ウツツノユメ

赤田 沙奈

ウツツノユメ

まだ朝の人のまばらな大学の図書館で奏夢は、2階の席を陣どり一階から三階まで吹き抜けになっているホールの一階を何気なく見下ろしていた。

無論、わざわざ冬の辛い朝を彼にしたら充分な早起きをしてまで図書館でぼーっとしに来たのではない。

ほんとは出席がスレスレになっていた必修科目の単位をもぎ取るために大学に来たのだが、講義が始まる直前の教室に飛び込むとそこには誰もいなかった。

彼は慌てて友人にSNSで連絡をとると「休講だ、バカ」とだけ送られてきた。

そこで突如として午前中が暇になってしまった彼は、一旦家に帰るのも億劫なので図書館へとやってきたのである。


ただ彼の頭を占めているのは、落単の危機に瀕している時空物理学の講義のことでも、いつも遊んでいるソーシャルゲームのことでもなかった。

それは今朝みた不思議な夢のこと…


その夢は、夢と言うよりも啓示だとかお告げだとか言った方がしっくりくるようなものだった。

ただ勿論、地球に隕石が飛来だとか未知のウイルスのパンデミックだとかSF観に溢れたものでも、事故に遭ったり宝くじに当たるみたいな予知夢の類でもなかった。

そんなものであれば、高校の時の一時の血の迷いではあったとは言え、大学にまで来て現代科学を学ぶ彼にとっては唾棄すべきものであったろう。


夢の中で彼はビルに囲まれた広場のような場所に立っていた。そこでとある女性と話をするといった夢であった。

その見覚えのあるような気がするがしかしあったことのない女性は奏夢に話しかけてきた。


「初めまして、奏夢さん」

「初めまして…」


軽く微笑みながら挨拶をしてくる女性に奏夢は挨拶を返した。

普段ならば戸惑うような場面なのだろうが、これが夢のせいなのか彼は自然と受け入れていた。


「突然ですが、永遠に生きられるとしたらあなたは何をしますか?」


彼女の問いに彼は少し黙考するがそもそも質問の意図が汲み取れなかった。


「実感が湧かないな…。そもそも永遠に生きるってことが非現実的すぎる」


「なら200年や300年だったらどうでしょう?」


「何も変わらないな、結局そんな長生きするのは夢物語と変わらない…」


彼女が問おうとすることがよくわからず彼は顔をしかめる。

だが次の言葉で彼は彼女が意味せんとすることを理解をした。


「本当にそうでしょうか?奏夢さんは二十歳くらいですので平均寿命であと50年以上は生きられますよね。ではその50年位で平均寿命はどの位伸びるでしょうか?100年位あれば若返れたりはできないでしょうか?」


彼女の問いを考えようとして彼はハッとした。

そうだ、50年もあれば医療は進歩する。

昔に比べ現在の医療では死の病だとかそう言った刹那的な問題はかなり解決され天寿を全うする人も増えてきた。50年後ともなれば尚更だろう。

そして若返り、これも響きこそ非現実的なものがあるがどうだろうか?

魔法みたいに装置に入ればいきなり子供に戻るのだとかではなく、機能の落ちてきた臓器を新しいものに入れ替えたりだとかすれば不可能ではないのではないか。

iPS細胞だとかの万能細胞であれば聞き齧った知識でしかないが出来そうだ。

聞いた話ではあるが倫理的な問題があるためにやらないだけで現在の技術で、フラスコの中で子供を作ったり生物のDNAをいじってキメラを作り出せたりするらしい。

つまり彼女は自分が死ぬまでにそう言った技術が発展して今とは比べ物にならない寿命を人類が手にした未来が来ないか、と問うているのだ。


彼女は相も変わらず微笑みながら言葉を続けた。


「ちょっとはそんな未来も来そうですよね。でも奏夢さんのさしあたっての未来には時空物理学があるんですけどね」


そこで奏夢は現実へと引きずり戻され目を覚ましたのである。

ゆっくりと今しがたみた夢を振り返ってみたかったが枕もとの時計の針はそれを許してはくれなかった。

布団を跳ね除けると、彼は慌てて朝の支度をすませ家を飛び出した。

しかし、こんなにも現実味を帯びた啓示であったにも関わらず一番最後の予知は華麗に外し、今朝一番の講義は休講なわけである。


思いがけず時間の生まれた彼は夢についてゆっくりと考えることが出来た。

折角図書館にいるので医学の専門書でも手に取って読んでやろうかと思ったが、どこから手をつけたら良いのかよく分からない難解な専門書を理解し数十年後の寿命を予想することなど門外漢の彼には出来そうもないと諦めた。

だがそこまで専門的な知識がなくとも段々と寿命が数百年単位で伸びていても不思議ではなくなっていた。

人々が死ななくなった未来を考えてみると地球がかなりの人口過密になるような気がしてきたが、未来では月に移住でも出来るだろうか?

火星にも100年あれば人が住んでいよう。

そしたら太陽系にはあとどれくらい住める星があるのだろうか?


そんな妄想を膨らましているといつの間にか午前の講義が終わり始める時間にとなっていた。

彼は講義が終わり混み始める前の学食で手早く昼食を済ませると午後の講義がある講義室へと向かった。

講義室の後ろでは友人の賢哉が最後列の席を確保していた。

賢哉は椅子からカバンを下ろし席を空け、その席に奏夢は着く。


「奏夢、お前のモーニングコールのせいで必要もないのに早起きするハメになったんだから時空のレポートは任せたからな!」

「は?待て…レポート?!そんなの出てたのか?」

「なんだ知らなかったのか、山沼さん今日休講にした代わりにキッチリ課題を先週出してったぞ」


今日の休講も含め知らなかったのは、先週の講義をサボって自主休講にした奏夢の自業自得であるのだが、少しだけ賢哉に抗議しておく。


「もっと早く教えてくれたっていいじゃないか」


賢哉の差し出したレポートの課題を受け取り眺めるとそこには見慣れないギリシャ文字の数式が踊っていた。

まあ、彼はなんとかそれがローレンツ収縮に関する波動方程式の問題であるとは理解できたわけだが同時にそれがかなりの難敵であることも理解した。

ため息をついてそのプリントを賢哉へと返す。


「ところでさ、賢哉。今日変な夢見てさ…」

「あ?なんだよ、お前も変な夢見たの?実は俺もよくわかんない夢みたんだわ」


賢哉の言葉に驚きつつ奏夢は今朝の夢について賢哉に話す。

一通り賢哉に夢の概要を語り終えると賢哉も嫌に驚いた顔をしている。


「なんだ、お前もかよ…」

「は?まさか賢哉も同じ夢をみたのか?」

「同じってわけではないが似たような夢…妙に科学的っていうかそんな夢」


「おれはお前と違って話したのは猫だったけどな、真っ黒な猫。その猫と神について話してた。」


神だなんてバカバカしいと奏夢は思ったけれど、自分も不老不死についての夢を見て、しかも納得までさせられてしまっていたのだから何も言えまい。

賢哉は夢の話を続けた。


「ま、その猫が『神はいると思うか』って聞いてくるわけ。

勿論おれは『そんなんいねえ』って返すけどさ、そいつが『じゃあ居ないってことが証明できるか』って聞いてくんの。

そんなん"悪魔の証明"じゃん、でもそいつは『居ることが証明出来るから証明できないんだ』って言うの。

だからおれはそいつに『じゃあ証明してみろよ』って言ってやったんだよ。

そしたらそいつは頷いて『では生き物の定義から始めよう、生き物の定義を魂があるものだとしてみようじゃないか。

そして魂とは何かってなると意思を持つものと定義しようじゃないか。

私にも意思があるし君にも意思がある。ネズミにも虫にも意思があるから魂がある。だがちょっと植物からは感じられない。だからここで言う生き物は科学的な"生物"とは分けてくれ。

とりあえずその意思を決めるものが魂だ』って、なかなか面白いだろ?

だからおれは『じゃあ意思って何か』って聞いたんだ。

そしたら『意思は選択肢の決定権だろう』って『例えば、朝起きて大学行ったり、はたまた講義をサボって遊んだりと、それらは無数の選択肢の中からどれかを選んでいて、それを決めているのが意思なら、意思は選択肢の決定権と言い換えられる』だとさ。

ここまできたら何となくコイツの言いたいことが分かってきてさ、『つまり、明日の天気も空の意思次第だし、トスしたコインの裏表もコインの意思次第ってわけか』って俺が言うと、ソイツは関心したみたいに頷いて『そうだろう、万物万象全てに意思があるとも言えるわけだ。なら神とは何か分かるか』って聞いてくるの。

