウスは直押しする。

 但し、言葉だけで決して物理面で無理矢理何かを為そうとはしていなかった。問題は、その配慮を彼の目の前で寝ている人物が気が付いていなさそうなところであった。

「今、何時?」

「日暮れ時だ。太守殿から夕食のお誘いがあったのでな。いい加減に起きないとお前は準備が間に合わないぞ」

 それなりに真面な質問を返してきた事から、言葉が通じるものと判断し、アレウスは布団を引っ被っているレイに状況を手短に説明した。

「……休んでいたい」

「気持ちは分かるが、無理だな。事情聴取が遅れれば、出立出来る日取りも遅れる。最悪、籠城が確定してから自由の身にされた場合、動きが取れなくなる。出立するまでは仮眠程度で耐えるしかあるまい」

 もぞもぞと寝床で蠢きながら、

「だったら、起きる……」

 と、レイは呟いた。

「分かった。とりあえず、客間の方でで待っているから、客室の風呂に入る支度だけ先ずはしておけ。少なくとも、真面な応対が出来る程度には目を覚ましておけ」

 アレウスは然う言うとさっさと寝室から外に出た。

 あれだけ隙だらけなのに、どうして今迄自分の性別を隠し通せていると確信していたのか疑問を持たないでも無かったのだが、アレウスにとて訊かずに済ますという慈悲はあった。

 何はともあれ、夕食までの中途半端に空いた時間をどうして過ごしたものか、アレウスの意識はそちらに飛んだ。

 剣を振るって太刀筋を確認するには後始末をする時間が心許ない。身内だけならば、汗臭かろうと気にしないだろうが、流石にファーロスの流れを汲む者に対しその様な態度を示そうという気になれなかった。

(ま、湯浴みをする程度の時間が確保出来れば有りなのだが……向こうの都合に合わせねばならない以上、時間は最悪を想定して動くべきであろうしな)

 致し方なく、何か時間を潰せそうな事柄は無いかと荷を漁りながら軽く探す。(流石にここで備忘録を付けたり、兄上に手紙を書く訳にもいかぬし、書は組合に預けたから迷宮都市までお預けか。小柄を手入れする程度かな? ……ああ、一応太刀の方も確認だけはしておくべきか)

 机の上に展開させた崩した荷を再び纏め直しながら、アレウスはレイの気配を探っていた。流石に二度寝をしてはいないと信じていたが、あれだけ寝ぼけていると何か致命的な事をやらかさないかと言う不安は拭えなかったのである。

 今のところは特に問題無さそうだったので放置しているが、時間に間に合いそうに無さそうだったり、明らかに怪しげな動きになったら急かしに行こうとは考えていた。故に、気を配っている訳である。

(まあ、我ながら過保護であるとは思うのだが、な)

 ラヒルから逃亡する時に使った得物の確認を取る事に決め、アレウスは太刀を鞘から抜く。黒影と重藤弓は傭兵組合に預けている以上、この場で確認できる得物は太刀だけである。そして、何かあった際一番頼りになるのも太刀である事から用心に用心を重ねる事にアレウスは躊躇しなかった。

 刃の状態を確認しながら、

(さて、現状のままならば、レイは迷宮で即戦力になり得ないな。だからと云って、レイが俺と別行動を諾とするかと云えば……しないだろうしなあ)

 と、次の展望に頭を悩ませていた。

 アレウスとしてはこのままアーロンジュ江を下り、迷宮都市に入るつもりである。

 そして、迷宮都市に戻るからにはその地下に張り巡らされた迷宮群に挑むのは当然の流れであった。

 問題は一つ、彼の参加していた徒党パーティは既に全滅しているという点である。

(その穴埋めとしてレイに期待したい処だが……まあ、体力面はなんとでもなる。問題は迷宮適正があるかどうかもだな)

 山小人製の太刀に欠片の傷も表面上は見当たらない事に満足し、アレウスは太刀を鞘に収める。(だからと云って、又一から徒党を作り上げるのもきついしな。多分、時間もあるまい)

 アレウスは正確に時勢を理解していた。

 “覇者”がソーンラントで争乱を起こし続ける限り、“帝国”は自由に動く余裕を得る。その時に、中原に攻め込み雌雄を決する決戦を挑む様な間抜けであれば誰も畏れを抱かない。間違いなく、確実に切り取れると考えられている彼の祖国へと侵略の魔の手を伸ばすであろう。

 そして、兄たちが“帝国”と相対した時、アレウスは一人だけ蚊帳の外にいるつもりはない。兄たちから何も言われなくとも、その時は一兵卒として馳せ参じる覚悟を持っていた。

 だからこそ、残された時間で自分のやりたいことをやり遂げておきたいのだ。

 中でも、誰も成し遂げた者がいない迷宮都市の地下最下層への到達とその謎を解き明かすことは彼が旅立つ前から持っていた数少ない夢の一つであった。

(世界最強の剣客になるよりは叶えやすい夢だと信じていたのだがなあ)

 アレウスは大真面目にそう考えながら、ついでとばかりに小柄や脇差の確認も始める。

 本来ならば、抱いている夢が大きすぎて他人に理解されずに排他されるものであるが、彼の場合は違った。兄二人からして野望と言って良い壮大な夢を抱いていたのだ。だからこそ、アレウスが語った夢を、兄二人は否定することなく応援した。故に、アレウスは真っ直ぐ育った。

 真っ直ぐ育ってしまったが為に、家を出て、諸国を巡り歩き、陣場借りで戦場に潜り込んだり、商隊に雇われて用心棒紛いの働きをし、冒険者に身をやつして迷宮に挑んだのである。その結果が、家族の中で一番資産を所有する事となったのだから、正しく成功したと言えよう。

 そして、真っ直ぐだからこそ、家を捨てきれないのである。

 兄二人の本心としてはアレウスに戻ってきて欲しいと思っているだろうが、決して言い出さないだろう。家を出て、完全に独立した弟に手助けを求める程厚顔無恥ではないのだ。

 よって、いざその時になればアレウスは自主的に駆け付けるだけの話なのだ。

 独立した弟に対してあれこれ指図しないということは、弟の判断を尊重すると言うことでもある。弟が家の危機に家を救う為帰ってきたとしても、邪険にすることはない。その決断を尊重するだけであろう。

 逆を言えば、兄たちは弟の気質を知っているからこそ、干渉しないし、勝手に帰ってくると信じて近況のやり取りだけで済ませているのだ。

 ただし、上の兄は過保護である為、アレウスが彼自身ではどうしようもないことに巻き込まれない様に密偵を送り込んでいるが、それは一種の御愛敬と言ったものであろう。

 しかしながら、それは結果として兄たちの思いとは裏腹にアレウスは返しきれない恩義を受けていると思い、家に縛り付けることともなっている。皮肉と言えば皮肉なことであった。

 そんなこんなをあれこれと考えている内に、

「アレウス~、何か着るもの無い~?」

 と、あられもない姿で首だけ扉の隙間からぬっと出してレイが訊いてきた。

「……せめて寝間着ぐらい着た儘で顔を出せ」

 大きく溜息を付いてから、「それで、どういう事だ?」と、アレウスは聞き返した。

「ほら、ラヒルで荷物色々と投げ捨てたじゃない? 新しい下着は確保しているんだけど、女物の夜会服は投げ捨てちゃったし、騎士服はさっき着ていた汚れたものしかないし、何か適当な汚れていない服が無いのに気が付いて、お風呂出てからどうしたものかお悩み中?」

「だから、ちゃんと、考えてものは捨てる様に云っていただろうが」

 和やかな表情の儘、アレウスはなるべく怒気を抑えながら強い口調で念を押し直した。

「女物の夜会服が必要になるとは思っていなかったんだもん! 騎士服は宿に帰ってからどうにかなると思っていたんですー」

「……それを云われると辛いな」

 レイの追及にアレウスは思わず口籠もる。

 実際、アレウスの予測の上を越した“覇者”の戦略の所為で着の身着のままで逃げ出さざるを得なかったのだ。ある意味でレイの一言は一理あると認めざるを得なかった。

「じゃあ、着るもの無いから僕はお休みという事で──」

 レイが提案しようとした時、客間の入り口から扉を叩く音が響いてきた。

 慌ててレイは自分の寝室の扉を閉めて奥に戻る。

「どうぞ、開いている」

 アレウスはレイの気配を確認してから、おとないを知らせてきた者に許可を出した。

「失礼致します」

 見覚えのある衛兵が真新しい湯が入った水入れを持って入室してくる。「何処に置けば宜しいでしょうか?」

「机の上で頼む。それと、先程の騎士殿に、私の連れが夕食会に着ていく服が無いので困っていると太守殿に伝えて欲しいと伝言願えないだろうか?」

「承知致しました。暫しお待ち下さいませ」

 完璧な所作で一礼し、衛兵は速やかに部屋から退出する。

 それを見届けてか、

「アレウス、どういうつもり?」

 と、レイは再び首だけ扉の隙間から突き出す。

「苦労は分かち合おう。相棒だろう?」

 やはり和やかな表情のまま、アレウスはレイに語りかけた。

「アレウスなら如才なく遣れるでしょう?」

「夕食抜きで良いなら良いのだがね? 流石に疲れて動けなかったから、夜食を下さいと云える立場かね?」

「……う~」

 アレウスの言を聞き、思わずレイは唸り込む。

 確かに、未だに寝足りないとは言え、それなりに休んだ身体が次に求めているのは栄養であった。

「俺より夜会慣れしている奴が何を嫌がる?」

「最近、人前で女として暮らしていなかった女の悲しみを知るが良い」

 アレウスの言を否定すらせず、レイはどす黒い感情を隠そうともせずにアレウスを睨み上げる。

「いや、それ、俺が知っていたら少し問題あると思うぞ?」

「あー、満足出来る化粧も装身具も無い状態で、どんな顔で夜会に参加しろというのさ~」

「元が良いから何とかなるだろう?」

「女舐めるな、アレウス」

 真顔でレイはドスの利いた声を上げる。

「お、おう」

 流石の剣幕に、アレウスはたじたじとなった。

「もし何か服を借りられるとしても、ボクに似合う物が在るという保証もないし、あー、もう! 仮に似合う物があったとしても、それに併せられる装身具が手持ちにあるかどうかも怪しいし……。アレウスに買って貰う約束はまだ先だものなあ」

「その時はお手柔らかに、な」

 レイの態度を見て、近い将来碌な目に遭わないと察したアレウスは念のために予防線を張っておく。

「そこまで無茶を云う気は無いよ。それなりの物は買って貰うつもりでは居るけど」

「お前が満足する物が在れば良いのだがね」

 確実に豹に与えた物以上の散財になる確信を持ちながら、アレウスは心中で天を仰いだ。

「楽しみだなあ、迷宮都市」

 そうだけ言うと、レイは部屋へと戻る。

 出そうになる溜息を堪えながら、アレウスは静かに茶を淹れ直した。



 レイが女官と連れだって別室に行ってから暫くして、静かに客間で寛いでいたアレウスに幾度目かのおとないを知らせる音が耳に飛び込んできた。

「どうぞ、開いている」

 ある意味で言い飽きた台詞を口にし、アレウスは視線を扉へと向けた。

「失礼致します」

 最早顔なじみと言っても良い騎士が一礼してから、「主から、夕食までお暇ならば一緒に茶でも飲んで世情の万事を論じないかとの伝言を承りました」と、伝えに来た。

「今、連れが着替えに出ているのだが?」

「はい、それもありまして、我が主は貴公が暇を持て余していないかと心配されているのであります。それと、我が主はこの地から動く事が能わぬので、当家を訪れた客人から諸国の話を聞く事が唯一の楽しみでもあります。宜しければ、我が主の数少ない楽しみの為に御協力頂けないでしょうか?」

「……そこまで云われれば断るのも無礼というもの。喜んで茶席に招待されましょう」

 アレウスは内心を押し隠して、和やかに返事をした。

 実際、彼からしてみれば面倒この上ない話であった。

 何せ、正体をなるべくならば知られたくない相手に情報を出し続けることを求められたのだ。

 いや、実際のところはアレウスの正体などエクサ・ファーロスならば知ってはいるだろう。知ってはいても、確証を得ているかどうか迄は怪しいとみていた。

 それに、知っているとしても彼が誰にでもそれを話すとも思わない。思わないが、勘の良い配下がアレウスの正体に気が付く切っ掛けを作る可能性は否定できない。その配下が彼よりも家を選ぶ可能性は更に否定できない要素なのだ。

