第35話病雪 〈びょうせつ〉

国際競技場、別名珠須スタジアム。VIPルームの奥の秘密基地。あの居酒屋風の畳の上に布団を敷いて、珠須 雪次郎(たます ゆきじろう)は横たわっていた。

従者に「入るな」と厳命してあるので、ただ独りである。前室であるVIPルームのソファーには2人、犬馬わか子とエメリアが手を繋いで寝ていた。


「こうにぃ・・」

「ダメだよ・・こうにぃ・・」


珠須は熱でうなされて昔の夢を見ていた。本人ですら普段は思い出す事もままならない、とても、とても古い夢だ。





夕暮れ時。日当たりの悪そうな湿った感じの一室。今の老体からは想像もつかないような若き日の「珠須 雪次郎」ともうひとり、「愛坂(こうにぃ)」と呼ばれる人物がソファーに座りテレビを凝視している


「今日午後3時頃、通っている幼稚園の送迎バスの運転手に自分の娘が触られたとの通報があり・・」


テレビから女性アナウンサーの声が響く。やや上空から幼稚園が写しだされる


「・・○○容疑者は駆けつけた警察官により、身柄を拘束されました」

「容疑者は容疑を否認しており・・」


テレビのアナウンサーは、淡々と話し続けていた


「・・馬鹿が・・・・!!」


愛坂は吐き捨てるように言い放つと、モニターの中の女性アナウンサーを睨んだ


「警察の調べに対し○○容疑者は・・」

「バスを降りる時に園児が転ばないように支えた、などと供述しており・・」


淡々と文面を読み上げるアナウンサー。画面には、粛々として警察官に連行される運転手と名前が映し出されている


「「などと」、じゃねえよ!!このクソ女!!!!」

「ああもう、今すぐぶっ殺してやりてえ!!!」


愛坂が怒号を上げた。


「・・・いやぁ、運転手という立場を利用して犯罪に及ぶなんて最低ですね」

「この子は心に一生消えない傷を負ったわけですよ、本当に許せませんね」


コメンテーターが、一方的な見解をさも当然の様に得意気に話す。周りのゲストも相槌を打って答える


「本人(園児)はなんとも思ってりゃしないわ!!!」

「・・・クソが!!!!」


怒り心頭の愛坂は珠須のほうを向いて端末を指差した


「まぁまぁ・・こうにぃ(愛坂のアダ名)・・」

「今・・調べるから・」


珠須はオーラを出し自分の能力を発現させると手元のノートパソコンを操作し調べ始めた


「本当にその子がそう感じたのかもしれないしね~・・」


淡々と珠須が話す


「あれだろまた!!」

「母親が吹き込んだんだろ!!」

「そうに決まってる!!」


愛坂は興奮が収まらないようだ


「あっ・・出た・・」

「見る?」


珠須は、パソコンのモニターの角度を、愛坂に見えるように調節した。珠須の能力は、洗脳と情報操作であったが、それを使うまでも無くたまたま近くにあった防犯カメラが、

この母子のやりとりを記録していた

ごくごく小さい録音で、ノイズまじりの蚊の鳴くような音声でしかない。珠須はそれを聞き取れる状態に復元した。欠落した音声は、その部分の次の音声から予測を立てて人工的につなぎ合わせたものである


「解りやすいように色をつけてあるよ」


音声グラフの赤が母親で、ピンクが子供と、珠須は愛坂に説明した


「○○ちゃんおかえり~」

「今日、誰かに触られなかった??」


赤色の、母親の音声グラフが揺れた


「ママー、おなかすいたー」


ピンクの、子供の音声グラフも続く


「○○ちゃん、今日触られたでしょ~?」

「手とか、頭とか?」


母親のねちねちした誘導的な質問は続く


「ママねー、もし○○ちゃんが触られたりしてたら」

「大変な事になっちゃうの・・」

「だから教えて?ね?」

「バスとかどう?上り下りとか手伝ってもらってるの?」

「その人は男の人かな?」


以前から検討をつけていたらしく、ピンポイントで誘導する母親


「・・・もういいわ」


音声グラフを見ていた愛坂が、急に制止する


「やっぱり・・・殺(や)っちゃうの??」


珠須は、不安そうな顔で、愛坂を覗き込んだ


「当然だ。こんなゲロみたいな人間、この世に生かしておいてはいけない」

「ユキ(珠須のアダ名)、情報操作頼む。」

「あとは、あの捕まった”被害者の”運転手のケアもお願いしたい」

「くれぐれも自殺させないように」


愛坂は身支度を整えると、部屋を出て行こうとしていた


「いつやるの?」


珠須はソファーに座ったまま愛坂に質問した


「今夜だ」


愛坂がきっぱりと答える


「・・・残された娘は」

「残された娘はどうなっちゃうの・・?」

「こんなやりかたは・・・やっぱりおかしいよ」


身支度をしている愛坂に、珠須が問いかける


「・・・・」

「・・こんなクソ女に育てられるよりは」

「どこぞの人間に拾ってもらったほうが百倍マシだ」


部屋のドアに手を掛けて止る愛坂。続けて


「・・・なぁ?ユキ」

「性被害ってのは、他人が決めることか?」

「本人が被害と思ってないなら、それでいいじゃないか。」

「他人(※)が横からいちゃもんつけるのは間違っている。」(※司法や世論の事)

「・・・・・」

「・・・おかしいのは今の日本だ。」


珠須に背を向けたまま言い放つと部屋を退出した。万が一、いや、この当時の日本からすれば億が一、この事件が冤罪・・つまり「無罪として」決着したとしても女性側には何のペナルティも無い。

ただただ運転手が不名誉な解雇をされて終わりである。多くの日本国民にとって男性の一人や二人が首を吊ったところで「ああ、またか。」ぐらいにしか思えなくなっていたのである。




この日、一人の女性がこの国から姿を消した。


この事件における情報操作や洗脳能力は大成功を示し、人々の記憶や記録には何も残らなかった。




「・・・ダメだよ、こうにぃ・・」

「・・こんなやり方ではダメだよ・・」




人を拒絶し入ることの許されない薄暗い居酒屋風の秘密基地。施錠されているのは鍵か心か。珠須はいつ終わるとも解らぬ悪夢にうなされていた。






























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