第5話 怪物が恋に落ちた日
それが伝染したのか、はたまたそれが感染源なのか、まわりの若者たちも恐怖に慄いている。
「俺たち一体、何させられるんだろうな…」
そう呟く青年の、頰の生傷が痛々しい。
円自身も腕に包帯が巻かれており、すでに満身創痍の状態だ。
「や、やばいことさせられたらどうしよう…」
「私まだ逮捕されたくない…」
「ヒィッ!来たぞ!静かに!」
ひとりの声に皆が息をのむ。
彼らの前に、自転車が止まった。
「おっ、全員いるな?まあサボった奴いたら追いかけるだけだけど」
自転車に乗るのは金髪の女子高生。
何を隠そうこの女性が、伝説の怪物であり、このグループが乗っ取られることになった張本人なのである。
先日彼女が引っ越してきてすぐ、彼らは漏れなくボコボコにされ、リーダーは彼女に交替した。
そして今朝、いきなり指令が飛んできて皆死ぬ気で空き地に集まった次第である。
(相手は伝説の怪物…何させられるかわからない…)
指令には集合場所のことしか書いておらず、詳しい内容を彼らは知らない。
(今まで確かにヤンチャはしてきたけど、もしかしたら犯罪の片棒を担がされることだって…お母さん、ごめん)
円がぎゅうと手を握って、唇を噛む。
そしてそんな彼らの思惑などつゆ知らず、麗子は彼らの前に立ち、びしりと指を突きつけた。
「よしお前ら、今から町中でゴミ拾いして来い!」
「……えっ?」
時間が止まったような感覚が、その場を支配する。
(なにかの隠語…?はっ…ゴミは子供で町中の子供を攫うとか…!?)
「なんかよお、シルバーボランティアグループの、清掃班のジジババが相次いで入院して人手が足りねえんだって」
「はあ…」
「だからって神に相談すんなよな。まあ叶えやすいからよかったけど」
「……?」
言っている意味は分からないが、とりあえず法に触れる真似はしなくて良さそうだ。
困惑しながらも、円がそっと胸を撫で下ろす。
(なんだ…むしろ良い人なんじゃ、)
「あっ。ちなみに、ゴミが残ってた場合はひとつにつきひとり半殺しだからな」
ゴミ袋を取り出しながら麗子がにこりと笑う。
その後袋を受け取った不良たちは、蜘蛛の子を散らすように解散した。
「やったー。今回の楽勝じゃん」
「…お前、鬼だな」
麗子が山の入り口に自転車を停める。
その肩に、鼓太郎が乗った。
「良いことすると腹が減るわ。早く凛のとこ行こ」
「結果が良くても過程が最悪だわ」
鼓太郎の言葉を無視して、そのまま木の階段を登っていく。
彼が呆れた声を出した。
「お前そんなことばっかりしてると、嫁に行けなくなるぞ」
「ハア?嫁になんざいきたかねえよ。アタシより強い男が現れたらしてやっても良いかな」
「…それ一生できないやつ」
「うるせえな。世の中の男が弱すぎんのが駄目なんだろうが、」
〈幸せそうだね…〉
麗子の言葉をかき消すように、突然介入してきた声。
明らかに鼓太郎の声ではなく、麗子がその発信源を見やる。
「…あ?」
麗子から見て左の木。
その後ろから、真っ黒な影が見えている。
「……?」
思わず目を細めて一歩前に出ると、鼓太郎が叫んだ。
「麗子!駄目だ!戻れ!」
「は…?っ!?」
突然びしりと足が固まり、その場から動けなくなる。
木の背後から、影が姿を現した。
その容姿は少女のようなのに、顔も服も真っ黒で何も見えない。
〈いいな…私、寒くて寒くて仕方がないの。ちょうだい…〉
「…っこたろ、」
慌てて肩を見るが、鼓太郎の姿は無く上から羽音だけが響いてくる。
(逃げやがったな…あのクソ鳥…!!)