 そこまで分かっている上で、アレウスはこの願い事が断れない類の用件であると強く認識していた。

 第一に少なくともエクサ自身はアレウスに対して友好的な態度を取っている以上、アレウスもそれに答える必要があった。流石のアレウスも、厚遇してくれる相手に砂を引っかけて逃げる様な真似はできない。何やかんやで、傭兵にしろ冒険者にしろ名声や評判を重視される職業である。天下に名の知れたファーロス一門の次期当主と目されている人物を袖にして高まる評価があろうはずもない。むしろ、知遇を得てこそ名が鳴り響くというものだろう。

 第二に屋敷に迎え入れた客人に対して毎回行っている事を自分だけが断れば何かしらの不審を呼ぶ。常日頃から何ら問題なく行われていることをしないということは、そこに何かあると気が付く者が現れると言うことだ。そこからアレウスが隠し通したい事に手繰られることの方が問題が大きくなる。

 もう一つ付け加えるとするならば、アレウス個人の矜恃である。これだけの歓待を受け、何も返さずに立ち去るのは彼の美意識に反した。それが、茶飲み話程度で済むのならば安いものである。

(それに、逃げないで良い場面で逃げるのは業腹であるしな)

 アレウスは覚悟をすっかり決めると、立ち上がり、愛刀を腰に佩いた。

「それでは案内仕ります」

 騎士は一礼し、アレウスを先導する。

 アレウスはそれに続き、再び屋敷の廊下を歩む。

 日は既に西に大きく傾き、先程見た様相とは又様変わりした姿を見せていた。

「これは、美しい庭園ですね。夕陽も計算に入っていたのか」

 流石のアレウスも、夕陽によって彩られた中庭の美しさに心を打たれた。

「元々ソーンラント王族がラヒルの太守に任じられるのが慣例でしたので、屋敷自体も贅を凝らした物となっております」

「ソーンラントの武を司る一門からすると無駄金使い、と?」

 反応の悪さから、アレウスは何となく当たりを付けて尋ね返す。

「政の世界は分かりませぬ故に」

 騎士は和やかにそうとだけ答え、先に進む。

 アレウスはその答えを聞き、ソーンラントの闇を垣間見たと確信した。

 十数年前にソーンラントからハイランドに大量の王族の亡命者が出た事件の発端はファーロス一門と亡命した者たちとの対立から始まっていた。

 その頃のソーンラントは“帝国”と真っ向からやり合っており、軍事費はいくらあっても足りない状況であった。その様な状況下で、件の王族の一派は文化振興に予算を潤沢に用いていた。それ自体に間違いはない。ありとあらゆる技術は途絶えれば廃れる。それを復興させる為に如何程の投資が必要かと考えれば、戦時下と言えど必要最低限の予算を廻すこと自体には誰も口を挟めない事柄なのだ。問題だったのは、明らかに使いすぎだった点と、自分たちの懐から出せる身分の者が国の予算で文化振興を推進していたことなのだ。

 流石に前線の兵たちが困窮している状況下で、軍事費に廻さず余裕がある時に多く廻すべきな分野に予算を振り分ければ、軍部からの反感を買うのは当然の流れであり、その代表者たるファーロスを敵に回すのは当然の理だった。

 その結果が、状況を把握していなかった──と、ファーロス一門が見なした──者たち全てを謀反人と位置づけたファーロス一門が中心となって行われた大粛正である。ソーンラント支配層の上部に位置する王族の内、戦争に非協力的な家を全て武力で薙ぎ倒したのである。

 当時の王も又、ファーロスと同心しており、主戦派が厭戦派を政治的判断で排除した政変と周辺諸国は見なした。

 だからこそ、ハイランドも亡命者たちを受け入れたのだが、その後の動きを考えれば処断されても仕方の無い連中だったとどの国も思い知らされた。

 そのことの後遺症とでも言うべきか、ファーロス一門は特に贅を凝らした非実用品に神経を尖らせる様になってしまった。

(余裕のない家になったと兄上は表現していたな)

 元を辿ればファーロスも王家の別れである。いや、ソーンラントの貴族の大半は王家の別れであり、そうでない家を探す方が難しいぐらいだ。その様な流れを汲む家なのだから、本来ならば文化振興が国の威信に関わる事でもある事ぐらい重々承知していた筈なのである。

 だが、現当主のサムソンが当主になって以来、尚武をより好む様になっていた。元々武の名門であったのだ。それがさらに武に寄りすぎた結果、家の傾向が極端になりすぎたのだ。

 長子であるエクサがその当たりの均衡を取ろうと必死になってはいるが、極端に傾いた天秤を元に戻そうにも反対側の秤皿に載せるものへの一門に属する者からの拒絶反応が酷く、彼一代で元に戻せるものでは無くなっていた。

(更に王城が落ちた以上、文化的素養を持った人材も極端に目減りした筈。国を支えるモノは何も武と政だけでは無い。その国に根付いた文化、言葉、風習、その他諸々のその国の民としての心。それを守るのも役目なのだが、ファーロスにそれが出来るのかな)

 アレウスは自分の見た限りでは不可能だろうなと結論付けている。

 確かにエクサは傑物で、人間至上主義の悪い影響を然程受けていない様に見える。その彼がファーロスの次の当主になれるのであれば、まだ逆転の目もあろう。

 しかし、彼は既にファーロス本流から外れてしまっている様にも見えた。

 それを裏付ける様に、アレウスが聞いた噂が正しければ、彼は次期当主候補から外れてしまっている。

(そうだとしても、友誼を交わす相手としてはこれ以上ない方ではあるが)

 アレウスはそう考える。只単に、ファーロス一門人多しと言えど、話が通じるものがエクサだけとも言えるのだが。

 アレウスが考え込んでいる間に、騎士は大きな扉を叩いていた。

 扉が内側より開かれ、中で控えていた騎士が顔を出す。

「御客人を連れて参った。我が君に御報告を」

「承知した。暫し待たれよ」

 中に居た騎士は直ぐに引っ込み、暫くしてから両開きの扉がゆっくりと開かれる。「どうぞ、我が主がお待ちです」

 そのままアレウスは中へと導かれ、

「疲れている処を済まないね」

 と、応接間で待ち構えていたエクサ・ファーロスと対面することになった。

「一応は招かれた身なので」

 予防線を張りながらも、アレウスは勧められるままに椅子に座る。

「まあ、そう身構えないでくれ」

 エクサは苦笑しながら対面に座ると、配下の騎士に、「北部産の茶を」と、指示を出した。

「それで、御用件は?」

「世間話がしたいだけだよ、アレウス君」

 警戒心を隠そうともしないアレウスに対し、エクサは終始友好的な態度を崩さなかった。

「世間話と云っても、何を求めておられるのか……」

 困惑している内心を警戒していると言った表情で隠しつつ、アレウスはエクサの真意を探る。

「実際の処、本当に世間話を求めているのだがね」

 エクサはエクサで、アレウスの警戒心を如何に解したものか悩む。「知っての通り、私は動きが取れないのでね。遠来からの客人の話を聞いて中原の流れを知りたいだけなのだよ。まあ、君の場合はお連れさんに聞かせたくない話もあるかも知れないので、会食前に呼んでみたのだがね」

「それは御配慮痛み入ります」

 実際、配慮して貰って有り難い事柄なので、アレウスは素直に頭を下げた。

 とりあえず、互いに言葉を選んでいる中、女中メイドがエクサの指示通りに茶道具一式を用意し、茶を入れてから一礼し部屋から下がる。

 それを確認してから、エクサは警護の者に合図を出し、騎士たちも応接間から姿を消した。

「これが私が用意出来る君への敬意と配慮かな」

「恐れ入ります」

 アレウスは再び頭を深々と下げる。

 相手に表情を見られていない内に平静を取り戻そうとの意思の働きもあったが、自分を確実に殺して逃げ切れる相手に対してここまでの態度を取れるエクサに深い敬意を抱いた事も確かであった。むしろ、畏敬の念に近いかも知れない。

 自分が相手の立場ならば、余人を交えずと言う言葉通りの行動を取れたのか怪しいところだとアレウスは自己評価していた。

「ま、私はここだけの話をするつもりだから、君もそうだとありがたい」

「我が先祖の名に懸けて、今からの話しを外に漏らす事はありませぬ」

 爽やかに笑いかけてくるエクサに、アレウスは重々しく誓いを上げた。

「ま、そこまでして貰わなくても結構だが、漏らすとしても君の兄上達迄にしてくれたまえ。君の御父上だと私の父の様な反応になりかねないからね」

 アレウスの態度を見て、冗談めかしながらエクサは笑い飛ばす。

 ただし、最後の最後は明らかな本音であった。

「上の世代は仇敵同士ですからね」

「我々の世代も似た様なものだ。君の年頃まで行くと、今度は“帝国”が共通した敵になるから、些か話も変わってこようが、な」

「まあ、それでも反乱騒ぎがありましたから、お国の王族に対する反応は難しい処ですね」

 故郷の同世代を思い起こしながら、アレウスは真面目に返事をする。多分、エクサが欲しい情報でもあるだろうと中りを付けた上での発言だった。

「全くあの連中と来た日には……」

 右手で顔を覆いながら、エクサは思わず天を仰ぐ。「死んでも面倒を掛ける」

「あの種の人間は然う云ったものでしょう」

 妙に実感が籠もった感じでアレウスは相槌を打った。

 そうは言っても、反乱自体はアレウスの出立後の出来事である。彼が何故そこまで実感を有しているのかは不思議な話ではあった。

「まあ、済んだ事は気にしないで貰えると有り難いな」

「俺は当事者ではありませんからね。表向き」

 アレウスは最後の一言をぽつりと聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟く。

「建前というものは重要だよ」

 エクサは苦笑しながら、アレウスの一言を遠回しに論評する。「それで、建前上の初陣の話を聞いても良いのかな?」

「スコント国境での陣場借りの話ですか? よく知っていますね?」

「南の連中ならば兎も角、隣国の我らが興味を持たないとでも思っていたのかね?」

「迷宮都市へ無事に付けた時とルガナやラヒルを活動拠点にしても反応無かったので、てっきり俺の事に気が付いていないものばかりと思っていましたよ」

「まあ、私が情報をせき止めていたのは確かだな。親父様が知ったら何しでかすか分からなかったのでね」

 エクサは肩を竦めて見せる。

「お礼を云った方が宜しいのでしょうか?」

「いや、どちらかと云えば、傭兵組合と相争いたくなかっただけだ。君の家との関係は然程配慮していない。……まあ、傭兵組合に配慮している以上、結果的に配慮しているとも云えるが……只でさえ面倒事が多いのにこれ以上増えるのは勘弁して欲しいものだよ」

 大きな溜息を付きながら、エクサは茶を啜った。

「傭兵組合の信用が高まったのは、“軍神の感状”が主要因ですからね。まあ、配慮せざるを得ないでしょうな」

 エクサの懊悩の深さをアレウスは何となく推し量れた。

 元来、傭兵というものは世間一般から見て信用される様な存在ではなかった。街道が通っている山や要害に拠り旅人を襲う賊が、領主や金を持っている何者かに雇われている状態が傭兵と呼ばれるものであると考えられていたし、事実その様な者が多かったのも確かなのだ。従って、本来は信用などあってなきが如しと言えた。

 その怪しげな連中に仕事を斡旋していた組合は中原の大きな城邑ならば昔からどこにでもあったが、胡散臭いものとして見られていた。

 それが一変したのは、“軍神”が現れてからである。

 “軍神”はハイランドに関わる戦があればどこにでも出征した。当然戦があれば陣場借りする腕自慢や金に有り付こうとする傭兵団が現れるものだが、“軍神”は己の配下だけで戦うことを選んだ。その上、軍紀に厳しく、少しでも略奪を行う者が現れれば平然と誰であろうとその者を斬った。

