知らないことだらけ(晴、ボールペン、声)

 隣のクラスの三橋さんは合唱部だ。

 三橋さんは話しているときの声も歌っているときの声も、透明感があって耳に優しい感じである。


 こう言っているが、合唱部としての、合唱部全員で歌っているところは見たことがない。うちの学校は学校祭で発表したりという場がない。なぜなら、アカペラ部があり、この部が学校祭などのイベントでの発表を全て合唱部から奪っているのだ。自分勝手に、「盛り上がるのはアカペラだろ」とか言っているのを廊下で聞いてしまい、いやいや人それぞれだろと思っている。


 ということで、それならなぜ歌声を知っているのかというと、三橋さんは校舎裏の日陰になるベンチで練習しているからだ。


 毎日ではなく晴れの日限定である。流石、三橋さん、名前のまんまだ。


 休み時間にベンチにいるところを少し遠くから見て聴いているおかげで、クラスメイトに付き合いが悪いと言われてしまうが、放課後さえ良ければいいじゃないかと返してしまう。「まぁそうだな」とこっちがしていることを考えて言ってくれる友達に感謝しかない。


 ある日、いつもは何も持っていない三橋さんが、小さいノートとボールペンを持ってベンチに座っていた。何かを書いているようだが遠くて分からない。通り過ぎるように近くに行ってこっそり見てみたい。だが、そっちには何もないから行けない。一人で考え込んでいると三橋さんが目の前を通った。行ってしまうと思った瞬間、ボールペンが落ちていったのが見えた。あぁもう考えるのはいいか、とりあえず拾って渡さないと後で困ってしまうだろう。


「三橋さん、これ落としたよ」


 手の中にあるボールペンを見て、微笑んでこう言った。


「ありがとうございます」


 そのまま、受け取ってすぐ行ってしまった。


 小さな声で、「どうして私の名前……」と呟いたのが聞こえた。おそらく向こうはこちらを全く知らないんだろうなと分かる呟きだった。悲しい気もするが、一度も話したことがないのだからあたりまえか。


 来年は同じクラスになれるだろうか。もしなったら聞いてみよう。外でノートに何を書いていたんですか? って。きっと歌のことだろうけど。

 そして、下の名前で呼んでみたい。晴歌せいかと。いや、呼び捨ては……ちゃん? いやいやいや、さんだ。晴歌さん。




 隣のクラスの三橋さんは合唱部だ。とても透明感のある声で、晴れの日の休み時間に校舎裏のベンチで歌の練習をしている。音符のついたノートとボールペンを持っている。



 僕はまだ、それしか知らない。


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