第3話
「この子ね、面白いんだよ。このケースじゃないと絶対にダメなのね」
明け方の夢で目を覚ます。夏の声が懐かしいと思うほど年月が過ぎたのが哀しい。
彼女はたまにしか出てくれないから。
出発の朝にまたあの夢を見るのはやはり潤伍を旅へと導いているのだろうかと考える。
柔らかい髪が、細い肩が、香りが恋しくて堪らない朝、いつもの様に仏壇に手を合わせ、それから3人の写真を額から抜き取った。
ポストマンの象徴である黒装束の内胸ポケットに忍ばせる。
ひと昔前の学生服のような上下の制服は、ホルスターから銃を取り出しやすいように上着は腰までしかない。
その上から丈が踝くるぶしまである、これまた真っ黒のコートを羽織る。
帽子とゴーグルも紫外線対策のうえで欠かせないアイテムだ。
ハギには同様の機能を持つ黒いカッパに、背中には赤い郵便マークを付けている。
荷物入れも黒に郵便マークがあるので、せめて荷カゴに荷物を乗せてある体ていの防衛だ。
初めこそ多少の違和感を示したものの、ハギは大人しく前カゴに収まってくれた。
カゴには小さな傘も装着されていて、陽の傾きによって角度を変えられるスグレモノだ。
制服と同じ漆黒の自転車の後ろに大量の手紙が、その左右に自らの物資と武器を。
外界との境にある強固な門扉には羽鳥が待っていた。
部屋の鍵は渡してあるのに、結構律儀な奴だ。
「俺くらいしか見送りに来る奴居ないだろ」
(特に気にしてない)
「捜し物、見つかるといいな」
「見つけるんだよ」
羽鳥は大きな溜め息に似合わない笑みを浮かべて、死ぬなよ、と一言。
潤伍にも意識せずに笑みが溢れた。
まずは群馬にある街を目指す。榛名湖はるなこの畔に4000人程が暮らす小さな街。
真っ直ぐに向かえば2〜3日の距離ではあるが、彼らには捜し物がある。
ソレはペットショップかホームセンターか薬局か。
夏は近所のホームセンターで購入していた。
しかし、大きな町痕は賊達の縄張り化していることが多い。だが、事の始まりから危険は百も承知。
潤伍は迷わず熊谷へとペダルを踏み込んだ。
アレが起こった時、潤伍は都内の郊外に住んでいて、大多数の人がそうであったように彼には何があったのがまるで理解出来ていなかった。
初めはただの停電だけだと思っていた。電車が止まり、午後の講義に出なくて済むと内心喜んでいたくらいだ。
しかし、それが1〜2日も経つと流石に不安を感じ出す。
彼の家には昔馴染みの石油ストーブだったので、寒さを防ぐことは出来た。
その頃はまだ食料や生活必需品も購入出来たが、3日目くらいから流通のストップにより混乱が表面化していき、1週間後には見事にパニック状態と化す。
暴動や略奪が横行し始めたのもその頃からだった。
何かが起こったのは分かっても、何が起きたのかは解らないまま一切の情報を遮断された人々の中には恐怖しか湧き上がらなかった。
そんな中でも潤伍は何処かはぐれていて、右往左往する人々の様子が喜劇にさえ観えていた。
田舎では大概の家で畑を持っている。彼の家にも夏が世話した小さな畑があり、根野菜や葉野菜も多少は採れた。
大都会ほど混乱は顕著で、食料を貪り尽くした後に郊外へと流れて来た。
たった1ヶ月程度で社会生活などと言うモノは崩壊し、人間は獣へと堕ちていく。
潤伍はといえば、何とか身を守りつつハギのご飯を探していた。
物々交換が当たり前となった頃、メガホンを持った自転車集団を見かけるようになる。
「私達は、埼玉県の武甲山ぶこうさんから来ました。自主党の江上利昭議員が生き残った皆様と力を合わせ、安心して暮らせる街を建設しようと頑張っております。ですがまだまだ人手が足りません。安心・安全な街作りを目指しております。どうか皆様のお力をお貸しください!」
(こんな時に何処のトンチンカンが選挙運動?)
江上は有名だった。当時37歳で、中央集権の政府からは離れ地方創生に力を入れていて有権者人気も高かった。
自転車集団は何日かおきに現れては演説を繰り返して行く。
「街を作るとは?」
出会って3回目で潤伍は話しかけた。
「なるべく陽に当たらない方がいいぞ。危険なのは暴徒化した連中だけじゃないんだ」
「……どういう事だ?」
潤伍はその時初めてスーパーフレアについての知識と情報を得た。
生き残りの中に専門外ではあったが学者が居て、当日のオーロラと停電、ネットワーク破壊からみて、世界的に影響を及ぼすスーパーフレアではないかとの見解を出したのだ。
「猫連れでも構わないか?」
メガホンの男はあからさまに怪訝な表情を示した。この頃には既にペットという概念は薄くなっていたのである。
「家族なんだが」
「……構わないが、気を付けろよ」
ハギを連れて武甲へと向かったのは、スーパーフレアから3ヶ月後の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます