怪物

ほとけ

怪物

「人間に味が出るのって、どんな時だと思う?」

 先輩は唐突に私に問いかけた。ふかしているタバコの煙が風に煽られてゆらゆら揺れる。街の夜景を見渡せるこの屋上は、先輩のお気に入りの喫煙場所だ。

この先輩とは高校の部活からの付き合いで、

今は同じ会社の先輩だ。

勤めていた会社を辞めて、フリーターをしながら転職先を探していたときに再会した。先輩は私の事情を知ると、すぐに先輩の会社の社員募集の選考に私を推薦してくれた。

「困った後輩を放っておけるわけないだろう?」

先輩はこんな人なのだ。

会社での先輩の評判は、温厚で気の利くいい人。そんな彼が拾ってきた後輩ということもあってか、面接は特につつかれることもなく穏やかに通過し、今に至る。

そんな先輩は、時々私を試すような問いを投げる。しかもいつも精神論的な内容ばかりで、高校大学とガチガチの理系だった私にはよく解らない問いばかりだった。

 今回もそうだ。

公式や図形ばかりと向き合って人の心の触れあい方が解らない私を試そうとしてるんだろう。

「私には、よくわかりません」

そう無愛想に返えす私に、先輩は苦笑いする。

「お前はいつもそれだな。」

そう言って吸ったタバコの煙を吐き出だす。

白い煙が先輩の周りを包むように取り巻いて

消えた。

「じゃぁ質問を変えよう。人間が人間じゃなくなる瞬間ってのは、どんな時だと思う?」

さっきとは真逆の質問に面食らいつつ、私は答える。

「...、死んだときでしょうか。」

「お前の答えはいつもストレートで捻りがねぇな。」

「先輩は私に何を期待しているんですか?」

聞いてきたのはそっちの癖に、いつも文句で返してくる。ムッとして言い返すと、また苦笑して「ごめんごめん」といい加減な謝罪が返ってきた。

「逆に、先輩こそどうお考えなんですか?」

その問いに、先輩は直ぐに答えない。

先輩は、口に咥えていたタバコをつまんで煙を吐き出す。つまんでいるタバコは先端を赤く燃やして長さを縮める。そのタバコの縮む様をじっと見つめている。先輩は、何かしらの事象や問題について熟考する時に、いつも何か一点を見つめる癖がある。学生時代にその場面に何度か遭遇したことは合ったが、今回は少し様子が違う。答えを考えるのでなく、言うのを躊躇っているように見えた。実際そのとき先輩がどう考えていたかなんて私には解らない。それでも、赤いタバコの火を見つめて動かない先輩の姿に、私は漠然とした胸騒ぎを覚えた。

「俺が思うに、人間じゃなくなるってことはさ、怪物になるってことだと思うんだ。」

タバコの先端の灰が落ちる頃、先輩はようやく口を開いた。

私は先輩の答えの意味がわからず困惑する。

怪物って・・・見た目の問題なのか?

「といっても、お前のその固い頭じゃ、見た目がどうこうとかとか考えてるかもしれんが、そうじゃない。怪物になるってのは、精神的な考え方の例さ。」

「...精神的なですか。」

「そう、例えば人間は自分を無意識のうちに守ろうとするだろう。それが人間にとって当たり前の行動だよな。だれしも刃物を自分に刺したりしない、銃で自分を撃ったりしない、自分で崖から飛び降りたりしない。だが実際には、刃物で自分を刺したり、崖から飛び降りたりする人間がいるよな。」

「自殺志願者のことですか?」

「単なる死にたがりならこの国には山ほどいるさ。そんなあまっちょろい連中のことじゃない。俺が言うのは、本当に自殺して死んでしまった人たちのことさ。」

先輩が新しいタバコに火をつける。

「お前は、自殺って行為をどう考える?」

タバコを不味そうにのむ先輩の目は、今までにない暗いものを宿していた。

「私には、よくわかりません。」

先輩の視線から逃げるように、私は目を背けた。先輩の目を、怖いと感じたのはこの日が初めてだった。

「俺はな、自分で自分を殺してしまうのは、きっと怪物の仕業なんだと思うんだ。心に住み着いた怪物が、その人たちの大事な部分にどんどん巣食っていく。きっかけはどんなに小さいものでもいいんだ、きっと。そしてそこからどんどん食いつくして、最終的にはその人自身を怪物にしてしまうんだ。」

一息で捲し立て、先輩は吸いかけのタバコを口に加える。短いタバコを吸い込こんで、ゆっくりと煙を吐き出す。その姿は、まるで身体の中の空気を吐き出しているようにも見えた。

「自傷や自殺に向かってしまう人たちってさ、

もう自分自身のことを人間とは思えないんだろうな。大切にしなきゃいけない自分自身を傷つけてしまう、その人たちにとって自分という対象は人間ではないんだろうよ。だって、そうじゃないと説明がつかないだろう。怪物なんて幼稚な言葉をつかってるけど、実際どうなのかなんて俺にはわからない。」

タバコの煙を全て吐き出した先輩が己の葛藤を吐露するかのように言葉を紡ぐ。

私は、先輩の言葉をただ聞いているだけだった。

なにも話さない私に、先輩は少し苦笑してタバコを地面に擦り付けた。火が、ジュっと音をたて消えた。

「悪いな、こんな暗い話して。」

先輩は少しすまなそうな表情を浮かべて私に笑いかけた。吸い殻はいつの間にかなくなっていた。

「お気になさらず。お話聞けてよかったです。」

私がそういうと、先輩はいつものように軽快に笑った。

「最後まで俺の独壇場だったなぁ!」

「先輩の話が難しすぎるんです。」

「そうだな、たぶんお前ならそう言うだろうと思ったんだ。」

ふと、先輩が私を見つめる。

「だから、お前に話したんだ。」

軽快な笑顔の中にすこしだけ、悲しそうに瞳が揺れた。


 そのことに、私は気づけなかった。


 あの屋上雑談から三日後に、先輩は自宅のマンションから飛び降りた。

最上階の屋上から先輩の靴だけが見つかったらしい。

遺書はなかった。


 先輩が自殺したという話は会社でもすぐに広まった。誰もが驚き、誰もが悲しんだ。どうして彼がそんなことをと、誰もが不思議に思った。先輩の葬儀は親族だけでひっそりと行われたそうだ。私は、葬儀の後日にお線香をあげさせてもらった。仏壇の遺影の先輩は、ただ静かに微笑むだけだった。


 先輩がいなくなっても日々はめぐってくる。

私は変わらず会社に行って仕事をする。

いつものように社内メールに目を通そうとパソコンを立ち上げる。そして気づいた。

私用に使っているアドレスに、先輩からのメールが届いていた。

受信したのは丁度三日前。

タイトルは無題。

本文はたった一行。

「捕まるな」

それだけだった。

そのメールを見たとき、私は思わず屋上にはしった。

先輩、先輩、先輩!

あの日屋上で話した貴方は先輩ですよね?

そうじゃなければ、貴方はいつからそうだったんですか。いつから死を見据えていたんですか。先輩、貴方はいつから怪物だったんですか?


走り込んだ屋上は、ただ街の喧騒を宙に響かせていた。

どこまでもいつも通りな風景が、私は何故か悔しかった。





  










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怪物 ほとけ @Hotoke99

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