透明爆弾は何を思ったのか【1/3】
僕は実に運がいいのだ。
インフルエンザウィルスに感染した。
今朝、目覚めると悪寒がして頭痛が酷かったので、学校を休んで病院に行った。
熱を計って問診表を出したところで、別室へ連れて行かれて僕の鼻の奥の粘膜でインフルエンザの検査が行われた。そして、言われた。
「インフルエンザみたいですね。この型は県内で多分一番乗りですよ」
流行に先んじてインフルエンザになったようだ。みんなが罹りまくって病院が混む前で本当に良かった。うん、そういうことにしよう。ラッキー。
運の良し悪しなんて自分の思い込み次第だろう。そう僕は思う。
処方箋をもらって病院を後にし、最悪のコンディションで隣接されている処方箋を受付けてくれる薬局に行く。
薬局で薬が出てくるのを待っていると救急車のサイレンが繰り返し聞こえてきた。救急車は一台ではなく数台表の通りを走っているようだった。
頭に響くその音を聞いて、僕のインフルエンザ発症に触発されてみんな病気にでもなったかざまあみろ程度に考えていた。
ネタバラシをするが、このとき救急車に乗っていた人たちは病気ではなく負傷者だったのだ。
顔をバットでフルスイングされた者、お腹を十字に切り付けられた者、下腹部を刺された者、右腕を滅多刺しにされた者。
あと、この時聞いたサイレンには警察のパトカーのものもあったらしく、消防車に遭遇していたらサイレンのコンプリートだった。
ちなみに僕が綿棒を鼻の奥にぶっ刺されていた頃に消防車は出動していたという。
こうしたことを知るのは帰宅後、コンディション調整のために睡眠から醒め、携帯に掛かってきた電話に出た時だった。
薬を受け取った後、帰りにコンビニに寄って昼食用にゼリーと飲む点滴とされるポカリスエットを買ってそのままイートインスペースでそれらを胃に納める。
ゼリーはブドウのものにした。ブドウの実が一つ丸々入っていて美味しそうに思ったから選んだのだけど、そこまで食べれる気がしなかった。少し口をつけたら気持ち悪くなったし、吐きそうにもなったのだ。
それでも時間をかけて、ポカリで流し込みながらしっかり完食した。実に偉い。
食べたついでに先刻もらったばかりの薬も飲もうかと思ったけど、薬は粉とカプセルの二種類あって、粉薬が好きじゃないから家に帰ってから飲むことにした。
その頃からスマートフォンは鳴り響いていた。携帯することを忘れたので部屋でだけど。
帰りは朝から活動した疲れからか、行きよりも歩くのが辛かった。だが倒れることもふらふらして自動車事故に遭うこともなく無事に家に帰って来れた。
悪寒が常に背後に纏わりついた中で、頭痛も一定間隔でやってきて、その上に体がしんどい。
家に帰った途端、気の緩みから体が眠気を強く発し始めた。
リビングで水をコップに溜める。そのまま、リビングで薬を飲んで行こうかと思ったが、自分がインフルエンザなのを思い出して、すぐさま撤退することを決めた。
家族全員共倒れだけは避けなければ……
部屋に戻る前にベランダの扉を解放しておく。このプレイングは実に褒められるべき代物ではないだろうか。
体調のキツさを誤魔化すための無駄な考え事がつい口に出た。あかん、もう無理や。
薬はカプセルのものから飲んで、自分の中で薬を飲むぞという勢いをつけてから粉薬を一気に口の中に押し込んで水で流した。
粉が口の中に纏わりつくのが本当に不愉快で、吐きそうにもなった。それでもごっくんと飲み込んだ。
うええ。
そして、寝た。親に連絡するのを忘れていたが、どうせ母親がパートから帰ってくるのは夕方だし、その頃には目が覚めているだろう。
スマートフォンには多数のメッセージと着信が残っていたけど、机の上にポツンと置かれていただけだった。
夢を見ていた。内容を覚えていないけど、見たことはしっかり覚えている。
ちなみにインフルエンザが夢だったということは一切なく、体はだるい。だるいけど薬を飲んで寝たおかげで幾分かマシだ。
あんまり重症な感じではないみたいだし、明日からはサボタージュ期間を満喫できそうだ。何しようかな。
と、そんなことを考える前にすることがあった。
連絡を諸機関に入れないと。家族に彼女に部活に友達に、あと学校くらいか。
体を起こして、ベッドから出ると少し立ち眩みがした。まあ無視して机の上を手でまさぐって携帯を探す。
朝、僕の部屋になかなか起きて来ない僕を起こしに母が来た。けたたましく鳴り響く携帯のアラームをうるさいと止めたあと、僕の体調不良に気付いたらしく学校に欠席の連絡を入れてくれ、病院代を静かになった携帯に机の上に並べておいてくれた。
立ち眩みが収まって手の中にあるスマートフォンの画面が見えてくる。
そこには、途轍もない数の通知数。
「え、なにこれ」
ベッドに腰を下ろして少し通知数を眺める。
この中に俺のことを心配してのものが何件あるのだろうか。いやない。親ですら多分ないし、ましてや彼女も友達もないだろう。
つまり、悪戯なのだろう。
そんな束の間の逡巡を強制終了して内容を確認しようとした。その瞬間、着信がなった。
塚田有希。彼女の名前である。
有希からは普段よりも一層強い口調に冷静さを欠いた声で、開幕から罵声を浴びせてきた。
『もしもし、やっと繋がった。この馬鹿。なんで出ないの。もう意味わかんない、馬鹿』
気持ちは暴れ牛を宥める闘牛士でまずは必死に彼女を落ち着かせる。
しかし、有希は普段から語気の強い女の子だが今回はまさに取り乱すようだった。
そして彼女の背後から微かに鼻をすする音や泣き声が聞こえる。
一体何があったのか。彼女に刺激を与えないように優しく可能な限り落ち着いた声色で訊ねる。
「なにがあったの」
有希はその出来事の重みを言葉に乗せたくないようで一息で静かに言い切った。
「――朝井が八坂たちを刺して飛び降りた」
ああ、遂にあの透明な爆弾が爆発したのか。
それまで感じていた気怠さや寒気が一瞬消えて、悲しい開放感が身を包んだ。
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