黒い少女はゆっくりと近づいてきて、麗子の顔に両手を伸ばした。
〈幸せだったときの記憶…ちょうだい…〉
「や、やめろ…」
触れた瞬間、押しつぶされそうな感情が流れ込んできた。
圧倒的な孤独感。
あっという間に手足の先が冷えて、感覚が無くなる。
「さ、触るな…やめ、ろ…やめろ!」
くらくらと頭を揺らす強烈な悲しみ。
麗子の脳裏に、母親の笑顔がよぎった。
「やめろ!私に触るな!お願いだから、居なくなって!」
その瞬間、麗子の肩が背後から掴まれ、視界が真っ白に染まった。
「り、ん…」
麗子をかばうように支えていたのは凛で、そのまま黒い影に手をかざす。
影が怯み、後ずさった。
「彼女に手を出すな」
いつもの彼から想像できないほど、低く重厚感のある声。
影は悔しそうに、ゆっくりと消えて行った。
「麗子ちゃん」
凛がこちらを向いていつもの優しい笑顔を向けた瞬間、麗子の瞳からぼろぼろと涙が溢れる。
安堵で心がいっぱいになり、手足の先に感覚が戻ってきた。
凛はそんな麗子の顔を両手で包んで、額をこつんと当てて口を開く。
「大丈夫だよ。帰ろう」
その一言にますます安心して、まるで子供のように泣きじゃくった。
「はい。麗子ちゃん。今まで持っててごめんね」
凛が差し出したものを麗子が受け取る。
手の中で、指輪がきらきらと光った。
「これ、母さんの…婚約指輪なんだ」
目の前にかざすと、指輪の内側には文字が彫られている。
書かれた名前は〝Eika〟。
「アタシの母さん、火事で死んだんだ…」
父親は知らない。
栄香の家庭は複雑で、勘当同然だった彼女はひとりで麗子を育てていた。
祖父母や兄弟は麗子が生まれたことさえ知らなかった。
「小さい頃の話だからさ…あんま覚えてねえんだよ…」
麗子が目を閉じる。
瞼の裏には何も浮かばない。
類焼ではあったが、古い木造アパートだった上にかなりの密集地帯だった為、消火に時間がかかり家財は全て燃え尽きてしまった。
引っ越したばかりでまわりに知人もおらず、その時のショックのせいか、麗子の頭から母親の記憶はすっぽり抜け落ちてしまった。
(…さっきほんの一瞬だけ、思い出せそうだったんだけどな)
「…お母さんの写真、なくなっちゃったの?」
「母さんの実家もそんな感じだからよ、写真は全部処分しちまった後でさ」
結局麗子のもとに残ったのは、たまたま栄香が修理に出していた指輪のみ。
彼女にとって、それだけが母親が存在していた証だ。
それから遠い親戚の家に預けられるも、すっかりひねくれ不良になった彼女は、問題児として家を追い出された。
「この町…瞳成町は、母さんと昔、アタシが赤ん坊ぐらいちっさい時に、ほんの少しの間だけ住んでた町なんだってさ」
「……」
「何かわかるかと思ってわざわざここに引っ越してきたけど、なんも覚えてねえや…本当頭わりぃなアタシ」
麗子が渇いた笑いを浮かべる。
いくら小さな町と言えど、15年以上前に短期間だけしかいなかった親子のことを探し当てるのは不可能に近い。
「おい」
ばさりと、空中から羽根の音がした。
「俺、逃げたわけじゃねーからな…」
鼓太郎が警戒しながら、凛の肩にとまる。
「知ってるよ。凛を呼んでくれたんだろ。あの時は丸焼きにしてやろうと思ったけど、助かったよ。ありがとう」
珍しい麗子からの礼の言葉に、鼓太郎が毛を逆立てて驚いた。
彼女は指輪をチェーンに通して、首からかける。
「これ、アタシ返してもらうな。大丈夫だよ。もう逃げたりしないから」
「麗子ちゃん」
凛が呼び止めた。
彼の瞳を見ると麗子の手をとって、そしてゆっくりと笑う。
「君のことは、僕が護るからね。大丈夫だよ」
「……」
「あっ。いつも参拝してくれるおばあちゃんが来たから、僕行って来るね」
凛が席を外した。
急に静かになった麗子を、鼓太郎が不思議そうに見やる。
「ふぁっ!?」
嘴から変な声が出る。
それもそのはず、麗子の顔が、上から下まで真っ赤だったのだ。
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