第6話

その日の夜、潤伍の部屋に小さな訪問者があった。ハギと散々遊んだのにまだ足りなかったのだろうか。


「おじちゃん、ちょっといい?」

「どうした?」


ベッドに腰掛けて地図を眺めていた潤伍は、大地を部屋に促した。

少年の表情は昼間と違って何処か大人びた印象に見える。


「…昼間、お爺ちゃんが言った事…」

「お前を連れて行けって話か…大地はどう思ってるんだ?旅に出たいのか?」


少年は潤伍の隣に座り込み、下を向いている。


「行ってみたいなって少しは思う」


膝を抱え込んだ。


「…お爺さんが心配なんだろう?」

「そうなんだ!お爺ちゃんちょっと調子が悪い時もあって…今日みたいな時とか…でも俺何も出来なくて…」


上手く言葉に出来ない様子だが、潤伍には十分伝わった。


「…俺…邪魔なのかな…とか…」


少年は今にも泣き出しそうになり、膝に突っ伏した。


「それは無いな…多分、お爺さんもお前が心配なんだろうよ」

「此処が危ないから?でも旅だって危ないよね?」


言葉に詰まる。少年の言は的を得ていた。


「おじちゃんはいつからハギといるの?」

「もう8年になるな」

「…ハギが邪魔になった事ってある?」


かつて捨てに行った事を思い出したが、それは封印した。


「大変な事もあるが、邪魔に思った事は無い。彼は家族だからな」

「…家族…」

「正直、お爺さんがどうして大地を外に出したいのかはまだ解らない。ても、お前が邪魔だからって理由ではない事は解る」

「どうして?」

「家族ってのはそういうモンだ。お前がお爺さんを想っているように、お爺さんも大地を想っている」

「…そうなのかなぁ」


少年は納得出来ないようでいる。潤伍自身も村内の真意が掴めていないのに、それを理解させようとするのは難しい。


「今日はもう遅い。子供は寝る時間だぞ」


潤伍はズルい大人のように強引に話を切り上げた。

大地は肩を落としたまま、渋々と部屋を出て行く。

老人の朝は早かった。陽が昇る前に目を覚まし、畑で食材を調達すると朝食の支度に取り掛かる。

時間の概念が崩れた今の世で、村内は長年の癖なのか規則正しい生活を送るのが常のようだった。

街の住人が昼間に出歩く事はまず無い。昼夜が逆になったかのような生活リズムが当たり前になっていた。

しかし、警備員や潤伍のようなポストマンは夜のみの移動というのは真夏のみ。

休憩所もそれに合わせて営業している。

休憩所では店を開いている。

乾物等が主であとは薬草を乾燥させた医薬品やアルコール類である。

潤伍は芳ばしい香りに釣られて目を覚ました。

一瞬、夏が朝食の用意をしてくれたような錯覚を起こした。その後の現実に軽く落胆する。

潤伍にとってはもう慣れてしまった心の修正作業。


「早いな」


階下に降りた潤伍に、老人は背を向けたまま挨拶とも取れる言葉をかけた。


「すまんが、卵を採って来てくれんか。庭に小屋がある」


言われるまま庭に出て、うん、と大きく背伸びする。朝靄の中の澄んだ空気を肺に送り込んだ。

庭の隅に建てられた小屋には、10羽程の鶏が細かく鳴いている。

腰までしかない高さの扉を潜り、6個の卵を抱えて再び外に出ようとすると、元気な声が飛び込んで来る。


「おじちゃん、おはよう!」

「おはよう」


少年に昨晩の暗さはなく、潤伍の杞憂も晴れた。無理してるかとも思えたが、一晩寝てスッキリとしたかもしれない。大地の性格はまだ計り知れない。

回収した卵を大地と共に村内に届けに行く。

卵は貴重で中々手に入らない。久しぶりのまともな朝食に気分が高揚した。

食事の後、潤伍は見回りついでに近くの書店へと足を伸ばした。というのも、大地の勉強に必要な学習ドリルを頼まれたからだ。

街では学校もあるが、大地が通うことは出来ない距離にある。同年代との交流のなさも村内の心配の一つだろう。

潤伍はドリルと共に数冊の児童文学書も手に入れ、書店を後にする。

休憩所に帰ると客が来ていた。

その5人の顔を潤伍は見知っていた。埼玉〜群馬間の物資運搬専門の警備員達だった。


「小幡!」


大声で潤伍を呼んだのは、群馬の榛名流通担当の隊長である藤田正人だった。


「こんな所で会うとはな!おい!羽鳥に聞いたぞ」


分厚い手で両肩をバシバシと叩かれる。


(痛い)