 それでも、陣場借りをする傭兵は現れた。“軍神”の決めた軍紀に従い略奪もせず、食料も持参し、黙々と戦場で軍功を上げる。特に大きな働きをした者には“軍神”手ずからの感状を与えた。

 その感状目当てに、何度も自腹を切って陣場借りを繰り返し、ついには顔見知りとなった“軍神”の麾下の将から仕官の声が掛かる者も現れる様になった。

 流石にそれは少数例だが、感状の数が三枚を越えた辺りから、それを持つ傭兵は世間一般から信用される様となる。何せ、あの軍紀に厳しい“軍神”から真面に働いたと保証されているのである。何も保証する者がない相手より、当然“軍神”のお墨付きを持った者を世の人は選ぶ。

 傭兵組合も当然それに目を付け、傭兵を求める雇い主に感状の多い者を優先的に薦める様となり、次第に組合自体の評判も上がってきた。

 逆に、従来通りの傭兵や傭兵団はそれこそ盗賊や山賊の如き者という扱いとなり、戦場での仕事すらも中々回ってこなくなった。

 昨今では、ある程度金を貯めてから、“軍神”の軍勢に陣場借りして必死三昧に戦働きし、感状を稼ぐのが傭兵として大成する流れとなっていた。

 今でも傭兵の多くはならず者である。

 だが、“軍神の感状”がそうである者と違う者を分けた。

 傭兵組合は“軍神の感状”という保証で以て彼らを必要とする者たちから信用を勝ち得たのだ。“軍神の感状”を持つ傭兵ならば、裏切らない、雇い主の望まぬ行動を取らない、信用できる、と。

 そして、傭兵組合は“軍神の感状”に縛られたのである。

 もし仮に、“軍神”が陣場借りをしに来た傭兵たちに今まで通り感状を配らなくなったならば、新しく生まれた一つの秩序が崩壊するのだ。傭兵組合は“軍神”に首根っこを捕まれてしまった。

(まあ、父上がそこまで考えているか怪しいところだがね。あの人はあの人の望むが儘に生きたいだけだ。己の美学にあわぬものを己の手の内に抱きたくない。結果、“軍神の感状”という副産物が生まれただけ。……兄上ならば、利用するかも知れないが……父上が嫌う事をあの兄上がする訳がない。結局、暫くは此の儘であろうな)

 アレウスは懊悩するエクサを見ながら、束の間同情した。

 東に出征するだけならば、ファーロスが動員できる兵数でお釣りが来よう。だが、“覇者”がラヒルを制した以上、それでは手が足りなくなる。傭兵を雇い入れる必要が生じるのだ。

 これが敵領に攻め込むのならば、勝手に略奪しようが、田畑を荒らそうが気にも掛けないだろう。

 問題は、これからの戦いが防衛戦であり、戦場が自国である点であった。

 傭兵団を雇い入れ、勝手に動き回られ、好き放題に略奪された場合、戦後の処理をどうするのか頭が痛いところであろう。それどころか、長く対陣することとなったとして、その様なことをしでかし続ける者ばかりを雇い入れれば、民の心が離れ、敵に寝返る者たちも現れよう。

 しっかりと自分たちが守り抜くという意思を広く民衆に示し続けなければならない以上、傭兵組合から信用できる傭兵団や傭兵を数多く雇い入れる必要が生じているのだ。

 それが意味するところは、とどのつまり現状傭兵組合と争う様な真似を選択できないということである。

 アレウスの様子を見ていたエクサは茶碗を机に置き、

「私の家は兎も角、私自身に君と敵対する意思がない事は分かって貰えたのでは無いかな?」

 と、静かに笑った。

「分かるには分かりましたが、些か釈然としないものがありますな」

「玉虫色の結論みたいなものだからな」

 苦笑しながら、「君の正体を追及しないのと同じ様なものだよ。分かっていない事にした方が便利だからそうする。今回の件は我が家にとってどちらも根が同じだから、同じ結論に至るのは不思議では無いのだがね」と、エクサは言った。

「傭兵組合自体もですか?」

 些か驚きを隠し得ぬ口調でアレウスは問い返す。

 これまでの応答でエクサが傭兵組合に含むものを一切持っていないことを確信していた分、アレウスにしてみれば不思議な話であった。

「流石にハイランド絡みの案件を無条件で信じる事は出来ないねえ。それが“軍神”の意向次第でどうとでもなると為れば猶更だよ」

 真剣な顔付きでエクサは即答する。

 そこには歴戦の武人としての数多の修羅場を越えてきた男の顔があった。

「太守殿個人も?」

「一応家門の事を考えての建前というのは重要だと思うがね」

 思わず苦笑しながら、エクサはアレウスの問いに対し、間接的に答えを匂わせた。

 同じ様な対応続きの状況に食傷気味とばかりに首を横に振り、

「建前だらけの話し合いですね」

 と、アレウスは呆れてみせる。

「ま、その方が有り難い場合もある。大っぴらに出来ない物事の場合は、だがね」

 意味深な物言いでエクサはアレウスを見る。

「……どこまでお望みなので?」

 致し方なく、アレウスはエクサに応じて会話の底にあるものを見極めようと冷徹な計算を開始する。

「少なくとも、こちらの体勢が整う迄、“覇者”の軍勢と渡り合える傭兵団を雇い入れたいね」

 その様なアレウスとは対照的に、エクサは隣の住人に塩を借りる程度の気軽さで本題に入った。

「いつ頃までになるとお考えで?」

 エクサの思考を読み取らんとアレウスは淡々と条件を探る。

 これまでの言から、エクサが援軍を求めていることは見えてきていたのだが、それはファーロスの意思ではなく、エクサの意思と言うものであろう。もし仮に、アレウスが実家に状況を報告し、それを元に兄が自分の息の掛かった軍勢──当然、傭兵組合を通して──を送ったとしても、エクサが総大将である限りは問題は起こり得まい。

 だが、エクサより上位者が総責任者となった時、ハイランドの手の者をそのまま無事に返すだろうか?

 そこがはっきりしない限り、アレウスとしては兄にこの話を持ち込むことはできなかった。

 だからこそ、兵たちの身の保証が何時までかと言う問題は重要事であった。

「……それが分からんのだよなあ。東が片付けばこちらに戻るとは思うのだが、父上の事だから、そのまま北上しても驚きは覚えないつもりだ」

 部屋の壁に貼られている周辺地図を見据えながら、「幸か不幸か、“覇者”の主力は現在この近辺に駐留している。こっちがそれを引き付けていれば、当家の主軍が好き勝手に動ける故に、先が流動的になる。逆に、こっちが持ちこたえられない場合、ソーンラントの西部を完全に見捨てるだろうね」と、エクサは己の読みを語った。

「東の状況次第、だと?」

 余りもの当たり前の返答にアレウスは落胆を隠せずにいた。

 当然、その中りはエクサも察しており、

「少なくとも、ここ、バラーが落ちる事を傭兵組合が望んでいるとは思えないのだがね」

 と、至極当たり前の事柄で念を押してきた。

「口利きをしろ、と?」

 アレウスもそれに当たり前の事で確認を取る。

 最初からエクサがアレウスの実家に兵を出して貰えないかと暗に匂わせているのは間違いない事実であり、お互いにそれを理解した上で今迄の応酬が続けられてきたのだ。

 敢えて当たり前のことを口にしているということは、その裏にある意思をお互いに読み取れと言い合っている様なものである。

 エクサは傭兵組合をアレウスの実家と一心同体であると認識しており、アレウスはエクサがファーロスの異端だと認識していた。互いにそれを理解していると分かった上で、必要な保証を互いに寄越せと言い合っているのだ。

「そうだね。君直々に口利きして貰えれば、相当優秀な傭兵を廻して貰えそうだからね」

 ある意味で隠そうともせずに、エクサははっきりとした要求をする。

 “覇者”と遣り合える精鋭を廻して欲しいと臆面もなく告げたのだ。

「依頼が終わった後、無事に返して貰えるならばなんとでもなるのですがね」

 事ここに至ればアレウスものらりくらりとかわすつもりはない。何よりも必要な事柄の確約を出せとエクサに求めた。

 二人の兄の薫陶を受けているだけあり、アレウスの戦略眼は並大抵のものではない。バラーが落ちた場合、ハイランドがどれだけ不利になるのか瞬時に理解しているのだ。

 した上で、絶対的に呑めない条件を未だに提示されていることに困惑しているのである。

「私の確約は何時でも出せるよ」

 アレウスの要求を理解した上で、エクサが出せる最大限の譲歩を提示する。

「それ以上は無理ですか?」

「少なくとも、父上がこっちに来なければ何とでもする。金の方も用意出来る。食料物資もこちら持ちの約束も出せるが……父上の動向だけは保証出来ない。済まないね」

「……分かりました。傭兵組合を通して兄上には連絡しますが、期待しないでください。まあ、兄上の事ですから、何かこちらの裏をかく様な手を思い付くかも知れませんがね」

 エクサの答えから、自分ではこれ以上の条件を引き出せないと悟ったアレウスは残りは全部兄に任せようと丸投げすることにした。実際問題、アレウスが条件を煮詰めたところで、それがどう影響するか、本人にも分かっていなかった。少なくとも、故郷で兄たちがこの件に対して悪い印象を覚えない様な配慮にはなると考えていた。要するに、アレウスなりのエクサに対する好意の表れと言えた。

「ま、良い返事を期待せずに期待して待つとしよう」

 言葉の割には明るい顔付きでエクサは安堵の表情を浮かべていた。

 エクサからしてみれば、アレウスの口添えさえあればなんとでもなる自信があったのだ。アレウスからの確約さえ取れれば今は充分だったのである。

 その反応を見て、本題が一段落付いたと見なしたのか、

「……どう考えても、世間話ではありませんな、これ」

 と、疲れ果てた顔でアレウスは呟いた。

「いや、君の旅の様子を聞きたいのも本当なのだがね。どうにも、君が本題を先に片付けたがっている様だからねえ」

 にこにこと笑いながら、機嫌良くエクサは答える。

 先程までの世界が滅びる神託を受けた善良なる神官の如き表情からは想像も付かない晴れやかさであった。

「最悪世間話はレイが聞いていても差し支えありませんが、この種の話は流石に……」

 言葉を濁しながら、アレウスは茶を静かに飲む。

 完全に話題と流れが変わったことで、アレウスにも多少の余裕が生まれていた。

「ま、知られたくない話の一つや二つあって然るべきだ。……それはそうとして、本当に正体気が付かれていないのかね?」

 興味深そうに尋ねてくるエクサに、

「ハイランドは避けていますからね。ソーンラントで俺の事を知っている人間が居るとすればファーロスの中でもハイランドの情報に通じている人物──太守殿ぐらいですな」

 と、鋭い目線を向けた。

「良くも悪くも、君の二人の兄が目立つ分、君の話は国外まで漏れ聞こえてこないからなあ。その上、ここ数年は病で伏せっているという話だから、面識でも無い限りは気が付かれまい」

 和やかな表情の儘、エクサはアレウスの兄が用意したと思われる作り話カヴァーストーリーを語って聞かせる。

「そこら辺の情報の制御は兄上の得意とする処ですからね」

 旅先でちょくちょく噂を確認していた為、驚くことなくアレウスはそれを受け入れた。

 当人としては、あっさりその話が信じられていることに多少納得がいかないものもあったが、自由に行動できる以上、流石に文句を付ける理由がなかった。

 アレウスも分かってはいるのだ、武者修行の旅に出掛けたという情報が知れ渡れば自分がどうなるかぐらいは理解しているのだ。ただ、何となく病に負けた気がして悔しくて仕方ないだけなのである。

「であろうな。ある時から、急に情報の鮮度に違和感を覚える様になった。私よりその種の事に長けた者が何らかの形で介入していると推測していたが……この様な処で答え合わせが出来るとはなあ」