そこまできたらさ、『意思がある、つまり魂があって"生物じゃないもの"』ってのがでてくるじゃん。

で、ソイツは笑みを深めて言うの。『ご名答!ほら神がいるじゃあないか』

で、おれはそこで目が覚めた」


奏夢は賢哉の夢の話をいったん咀嚼してから飲み込む。


「まるで八百万の神だな…」

「ま、そういうこと。多少定義とかに文句は言えるかもしれないけど大筋間違っちゃいないしな」

「おれの夢もそうだな、多少予想のとこにイチャモンつけれるけど、遅いか早いかって程度だな」


そこで教授が講義室に入ってきたので話をそこまでで切り上げノートを出したり講義の準備に取り掛かった。

講義中、賢哉が波動方程式を解いてるときに「そうか、アイツはシュレディンガーの猫だったのか」と呟いたのには不覚にも笑ってしまった。


その後はいつも通り講義室から自習室へと場所を移し他の友人達と一緒になって時空物理学の難敵へと立ち向かった。

課題も夕方くらいになると大方片付き、みなで学食に行き夕飯をすませる。

課題の仕上げてしまったあとはそろそろくる期末テストへと備え、先輩達の過去問を参考にしつつテスト対策を少ししてから、賢哉の家に皆で押しかけテレビゲームをして遊んだ。

日も変わろうかという頃になって解散し奏夢は自分の下宿へと向かった。

シャワーだけ浴びてサッと寝支度を済ませると彼は布団へと潜り込んだ。

布団の中で奏夢は今朝の夢と賢哉の夢について考えていたらいつの間にか夢の中にいた。


気付けば昨日と同じような広場であの女性と話していたのである。


「…ところで奏夢さんは、タイムスリップが出来たなら古き良き時代に戻って暮らしたいと思いますか?」


この切り出しは唐突であったかもしれないし、その前にも会話があったのかもしれないが奏夢は覚えていなかった。

とりあえず今日の奏夢の夢の記憶はこうして始まっていた。


「つまり、今の科学技術とかを捨てて、皆で農業でもして穏やかに暮らすってこと?」


彼の問いに彼女は微笑みで返した。

彼は暫し黙り込んで考える。

彼女の問いは普段の雑談みたいに昔のが良かったと応じればいいようなものではない気がしていた。

彼女の真意について彼なりに思考を巡らせる。


「想像してみたけどどうだろうか…結局実感のない話だ…」

「そうでしょうか?宮中で詩歌でも読んで月や華を愛でて雪で心を落ち着けるような暮らしって良くありませんか?」


そこまで聞いて少し彼には思い当たることがあった。

確かに昔の宮中での暮らしは華やかで贅沢な話だろう。

でもその暮らしの裏には、それを支えるために毎日苦労して働く農民がいた。

彼らの暮らしは穏やかに見えるかもしれないが、飢えや寒さに怯える可哀想なものであったろう。


「えっと、つまり煌びやかな暮らしは貧しい人によって支えられてるってこと?」

「私そんなこと言ってませんよ?今だって貧しい方々がしわ寄せにあってるのは変わりませんし、それに宮中の生活だって同じかも知れませんしね。じゃなきゃ祈祷とかしたり祟りを恐れたりはしないでしょう?」


ここで奏夢は再び黙考をする。

確かにそうだ、宮中であったって得体の知れない病気や災害に怯えて暮らしていたであろう。

それにそもそも彼女の問いは「昔に戻って暮らしたい」かどうかだ。

なら彼女が聞いているのは…


「昔に戻るってのはつまり今まで人間が積み上げてきた進歩を手放すってことですね」

「やっぱり奏夢さんは聡明な方です」


彼女はまたその口を綻ばせる。

つまり、文明の発展で人々が忘れてしまったのは昔の幸福ではないだろう。

それは昔の苦痛なのだろう。

現代の人は熱病に怯えることは少ない。

体調管理をしっかりして、それでも風邪をひけば病院に行けばいいことを知っているからだ。

つまりそれは人間の長い歴史で知り得た叡智であり、その叡智は未知というベールをその恐怖から消し去ってしまった。

ならばその恐怖は既に教訓として気をつける必要もなくなり、現代の人々から忘れ去られてしまったのだろう。


「でも、私が聞いたのは昔の暮らしに戻りたいかですよ?」


女性が照れくさそうにはにかむ。

そう言えば彼女は昨日も聞いてきたのはどう暮らしたいか…

そこで奏夢はあることに思い至る。

昨日の不老不死、つまるところ"死"は現代の自分達が見ている壁であろう。

そして未来の人類はいつかその壁を乗り越えているのだろう。

いや、語弊があるかもしれない。

壁と言ったがそれは階段の一段に過ぎないのかもしれない。

それは人類が登ってきた長い長い階段。

そして一段登ってしまえばもう過去の壁はもう見ることが出来ない。

そうやって人類は進んできたのであろう。


奏夢は視線を女性へと戻しはっきりと答える。



「なら未来へ進みます。」


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