第4話 アンハッピーエンドシンデレラ 後編


「今日はありがとう」


拓馬のその言葉に、男性は優しく微笑んだ。

日もとっぷり暮れた港のベンチに、ふたりは座っていた。

夜の海には誰もおらず、寄せては返す波の音だけがふたりを包む。


「俺も楽しかったよ…君みたいにお洒落で、可愛いものが好きで、女の子らしい子に会えて僕は幸せだ」

「本当?嬉しい」

「あの、よかったら、連絡先教えてくれない?また会いたいんだけど…」


男性が恥ずかしそうに頰をかいた。

拓馬は彼の顔を見ないようにして、 ベンチから立ち上がった。


「私も…これまでの人生の中でいちばん、楽しかったよ」

「!なら…」


拓馬が目を閉じる。

(この魔法は、今日解ける)

振り向かずに、そのまま口を開いた。


「俺、男なんだ」


その言葉を境に、空気がびたりと変わる。

男性が笑って声を出した。


「えっ…?冗談だろ?」

「本当。騙しててごめんね」


息をのむ音がして、その場を沈黙が支配する。


「次会う時は、この姿じゃなくなってる。でもお洒落なところも、可愛いものが好きなところも変わらないから…」

「……」

「また会っても良いよって言ってくれたら、私…私っ…」


拓馬が、こらえきれずに振り向く。

そこには誰も居なかった。


「……」


先ほどまで男が座っていたベンチを触った。

ほんのり温かいのに、その温度は急速に冷めていっている。

ちょうどその瞬間に20時になって、拓馬の視界が真っ白になった。


「……」


ゆっくり目を開けると、そこには高い位置から見る景色が広がっていた。

目の前には麗子の姿。

その気の強そうな瞳から、お互い元に戻ったのだと納得する。


「私なんで…男なんだろうね」


小さく呟いた。

胸を占める感情は、どうしようもないほどの嫉妬。

吐き出しどころのない想いは、この先もずっと、付き纏ってくるのだろう。


「今日はありがとう。何が何だかわからないけど、楽しかったよ…」


拓馬が疲れたように笑って、麗子に背を向けた。

その背中は大きいのに随分小さく見える。

麗子が呟いた。


「…凛。どうにかできないのかよ」

「麗子ちゃん…」


肩に乗った凛が、ふるふると首を横に振った。


「僕は、何もないところからものを創り出すことはできないんだ」

「……」

「だから、彼の選択肢を増やすことはできない。人は、自分の持っている選択肢の中から、選んで、それを進むしかないんだ」

「…そんな難しいこと言われたって…わかんねえよ」


麗子の顔が歪む。

空を見上げると満点の星空が視界いっぱいに映り込んで、思わず目を見張る。

その光景は、憎らしいほど綺麗だった。






「チラチラ見てんじゃねーよ…」


学校の廊下で、麗子が隅に座る男子生徒を睨みつける。

彼らは慌てて散って行った。


「ったく、いい土産だぜ」


皮肉ったような声を出し、廊下をそのまま進む。

どうも先日の麗子はしっかり目撃されていたらしく、学校中で噂になっていた。


「くそ…どいつもこいつもこっち見てきてうぜえのなんの」

「環。あんたそれ、まだ良い方でしょ」


横からジトっとした視線を送られて、麗子の隣に拓馬がやってきた。

そのまま並走しながら声をかけられる。


「私は肩に蛇と梟乗せて、それに話しかけるイカレ野郎って話題になってる上に、行く先々で不良から挨拶されるんだけど…あんた何したの」

「いや別に、いつも通りにしてただけ…」


言いかけて、ぴたりと止まる。

くるりと拓馬に向き直った。


「なんか…お前、言葉遣い変わった?」

「上品でしょ」


そう言って拓馬は、どこか吹っ切れたように笑った。






「打ち明けたの。本当は、女みたいな心を持ってるって」


昼休み、屋上の手すりに手をかけて、拓馬は口を開いた。

少し高台にある校舎からは、山の上を飛ぶトンビが見える。


「両親は…母さんは、わかってたのかも。何か協力が必要だったら言ってねって、言ってくれたよ。父さんは…あれから一度も話してない」

「そうか…」

「私の父さんは漁師だからね…昔ながらの頑固親父なんだ。なかなか分かってくれないよ」


拓馬が遠い目をしながらそうこぼす。

その後くるりと麗子の方をむいて、明るい顔になった。


「でも意外とね、クラスの女子は理解があったわ。あちこち誘ってくれたり、女子会に入れてくれたりするの」


元々拓馬が流行やファッションに敏感だったこともあり、話はすぐに盛り上がった。

他にも体育の前の着替えを、男子とも女子とも違う別室で行うことを許可されたり、未だ改善の余地はあるものの、拓馬がわずかながら生きやすくなった。


「けどね、許せないのは男…!すぐ荒北に襲われるとかいやらしい目で見てきたとか騒ぐしよお…私はもっと年上のイケメンが好きだっつーの!お前ごとき興味ないから!」

「言葉遣い元に戻ってんぞ」


麗子の言葉に、拓馬が慌ててごほんと咳払いをする。


「…まあ今回のことで、離れていく人の方が多かったかも。距離を置かれた男友達もいたし、ずっと好きだったのにって女の子から叩かれもした」

「……」

「この選択は間違ってるかもね。おそらくほとんどの人が馬鹿な選択をしたって言うでしょう」


好いてくれる女子もいて、仲の良い男友達もいて、とても恵まれた環境だった。

それを捨てたのは他ならぬ彼自身だ。


「でも、私にはこの選択がいちばん輝いて見えたんだから、仕方ないよ。この道で、私は幸せになってみせる」


そう笑う拓馬は女性には見えなかったが、前よりもずっと綺麗に麗子の瞳に映った。

(選択か…)

凛の言っていたことが、ほんの少しだけわかったような気がして、思わず森の方を見る。

ところがそうひとりごちる麗子の髪を、拓馬がガッと掴んだ。


「ていうかあんた、その髪なんなの!?せっかく似合う可愛い色に染めてやったっていうのに、わざわざそんな下品な金に戻して!」

「あぁ!?うるせえな!これがいちばん格好良くていいだろ!」

「だいたいそれ校則違反でしょ!足もちゃんと閉じなさい!」

「うるせー!お前は教師か!」


晴天の下、高校の屋上で、ふたりでギャアギャアと騒ぐ。

それに触発されたのか、山の上でトンビがピーヒョロロと鳴いた。

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