第3話 アンハッピーエンドシンデレラ 前編


ざくざくと山間の階段を踏み歩く。

階段と言っても板が埋め込んであるだけの簡単なもので、それすらも擦り切れてだいぶ背が低くなっている。

それでもまだ利用する人間はいるらしい。

階段を埋め尽くすほどには雑草は伸びていない。


「あー…アタシ何やってんだろ…」


ぶつぶつとぼやきながら、階段の途中で止まり、細い横道に入る。

しばらく歩けば、ひらけている場所に出た。


「凛ー!」


その中央。

人が3人入れれば良い方であろう小さな社と、その後ろに立つ巨大な木。

その前で、麗子は大声を出していた。


「これ人に見られたら終わってんな…おい!凛!」


麗子の身体が光に包まれる。

薄い虹色の、あの男らしい色だ。

目の前がその光で埋め尽くされたと思ったら、次の瞬間には違う世界にいた。


「はあー…マジで頭おかしいわ…」

「麗子ちゃん!」


ぴょんぴょん跳ねながら、真っ白な青年が走ってくる。

麗子の姿を見て、さらに嬉しそうな顔になった。


「その格好…制服ってことは、ちゃんと学校行ってから来てくれたんだね」

「…よく言うぜ。毎朝アタシのこと起こしに来るくせに…」

「だって麗子ちゃんにちゃんとお勉強してほしいんだもん」


麗子がじっとり睨むが、凛はどこ吹く風でニコニコしているので、怒る気も失せその場に座る。

するとすぐに、羽根で風を切る音がして甲高い声が響いた。


「おい!新しい依頼が来たぞ」

「次はなんだよー。暴力で解決できるやつ希望」

「お前…神の使いってこと忘れんじゃねえぞ。まあお前でも解決できそうな内容だから大丈夫だぜ」


鼓太郎が凛の肩にとまる。

そして麗子を見ながら、嘴を開けた。


「次の依頼はよお、1日だけ女になりてえんだってさ」

「は…?」


麗子の思考が停止する。

顔だけそちらに動かすと、笑顔の凛と目が合った。

一体全体どこに、自分が叶えられる要素があるのか。






「えっ?」


荒北拓馬あらきたたくまはその日、妙な違和感を覚えながら起床した。

なんとなく身体が重い上に、視点がいつもより下。

寝ぼけていたこともあって、体調が悪いのかとも思ったが、鏡を見て彼は完全に理解した。


「俺…女になってる…」


胸の膨らみに長い髪、高い声に柔らかい身体。

(なんで金髪?…てか、これ最近隣のクラスに転入してきた環じゃん)

ぱちぱちと瞬きをしながら頰をつねる。

そういえば、部屋も自分の家ではなく、どこかのアパートのようだ。

次の瞬間、玄関の扉が勢いよく開いた。


「よお」

「!俺!」


玄関からずんと姿を現したのは自分で、何故か肩に梟と蛇を乗せている。

ところがそれを疑問に思う前に、その容姿に目がいった。


「めっちゃ着崩してるし…目つきわっる…」

「その様子だとちゃんと入ってるみてえだな。お前荒北だろ」

「…俺の中にいるのは、やっぱり環か」


男性が発するのになにひとつ違和感のない言葉遣いが出てきて、それが麗子だと確信する。

転入当初から、とにかく目つきと口が悪いことが気になっていたものだ。

麗子は拓馬の姿のまま、麗子の姿の拓馬に向かって口を開いた。


「いいか。体の交換は今日の20時まで。この町でそれでいるとパニックになりそうだから、隣の町にでもいくぞ。変なことしようとしたらすぐに戻すから」

「…ん?なんでそんなに平然としてるんだ?お前がやったのか…?」

「やったのは神だ、神。お前、山のデカイ木に祈ったろ」

「神…?」

「あーもう良いから!今日そこで1日引きこもってるのもお前の自由だし、遊びに行くのも自由だ!好きにしろ。どうする?」

「どうするって…」


拓馬が言い淀む。

状況は飲み込めないが、これが今日一日限りの奇跡であることは理解できた。


「そ、外に出るよ。まず服着替えるから…どこにあるの?」

「あ?そこのクローゼット」

「…え?まさか、あの小さいやつ?」

「そうだけど?」


拓馬が絶望した顔になる。

慌ててクローゼットを開け、中を見てみるが、そこにある服といえば制服以外だとジャージにツナギ、小物といえば金色のチェーンのような物のみ。

財布には刺繍で虎が絵が描かれている。


「……制服に着替えるよ。隣町でまずは、美容院に行くね。それで服とアクセサリー見に行く」

「は!?すでにこんなにセンス溢れる服があるっつーのに!?それ着りゃいいだろ」

「!?」


騒ぐ麗子を外に押し出して、派手な服を前にため息をつく。

確かに女になりたいとは願ったけれど、なぜ麗子なのか。

(神様…お前…)

