ムゲンのカードが無くなった

スミンズ

ムゲンのカードが無くなった

 ムゲンのカード。それはある意味国の負の遺産。ある一般市民が国の重大な秘密を偶然知ってしまったがために、その口封じにその市民に与えられたカード。それはクレジットカードであり、国の金から払われるため、半永久的に使えるわけである。


 そんなムゲンのカードを、持ち主の新垣雄二は無くしてしまったのだ。新垣は3人家族。妻に中学の息子がいた。もちろん新垣は働いてなどいない。家事は妻に任して、自分は毎日のように高い酒を浴びるように飲んでいた。だがそのムゲンのカードを無くしたということは、『クレジットカード=全資金』とも言える雄二にしては、全資金をなくしてしまったのも同然だった。


 仕方なく雄二は豪邸だった家を売り払い、一生涯働かなくとも良い金を手に入れることが出来た。だが豪族という立場からは逸脱し、にも関わらず雄二は何年も働いたことなどないから、働くことを渋っているうちに、妻は離婚を申し付け、子供を連れて出ていった。


 そこでようやく雄二は働く決心をしたのかというとそうではない。楽して稼ごうとパチンコやカジノなどに興じ、株を買ったり売ったりしてしたが、それが仇となり金はそこを突いた。


 そして雄二はどうしようもなく仕事を探し始めた。だがそんな男にすぐ仕事など見つかるわけもない。新垣はついにどうしようもなくなって、ホームレスとなった。


   1


 「あの街灯の下のベンチに座ってるやつが俺や母さんを只の飾りのように扱っていやがった野郎だ」それを親父に聞こえるように言ってやるのは、残酷だというより『ざまあみろ』という気だった。それを聞くなり滝零菜はどう反応するべきか迷ったのか、そこにいる親父に目を向けないようにしていた。


 親父は結局ムゲンのカードを使いながらも、自分だけ得しようと翻弄した屑だ。そいつが今は哀れな顔で俺を観てくるのが滑稽だった。勿論、今この状況にあるのも、あのあと母が一生懸命頑張ったからでもあるが。


 それから親父とは、何一つの会話もしないまま通りすぎていった。


 「うん、そうだ、直哉。今日はカフェに行こう?」そう言うとヒラヒラとセーラー服を舞わせて、俺の腕に絡んできた。


 「そうだな。たまには良いかも」そう言うと俺もしっかり零菜の腕を組んだ。初めて出来た彼女であるけど、なんやかんやで1年もカップルでいるのだ。『半年持てば凄い』と言われる高校生の交際にしては長持ちで、零菜を俺の次に狙っていた奴等は半ば諦めモードに突入している。だからこそ俺は自慢げに彼女の腕を組んでしっかり歩く。


 街中のちょっと広い通りに、古く味のある建物のカフェがある。そこはこの街では有名なカフェで、俺らはそのカフェに入っていった。


 「いらっしゃいませ」そう言うと見習いのような若い男が俺らを見てお辞儀してきた。「どうぞ、こちらへ」


 その男に連れられてその店の中を進む。長い歴史のあるカフェだけあり、堆積されたコーヒーの匂いが、早くも自分のお腹を満たしていくようだった。客はボチボチだった。案内されたのはカウンターではなく窓辺のテーブル席であった。


 「では、これがメニューでございます。お決まりになりましたらお知らせ下さい」


 俺らは受け取ったメニュー表を手にした。


 「キリマンジャロ、ブルーマウンテン……。何が旨いんだ?」コーヒーにはチンプンカンプンの俺が訊ねる。


 「まあ、飲みやすくて美味しいったらブルーマウンテンじゃない?」


 そういわれるがまま、俺はメニュー表からブルーマウンテンを探す。


 「………高いなあ」


 「贅沢なコーヒーだからね。高いに決まってるよ」


 そういわれたので、俺は適当に安い『キリマンジャロ』を注文した。彼女も同じものを注文して、二人でひとつのイチゴタルトを注文する。


 するとマスターがカウンター席の向こうでコーヒー豆を挽き始めた。そこからやるなんて流石老舗カフェ、そんなぶっきらぼうな感想を呟く。


 「にしてもさ」突然、そう零菜がきりだしてきた。


 「何?」


 「直哉の父さんって、屑だっていうけど、何でああなったのさ?」


 「何でああなったか……」そう聞かれると俺は反応に困ってしまった。何故ああなったか?俺は今の親父を『ざまあみろ』とは思うが、決して今のような状況になって欲しいとは思ってなかった。