武甲〜榛名間を移動する藤田は何故か潤伍を気に入っているようで、以前から自分の隊に勧誘していた。


「お前、何で俺に断りもなく郵便屋なんぞになってんだ」

「…捜し物が出来てしまって」


潤伍は藤田の強引さが多少苦手ではあったが、嫌いにはなれなかった。


「それも聞いたよ。一言相談でもしてくれれば捜しモンも手伝ったのによ」

「こ、個人的な捜し物ですから…」

「ったく!水臭ぇ奴だなぁ」


藤田は文句を言いつつも白い歯を見せて潤伍を小突いていた。そんな所に大地がトコトコと近づく。


「藤田さん、ハギのおじちゃんの事知ってるの?」

「おう、知ってるが…おじちゃんは可哀想だなぁ。俺より10歳は若いんだぞ」


藤田は大地に両手を広げて見せた。


「そっか!じゃあ、ハギのお兄ちゃんだね!」


潤伍にとっては少しホッとした瞬間だったが、猫は名前で呼んで潤伍はお兄ちゃんなのがまだ彼らの距離だった。

藤田達は2時間の休憩の後に出発するという。

村内は藤田等が運んできた物資の整理、大地は潤伍の持ってきたドリルで早速勉強していた。

男達は居間に残される形となり、それぞれが好きな格好で休息をとっている。

潤伍は藤田とダイニングテーブルに座す。


「そうか、お前も頼まれたのか」

「と言う事は藤田さんも?」

「あぁ、中々必死で声を掛けられてな…子供は嫌いじゃないが、大地自身が望んでの事じゃないように感じてなぁ」

「大地は自分が邪魔な存在なのではと思い悩んでいるようで…宥なだめるのも必死ですよ」


その時、珍しい事にハギが潤伍の膝に飛び乗ってきた。


(珍しいな…何か欲しいのか?)


その様子もなく、何度かその場で廻ってそのまま膝の上で寝そべる。


「お!ヤキモチか?可愛い奴だなぁ」

(そうなのか?)


潤伍にも判りかねる行動だった。結局、村内の真意は解らず仕舞いで終わった。


「榛名に来たら声を掛けろよ!」


そう言って藤田達は旅立って行った。見送った後、曇り空の下で畑仕事を手伝う。大地はまだ勉強だ。


「お前さん…結婚は?」

「…いや…」


老人はまだ言葉を欲しているようだった。


「…1人…するんだろうなって相手は居た」

「アレでか?」

「いや、それ以前に事故で…」


少し陽が差してきたので、休憩がてら話をする機会が出来た。


「何故、大地を旅に出したいんです?」

「…ここを見ろ。何も無い…大地にはいろんな経験をしてもらいたいんだ。外の世界を知ってもらいたい…それだけだ」

「経験は良いが、危険が伴う。多分ここよりも」


老人は下を向き、右の掌を見つめながら答えた。


「それでもだ」


静かだが頑なだ。潤伍は老人の真意を掴めぬままだった。

結局、例の2人組はおろか他の賊の襲撃も無いまま1週間が過ぎ、潤伍の旅立つ日が来た。


「お兄ちゃん、また寄ってね!」


老人と2人、大地も寂しい思いをしているだろうと考えると、村内の杞憂もまた納得がいく。


「1周するまでに考えといてくれ」

「俺は寄り道するから、1〜2ヶ月じゃ済まないですよ」

「構わない。帰りに寄ってもらいたい」

「また来てね〜!ハギ!お兄ちゃん!」


潤伍は複雑な思いでペダルを踏み込んだ。

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