 何とも言えない表情を浮かべ、エクサは大きく溜息を付く。

 アレウスとしても、余計な事を言う訳にもいかないので敢えて曖昧な笑みを浮かべて相手の出方を窺う。

「ま、互いに語れぬ事もあるか。……ああ、そうだ。もし、君の兄上に伝えられるのならば、再編した敗残兵を率いる事が出来る中核が欲しいとだけ付け加えておいて欲しい」

 藪蛇を怖れて急に黙りこくるアレウスにエクサは一つ注文を出した。

「……宜しいのですか?」

 常軌を逸した提案に、アレウスも流石に戦く。

 アレウスの実家とファーロスは間違いなく仇敵同士である。その相手に、兵を預けると言い出しているのだ。“覇者”は共通の敵とは言え、互いが信頼できる盟友となった訳ではないのだ。“覇者”とファーロスの戦力を同時に削る為に無茶な命令を出しかねない、その様な相手に全てを委ねると言っているも同然だった。

「残念ながら家も贅沢云っている余裕が無くてね。熟練兵を率いる下士がほぼ全て東に抽出されてしまっていてね。此の儘だと粘り強い戦いが望めそうも無い。ま、私が負けない限り、一族の誰もこっちには来ないだろうから、君達からすれば都合が良かろう?」

 アレウスが思い至ったことをエクサが想像できていない訳がないのに、何も問題ないとばかりにその場合の利点を語る。間違いなく、エクサ・ファーロスは傑物であった。

「最終的に勝って戴かねば結局は都合が悪くなると思うのですが?」

 敢えて先程の問題から目を避け、アレウスは正直に予想できる未来をある意味で端的に表現してみせる。“帝国”にしろ、“覇者”の支配域にしろ、明らかに人口面で彼の祖国を上回っているのだから、ソーンラントという壁がなくなればどうなるかは想像に容易かった。

「……それは“覇者”がどこの戦線に向かうか次第かな。正直、私では“覇者”の相手は荷が勝ち過ぎる。盲ベルライン相手ですら避けたい処だよ」

 真面目な顔付きでエクサは地図を見ながら頭を抱えた。

「それ程兵がいないのですか?」

 先程の提案から、アレウスは想像できること」を尋ねてみる。

 実際、ラヒルの出城としての側面もある割にはざっと見た限り兵数が足りていない様に見えた。

「元来この地は我が家のものでは無いからね。中核こそ私の手勢だが、この地の兵の大半は配属されたソーンラント正規兵だ。これから雪崩れ込んで来るであろう、ラヒルより南の敗残兵から悪影響を受けやすいのは考えるまでも無い事でな。流石に、父上ならば兎も角、私では到底そこから士気を最高潮まで持ち上げられないのでね。名の知れた良将を相手にしたくないのが本音だよ」

 苦笑しながら、エクサは肩を軽く竦めて見せる。

「成程。傭兵を雇いたい本当の理由は、兵が立ち直るまでの時間稼ぎですか」

「元々ネカム救援の為に兵はソーンラント中から集まっていたからね。後は率いる者さえ居れば、防衛若しくは戦線の膠着程度ならば私でもやってやれない話では無い。問題はそれを揃えるだけの時間が怪しいという処だから、どこでも時間を稼げない以上、既存のものをどこかから持ち込むしかあるまい」

 当たり前の前提に当たり前の事柄を積み重ね、エクサは常識に基づいた結論を披露する。

 あり合わせのもので如何に戦線を維持するかという思考は戦略面に於いては非凡なものを持っていると言えた。問題はそれに敵が付き合ってくれるかどうかであり、敵に裏をかかれた際、それに対応できるかどうかに掛かっている。

 ただ、そこまで考える義理はアレウスにはなかったので、

「しかし、結局それでは、東から援軍を待つのも変わらないのでは?」

 と、一般論に終始することにした。

「軍勢を待つのと、傭兵を集めるのとでは掛かる時間が変わるとは思わないかね?」

 幾分晴れやかな表情でエクサは質問を返す。

「傭兵団では無く、傭兵と来ましたか……」

 アレウスは漸くエクサの考えを理解する。「戦力では無く、今ある兵力を戦力化する人材が欲しい、と」

「それならば軍勢を送るよりは早く集められよう。まあ、そこから戦力化して貰うまでの時間は自分の手勢と真面な正規兵で稼がねばならないのが辛い処だがね」

 アレウスの答えを肯定しつつ、自分の考えの問題点をエクサは明け透けに語る。

「どちらにしろ敵は時間ですか」

「“覇者”の計画の全容を知っていれば話は別なのだが、流石に教えてはくれないだろうしな」

 下手な冗談を口にしながら、エクサは肩を竦めて見せる。「ま、本当に教えてくれたとしても信じて良いのか分からないのが難点だが」

「そこら辺の謀も上手いですからねえ、“覇者”は。ところで今更の質問なのですが、ラヒルは落ちていたのですか?」

「本当に今更だな」

 エクサはアレウスの質問を聞いて笑いだした。

「俺にとっても、割と重要な質問なんですがね」

 対照的にアレウスは深刻な顔つきでエクサを見る。

「ああ、済まない済まない。落ちているという想定の下に話しているのに、ラヒルが健在だったらと思うと笑えてきてな」

 エクサはゆっくりと茶を啜ってから、「まだ臣下の者は戻ってきていないが、敗残兵の一部をこちらで収容した」と、淡々と告げる。

「その方々は何と?」

「ラヒルに裏切り者が出て陥落したと口々に言っていたな。内から崩れたのは間違いない」

「ダッハールが率いていた突騎だけで落ちるものでしょうか?」

 流石に内城が完全に落ちるまでは今少し時間が掛かるだろうとアレウスにとってその情報は内心に強い衝撃を与えるのに十分であった。

 付け加えれば、可能性は考えたがダッハール勢だけでラヒルを落としたとなれば流石に色々と考え直さねばならないことが出来しゅったいする。なるべくならば、ダッハール以外の何者かが攻め落としてくれていればな、とアレウスは祈った。

「まあ、裏切り者が本当に出ていたのならば……どうであろうな」

 真剣な表情でエクサは考え込む。「この中原でもラヒル程の城を有する城邑は少ない。高々千騎余りの騎兵でやれる事と云えば攪乱ぐらいだろうさ」

 エクサもアレウスから聞いた情報だけでは判断しかねていた。

 千騎前後の突騎に正規軍が翻弄されるまでは理解できたが、王城の本丸を騎兵で落とすとなると想像の埒外である。アレウスには説明していなかったが、ルガナ救援の為に集められた兵の内、現在王城で勢力を張っている派閥の手勢は内城にあるそれぞれの館に詰めていた筈なのだ。裏切り者が出たとしても、それら全てが何もせずに敗退したとなればいよいよ持って亡国の兆しであろう。

 だからこそ、攪乱ぐらいしかできないという言葉は自分自身に言い聞かせるものでもあった。

「ならば、何故落ちたと明言出来るのでしょうか?」

 敵前逃亡となればどの国の軍規でも死罪である。城が落ちる前に逃げ出していれば、士気を保つ為にも見つけ次第殺さざるを得ない。そこら辺が理解できない者でもない限り、態々死罪になる様な場所に逃げ込もうとはしないだろう。エクサの言い種から、アレウスはそれなりに真っ当な兵が逃げ込んできていると推察した上で、情報の肝に踏み込んだ。

「それよ。ネカムのベルラインは動いた様子がない。ならば、考えられる事はそう多くない。我らは謀られたのよ」

 我が意を得たりとばかりに膝を打ち、エクサは見出した結論を開陳する。

「……伏兵が居た、と?」

「多分な。話を纏め上げた上で検討した処、それしか考えられない。どちらにしろ、それも明日までには分かろう。その為に、心利きたる者を斥候に出したのだ。その程度は調べ上げよう」

 幾分深刻な表情を浮かべ、エクサは椅子に深く座り直した。

 これまでの推論が全て正しかった場合、ソーンラント陣営の諜報網は確実に機能していないとしか言い様がなかった。唯でさえ“覇者”の動きが見えていなかった上、それが分かった後も後手後手に回っているのだ。これ以上の進撃を食い止めることが求められている城邑の太守としては頭が痛い問題であろう。

「では、俺達は明日無事釈放ですか?」

「今少し客人として滞在してくれても良いのだぞ?」

 エクサは笑いながらそう提案してきた。

「先を急ぐ旅なれば」

 流石にファーロスの家でゆっくりできないとは言えず、アレウスは遠回しにここから逃げ出したいと答えた。

「まあ、君の立場ならば仕方ないか」

 アレウスの本音を即座に把握し、エクサは致し方ないとばかりに首を横に振った。

「申し訳ありません」

 エクサ個人に対し、これまでの応答も含めて強い好感を覚えていた。その点では彼の申し出を断ることに対し、アレウスの思いは残念で一杯であった。今少し交遊し、更なる知遇を覚えたい気持ちが強かった。

「……巡り合わせというものであろうよ」

 アレウスの気持ちを察したエクサは致し方なく更なる勧誘を諦めた。

 エクサも又、アレウスとの縁を今少し強めたかったが、家門の事を考えれば無理強いはできなかった。

 次の話題に二人が頭を悩ますことになる前に、扉からおとないを告げる音が高らかに響いた。

「どうした?」

 エクサは外にも聞こえる程の大声で何事か尋ねる。

「失礼致します、閣下。御客人の御連れ様の準備が整いました」

 思わず見とれる様な見事な所作で女中が入室してきて、エクサの傍まで歩いてきてから透る声で静かに報告する。

「ン、御苦労。食堂に案内は?」

「先ずは閣下に御報告と考え、隣室で持て成しております」

「了解した。我らも直ぐに食堂へと向かうので、今少し待っていて貰え」

「承知仕りました」

 矢張り一部も隙の無い身の熟しで一礼すると、そのまま静かに退室する。

「……恐るべき手練ですね」

 気配が立ち去ってから、アレウスは大きな溜息を付いた。

「そうかね? どの家もあの程度のものでは無いかね?」

「果たして実家にあれほどのものはいましたかな。名門の底力を見せつけられた思いです」

「そうかね、そうかね。そう云って貰えると嬉しいものだね」

 エクサは満面の笑みを浮かべ、「さて、淑女を待たせるのは紳士として恥ずべき行為だ。我らも食堂に急ぐとしようか」と、アレウスを誘った。



 翌日、アレウスはエクサに呼び出され、ラヒルの陥落を聞いた。

 エクサはアレウスの報告が正しかったと判断し、傭兵組合への正式な依頼をアレウスに託した。その依頼書を直ぐさま組合に届ける為にアレウスは太守の館を辞した。

 これにより、アレウスは傭兵組合への義理を果たしたと見なし、バラーを出る準備を開始する。

 先ず、港に赴いたアレウスは停泊している船を観察し、お目当ての旗を見つけた。

 一つ頷いてからそちらに向かい、

「迷宮都市まで行きたいんだが、この船は下流域に向かうかい?」

 と、船の入り口で見張っている男に声を掛けた。

「あ? 悪いがこの船はハイランドの船だ。ソーンラントで人を乗せられねえよ」

「知っている。船長は居るか? これを見せてきてくれると助かる」

 アレウスはそう言いながら、懐から何かものが入った巾着袋を渡す。

「何だ、これ?」

「見せてくれば分かるよ。少なくとも金では無い。袋の外に出さないのならば、一応中身の確認をここでしてくれても良い」

 アレウスの言葉に従い、男は袋の紐を解き、中を見る。

 一瞬中身が何か理解できなかった男だが、中身を見る方向を変えたことでそれが何か思い当たり、近くにいた乗組員に見張りを交代して貰ってから急いで船へと駆け出していった。

 暫く代わりの見張り要員と世間話を交わしていたところ、

「御客人、船長から御迷惑で無ければ話がしたいと」

 と、奥から来た船員が丁重に話し掛けてきた。

「ありがとう。案内宜しく。君も世間話に付き合ってくれて助かったよ」

 代わりの見張り員にも礼を言ってから、アレウスは案内されるままに船へと足を踏み出す。

 船尾楼にある一室にアレウスは誘われるまま入室する。

「お待ちしておりました」

 アレウスの姿を見て、船長は一礼する。

「まだ、この割符は使えるみたいだね」

「それが使えなくなる事は考えられません」

「兄上が失脚したらそうとも云えないと思うがねえ」

「それこそあり得ますまい」

 アレウスの発言に船長は自信を持って答える。「あの方程、国の事を考えている方は居りますまい」

「だからこそ、身が危ないとも云える」

「しがない船乗り風情が遣れる事には限度がありますから」

「それはそうだろうな。兄上の身を心配するのは兄上に近い者達が責任を持って為すべき事であろうさ」

 アレウスはそう言いながらも、「まあ、兄上が失脚する姿を想像出来ないのだがね」と、苦笑する。

「それで、いかなる御用でしょうか?」

 少しばかり身構えながら、船長は来訪の理由をアレウスに問う。

「江を下りたい。具体的に云えば、迷宮都市に行きたい」

「成程。江を下る事自体は問題ありませんが、御存知の通り現状“江の民”が下流で船を襲撃しております。当船もその限界までは向かおうと思っておりますが、迷宮都市迄ですと現状の儘では不可能かと」

