第7話 ひとりぼっちの神さま
(好きだ)
「はい、麗子ちゃん。今日外は雨だから、傘を持って行くんだよ」
「お、おう…」
目の前で、いつもどおり優しい言葉をかけてくる青年を見ながら、麗子が傘を受け取った。
(好きだ)
彼は相変わらず白く美しくて、これが神様なのも納得できる。
麗子と目が合うと、凛はにこりと微笑んだ。
「いってらっしゃい」
「……!い、行ってくる!」
まるで心臓が跳ね上がるような感覚だ。
宙に浮いた心臓を慌てて戻して、ぷいと後ろを向いた。
身体が虹色の光に包まれたと思った瞬間、気づけば巨大なクスノキの前。
傘をばさりと差して、ゆっくりと息を吐いた。
(凛のことが、好きだ)
「おい」
「!!」
突然話しかけられて、麗子が固まる。
口から心臓が出る前に、手が出ていた。
「何勝手に肩に乗ってんだオラァァ!」
「ギャァアッ!!驚かせて悪かったから!ちょっと待て!!」
麗子の手を紙一重で避け、鼓太郎がばさばさとあたりを旋回する。
そのまま降りずに嘴を開いた。
「麗子。お前、凛のこと好きだろ」
「は!?はーっ!?んなわけねぇだろこのクソ鳥ィイ!」
(わかりやすい…)
鼓太郎が呆れる。
口では否定しているが、その顔は耳まで真っ赤だ。
「おおお降りてこいや!その出まかせしか言わねえ口を塞いでやらぁ!」
「やめとけ」
「あー!?ならその羽もむしってやろうか!」
「ちげーよ!話を聞け!…凛を好きになるのは、やめておけ」
「は…?」
思わず麗子が動きを止めた。
鼓太郎が静かに続ける。
「俺が初めて凛に会ったのは、20年前だ。あいつがたったひとりで、はぐれた雛を親元に戻している時に出会った」
「お前年上かよ…」
「話の腰を折るな。それまでもそれからも、凛は孤独だ。麗子、お前の中途半端な愛情で、凛ががっかりするのを見たくない」
「…なんだそりゃ。アタシに喧嘩売ってんのか。買うぞー!降りてこいやぁあ!」
再び大声で騒ぎ始めた麗子を尻目に、鼓太郎が逃げるように飛んでいく。
彼がいなくなると、麗子は両手を下げつまらなそうな顔になった。
「…なんだよそれ」
〈瞳成町にお住まいの、
防災無線の音が鳴り響く。
麗子は山を下りながら、珍しく悩んでいた。
頭を悩ませる理由は凛のこと。
(確かにアタシと凛じゃ人種?種族?が違う)
神様と人間では、釣り合わないとでも言うのだろうか。
〈西さんは紺の上着に灰色のズボンを着ており、85歳の女性です〉
(寿命の問題とか…?アタシの寿命を延ばしたりできねえのかな)
うんうん悩む麗子が、山道で老婦人とすれ違う。
「こんにちは」
「ちッス」
(そもそも神って、凛ってなんなんだ…?)
そこまで考えたところで、麗子が止まった。
今しがた通り過ぎた、老女を振り返る。
〈見かけた方は、すぐにご連絡ください〉
「待てババアー!この放送てめえだろ!何遭難しようとしてんだ!」
麗子が階段を駆け上がった。
こちらをぱちくりとした目で見つめる彼女は、紺のジャケットに灰色のズボン。
年齢もだいたいそのぐらいだ。
麗子をじっと見て、嬉しそうな顔になった。
「あら、よく見たらアキエちゃんじゃないか」
「ちげぇし誰だよ!」
「アンタがそう呼べって言ったんじゃないか。ほら私、あつ子だよお」
(し、知らねえ…)
目の前の老婦人は、先ほどの放送の通り、特徴も名前も合っている。
そしてわざわざ捜されるということは、多少なりとも呆けている可能性があるということだ。
「久しぶりだねえ。昔の写真でも見ながら喋りたいところだけど、ごめんねえ。今は忙しいから、あとでね」
あつ子が背を向ける。
階段を上がろうとしており、その先は山だ。
このまま行かせたら帰ってこない気がして、麗子の良心が慌てて彼女を止めた。
「あー!ダメダメ!姥捨山になっちまう!」
「ええ。でも、神様に会いに行かないと…」
「アタシが行くから大丈夫!…あれ?ババア。ここの神のこと知ってんのか?」
神社もなく、あるのは小さなお堂と巨大なクスノキだけだ。
凛のことを知っていて訪ねてくる者は、今となってはごく少数だと聞いている。
麗子の言葉に、あつ子はにこにこと笑った。
「アキエちゃんが行ってくれるのなら安心だ。この町の神様は可哀想だからねえ…ちゃんと会いに行ってあげないとね」
「……?可哀想って、もうあんまり人が来ないからか?」
「何度も説明しただろ?アキエちゃんたら。人の話を聞いてないんだから」
「アキエちゃんじゃねえし…」
話の通じない彼女を前に、麗子がため息をつく。
どちらにしても、あつ子は捜索されている人間だ。
一度町に戻った方が良いと判断し、彼女を連れて山を下った。
「なあ。神について教えてくれよ」
「んん…どこから話すのが良いかねえ」
ぴちゃんぴちゃんと静かな雨の音の中に、ふたりの声が響く。
「今でこそ
「ひとみなり?変な名前だな」
「……」
あつ子は傘の中から、雨が降りしきる灰色の空を見上げた。
物事には理由がある。
変わった名前には、それ相応の理由があるものだ。
「瞳成村の語源は人身成村。人の身で成り立つ村だよ」
「凛!」
聞こえた大声に、凛が顔を上げる。
「麗子ちゃんの声だね。ここに呼ぶよ」