 「そうだなあ」俺はそう言うと、右手をグッと零菜の方に寄せる。「俺との結婚を約束してくれるなら教えてあげても良いよ?」


 「は?」予想通りのリアクションを零菜は見せる。「論点がおもいっきりすり変わってると思うけど?」


 「すり変わってない。この話は正直外に漏らして良いような話じゃない。絶対に信用できる人と話をしたいんだ」


 「じゃあまずカフェでその話をするのはよくないよね?」


 「………それもそうか……」そう言うと同時にコーヒーが2つとイチゴタルトがやって来た。キリマンジャロというコーヒーは超絶的に酸っぱくて、俺は苦手な味であったが、零菜はそういう酸っぱいのが好みらしい。ちびちびと飲んでいた。俺はイチゴタルトをパコンと手で2つに割ると、その小さい方を口に放った。成る程、これは美味しい。



 「入れば良いよ、今日も母さんは仕事だからな」俺はそう言ってマンションの我が家の鍵を開けた。


 「うん。お邪魔します」


 部屋の中は自分でいうのもあれだが、綺麗である。何にもないというのが正しいかもしれない。俺の部屋に入ると、そこにはベットもなく、ラジカセと小さなcdラックに数冊の小説と雑誌だけだった 。


 「ねえ、前から思ってたんだけどさ、直哉ってこんなもんで退屈しないの?」そう訪ねてきた。


 「退屈なんてしないよ。cdあればいつだって音楽が聞ける。ケータイがありゃネットで遊び放題だ。wifiは通しているからな」


 「そんなもんかなあ?」そう言うと零菜は床に置いてあった俺の小説を拾った。「夏目漱石、こころ、……て、あの教科書に載ってたドロドロした話の奴?」


 「うん。なんかそれさ、古臭い感じがしなくて読みやすいんだ。文豪ってすげえなあ、ってそう思わない?」


 「うーん、私はちょっと苦手かなあ……。蹴落として女の子をゲットして、って時点でもう私は嫌だ」


 「いや、俺だって現実でそんな恋愛なんて嫌だよ。俺はこころの先生じゃ無いんだ。で、話は変わるけど結婚してくれる気になった?」


 「なんか釈然としないな………」そう言うと零菜は本を元の場所に戻した。そして俺らは床に座布団を敷いて座った。



「じゃあさ、絶対にどっかに口出ししないって約束してくれるなら良いよ。俺は零菜を信用できる人だと思ってるから」


 「うん。じゃあ結婚するから早く話を始めてよ」


 「は?何それ!」俺は意味不明な態度を取る零菜を見ながら、まあいいか、と話を始めた。


 「俺の親父は昔、政治家をやってて、意外に政界に顔の広い人だった」


 「え?あの人が?」


 「うん。確かに信じられないと思う。だけど本当の事だった。昔の新聞とか見れば出てくるよ。新垣雄二っていう政治家が」


 「へえ、直哉って昔は新垣だったんだ」そう言う彼女は不思議そうな顔をしていた。


 「だが親父は偶然、国の重大な秘密を知ってしまった。その口封じに、ムゲンのカードを発行するから、その秘密を口に出すなと約束された。口に出したとたん死刑にされるんだ」


 俺がさらっとそう言うと、零菜は両手を横に振った。


 「待ってよ、なんか物騒だし、まずムゲンのカードって何?」


 俺がムゲンのカードの説明をしてやると、零菜はとても納得はしてくれなかった。


 「なんか、馬鹿みたいな話………」


 「俺だって信じれる話では無かったよ。でも、親父がムゲンのカードを失ってから、暮らしがグッと傾いてしまったんだから本当の話だと思う。実際俺、中学までは豪邸暮らしだったんだ」


 「なんか壮大な話」そう言うなり、零菜はスマホを操作し始めた。それからしばらくすると、零菜は驚いたような顔をして俺を観てくるのが見てきた。


 「『元総理秘書官の新垣雄二の豪邸、売り払われる』ほんとにあった!」そこにはデジタル新聞のトピックス記事があった。


 「だからそれはほんとの話なんだって。だが、本題は親父が何でああなったかだ。それには、正直俺にも関わりがあるんだ」


 「直哉が?」


 「ああ。ムゲンのカードを無くしたのは親父ではない。そもそもムゲンのカードは無くしてもいない。だってそれは、俺が粉砕して捨ててしまったんだから」


   2


 「親父」俺はそう言って奴を見下ろした。ベンチに座ってる親父は大分やつれているように見える。目の下にくまをつくって、安いカップ麺片手に弱々しく俺を見つめる瞳は、過去のあの余裕のある輝きを失っていた。