 船長は恐る恐るアレウスに進言した。

 船長の言い分は尤もであった。“江の民”が恨みを抱いているのはソーンラントの民だとしても、彼らがどこの国の人間が船を操っているかなどを細かく見分けられる筈もない。その証拠に、現在アーロンジュ江下流で襲われている船は、ソーンラントの船だけではなかった。

 仮に、“江の民”がどこの国のものと見分けられたとしても、船を自由に通行させた場合、その物資が下流域にあるソーンラント勢力に渡される可能性も高い。物資が充分足りている状態のソーンラントと真っ向からやり合うよりも、干乾しにしたソーンラント勢を追い出す方が圧倒的に楽なのだ。彼らが無差別に船を襲うのは戦略面から考えてみれば至って当たり前のことと言えた。

「俺に一つ心当たりがある」

「心当たりですか?」

「船長にとっても悪い話では無い筈だ」

 アレウスは笑いながら、自分の考えを船長に伝える。

 話を聞き、船長は悩んだ。アレウスの話が事実ならば、大きな商機なのだ。現状、アーロンジュ江の下流を自由に航行できる船はない。“江の民”と運良く出会わなければ大きく儲け、出会ってしまえば最悪江の藻屑である。その様な博打めいた航行から安定した交易へと変えられるのであれば、悪魔とでも契約するであろう。

 暫く懊悩した後に、

「……間違いないので?」

 と、肺腑から何とか言葉を絞り出した。

「そうでもなければ、迷宮都市から自由に出入りは出来ないさ。問題は、彼がこっちの方に居るかどうか、だな」

 些か深刻な顔つきでアレウスは、「連絡を常に取り合っている訳では無いから、そこは保証しかねる」と、予防線を張った。

「居ないと?」

「些か面倒な事になる。まあ、余程過激な連中でも無い限り、話は通せるがね」

「過激な連中?」

 胡乱な顔付きで船長はアレウスを見る。彼が知り得る限り、“江の民”で過激ではない者を探すのが難しいのではないか、そう言い切っても良いだけの犠牲を既に出していた。

「人間全てを敵と見定めている部族だな。知っての通りこっちにも同じ様な輩が居ない訳では無いが、航路をどの部族が警戒しているか迄は運次第だ」

 アレウスの台詞を聞き、ちらりと机の上に置いた割り符を見てから船長は再び悩み込む。

 間違いなく大きな勝負時である。

 アレウスの素性は割符が保証している。決して表に出回らない形の割符であり、仮に偽造しようとしてもそれが存在していることを知らなければ不可能である。どちらにしろ、ハイランド秘中の秘とも言える情報を知り得る者であることに間違いはない。

 要は、アレウスを信じるか信じないか、そこに全ては掛かっていた。

「ふむ……。ならば、担保を出すとしよう」

 船長の悩みを察したアレウスは懐から一振りの短刀を取りだし、机の上に置いた。

「……これは?」

「まあ、抜いて確認してみなさい」

 アレウスは船長を促す。

 机の上に置かれた短刀を軽く見て、船長は違和感を覚えた。

 拵えを見る限りどう見ても普通のそこら辺で売っていそうな量産品である。

 しかし、何か違うのだ。

 幸い持ち主の許可は出ているので恐る恐る短刀を抜こうとした瞬間、船長ははっきりと何が違和感だったのかに気が付いた。

 明らかにあってはならないものが目に入ったのだ。

 思わず船長はアレウスを見る。

 アレウスは只静かに笑うのみであった。



「まあ、そんなこんなで優しい船長が見つかってな。こうして楽しい江下りが出来ている訳だ」

 物珍しげに両岸を見比べているレイにアレウスは大体のところを説明する。

 アレウスからの説明を上の空と言った感じに聞き流しながら、レイは生まれて初めて見る光景に心を奪われていた。

 その様なレイの態度からアレウスは内心を当て推量し、

「……そんなに珍しいかね」

 と、説明を諦めながら彼からしてみれば変哲のない風景を見渡す。

「うん。綺麗な緑が広がっているし、何よりも水が綺麗」

 すっかり感動しきった顔付きで飽きもせずにレイは何度も左右を見渡す。

「……ああ、まあ、ジニョール河は泥まみれだからなあ」

 アーロンジュ江の傍で育ったアレウスとは違い、南部生まれの南部育ちなレイにとって今いる風景はこれまで見たこともない心奪われるものであった。

 どんよりとした天気が似合うジニョール江に対し、アーロンジュ江は晴れ渡った青空にこそ映える煌びやかな美しさがある。どこもここも黄色じみた南部にはない総天然色の美しい世界はレイにとって何よりも心を浮き立たせるのだ。

「アレウスはジニョール河を見て何も思わなかったの?」

 異境を数多く見てきているだろうアレウスにしても、今の自分と同じ気持ちになった場面があると考えた。故に、一番有り得そうなものを例えに上げて素直に聞いてみたのだ。

「遠くに来たな、とは思った。あの時は、嘗て英雄王が通ったとされる道を選んでヴォーガに至った気がする。そう考えると……随分歩いてきたものだな」

 自分の旅路に思いを馳せ、旅立つ事を決めた最初の志が今でも自分の中で息づいているか再確認する。(三つ子の魂百まで、だな)

 そして、一つ頷いてから、

「それで、何かここら辺の光景で説明して欲しい事はあるのかね?」

 と、尋ねてみる。

「んー。普通、川を行く船って浅瀬を避けるよね?」

「海を行く船でも避けると思うが?」

 当たり前の疑問を返され、那辺に意図があるかアレウスは読みきれなかった。仕方なく、疑問に疑問を返す事で範囲を狭めようと意図する。

 レイも直ぐにアレウスの意図を察し、

「ああ、そうじゃなくて、何で浅瀬に乗り上げる可能性が高い岸辺に近い方を通っているのかなあ、って」

 と、右手にある南岸を指差した。

「ああ、成程な」

 レイの確かな観察眼に感心しながら、「それは北岸側の“江の民”を怖れているからだ」と、アレウスは答えた。

「“江の民”って、北岸に居るの?」

「いや、両岸にどこにでもある沼沢地帯ならばどこにでも住んで居るぞ」

「……? だったら、何で南岸よりを選ぶの? “江の民”って船を襲ってくるんだよね?」

「いや、本来は襲わないぞ? ソーンラントの莫迦が莫迦遣った所為で報復として襲撃を受けているだけだ」

 何を今更言い出しているのだと言った表情を浮かべ、アレウスは首を傾げながらレイの問いに答えた。

「だったら南岸も危ないんじゃ無いの?」

「危ないな。まあ、こっち側に住んでいる“江の民”はまだ話が通じるから、交渉次第でなんとでもなる時がある。まあ、駄目な時も多いが」

 肩を竦めながら、アレウスは苦笑する。

「それこそ駄目じゃ無いか」

「只、こちら側の“江の民”が命を奪う事は少ない。何せ、交易せねば手に入らぬものも多いから、そこら辺割切っている部族が多いな。一方で、向こう岸に住まう部族はソーンラントに元居た住み処から追い出された部族やそれを匿う部族が多かった所為か、人間に対する反発が強い。交易して手に入れるよりは襲って強奪する事を選ぶ連中ばかりだな。江の半ばを行かば、向こう岸の部族と会う確率が増す。そして、“江の民”は我らよりも泳ぎが達者だ。江の真ん中で襲われた上、船を沈められてみろ。話が通じない相手だった場合、確実に殺されるぞ?」

 大きな溜息を付きながら、アレウスは首を横に振った。

「通じる相手だったら?」

「まあ、莫大な通行料を取られる程度で済めば御の字だろう。話が通じると云っても、先にも云った通り、友好的とは限らない訳だからなあ」

「変わりがある様な、無い様な……」

 アレウスの台詞を聞いて、レイは困惑する。平たく言ってしまえば、力尽くで強奪されるか、脅迫して強奪されるかの違いである。財産を無くすという点では変わりがない様に思えた。

「命があれば何か成し遂げられる。無ければそれまでよ。商人ならば転んでも只では立ち上がらん。運べるものだけ運んで、言い値で売り切る。御陰で、最近の下流域は物価が高い」

 レイの考えを読みきった上で、アレウスは死んだらお終いだとはっきり告げる。

「何でそこまで知っているの?」

「決まっている。迷宮都市の動向は常に注視しているからだ」

 アレウスは力強く言い切る。「俺の財産の大半はあそこにあるからな」

「そんなに儲けていたの?」

「まあ、ほぼ無一文から大陸一の分限者になる程度には」

「うん、一寸頭おかしいね」

「その程度で済めば御の字ではあるなあ」

 苦笑しながら、「迷宮に潜っている連中は一人残らず人として何か狂っている奴しか居なかったよ」と、言い切った。

「アレウスみたいなのがいっぱい居るって事かあ」

 呆れ果てた声色でレイは思わず天を仰いだ。

「いや、俺はまだ真面な方だぞ?」

「真面じゃ無い人程然う云うよね?」

 胡乱な者を見る目でレイは冷え切った声を出す。

「それは否定せぬが……自分の目で見れば納得もするか」

 説得しようと己の心中から材料を集めようとして、アレウスは唐突にそれを諦める。集まれば集める程、どう考えても自分が不利になる様なものしか思い起こせなかったのだ。

 逆に、言葉ではなく実際見て見れば自分の言い分が通ると思い直した。

 思い直したが故に、問題を先延ばしすることにした。

「うーん。アレウスが真面じゃ無い事ぐらいよく知っているけど、そのアレウスをして真面じゃ無いと云わせしめる人たちか。一寸想像付かないな」

 迷宮都市で顔見知りだった者たちを思い起こしながら、

「……さて、今も生きている奴らがどれぐらい居るのやら」

 と、アレウスは首を捻った。

「そんなに直ぐ死ぬの?」

「死ぬな」

 即座にアレウスは答えた。

「死ぬんだ」

「死ぬ。迷宮の悪意ある罠で死ぬ。迷宮で出口がどこにあるか分からなくなって餓死する。徘徊している怪物に殺されて死ぬ。怪物には勝ったが、その毒に侵されていて衰弱死する。実はその毒が麻痺毒で動けなくなって死ぬ。宝箱を見つけたら罠に掛かって死ぬ。伝説の生き物を見つけて返り討ちで死ぬ。まあ、例を上げれば枚挙に暇が無い」

「もしかして、死なない方が珍しい?」

「そうでもなければ、儲からんよ」

 恐る恐る訊いてきたレイにアレウスは苦笑する。「珍しいからこそ迷宮で産するものは高値が付くのだ。何故珍しいのかと云えば、それを確実に卸し続ける事が出来る者が居ないからさ。そして、迷宮に挑む冒険者の数は少なくない。浅い層に挑むだけならば、それなりにやっていけるが、一生分稼ぐとなれば……ある程度の博打を打つ必要が生じる。やっていけないと判断したのならば、他の儲け口を探すのも正しい事だろうな。現に俺も向いていない知り合いに対しては然う警告したし、傭兵としての働き口ならば紹介して遣っていたさ」

