第12話 あなたの想いを乗せて私は


普段は人が立ち入ることができない、神の世界。

そこは今、水を打ったような静けさに包まれている。

想像主の彼は下を向き、ゆっくりと口を開いた。


「…麗子ちゃん。その選択は、金剛石どころか、ただの石ころだよ」

「アタシはきっと、間違ってるんだろうな」


凜の目の前で、唯一この世界に入ることを許された彼女が顔を歪ませる。

(今日、痛いほどよく分かった)

皆、自分の将来をきちんと描いていて、生きたくて生きたくて仕方ないのだと。

これは背負って生きていくには重すぎる選択だということも。


「でも、仕方ねえじゃねえか…誰も、お前自身さえお前のことを幸せにしてくれないのなら、アタシがするしかないんだ!」

「……」

「選んだ時は石ころだって、ずっと磨き続けたらダイヤモンドになるかもしれねえじゃねえか!少なくとも凛、お前はそう思ったから、また自分を犠牲にしてまで人を救おうとしてんだろ!?」


麗子が凜に手を伸ばす。


「今度はお前が幸せになる番だ。だから。頼むから、アタシの手をとれよ…凜!」


その手のひらを、優しい感触が包んだ。


「凜…」


麗子がホッと息を吐きながら顔を上げると、自分が光で包まれていることに気がついた。

これは彼が、自分をこの世界から追い出すときに使う光だ。

麗子が信じられないものを見る目で、彼に視線を送る。


「凜…お前は、」

「麗子ちゃんが無くしてた指輪。見つけたよ」


そう言って顔を上げた彼は、いつも通りの優しい微笑みを浮かべていた。

麗子の唇から震える声が出る。


「やめろ…」

「今度は無くしちゃダメだからね」


凜は指輪がかかったチェーンを、彼女の首に回した。

ずっと探していたものだが、それでも麗子の瞳は彼だけを見ている。

その顔が、くしゃりと歪んだ。


「凜!お前はっ!」

「最後に僕からの依頼。これからすることの影響は、おそらく町にもでる。みんなのこと、助けてあげてね」


凜が麗子から離れる。

美しい光の中に彼の笑顔が見えた瞬間、麗子は現実世界へ帰ってきていた。

いつの間にか強い雨が降っており、まるで滝のような水圧が双肩に叩きつけられる。


「……」


目の前のクスノキに、倒れこむように頭をぶつけた。


「ハハ…アタシと生きる道を捨てて、町のやつらを救うことが、お前の選択かよ…っ!」


雨か涙かわからないものが、麗子の顔から溢れていく。

すると目を閉じた彼女の耳に、妙な音が入ってきた。


「…なんだ…?」


ぶちぶちと奇妙な音は山のあちこちから聞こえており、山の斜面からは泥水が吹き出し始める。

がらんと彼女のそばに転がってきたのは、大きめの石。

麗子の頭の中で警鐘が鳴った。






「山の動物達のことは、君に頼んだよ」


凜の言葉に、手の中の鼓太郎は黙って頷いた。

彼はもう何も言わない。


「雷伍と仲良くやるんだよ」

「…わかった」

「あとは…麗子ちゃんのこと、よろしくね」


ぴくりと鼓太郎の体が反応する。

凜は独り言のように続けた。


「本当は、麗子ちゃんに何も言わずに、僕は消えるべきだったんだ。彼女を苦しませたくないと思うなら」

「…り、」


声をかけようと顔を上げた鼓太郎の声が止まる。

口元は微笑んでいたが、凜のその瞳は今まで見たことがない光を宿していたからだ。


「でも、欲が出ちゃったみたいだ…」


彼の声は消え入りそうなほど小さく、震えていた。






「おい!開けろ!」


山の麓、そこからそう離れていない民家で、麗子はどしゃ降りの雨に打たれながら扉を叩いていた。

やっと出てきた住民は寝間着で、突然の来訪者に訝しげな目を向けている。


「土砂崩れだ!早く逃げろ!」


麗子の背後の斜面は静かに、それでも確実にその時を待っていた。


「クソッ…こんなん一軒一軒起こしてたら間に合わねえ…何か…」


時間は真夜中だ。

普通なら寝ている時間な上、この雨で麗子の声などすぐに掻き消される。


「麗子さん…?」

「鏑木!」


知っている声に振り向けば、円がバイクを引いているところだった。

仲間と集まっていたものの、雨が本降りになったので、慌てて解散したところだったのだろう。

麗子を見て、顔の前で手を振る。


「あっ、私らバイク、エンジン切って引いてます!うるさくしないっていうのちゃんと守ってます!」

「いい!」


予想外の言葉に円が顔を上げた。


「へ…?」

「大騒ぎしろ!解散した奴ら呼べ!寝てるやつら全員起こすんだ!」






「なんだ…?」


喧騒に起こされた真也が、傘を差して家の外に出る。

普段は真っ暗で閑静な町の向こうで、明かりとエンジン音が響き渡っていた。


「野田!」

「え…」


ひとりの人影が、ずぶ濡れになりながらこちらに向かってくる。

街灯に鈍く反射する金髪に、麗子だと察した。


「恵さんに連絡しろ!無線流してもらうんだ!」






〈土砂崩れの危険があります。落ち着いて避難してください〉 


町を流れる防災無線に、拓真が慌てて母親を起こす。


「土砂崩れって…ここまで来るんじゃないの…?」


瞳成町は山と海に挟まれた、細長い町だ。

拓真の自宅は海側だが、山の大きさから考えても土砂が町を越え海まで到達する可能性は低くはない。

豪雨を見ながら唾を飲み込んだ瞬間、携帯が鳴った。


『もしもし!』

「麗子!」


聞こえづらい雑音ばかりの音声に、彼女は外で走り回っているのだと察する。


『お前の父ちゃん、漁師だったよな!?車を持ってない年寄りの為に、船を出せないか頼んでみてくれ!』

「え…父さん…?」


どきりと心臓が鳴る。

父親との関係は未だ雪解けを向かえていない。

唇を噛んで、けれどすぐに口を開いた。


「わかった!」






泥と雨にまみれた麗子が叫ぶ。

上からはバケツをひっくり返したような雨が降り注ぎ、泥の川が流れる足元は油断するとさらわれそうだ。


「車に乗りきれない奴は海岸に行け!」

「麗子さん!」


住民を自宅から連れ出す作業を行っていた円が麗子の元に駆け寄ってくる。

この騒ぎと風雨に掻き消されないよう、大声で叫ぶように話しかけた。


「全員避難できたのか!?」

「それが…西さんて家!誰もいないんですけど、ここの人認知症だって…この時間にいないってことは老人ホームにでも入ってるんですかね!?」

「西…」


(あつ子か…)

麗子が目線を下に落とし、考えを巡らせる。

認知症の彼女は徘徊の癖があった。

もし今それが出てしまっているとしたら、行き先は一体どこになるだろうか。

(あつ子が…行く場所)

彼女が、例え高齢になってもしつこく行き続けようとした場所。


「山の中だ…!」


麗子が踵を返し駆け出した。

一瞬振り向き、円に指示を出す。


「アタシが行く!お前らは全員避難させろ!」

「麗子さん!」


呼ぶ声も無視して、山に向かって走った。

なん十回も登った道のはずなのに、暗いせいか山はひとつの生き物に見える。

まるで町を呑み込もうと口を開けているかのようだった。

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