 「なんだ、直哉か。珍しいな、お前から話しかけて来るなんて」


 「何言ってるんだよ。親父からも話しかけてなんて来なかっただろ?」


 俺がそう言い返すと、「そういやそうだな」と呟いていた。


 「実はよ、今日は大事なことを伝えたいと思ってここに来たんだ」


 「………大事なこと?」


 「ああ。だからついてきてくれ。俺を恨んでいるというなら無理にとは言わないけどな。カフェなんて、しばらく行ってないだろ?」


 そう言うと親父は少し迷ったような素振りを見せた。だが意を決してか「俺には金がないが、良いのか?」と聞いてきた


 「大丈夫だ。まだ夏休みにやったバイトの給料が余ってんだ」そう言うと俺は親父に背を向けて歩き始めた。


 秋の何かと優しい風が吹き付けていた。



 前来たばかりのカフェに着いて、今回も同じく窓辺の席に案内された。

 「親父、何が飲みたい?俺はブルーマウンテンにしようと思うけど」そう聞いてみた。


 「じゃあ、俺はキリマンジャロで」


 「マジで良いのか?あれめっちゃ酸っぱいけど」そう訊ねると親父は少し微笑んだ。


 「あの酸っぱさが良いんだろ?」


 それから二人はしばらく沈黙を通していた。そのうちにキリマンジャロとブルーマウンテンが来た。俺は砂糖なしでブルーマウンテンに口をつけた。親父も同じくキリマンジャロに口をつけた。ブルーマウンテンは、俺の口にとっても合う絶妙な味であった。


 「親父、旨いか?」


 「………何だろうな?思ったより酸っぱい」そう言って窓の外を見ていた。しかししばらくして、親父は俺を見ると、「大事なことってなんなんだ?」と訊ねてきた。


 「ああ、それを伝えに来たんだ。俺は、もしかしたら親父を苦しめたのかも知れない」そう切り出すと親父は不思議そうな顔をしていた。


 「お前が俺を?」


 「ああ」俺は一呼吸置いて、いうべきことを頭のなかで整理した。そして、意を決して、真実を述べた。


 「俺は……、実は俺は。親父はカードを無くしたと思ってんだろうけど、実はさ、あれ、俺が砕いて捨てたんだよ」


 そう言う。俺は親父の顔を見つめてみる。どんな顔をするんだろうか。もしかしたら切れるかも知れない。そう思いつつ見ていたが、親父は顔色を変えなかった。


 「そうか」親父はそう呟いた。そしてフッと笑うと、「ありがとう」と言った。


 「え?」


 「あのカードを手にした俺は狂っていた。自分でもわかっていたんだ。お前を傷つけたし、母さんだって傷つけた。それを把握したのはつい最近なんだがよ」


 「……そう。俺は未だに悩んでたんだ。余計なことをしたかなって。だけどこれだけは言いたい。あのときの母さんは本当に苦しんでいたんだ」


 「ああ、わかってる」そう言うともう一度親父はコーヒーをすする。


 「やっぱり酸っぱい」



 外に出ると少しだけ空に赤みが差してきていた。親父はすぐそこで別れようと言ってきたので、何かあったときのためにと自分の携帯番号とメアドを交換しようとした。だが親父は携帯も持ってなかったので、それらをメモした紙を渡した。


 「ちゃんとお前に顔向け出来るようになってからメールする』


 「そう。待ってるよ。所で、母さんに会う気はないのか?」


 「馬鹿。今更ノコノコ会えるわけもねえよ」そう言うと親父は、少し呼吸を置いてから、話を始めた。


 「なあ、俺さ、実は仕事にありつけたんだ」


 「本当かよ!」俺は嬉しさを隠さずそう反応した。


 「ああ。実は漁師の人から誘われたんだ。『きつい仕事だがやる気があるなら俺の家にただで泊めてやる』って。それで俺さ、なんとかやってやろうと思ったんだ」


 「そう。頑張ってくれよ」俺は心の底からそう言うと、親父は笑った。その瞳は、昔の輝きを失ってはいたが、新たな光が差し込んでいるようにも見えた。今の親父なら大丈夫だ。妙にそんな確信が持てた。