 意外にも重い口調で真面目に答えを返してきたアレウスにレイは何と尋ねればいいか思い悩んだ。

「何、行けば分かるさ。これが誇張なのか、真実なのかは、な」

 クスクスと笑いながら、アレウスは前方に目を遣る。「……そろそろお出ましみたいだな」

 レイが反応する前に、アレウスは舳先へと歩みを進める。

 じっと川面を見詰めてから、

「これなるは“碧鱗”の友なるアレウス。そこなる方々は何処の民か?」

 と、大音声で名乗りを上げた。

 暫し後、水面に幾つか影が上がってくると、

「我らは“紅玉”を名乗りし者なり。“碧鱗”の友を名乗る者よ、その証を示せ」

 と、独特の発音で声を掛けてきた。

「良かろう。然れど、芳名をお聞きしたし」

「我が名はレ’ンズ、“紅玉”の勇士なり」

 水面に頭らしきものを浮かべている何者かは人間からすると些か不可思議な区切りで己の名を発音する。

「何とお呼びすれば宜しいか?」

「人間が我らが名を正確に呼べぬのは承知しておる。呼びやすい様に呼ぶが良かろう」

「御厚意、感謝する」

 朗らかに笑い、アレウスは駆け付けてきた船員に小舟カッターを川面に下ろす許可を取る。

 予め船長から言い含められていたのか、一艘の小舟を手際よく降ろすとその上に辿り着ける様に縄梯子を掛けた。

 船員数人がオールを背に掛けて素早く駆け下りる。

「それではちと行ってくる。レイはそこで静かに待っている様に」

 そう言い残すと、アレウスは素早く縄梯子を下りていった。

 アレウスが小舟に到達すると共に、船員達は櫂を使って川面を進み出す。

 直ぐに川面に浮かぶ影が赤銅色の鱗に包まれた巨大な蜥蜴の頭があった。よく見れば頭頂部に鮮やかな紅色の鱗があり、これが“紅玉”の名の由来であろうと推察出来た。

「舟の上から失礼」

「人間が我らの様に江の中で自在に動けぬのは知っている故に気にする事なかれ」

 先ずは詫びを入れてきたアレウスに対し、レ’ンズは鷹揚に答える。「“碧鱗”の友を称する者よ、如何なる証を示すか」

「友より預かりし信頼の証をお見せしよう」

 懐から首に掛けていた守り袋を取りだし、中に入っていたものの一つを取り出してみせる。

「……あの莫迦は何を考えているのだ」

 人間の発声器官では発音できない言葉らしきものを口走ってから、何かを押し殺した声色でレ’ンズは共通語で呻いた。

「何か問題でも?」

 手にした青く透き通る鱗を再び守り袋に入れ直し、アレウスは取り乱している様に見えるレ’ンズに確認する。

「貴殿に問題は一切無い。貴殿にそれを託した我らの同胞が犯した過ちよ」

 アレウスに不安を持たせまいとする心配りか、レ’ンズはきっぱりと言い切った。

「この鱗は然程のものなのかな?」

 アレウスとしても色合いが珍しいものだと認識はしていたが、この鱗を託してくれた友人の同類がここまで強い反応を示すものとは考えていなかった。話し合いで済むかもしれないと言う甘い見通しの為に見せるべきものではなかったのか、と内心焦りを覚える。

「それが何たるかも彼奴あやつは貴殿に話していなかったのかね?」

 人間とは違う発音器官の所為か、今一つ感情を読み取りにくいところもあるのだが、今の台詞ははっきりと呆れ果てたと言った強い意志をアレウスは覚えた。

「何か大事なものだったのかね?」

「“碧鱗”に於ける族長の証よ。その鱗に見えるものはな、“碧鱗”の初代である方の頭頂眼よ」

「……それはそれは。知らずとは云え、畏れ多いものを渡されたものだ」

 流石のアレウスも冷や汗をかく。

 “江の民”の中でも鱗人リザードマンは他の人類種にはない特徴を幾つかもつ。全身を覆う鱗、水辺での適応性、通常の視覚以外による暗闇適応などが有名である。中でも、鱗人たちが頭を覆う防具を嫌う原因となった頭頂眼は余程彼らのことを知る者でもない限り、その存在を知る者はいない。彼らにとって頭頂眼とは重要なものであり、余程の事でも無い限り、他種族のものに存在を教えることはなかった。それだけ、彼らにとっては重要な器官なのである。

「我らの生態をそれなりに知っているものと見える」

 シュルシュルと息を漏らしながら幾分楽しげにレ’ンズはアレウスを見る。

「我が友リ’シンから色々と聞かせて貰った故に」

「彼奴の名も知っておるか。至極当然と云わば当然なのだが……」

 顔の表情からは窺い知れないが、声色から何となく困惑している様子をアレウスは察した。

「我が身の証を立てられたと考えても宜しいかな?」

「同胞リ’シンに認められた者と認めよう」

 レ’ンズは重々しく答えてから、「然るに我らが友よ。如何なる用で江を下るか?」と、尋ねて来た。

「船を雇い入れてね。迷宮都市まで帰る途中だよ」

「“古の都グ’レゴル”?!」

 幾分畏れが交じった驚きの言葉を上げ、レ’ンズはアレウスを警戒した。

「ハハハハハ、リ’シンと同じ様な反応ですな」

 アレウスはもう何年も前となる異種族の友と初めて会った時のことを思い起こした。

 故に、再び行う事になるであろう儀式の為に心気を練り始める。

「我らが友よ。リ’シンがそれを託した以上、“古の都”が我らにとっていかなる意味を有するか存じ上げておろう?」

 居住まいを正し、レ’ンズはアレウスに念を押すかの様に確認を取った。

「流石に知らずに潜る程、無謀では無いよ?」

 数年前にリ’シンから事情を聞いていたアレウスからしてみれば、彼らが迷宮都市をどれほど神聖視しているか嫌と言う程知っていた。

 だからこそ、最初から面倒なことになると覚悟していたし、そのつもりでここまでやって来ていた。

「我一人ならば、我らが友リ’シンの顔に免じ通す事も出来ようが、今の我は“紅玉”の戦士長。それを聞いた上で見逃す真似は出来ぬ」

「それで?」

「リ’シンにも連絡は取るが、貴殿にも“決闘の儀”にて“古の都”に挑むに相応しき勇者かどうか示して貰いたい」

 鱗人特有の抑揚の無い淡々とした口調でアレウスに決断を迫った。

「ま、そうなるだろうと思っていたよ。その方が手っ取り早い」

 肉食獣もかくやとばかりの迫力ある笑みを浮かべ、アレウスはあっさりと決める。

「貴殿ならば悩まずそれを選ぶと分かっていた」

 シュルシュル息を再び漏らし、レ’ンズは楽しそうにアレウスを値踏みする。「成程。我が友がそれを託す訳だ」

「“紅玉”とは“碧鱗”とは仲が良い部族なのかね?」

 何となくレ’ンズからリ’シンへの親しみを覚えたアレウスは一つ確認を取る。

「彼奴ら程人間に甘くは無いが、北岸の連中程人間を毛嫌いしてはおらぬ。それ故に交友はある」

 その答えはアレウスの推測通りのものであった。

 態と見つかる様に近寄ってきた上、遠巻きに船を囲んでいた当たりで敵対的ではないと踏んでいた。実際言葉を交わして人間に対してそこまで友好的でないことも確認した。だからと言って、交渉できないほど頭は固くない。

 後は自分次第だとアレウスは判断した。

「それは重畳。話の通じない相手程質が悪い者はいない。それと、俺が乗ってきた船の航行の話なのだが──」

「人間の船が停泊出来る水辺に心当たりがある。問題が解決するまではそこに泊まらせると良かろう」

 レ’ンズも又、“碧鱗”の事を差し引いてもアレウスは信ずるに足る漢だと見なしていた。故に、彼の同行者も又アレウスの顔に免じてそれなりの応対をしても良いと見定めた。

「試練の内容を先に聞いても差し支えないかね?」

 レ’ンズは些か考えてから、

「……まあ、“碧鱗”の試練を超えているのならば別段大した問題でも無いか」

 と、ぽつりと呟く。

「矢張り内容が変わるのかね?」

「時節によっても変わる場合もある。今回は我らが集落の傍に鶏蛇コカトリスが大量に集まってきおってな。その退治を考えておる」

 その名を聞いてアレウスは少しだけ顔を顰める。

 鶏蛇は鶏の頭に龍の翼、蛇の尾に黄色い羽毛を持つ鳥の様な魔物モンスターと言い伝えられている。その吐息は猛毒を含み、視線は見詰めた相手を死に至らしめる毒を有するとも身体を石化させる魔力を有するとも言われる。アレウスが対峙した事ある魔物の中でも有数の面倒臭さを覚えた相手の一つである。

「如何程の群れだろうか?」

 嫌な予感を振り払えぬまま、アレウスはレ’ンズに更なる情報を求める。

「正確に数えてはおらぬが、十や二十では利くまい。全てを駆逐せよとは云わぬが、我らが納得する程度は狩って欲しいものよ」

 しゅるしゅると息を吐きながら、レ’ンズはどの様な結末が待っているのか楽しみで仕方なかった。絶対に期待を裏切られない、その様な確信を持って疑っていなかった。

「やれやれ。多頭蛇ヒドラよりは増しかも知れないが、鶏蛇の群れか。視線の事を考えれば俺が相手するには面倒だな」

「あれは水辺に毒を撒き散らすが故に、我らが種族の天敵の一つ。確かに、我らにとって彼奴らの視線は恐るべきものでは無いが、数で圧されれば大きな犠牲が出る。彼奴らの毒までは無効に出来ない故にな」

「どっちも人間には致命的なんだがなあ」

 レ’ンズの説明に思わずアレウスは苦笑する。「それに、あれは鳥と言うよりも蜥蜴や龍の類だろう。寧ろ、そちらの方が鱗人にとっての相性が悪い原因では無いのか?」

「……リ’シンはそこまで話したのか?」

 ぎょろりと目を剥いた表情でレ’ンズはアレウスを見詰めた。

「まあ、互いの特技を話し合った際に相手がどう見えるかとの論議があって、な」

 幾分口調を落としながらアレウスは肩を竦める。「此の儘ここで長話をしているのも何だから、そろそろ移動しないか? 船を先導して貰えると助かるのだが」

「良かろう、貴殿と共に来る者をこの先の泊まりに案内しよう。その後で、貴殿には我らが集落まで御足労願う」

「承知した。話は纏まった様であるから、一度船に戻らせて戴こう」

「有無。それでは又後で」

 レ’ンズは水中に潜り、姿を消す。

「話は大体纏まった。それでは、船に戻るとしよう」

 一緒に来た船員たちにアレウスはそう声を掛け、帰還を促した。



 船に戻った後、船長に事情を説明し、アレウスはレ’ンズの先導の元“紅玉”の隠し泊まで進ませた。

 見張り役の“紅玉”の戦士と入れ替わりにアレウスはレイを伴って“紅玉”の集落へとレ’ンズの案内で向かう。

「成程。鶏蛇か」

 辺りの植生を見て、アレウスは断じた。

「流石、見て気が付くか」

 レ’ンズはアレウスの観察眼を素直に感心する。「知っていても即座に見抜ける者はそう多くないのだがな」

「どういう事?」

 二人の会話を理解出来ず、レイは首を傾げた。

「簡単な事だ。鶏蛇の毒はあらゆる“生物”に効果がある。鶏蛇の生息域で無事なものはその毒に対して耐性があるものだけだ。そして、鶏蛇も生きている以上、餌が必要だ。草食性の鶏蛇の餌は、鶏蛇の毒に耐えられる植物だけに限られる。そこに生えている草がそれだよ」

 油断無く当たりの気を探りながら、アレウスは当たりに繁茂している植物の状態を観察した。軽く見た限り、ここらに生えているものについては食い荒らされている様子はなかった。

「この草が群生する様だと鶏蛇がそこらを根城にしてしまう。そうなる前に駆除するのが一番の鶏蛇対策なのだが、今回は気が付くのが遅れたのだ」

 目を瞑りながら辺りを見渡し、レ’ンズは用心深く離れたくさむらの方に身をむけていた。

「ふむ。鶏蛇が先か、餌が先か、と云った処か」

 洒落た調子でアレウスはよく知られた警句をもじってみせる。

「中々上手い事を云う」

 レ’ンズは手を叩き、しゅるしゅる音を立てる。

「鱗人の笑いの壷は難しいね」

 どう判断したら良いか悩みながら、レイはアレウスに囁いた。

「割と付き合いやすい連中だぞ?」

 何故か苦々しい顔付きを浮かべ、「丘小人ホビットに比べれば圧倒的に」と、大きな溜息を付いた。

「おや、くがの友を知っているのかね?」

 ぎょろりと目を向け、幾分食い気味にレ’ンズはアレウスを見た。

「故郷では大手を振って歩いているからな」

 疲れ切った声でアレウスは答え、「迷宮都市にもかなり居たし、俺は見慣れている」と、首を横に振った。

「ソーンラントの人間とは大違いだな」

 どことなく満足そうにレ’ンズはしゅるしゅると息を漏らす。

「偶に、連中の気分が分かりそうになる時もあるが、丘小人だけは致し方ない」

 アレウスは諦観したかの様に空虚な笑いを浮かべた。

「そんなに凄いの?」

 アレウスの反応から、丘小人と関わって何か碌でもない被害を蒙ったのではないかとレイは予想した。

「落差が激しい」

 アレウスは一言の元に切って捨てた。

「……?」

 余りにも簡易な答え過ぎてレイは困惑した。

 二人のやり取りにさして興味がないのか、レ’ンズは再び辺りの警戒に戻る。

「定住している丘小人は穏やかで、臆病で、優しくて、隣人として善良で牧歌的な暮らしを営む平和的な種族だ。ところが、稀に好奇心の塊で、お祭り好きな上、どうしようも無く陽気で無駄に前向きな冒険者気質の個体が生まれてくる。生まれついての忍びの者という特質も相俟って、本当に質が悪い輩でな、例えばそこに潜んでいる様な奴が良い例だ」

 アレウスがとある叢を指差すのと、何故かレ’ンズが同じ方向を見て身を硬直させるのはほぼ同時であった。

 何事かと思いながら、レイもその先を見る。

「あー、やっぱり気が付かれるかー」

 自分の後ろから聞こえてきた声に驚きながら、レイは急いで振り返った。

 しかし、そこには誰も居なかった。

「こっちだよー」

 再び聞こえてきた声も自分の後ろからであり、今一度振り返るがやはり誰もいなかった。

「大体において、自分の生まれ故郷を飛び出す様な丘小人は面倒な奴らが多くてな」

 これ見よがしに大きな溜息を付くと、アレウスは無造作に腕を伸ばした。

 視線でそれを追うと、どうやったのか、一人の丘小人の首根っこを掴んでいた。

「あー、若様には捕まるかー」

 どこから見ても楽しそうな表情でその丘小人は首根っこ捕まれた猫の様な格好でぶらぶらと足を動かしていた。

「それにしても、どうしてこんな処に居るんだ、ガット

 アレウスは首を傾げながら、「俺の先回りをするにしても、ここは無いだろう」と、首を傾げた。

「でも、会えたよー?」

 きょとんとした不思議そうな表情を浮かべ、猫はアレウスの方を見てから小首を傾げる。

 アレウスがここにいることが当然だと言わんばかりの態度である。

「……待て。お前、どうやって俺の動向を読んだ?」

 猫の言動や態度、表情から何らかの理由で自分の動向を読みきったと見極め、アレウスはその手段を尋ねた。

「んー、強いて云うなら……勘?」

「そうか、勘か。それで、どこに居たんだ、最近は?」

 大体予想通りの返答がきたので、逆にどう言う行動を取ってその勘に至ったのかを知ろうとなおも追及する。

「自由都市をふらふらと廻っていたよー。詩歌って稼いだり、食事作って賄い貰ったり、盗賊の隠れ家アジトを見つけ出して上前はねたりしていたよー」

 さらりと爆弾発言を混ぜ込みながら、猫はけらけらと笑う。

「そうか、いつも通りか」

 別段猫の台詞に動じることなく、アレウスは軽く流す。

 これでいつも通りの応対であるし、兄の手の者の中でもとびきりの腕利きである猫ならば、その程度の事は朝飯前だと分かり切っていた。逆を言えば、いつも通り過ぎて、何故ここに来たのかを絞り込む情報を見出せなかったのだが。

「そう、いつも通り~。いつも通り若様の情報が入ってきて、大体ここら辺に来るかなー、ってうろうろしていたら、若様が来た感じ」

「これだから丘小人は」

 アレウスは顔を手で覆いながら天を仰いだ。

 冒険指向である丘小人の思考はある種独特なものがあり、同族から変人奇人扱いされるのもむべなるかなとしか言い様がなかった。

 元々将来の臆病さからか、危険を察知すると息を潜めてどこに隠れたか他者からは見つけ出せなくなる、そのような種族である。その勘の良さが他の方面にも働き、他の同族とは違って思い切りの良い行動を取り出すと他の人類種では想定も付かない様な行動を平然と取る様になるのだ。大体において、その様な行動は過程は他者から理解できないが、結論がこれ以上もなく正しいものとなることから、丘小人を運が良い生き物と位置付け、深く考え込まないことにする者が多い。

 アレウスも生まれた土地柄、やってきた仕事柄、丘小人がそう言う者と理解はしていたが、それでも何故そうなるのか考える事を諦めてはいなかった。

 諦めていないからこそ、毎回同じ様な結論に陥り、何者かに対して罵りの言葉を吐き捨てるしかなくなるのだが、それでも止めないのはある意味でアレウスらしさと言えよう。

「まあ、とりあえずは良い。鶏蛇は見かけなかったか?」

「嫌だなあ、若様。そんな怖いモノが居たら逃げるに決まっているじゃ無いかー」

 やはりけらけら笑いながらそう言ってから、「若様と違って、鶏蛇の垂れ流す毒にあたし達は引っ掛かりやすいんだからさー」と、いきなり真顔になった。

「身長の問題か」

 アレウスは直ぐに猫にとっての問題を見極めた。

 丘小人は人間の一般的な成年男子の鳩尾辺りまで背があれば凄く大きいと見なされる様な種族である。猫は丘小人の中でも小柄な方であり、並の大きさの鶏蛇の頭部よりも明らかに背が低かった。

「背の問題だねー。鶏蛇って嘴まであたし達より一寸だけ高いぐらいの位置で、漏れ出す毒の吐息は地面へと落ちていきながら漂うから、吸い込みやすいんだよねー」

 一つ大きな溜息を付いてから、「毒はおっかないよねー、毒は」と、ぼやいた。

「どの程度の群れがどこに居るかは分かるか?」

「さあ? 嫌な感じがする場所は分かるけど、おっかない所には近寄らないのが長生きの秘訣だよー?」

「ならば、どこに居るか分かっているという事だな」

 爽やかな笑みを浮かべ、アレウスは猫と目を合わせた。

「……知ーらなーいー」

 首根っこ捕まれたまま、必死にアレウスと目を合わせまいと無駄な努力をし、猫は頭をグルグルと動かす。

「そうか、知っているか……」

 少しばかり考え込んでから、「レ’ンズ殿、今から仕掛けても問題ないだろうか?」と、尋ねた。

「どういう事だ?」

 唐突なアレウスの提案にレ’ンズは些か面食らう。

「これは俺の勘なのだが、今この時、鶏蛇は大きな群れを作っていない。これがおっかない場所には近寄らないと云ったが、恐ろしく群れている様ならばこの地にすら入らずにそのまま迷宮都市の方に抜けていた筈だ。鶏蛇の大群はそれだけの脅威でもある。要は群れで追い込まれる様な状況では無く、安全な場所がそれなりにあり、俺と接触するであろう“江の民”の集落の場所を勘案した上で、ここまで来ている訳だ。鶏蛇が何らかの警戒を覚えて集まり出す前に、ある程度各個に撃破出来る状況の今の内に数を減らしておきたい。そちらの“決闘の儀”に似つかわしくないというのならば、致し方ないから諦めるが」

 アレウスは猫との会話で思い至った想定をきちんと丁寧に説明する。

 今回の件はどの様な条件であってもどうとでもする自信はあるが、何の犠牲もなく確実に勝てる術があるのならば、それを優先するべきだと言うのがアレウスの信条である。流石に、群れを壊滅させる過程で逃げ惑う鶏蛇を一匹残らず取りこぼさずに殺しきる自信はなかった。

「我一人が見届け人とならば“儀”としては成り立つ。それに、我は同胞を守る戦士長である。なればこそ、危険なモノを排除する責務がある。貴殿の云う事に理があるのならば、我の一存でどうとでもなる」

 アレウスの腕の程を知らないレ’ンズは当然アレウスの本音を理解した訳ではない。

 だが、彼からしても鶏蛇を確実に潰していける方法があるのならば、そちらを優先させることに異論はなかった。もし仮に、後から“決闘の儀”に似つかわしくないという言い掛かりを付ける者が出たとしたならば、責任を持って対処する覚悟を決めた。

「ありがとう。ならば、今から鶏蛇退治と洒落込もう」

 楽しそうな顔付きでそう言い放ってから、捕まえていた猫をそのまま地面に下ろす。「さて、聞いての通りだ、猫。お前さんが嫌な感じがする方に案内して貰おうか」

 アレウスから離れた猫は、

「やだー」

 と、警戒を露わにする。

「そうか、残念だ」

 アレウスは静かに首を振った。

「不当な要求には応じないぞー」

 アレウスの態度に不審を覚えた猫は、警戒心を隠そうともせずに反抗を続ける。

「別に不当などでは無いぞ? 給料分の働きをさせろと兄上に伝えるだけだ」

「卑怯だー?!」

 猫は思わず叫んだ。

 何せ猫の主は弟妹のことが何よりも可愛くて仕方のないと思っている人物なのである。自分もそれ相応に信任を得ていると自負してはいるが、アレウスの言葉を無視させる程のものでもない。事実上の拒否権無しの徴用と言えた。

「分かっていた事だろうに」

 何故か哀れむかの様にアレウスは猫を見る。「レオパルドが仕事をきっちり熟したんだ。お前も焦ってこちらに顔を出したと云った処だろう。豹は俺の命を結果的に救う働きをした。対してお前は今の処俺が感心する仕事をしていない。兄上は何事にも寛容な御方だが、それは為すべき事を為している者にだけ。与えたものに対して相応のものを返さない相手に掛ける情けなど持っておられない。お前さんの事だ、それなりに兄上が期待した事をしているのだろうが、満足する程ではあるまい。その上、同じ様な質の豹が兄上をも唸らす働きをした。一人だけ、給料分の働きをしていない者が居れば目立つであろうからなあ」

「ぬぬぬ」

「然う云う処は分かりやすいよなあ、お前さん」

 大きな溜息を付いてから、「さて、そこでだ、猫。俺を鶏蛇に案内するだけで兄上が数年間働かなくても一切叱責しなくなるとしたらどうする」と、取引を持ち掛けた。

「……信じないよー」

 一瞬考え込んでから、それでも尚猫は抵抗の姿勢を崩さなかった。

 命を懸けるには些か何か足りない、そう猫は考えていたのだ。故に粘れるところまで粘って、少しでも多くの見返りを引き出したいところであった。

「先ず一つは俺へ恩を売れる。これは大きいと分かるだろう? 次に“碧鱗”以外の部族への伝手つてが出来る。これも又大きな話よなあ? 序でに、鶏蛇を駆逐出来れば、ここらに住む者達へ多大な恩を売れる訳だ。お前さんにとって、大きな話では無いのかね、んー?」

 当然、アレウスも猫の性格は良く理解している。しているからこそ、何を提示すれば良いのか直ぐに答えは出た。

「ず、狡いぞー」

「大きな人は狡いものでは無かったのかね」

 からからと笑いながら、「さあ、どうする?」と、アレウスは迫った。

「お金の為にお手伝いさせて戴きます」

 深々と頭を下げ、猫は下手に出た。

「実に分かり易くて宜しい」

 再び豪傑笑いをしながら、アレウスは楽しげに言い放った。

「話は纏まったかね?」

 状況の推移を見守っていたレ’ンズがアレウスに話し掛ける。

「ああ。レ’ンズ殿とレイは毒の範囲外から見守っていてくれ。俺一人でやる」

 強い意志を籠めた瞳で二人を見てから、アレウスは力強く宣言した。

「大丈夫なの?」

「毒に対する対策は立てている。亜龍とは戦い慣れているから、鶏蛇だけならばどうとでもなるさ。流石に十数匹を軽く越える様な群れだったら逃げるがね」

 最後の最後は茶化しながら、アレウスは余裕たっぷりの表情を崩すことなく、笑い飛ばして見せた。

「それもどうなんだろう」

 アレウスの放言にしか聞こえない返答を聞いて、レイは困惑した。

 鶏蛇と言えば、熟練の冒険者徒党ですら苦戦する厄介な怪物の一つとして知られている。一見すると鳥にも見える上半身だが、実際に斬り掛かればそれが只の擬態でしか無いと直ぐに分かる。アレウスが言った通り、亜龍──即ち、龍の眷属なのだ。

 羽毛で覆われた部位も高質化した皮膚と硬い筋肉で守られており、並の腕では傷一つ付けられない。その上始終毒の吐息を垂れ流し、自在とまではいかなくても空を飛ぶ。近似種の王蛇バジリスクとは違い群れをなして生活する。魔導師ならば兎も角、近接を得意とするものにとって天敵と言っても良い怪物であった。

 その様な相手をアレウスは容易く斬れると言外に匂わせたのだ。最早、呆れる他あるまい。アレウスが有言実行すると信じ切っている自分自身を含めて、レイは心底から呆れる他、己の心情を表す術がなかったのだ。

「“碧鱗”の友よ。分かって云っているのだな?」

 アレウスのことを知らないレ’ンズとしては、鶏蛇を無用に興奮させることになるのではないかという危惧を抱いて当然であった。藪を突いて蛇を出す様な真似は流石に自分たちの集落を危険に及ぼしかねないから避けたいのだ。

 しかし、その様な態度をおくびにも出さないで、レ’ンズは本気でそれを行うかどうかだけを尋ねた。

「止めても良いのだぞ?」

 楽しそうに笑いながら、アレウスはレ’ンズに逆に問い直した。

「愚問。貴殿の腕の程は推測が付く。先程の推論も筋が通っていた。ならば、後はそれを為せるかどうかである。“決闘の儀”としては些か変則なれど、認めた以上は見届けるのみ」

「やれやれ。覚悟が定まっている相手に阿呆な事を聞いてしまったかね」

 アレウスは苦笑しながら、「それでは、案内して貰おうか、猫」と、指示を出した。



「おお、居るな、居る居る。ん~、ぎりぎり十に届くか届かないか程度か。宜しい、実に宜しい」

 アレウスは楽しそうに笑いながら、襟巻マフラーを顔の下半分に巻き付けて愛刀を抜き放つ。「では、行ってくる。まあ、無いとは思うが、鶏蛇がこちらに逃げ出してきたのならば好きにしてくれ」

 足取りも軽く、アレウスは鶏蛇の群れへと駆け出す。

 アレウスが己の間合いに一匹目を捕らえたと同時ぐらいに鶏蛇たちもアレウスの存在に気が付く。警戒の鳴き声を上げる前に、アレウスは何の苦労もなく最初の一匹の首を刎ねた。

 他の鶏蛇が反撃の体勢に入る前に、アレウスは二匹目の首を既に討っていた。鮮やかな手並みなどと誉めること自体が当たり前すぎてむしろ気恥ずかしくなる、その様な神業であった。

 実際に神業などと褒め称えれば、「俺などその領域に達してすら居ないよ」と、真顔で返してくるであろうが。

 実際の腕前を初めて目の当たりにするレ’ンズは兎も角、幾度となくアレウスの剣技を見てきているレイですらどの様にしてああも容易く首を刎ねているのか想像も付かなかった。

 ただ、猫だけが何の興味もなくもっと面白いものはないかと左右を見渡していた。

 三匹目を斬り倒したところで、鶏蛇たちはアレウスを中心に置いて包囲をすることに成功した。見かけと違い、龍の眷属だけあって賢さは相当なものである。そのまま、真ん中目掛けて毒を吐き散らす。

 アレウスはそれに動じず、それまでの動きで一番良い動きをすると見極めた個体に向かって突進した。

 狙われた鶏蛇は包囲をくずすまいと後ろに下がりながら毒を撒き散らすが、アレウスの本気の突進に対応できずあっさり追い付かれるとこれ又首を刎ねられた。

 端から見ていると、誰でも簡単に鶏蛇の首を刎ねることができそうな程容易く行うものだから、それを見物している二人が思わず自分でもできるのではないかと勘違いしてしまいそうになるぐらいであった。

「駄目だよー、勘違いしちゃ~」

 猫は二人を窘め、「あんな事出来るの、若様ぐらいだからね。真似しようとしたらあの世行きだよー」と、忠告した。

 アレウスが左回りで五匹目を斬るのを見ながら、

「猫さんはアレウスの事を昔から知っているの?」

 と、レイは訊いてみた。

「んー、一応生まれたときから知っているよ。今の仕事を始める前から料理人として仕えていたからねー」

 結局面白そうなものを見つけられなかったのか、猫は致し方なくつまらなそうにアレウスの立ち回りを見ていた。

「丘小人の料理人か」

 レイはその一言で薄々勘付いていたアレウスの出自に確信を持つ。

 丘小人は料理上手で知られる種族で、特にハイランドの上層階級で人気がある。

 しかしながら、丘小人を雇い入れ続けるとなると幾つか障害がある。大多数の丘小人は臆病であり、自分たちの住み処や生活空間から外に出ようとはしない。ハイランドの領主貴族の中には、丘小人が所領に住んでいる者もおり、その種の貴族は丘小人との信頼を築いているが故に真面目な性格の調理人を雇い入れることが容易くできる。

 では、そうではない貴族が丘小人を調理人として雇う場合はどうなるのか?

 かなりの危険リスクを伴うが変わり者の丘小人を雇う他ない。

 真っ当でない丘小人の手癖の悪さ、怠け癖、契約不履行など不利益を数え上げれば切りがない程である。その中でも金を払えば真面に働く者を見つけ出し、雇うともなれば余程のことでもない限り幸運が必要となる。その上で、同じ様な立場の他家を出し抜いて数少ない真面な丘小人の取り合いとならば給金の相場が上がる。そう言った意味で、真面な丘小人を雇い入れができる家ともなれば、余程金余りでもなければ不可能だと見て良い。

 そして、真面な丘小人が密偵などといった仕事をやる訳がない。そこから考えられる事は、値の張る調理人であったと見るべきである。

(アレウスの実家は推察通り相当高位の家柄と思うべきだろうね)

 アレウスの立ち居振る舞いや、発言、武技の冴えを考えれば同じ財産家だとしても商家の出とは思えない。そこからの消去法により、アレウスは間違いなく名の知れた武門の出ではないか、とレイは相当前から考えていた。それを裏打ちする情報がさして労を掛けることもなく懐に飛び込んできたのである。

 ただ、名の知れた家門の出身だとして、出奔した割には実家との仲が険悪に見えない辺りに謎が残る。これだけの器量を持った男子ならば他家に婿入りさせて自家の発展に貢献させようとするのが貴族の在り方というものである。家の意向を無視して出て来たのならば、家の追っ手を嫌う筈なのだ。その上、アレウスは自分の生家を悪く言ったことが一度もない。それらのことを勘案すれば、アレウスは彼の実家の意向とそれ程ずれていない行動を取っていると考えられた。

(庶子の生まれならば分からないでもないけれど……少なくとも跡取りと思われるお兄さん方と仲が良好な事を考えると……)

 あっと言う間に鶏蛇を半減させていたアレウスを眺めながら、レイは尚をも考える。

 同母の兄弟と仲の悪い家も多いと言えば多いが、それよりも腹違いの同性の兄弟仲が冷めている家の方が圧倒的に多い。母親同士が相争い、自分の血の繋がった子供たちにそれを吹き込む事で不仲になる。レイはそれをよく知っていた。

 そうでなくとも、家督を奪い合って同腹であろうと争う家は多い。アレウスの兄の様に弟を気遣う者は少ない。少ないからこそ、簡単に推測が付く。

 ただ、それを深く追及する気はレイには無かった。

 個人的に心構えが欲しかっただけなのだ。

 レイが考えるいざその時に、無用な動揺で選択を誤りたくなかった。

 それだけの話なのだ。

 思考がどんどん醒めてくるレイに対し、レ’ンズは肝を冷やしていた。

 リ’シンから初代の頭頂眼を預かった以上、並大抵の男ではないとみていたが、これほどのものとは思いも寄らなかったのだ。それ程、アレウスの腕は想像を絶していた。

(人間にこれほどの使い手がいるとは……リ’シンの奴め、隠しておったな)

 レ’ンズの焦りも当然のものである。

 想像以上の手練と友誼を結んでおきながら同盟関係にある自分たちにその存在を一切教えてきてない“碧鱗”の狙いが読めないこと、その“碧鱗”が鱗人独特の感覚器をその手練に教えていること、更には自分たちでさえ苦戦する鶏蛇の小さな群れ相手にたった一人で優位に戦い続けていること。最早、レ’ンズには理解できぬ領域の話である。

 鱗人には通常の視覚とものが発する熱を視覚化させる特別な感覚器を用いる二つの視界があり、それを切り替えることで昼夜問わずに周囲を把握する事ができる。

 視線に魔力を有する相手と対峙する際は、敢えて目を閉じて熱源視覚を用いて戦うことも可能だ。

 だが、鶏蛇はそれが非常に難しい。鶏蛇自体が亜龍である為に鱗人と同じ熱源視覚を有している所為か、その対策として体温を熱源視覚で反応しない状態まで変化させることができるのだ。流石に大きさは誤魔化せない為にある程度近寄れば草木と違う事は分かるのだが、遠目でそれを見極めることは難しく、慣れていない者ならば騙されて毒の吐息の間合いにいつの間にか迷い込むことも多々ある。

 だからこそ、手練の戦士が集落に近寄ってくる前に始末するのが常道であり、鶏蛇が好む環境を作り出さない様に警戒することが何よりも重要なのである。

 その鱗人でさえ苦戦する鶏蛇を相手にしてそれなりの働きをすれば誰もが認めるとレ’ンズは考え、集落の者に認めさせる為に最低でも一匹を独力で倒させようと考えていた。少なくとも、レ’ンズはそれを足掛かりにして人間との交流を限定的にでも回復させようと算段していたのだ。

(……しかし、これほどの腕前の者であれば、逆に警戒が先走る。如何したものか……)

 内心の動揺を出さぬ様に努力をするレ’ンズであったが、鱗人の顔色からそれを見抜ける他種族など滅多にいる訳がなかった。

 天性の忍びの者を除いては、だが。

(矢ッ張り若様は楽しいなー)

 他の二人とは明らかに違う立ち位置でこの場にいる猫はやっと楽しそうなモノを見つけてご満悦であった。

 猫はレイの読み通り丘小人の仲でもかなり強い冒険者気質を持った異端者である。

 その中でも、好奇心や楽しいと言った気持ちを満たすことを第一と考える性質の生き物である。彼女がその時にいる場を引っかき回して如何なる騒動を起こそうとも、悪びれるところ一つなく、けろっとしている図太さも持ち合わせていた。その上で、必要とあらば、真面目な振りもできるのだ。良くも悪くも、渾名通りの性質の持ち主である。

 ところが、彼女の今の雇い主は飯炊き女として雇った父親とは違い、その本質を一目で見破った。

 そして、彼女が本当に望んでいる報酬を即座に用意して見せたのである。

(本当に若様と一緒に居ると飽きないなー。焦った顔を隠そうとする鱗人なんて珍しいものも見られたし、この世のものと思えない若様の剣技も確認出来たし、またぞろ若様に引っ掛かってる娘さんも見つけたし、楽しいなー)

 自分以外の報告で既に今の雇い主が知っていることであろうが、それでもアレウスの周りにいる女の報告をしないとならない。彼女にとっては面倒な話ではあるのだが、これも給料分の働きとして求められていることである。だが、その様な面倒事を含めて猫は自分の好奇心が満たせて満足であった。

 四方に散って逃げようとする鶏蛇を一匹ずつ確実に片付けるアレウスを見ながら、猫は雇い主に送る文面を適当に脳内で作り上げる。何となく、未だ嘗てない最大傑作を書き上げあられるのではないかと興奮が止まらなかった。

(どちらにしても、これで鱗人達の間に若様の名前は刻み込まれる。さてはて、この先どうなっていくかな~)

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