これは明らかに人選ミスな気がする。






落ち着いた音楽の中、ショキショキと鋏が髪を切る音が響く。

麗子の姿をした拓馬は、隣町の美容院にいた。

当の麗子は仕切りの向こう側で、ひまそうに天井のファンを見上げる。


「こんなとこ初めて来たわ…」

「えっ、いつもどうしてるわけ?」

「自分で切って自分で染めてる」

「……」


麗子の木っ端微塵に粉々な女性らしさに、拓馬が頭を抱えた。


「なんだよ。どうせ大した違いはないだろ」

「違うよ…」


施術が終わり、拓馬の首にかかっていたタオルが外される。

椅子から立ち上がり、仕切りの向こうへ歩を進めた。


「おー、終わったの、か…」


こちらを視認した麗子が言葉を止める。

ワンピースの裾が舞うように、その場でくるりと回った。


「どう?」


金髪で外に跳ねていた髪は、ピンクがかった暗い色になり内巻きに。

ほんのり化粧もして、小さなネックレスに厚底ではないヒールの靴。

にっこり微笑む表情は、穏やかで女性らしくてまるで完璧である。

そこにいた麗子の姿の拓馬は、これ以上ないほど可愛らしかった。






道行く人が振り返る。

振り返る理由は、そこに拓馬がいるからだ。


「くっそあの野郎、髪の毛黒く染めやがって…」

「でも麗子ちゃん、すごく可愛いよ」


少し離れたその後ろを、ぶつぶつと恨み節を吐きながら、麗子がついてくる。

肩には鼓太郎と白蛇姿の凛が乗っており、傍目から見ると異様な光景だ。

鼓太郎と凛の声は他人には聞こえないものの、姿は見えるのでこちらはこちらでジロジロと見られている。

視線を一切気にせず、麗子は堂々と肩にいる凛に話しかけた。


「…にしても、最初はイカレた依頼だと思ったけど、まさか体の交換なんてことができるなんてな。凛、お前だけでも何とかなるんじゃねえの?」

「…そんなことはないよ。僕はいちから何かを作り出すことはできないんだ。麗子ちゃんがいなかったら、彼の願いは叶えられなかったよ」

「ふーん…」


(万能なんだかそうじゃないんだか、よくわかんねえな…)

すると逆側にいる鼓太郎が、口を挟んだ。


「それにしてもお前が身体の交換を了承するとは思ってなかったぜ。よく受けたな」

「そりゃアタシだって、男に身体を貸すなんて嫌に決まってる。でもまず依頼の数が少なすぎるしよお、受けるしかねえだろ。それにあいつは…そういうんじゃないんだろ?」


麗子が見つめる先にいるのは、楽しそうに洋服を選ぶ拓馬の姿。

その表情は生き生きとしていて可愛らしくて、とてもではないが男には見えない。


「あ」


余所見をしていた拓馬が、同じように違う方向を見ていた若い男とぶつかった。

お互いに驚き、目を合わせて謝る。

その時ふたりの頰が赤らんで、そのまま話しはじめた。


「オイオイ、あいつ何してんだ。止めてこないと…」

「麗子ちゃん。彼の自由にさせてあげて。今日だけだから」


凛に言われ、麗子が思わず黙る。

顔を赤くして男性と話す拓馬の姿は、本当に、女性のようだった。






荒北拓馬はクラスでも人気の男子生徒である。

すらりとした長い手足にまっすぐな鼻、なにより高い美意識が彼の魅力を維持していた。

その美意識がどこから来ていたかと言えば、それは女性への嫉妬からに他ならない。

荒北拓馬は、男として生を受けたものの、女性の心を持ち合わせていた。

自分が普通と違うと気がついたのは物心がついた頃。

女の子が選ぶような可愛らしいものが好きで、初恋は幼稚園の保父だった。

それを伝えた時の母の戸惑ったような顔に、子供ながらにこの感情は外に出してはいけないものだと知った。

抑え込もうとした拓馬だったが、彼が育てば育つほどその違和感は大きくなっていく。

化粧をしたい。

可愛らしい服を着たい。

男子と共に着替えることが恥ずかしい。

男性が好き。

それでも必死にその感情を押し殺して、クラスの男友だちとふざけて山で遊んでいた時のことだった。

突然山間に現れた巨大な木。

しめ縄が付いていたので、なにか謂れのあるものなのだろうと冗談半分で皆で手を合わせた。

その時にふと、ずっと抱えていた願望を、そっと心の中で呟いたのだ。


『たった1日だけ…1日だけで良いから、女になりたい』


誰にも言えなかった感情を、神様だけに伝えた。

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