 「なあ直哉。くれぐれも彼女は大切にすんだぞ」親父はそう言うと片手を振って俺から離れていった。なにか、昔の親父よりもその影は大きく見えた。


 俺は零菜の顔を思い出す。そして零菜のあの台詞を脳内にリピートする。


 『後悔する前に、お父さんと決着つけちゃいなよ、みっともない』


 あれは勇ましい人だ。不意にそう思っては、笑いが出てきた。



 それ以降、親父はあのベンチに座っていることは無かった。同時にそれからしばらくは、俺と親父との交流は寸断された。


   3


 親父との最後の話し合いから10年がたった。俺は28歳になっていた。仕事も人なりに出来る大人になっていて、結婚と同時に買った家に住んでいる。


 結婚の相手は零菜だった。俺が3年前に結婚を願いこんだ。すると零菜は『そうそう、そうやってハッキリと言ってくれればいいんだよ』と訳の分からないことを言って承諾してくれた。俺らの結婚は同年代にしては早かったが、8年という交際関係と、俺らの絆を俺の母さんも零菜の両親も認めてくれたのだ。


 今うちには2歳の息子、隆太がいる。俺は仕事の無いときは出来る限り息子に寄り添っていようと思っている。それが親として出来ることだと思っているからだ。零菜もあんな勇ましかったのに、母性が出てくると柔らかい表情をしていた。


 そんなある日の日曜日、突然見知らぬメールアドレスから着信があった。俺はそれを開くと、そこには『直哉へ』という題の文章が綴られていた。


 「親父からだ!」俺は思わずそう言うと、零菜は「えっ?」と言って俺に寄ってきた。積み木で遊んでた隆太も、何かを感じ取ってか、ヨチヨチと歩いてきた。


 「隆太、コケないように気を付けろよ」そう言いながら、本文に目を通す。


 『直哉、元気か?雄二だ。お前の親、と言うのは今更語弊があるかもしれない。だけどここはちょっと報告をしようと思って連絡した。実は俺も定年を迎えて、お世話になった仕事を退職した。金に困んないのか?と思うかもしれないが、実はそんなこともない。でっかいマグロを釣って、実はとても稼げた。だから、昔の俺に戻ったのではないかって思うかもしれないが、もう二度とあんな俺になりたくは無いのだ。お前に助けてもらった時から、そう思い続けていた。お金は、自分のために使うものじゃない、未来の子供たちに使うべきだ。そう考えれるようになった。俺は実の子供のお前にちゃんとしたお金の使い方をしてやれなかったが、俺は今、里親をやっているんだ。里親ってわかるよな?色々な訳があって実の親の代わりに子供を育てるんだ。それが実にやりがいがあるっていうか、子供ってこんな素晴らしいんだって、やっと分かったんだ。これからは、だからちゃんと子供たちにお金を費やしていきたいと思う。それがある意味、今の俺だからな。生意気かも知れないが、俺は里親でお前んちに行くことはできない。だから、もし機会があるなら、是非遊びに来てほしい。返信を待ってるからな』


 「良かったね、お父さん」零菜がそうやって呟いた。俺はそんな親父のメールを見て、不意に目から涙が伝っていることに気づく。


 「親父……。すげえや」俺は服の袖で涙を拭った。


 それを見た隆太は不思議そうな顔で「どうしたの?」と聞いてきた。だから俺は、片手で隆太の頭を撫でると、「隆太、今度さ、おじいちゃんちに行こう」と言ってやった。


 「え、おじいちゃん!」そう言うと隆太は嬉しそうな顔をした。子供って、本当におじいちゃんっていうのが好きなんだなあ。


 「うん。でもいつものじいちゃんじゃないよ。しばらく修行していたじいちゃんに会えるんだよ」


 俺は今まで隆太に修行しているじいちゃんがいると教えていたからそういってやった。本当は親父から連絡が来るなんて確証は無かったけど、俺は絶対に親父は連絡してくると信じていたのだ。


 俺はそのメールに返信を打った。


 『親父、いや、じいちゃん。今度子供を連れて会いに行くよ』

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