「…なあ」
腰を上げた彼に、今度は肩に止まっていた鼓太郎が声をかけた。
「お前の選択に、俺はなんも言えねえ。でも、これだけ頑張ったんだ。我儘のひとつでも言えよ」
「…そうだね…」
そう答える凛の顔は微笑みを浮かべていて、どこか諦めているようにも見える。
「凛!」
虹色の光に包まれた麗子が、異世界の端へ姿を現した。
その髪は濡れていて、傘もささずに急いで戻ってきたのがわかった。
「麗子ちゃん。風邪引いちゃう…」
「お前は!」
近づいてその髪に触れようとすると、麗子が顔を上げて凛の腕を掴んだ。
きらきら光る金髪の隙間から、意志の強いつり目が覗く。
「凛。どうして、お前は…お前は!…っ!」
言葉に詰まって先が続けられない。
麗子を落ち着けるように、凛が彼女の頰を両側から挟む。
「麗子ちゃん。泣かないで」
「…っ」
その笑顔に、まるで刃にでも刺されたように胸が痛んだ。
ゆっくり息を吐いて、口を開く。
「凛。お前は…人間だったのは本当か?」
「…そうだよ」
「生贄に捧げられたのも…本当か?」
麗子の言葉に、凛が動きを止めた。
しばらく沈黙して、目を伏せる。
「……麗子ちゃん。僕はね、君にたくさんの選択肢の中から、一等輝く金剛石を選んで欲しいんだ」
そう言って凛は、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。
「僕は、僕の選択肢は、石の塊しかなかったから」
瞳成村は、当初は名前もないほど小さな村だった。
凛が生まれる少し前、ここで静かに暮らしていた村人を悲劇が襲った。
冬に備え貯蓄していた村の食料ほとんどが、蝗害により食い尽くされてしまったのである。
さらに間の悪いことに、その年は村を大寒波が遅い、全員が生き残ることは不可能だった。
だから彼らは選別した。
生き残るべき者と、ここで死ぬべき者を。
弱った者は子供でも情け容赦なく村から弾かれ、些細ないがみ合いが起きればすぐに反逆者として排斥される。
そうして切り捨てられた者はこの山に置き去りとなった。
それは積み上がり、死体とまだ生きている者の区別がつかない程だった。
そこまでしてやっと、ほんの一握りの人間だけが生き残った。
「麗子ちゃんが少し前に遭遇した黒い影。あの子も、この山で死んだんだよ」
凛の言葉に、あの時の真っ暗な少女を思い出す。
隣に座って話を聞いていた麗子が、ぶるりと身震いをした。
「この山には…そういうすごく古くて…悪い怨念が、たくさんいるんだ。彼らが悪さをしないように見張るのが僕の役目」
寒波を乗り切った村が回復すると、それに比例するように山の怨念は、少しずつ大きくなっていた。
彼らは人に害を成したり、農作物の不作や不漁を招き、ついにはそれが原因で村に人死にが出た。
村人は話し合い、神不在のこの土地に、神を〝作る〟ことにした。
そこで白羽の矢が立ったのが、身寄りもなくまだ幼かった凛。
彼は当時6歳だった。
「そういう時代だったんだ…誰も悪くない。僕は孤児で、大きくなるまで育ててもらって、その恩は返さなきゃいけなかった」
凛と、冬を越せなかった人々の身の犠牲で成り立った悲しい村ということから、人身成村と名前がついた。
それがいつの日か瞳成に変わり、読み仮名も変化した。
そのことを知っている人間もずいぶん減ったものだ。
「お前が孤児だったのだって…お前が悪いわけじゃねえだろ…」
麗子の言葉に、凛は悲しそうに言った。
「村の人達だって、したくてしたことじゃない。生き残る為には仕方なかったんだ」
「でもそのせいで、凛。お前はたったひとりで、このクソ長い間、神様なんてものをやらなきゃいけなくなっちまったんだ」
「…この生活も楽しいよ。今は麗子ちゃんも、鼓太郎もいるしね」
「今は、だろ!」
麗子が立ち上がった。
凛が驚いたように顔を上げる。
「…怒らないで、麗子ちゃん」
「アタシがっ!…アタシが怒ってるのは…お前が、何にも怒らないからだ!」
「……」
「まだ6歳だったんだろ!?その先楽しいことも幸せなこともたくさんあったに違いねえんだ!それなのに、生き残ったやつらの幸せを見せつけられても!それでもお前が怒ったり泣いたりしないから、代わりに…アタシが怒ってんだ!」
それでも凛の表情は変わらない。
人の良さそうな笑みを浮かべて、ゆったりと座っている。
その顔に、麗子がぎゅうと目を瞑って、絞り出すように声を出した。
「優しすぎるよ…お前…」
そう言う麗子はまるで泣いているように見えて、凛が思わず手を伸ばす。
「…麗子ちゃ、」
「あーっ!」
凛の声をかき消す、頓狂な声が上がった。
見れば麗子が自分の首元を見て、心底焦った表情を浮かべている。
「騒がしい奴だな…」
恥の方でこっそり様子を見ていた鼓太郎が呆れた声を出した。
麗子はひとしきり自分の体をバンバン叩き、それから凛を振り返る。
その顔は真っ青だ。
「アタシの…指輪がない!」
麗子がいつも首にかけていた指輪が、そのチェーンごと、すっかり姿を消していた。
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