第2話

突然の事故だった。

夏も彼を置いて逝ってしまった。

潤伍には目つきの悪いトラ猫だけが残された。

拾いたての頃は可愛かった子猫も、1年も経つと目つきの鋭い立派なボス猫風になっていた。


「ハギ?」

「そ!おはぎみたいな色してるから」


ソレってきな粉じゃないのか?と聴いた潤伍に、きな粉だと女の子みたいだから、という理由で名付けたのは夏だった。

彼女の亡骸に擦り寄るハギに怒鳴った。


「何で…何でお前だけが残った!夏が居なきゃ意味ないだろ‼」


ぶつけ処ない悲しみは怒りになって猫を部屋の隅へと追い遣った。

夏が思い出されて辛かった一時期は、罪悪感と戦いながら公園に捨てに行った事もあった。

しかし、翌朝になると喧嘩の痕だろうか、傷や血で汚れたトラ柄の身体を丸めて玄関前で待っているのだった。

懐いてるわけでもないのに、ハギは潤伍から離れることはなかった。

その時の後悔の念は、今でも潤伍の胸を刺す。

経験したことの無い盛り上がりを魅せた何十年ぶりかの母国でのオリンピックも、彼には何処か儚い蜃気楼のように感じた。



そして11月2日。

潤伍はいつもの様に仏壇に水を置き、今は亡き3人を想う。

その後で猫と自分に餌を与える。

今日は午後からの講義だな等と考えながら何となく窓に目を向けると、高い秋空が歪んだ。

二度見して両目を擦ってまた見る。

空が歪んでグラデーションの赤と緑が空全体を揺らめいている。


「……オーロラ…?」


何度かテレビで観た事のある光景だ。陽がある分幾らか色は薄いが、アレはオーロラ以外なら何なのか。

1859年に起きたキャリントン・フレアでは、ハワイやキューバでもオーロラが確認できたという。

だが、潤伍にそんな知識など無い。また目を擦って窓に駆け寄り、ベランダに出ようとした途端、点けていたテレビや部屋の電気が消えた。


(停電か?)


スーパーフレアの発生である。それが世界の終わり、いや、地獄の始まりだった。

その時世界で何機の飛行機が飛んでいたのかは解らない。

磁気圏の破壊は人工衛星はおろか、周辺にあった多数の隕石と共に全てが墜落した。

海に面した土地は尽く津波によって壊滅的な破壊を生む。

地球規模の停電はGPS頼りの交通網をストップさせ、世界各地にある原発もが制御不能に陥り、数時間で年間被爆量の1000倍の放射線が降り注ぎ、あまつさえ破壊されたオゾン層により、癌疾患が増大。

世界人口は5分の1、日本では約80万人程しか生き残れなかった。

潤伍とハギもその1人だ。

何故自分が生き残れたのか……それは今でも解らないし、いきなり死を迎えるかもしれない。

この時を生き残った人間全てがその思いを抱えていただろう。


江上利昭。

当時、新進気鋭の若手政治家がいつの間にか比較的被害の少ない地域に街を構え、僅かな生き残りを束ねていた。

そんな場所は全国でおよそ7ヶ所。

およそというのは、7年経った今でも通信機能は麻痺していて連絡手段といえば今のところ手紙しかないからだった。

まるで江戸時代に戻ったようだ。

潤伍はその江上議員の街で警備員をしていた。

人口7568人の小さな街を守るのが仕事だ。

何から守るのか。

秩序や統一を嫌う者はいつの時代も居る。反社会的なはみ出し者達は、盗賊のように食料や医療品等の物資を狙っていて、缶詰や保存食の絶えた昨今、年々被害が増えていた。

潤伍は警備隊結成当時からのメンバーだ。

警備員は自衛隊や警察出身者が多く、潤伍のような学生は稀有な存在だった。

同僚の羽鳥昇太郎は防衛大学の2年生の時にアレに見舞われ、流れ流れてこの街に辿り着いたのだ。

潤伍達のように街を守る者、物資調達する者、他の街との流通等、警備隊の仕事は多岐に渡る。

物騒な職業柄、なり手は少なく荒くれが多い。


「しかし、勿体無いねぇ」


実り少ない土地で造った薄くて不味いビールを、もう1杯、と店員に人差し指を立てながら、羽鳥は呟いた。


「何が?」


潤伍の返事に、羽鳥は素っ頓狂な顔を造った。


「何がだって?エースって言っても過言じゃないお前が、安定した職と安全を捨ててポストマンになるんだぞ!…ソレの何処が勿体無くないんだよ」

「…エースなんかじゃない。大体何のエースだよ」

「そりゃ、そんな称号はないけどさ。攻めて良し守って良し指揮して良し…ま、俺には敵わないケドな」


ビールのおかわりを催促しながら、痩せた焼き鳥に噛み付く。


「何言ってんだ。俺1人居なくなった所で、世の中何にも変わんないんだよ。それに、言うほど安定した職でもないだろ」


警備員は常に危険と隣り合わせだった。賊達は何処から調達したのか、銃火器を持っていた。

これに対抗するには警備員達も武装化せざるを得なくなり、互いにいつ負傷や死を迎えてもおかしくなかった。

また、オゾン層が多少でも機能してるとは言え、昼間に出歩く彼らの発癌率も高い。

勿論、放射能の汚染がどの程度広がっているのかなんて皆無で、警備員でなくても誰しもが死の恐怖に侵されていた。

そんな世の中で安定や安全があるだろうか、と潤伍が物思いに耽っていると、ため息混じりに羽鳥が呟いた。


「お前ってさ……」


ひと呼吸置いたので潤伍は羽鳥を見た。


「人と関わるの嫌いなわけ?」


一瞬の動揺は隠して、潤伍は軽く牽制する。


「あぁ…俺は人間が嫌いだ……面倒なんだよ」


そんな潤伍の牽制も虚しく、羽鳥は何食わぬ顔で勝手に話を進める。


「そうかよ…まぁ、嫌いだか面倒だか怖いだか知らんけど、今日は俺に付き合えや」


やっと来たビールを潤伍のグラスに当てて、ニカッと笑う。

羽鳥の怖いという単語に、潤伍は軽く眉を寄せた。

ただ単に面倒臭いだけだ。人間ってのは何しろ群れたがる。潤伍は以前から面倒ごとにはなるべく関わらないようにしてきた。

警備員のメンバーである153人も多くの派閥に絡められているが、潤伍は無派閥だ。

なのに羽鳥は潤伍を担ぎ上げて無所属派閥を作ろうとしているかのような言動が目立つ。


「で?何でポストマンなんだ?しかもアウト」


ポストマンとはそのまんま郵便屋の事だが、江上議員が昔のハリウッド映画から名付け、何故かその名前が全国区になっていたが、潤伍は何だか気取っているようであまり好きじゃなかった。


「…捜し物が出来たんだ」


羽鳥は、ふ〜んと短く返事して[捜し物]の中身については質問をしてこなかった。

人にくっついて勝手に喋るくせに、肝心な部分には触れてこないのが不思議な奴だった。

だからだろうか、多少の面倒臭さを感じながらも、彼とは5年近くの付き合いになっていた。

スーパーフレアから7年経った今でも、プラズマ粒子の影響は消えず、多少の電力は回復しつつあっても連絡手段は手紙のみ。

インは街中でアウトは街同士での仕事だ。

アウトは[外]という意味でもあるが[死]という意味も持っていた。

公的な、例えばトップ同士のやり取りとなると4〜5人組で、一般でも大概はツーマンで仕事をする。

潤伍は1人を選んだ。捜し物がメインだからだ。


「アイツどうすんの?猫。ハギだっけか?俺、預かってもいいけど」

「連れて行く」

「ハァ〜⁉死んじまうぞ!置いてけよ!」


店中の視線が集まった。

この言にはいくつかの意味がある。通常、外で作業する者は紫外線防止の制服が支給される。

効果の程は解らないが、放射線を防ぐ機能もあるとか無いとか。

それでも一般人よりは病気の発生率は高い。

また、1人きりのポストマンというだけで狙われる確率は高く、慢性的な物資不足に陥っている外の人間には、ハギは貴重なタンパク源だろう。


「特注のカッパを作ってもらった。傘も。…アイツ、結構悪運強いし、まぁ大丈夫だろ」


羽鳥は左右に首を振って大袈裟な溜息を吐いたが、口は何やらニヤついている。

これ以上は突っ込んではこないだろうと予想できた。

羽鳥曰く送別会とやらは、比較的平和理に終わりを迎えた。

1週間の準備期間を経て、7年ぶりに街の外へと出ていくことになるのだった。

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