第10話
その夜、店はこじんまりとした居酒屋で客も少数。いかにも潤伍の好みの店だった。
7時と言われ6時50分に着いたのに、藤田は既に出来上がっていた。
(早い…何時から居たんだ)
「お〜!小幡!お疲れ!」
大ジョッキを上げて1人で乾杯している。長い夜になりそうな予感を覚えた。
初めはポストマンになった経緯や警備員の在り方等を語っていたが、唐突に藤田は切り出した。
「お前、今の世の中をどう思う?」
顔面を真っ赤にしてるのにこの饒舌さはどうだろうか。潤伍は質問の意味を測りかねた。
「どうって何がです?」
「…俺はな、思うんだ…。地球が怒ってるってな」
「…地球が…怒る?」
「知り合いの元学者がな、言ってたんだ。あんなスーパーフレアが前触れもなく起こるはずねぇって」
潤伍は静かにジョッキを傾けながら黙って次を待つ。
「大規模なフレアが発生するのは、恒星とこれに近接する大型惑星の磁場が捻れ合ってある点まで達すると爆発するらしい。ただこの銀河系でいうと、太陽に最も近いのが水星だが、木星のような巨大なガス惑星磁場とは比べ物にならないくらい弱い。木星が水星の内側の軌道に入って来るようなら可能だそうだ」
意外な博識さに驚きつつ、潤伍は続いた。
「でも、木星がそんな動きを見せれば事前の観測で発見できるでしょうし、地球や他の惑星にも影響が」
「あぁ、影響するだろうな」
「じゃあ、何で…」
「だからぁ、地球が怒ってるんだよ」
「はぁ〜?」
専門的な天文学の話からいきなりファンタジーチックになって、潤伍は思わず力の抜けた返事をしてしまった。
「やれ戦争だ内紛だ、テロだ。小さいのは収賄、密造、捏造、隠蔽。人間は人間同士だけじゃなく動植物までも壊す。地球にとっちゃあ害虫だよ」
「…害虫駆除ってことですか…」
「俺はそう思ってる。だから、今迄みたいな生活は望んじゃいけないんだ。俺は、今の現状は自業自得だと思うね」
潤伍は羽鳥も似たような事を言っていた事を思い出す。
「俺はさ、今の方が好きだなぁ。そりゃ亡くなった方は本当に残念だと思うよ。俺の家族も居なくなったし…。でも、人のほとんどは農作業で生計を立てて、セレブとか爆買いとか訳わからん奴らも居なくなって物欲は小さくなった。質素な生活に馴染んで来てるんだよ。それって本来の生き方な気がする」
その時には、そんなもんかとか適当に答えた覚えがある。
「おぅ、何か羽鳥とは気が合いそうだな!」
「人本来の姿…」
「下手に進化した世界よりは、今の方が自然との共存は可能かもな」
皆、いろんな事を考えて生きていた。
(俺はどうだ。何も考えていなかった。ただ息をしてただけじゃないのか?夏が居ない。そこに逃げ込んでいただけじゃないのか)
「…俺には…よく分かりません…ただ」
藤田はジョッキを傾けながら、潤伍の二の句を待った。
「ただ…自分にはどんな未来があるのか、何が出来るか考えたいと思います」
藤田はどんな答えを期待していたのか、素っ頓狂な表情の後ニカッと笑う。
「それでいいと思うぞ。人の為自分の為世の為、それぞれが考えて楽しく暮らせればイイな」
何だかとんでもない難題を自分に課してしまったような、少し恐怖さえ感じた夜だった。
夏が居ないという事実を完全に認め、次の1歩を踏み出さなければならない。
彼女の全てを思い出として受け止めなければならない事が、潤伍には酷く重い事に感じた。
榛名を発つのに8日を要した。上野と本間は約束通り3日後に釈放されたが、沖本良太への報告とその結果を待つのにその日数が必要だったのである。
「オバッちゃん!良かったな!」
本間は遠くから大声で潤伍を呼ぶ。
(恥ずかしい)
「法整備が敷かれる事はこちらも動きにくくなるだろうが、それは今迄とそう変わらないだろう。だが、証拠を上げればこちらにも権利がある事が保証されたのは大きな収穫だ。あの野郎共は一度ブチのめしただけじゃあ気が収まらねぇところだったが、これで年単位での勾留の後で裁判だ。警備隊との抗争も予想してたが、その心配も必要なさそうだ」
「って言ってたぜ」
上野は良太の台詞そのままを胸を張って伝えた。
「…それは良かった。で、俺の処分はどうなったんだ?」
「そんなモン決まってんじゃねぇか!俺達もう兄弟になったようなモンだ!今後、俺達のシマで猫を連れたポストマンに手ぇ出す奴は居ねぇよ」
(兄弟になったつもりは…)
不意に潤伍は聞きたくなった。
「お前達はどうして黒狼に入ったんだ?街に行こうとは思わなかったのか?」
本間は鼻の頭をコリコリと掻きながら7年前に想いを馳せた。
「俺達ゃあよ、前科持ちが多いんだ。俺や上野は窃盗で収監されてる時にアレが起こってよ…。俺達は餓死寸前迄放置されてたんだよ。死んじまった奴も居た」
「そんな時、沖本さんが助けてくれたんだ」
「街も良いかもしれない。でも、やっぱ合う合わないってのがあってよ、俺達には鍬くわよりコッチよ」
本間は銃を撃つ指真似をした。
それぞれの過去と現在がある。当たり前なのに何故今迄それに想い至らなかったのか。
自分だけが過去に縛り付けられているようで、疎外感よりも羞恥心の方が強かった。
潤伍はいたたまれない気持ちになり、何気ないフリをして高い空を見上げた。
目に写ったのは遠く迄見渡せる緑とその鮮やかさだった。
本当に何故気付かなかったのか。
オゾン層及びネットワークの破壊。地獄に堕ちたと思っていた。常に死と隣り合わせの生活に、当然人々は怯えて肩を寄せ合って暮らしているとばかり思い込んでいた。
しかし、世界は美しかった。
排気ガスの全く存在しなくなった大気は、遙か彼方の山々を見透かし、空の青は何処までも澄んだコバルトブルーが飛ぶ小鳥を包んでいる。
「どうした?オバッちゃん」
「…綺麗だなぁ」
「あ?」
「…いや」
潤伍はその大気を思い切り胸に吸い込んだ。今夜、星を観てみようと思った。
「今を生きるか…」
潤伍はスッキリとした笑顔を、目を丸くする2人に向けた。
「…笑った」
「…笑ったな」
自分の中のいろんな感情に気付き始め、何故か少し心の軽くなった潤伍はその日の内に榛名を後にした。
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