mission 27



「……さん。兄さん起きて」



最悪の目覚めだ……

疲れた俺はどうやらソファーで寝ていたらしい。

薄く開けた目を時計の方に移せば、時計は8時55分を指している。

朝としては少し遅いくらいだろうか。

普段、5時には起きている俺としては遅いが、それには原因がある。

昨日のあの事件だ。

あの後、多田さんに書類書くからと長々と拘束され、解放されたのは早朝と言っていい。

ここに来た時には空が少し明るかったのを覚えている。



「朝ごはん出来てるよ」


「ああ、悪いな」



|夕(ゆう)がフライパンを持ちながら、忙しそうに俺を起こし、再びキッチンへと戻って行った。


黒瀬 夕。


俺が家にほとんど帰らない事を理由に、この家でハウスキーパーとして住み込みで働いていて貰っている。

|再従兄弟(はとこ)であり、もう殆どいない親戚の中で唯一気が許せる親戚でもある。

歳は俺より少し下だった気がしたが、彼が何歳であるとかは、あまり興味もなく知らない。

彼も俺と同じように業を背負っていた。

だからだろうか、同情ないし共感し、死んだ筈の父名義で、養子と言う形で保護させた。

今では義兄弟であり、慕ってくれているとは思う。

本心がどう思っているのかは俺では分からない。



ソファから立ち上がると、ダイニングテーブルへと足を運ぶ。

テーブルの上には絵でも見るような日本の朝食が2人分並んでいた。

夕もまだ食べてはいないようだ。



「先に食べてなかったのか?」


「俺も起きたのさっきだし。一人分づつ片付けるより、同時に片付けた方が楽だし」


「学校は」


「今日は日曜だから休みだよ」


「そうか……」



日本での生活面で勝てる訳もなく、大人しく椅子に座る。

が、日本といえば食事には当然、箸が出てくる訳であって__



「箸はやっぱダメ?」



夕に心配されてしまう。



「いや、少し苦手なだけだ」



箸の習慣がない俺にとっては、箸とはかなり集中しないと扱えない代物だ。

それを聞いた夕は笑う。



「変なの」


「仕方ない、向こうで箸は使わないから」


「それ中国とか行っても同じこと言える?」


「それは……その時考える」



いつどこが戦場になるかなんて分からない、それが日本や中国であってもか……

やはり少しは扱えないと困るのだろうか?



「そんな深刻に考えなくても大丈夫だと思うよ」


「そうか……。それより、学校はどうだ?」


「急だね。まだ義務教育だからなんとも言えないけど、楽しいと思う」



俺と違ってまだ真っ当な生活を送ることが出来る夕には、生活費とハウスキーパーとしての賃金、大学までの学費を用立ててある。

どうせ稼いだ金の使い道があるわけでも無い。



「兄さんはどう? 学校生活ちゃんと送れている?」


「なんとも言えないな」


「兄さんらしいや」



そう言って夕は味噌汁に手を付ける。

少しだけ年下なのに俺よりも凄く立派だ。

それだけ俺がまともでは無いだけかも知れない。

夕に習って味噌汁を啜っていると、インターホンが鳴る。



「僕が出るよ」



夕が立ち上がって来訪者の対応に向かった。



長ソファーに座った男女4人は物珍しそうに部屋を見ていた。

空は頭を抱えて目の前の光景にため息を吐いた。



「それで、揃いに揃って何の用だ……住所を教えた覚えは無いぞ」


「いや、何というかね。この子達が来たいみたいだったから、つい」


「その場のノリで個人情報を漏らすのはどうにかしてくれ……」


「ごめんね。昨日のお礼がしたかったから」


「私はアレね。亜美を一人で行かせるわけには行かないでしょう? だから、付き添い?」


「えっと……私は、多田さんに……」



一人は日本人らしいお礼というお節介。

一人はただの興味本位。しかも疑問形。

もう一人に関してはもう言うことは無い。

夕は苦笑いしながら食器を片付けに逃げて行った。



「凄い大きいねぇ。やっぱりお金持ち」


「意外に豪邸?」


「えっと……その……」


「無理に感想言わなくて結構だ。とりあえず茶化しに来たのなら帰れ」



何故、休日まで面倒くさい筆頭を相手しなければならないのか。

やはり運が関係しているのだろうか?

大和 葵に関しては多田の巻き込まれだろう。

オロオロしているあたり自身の意見は無視されたようだ、ご愁傷様。



「いやぁ、何やかんやで上げてくれる君には感謝しないとなぁ。空くん意外とツンデレ?」


「死ね」



ツンデレというワードに合わせてベレッタを向ける。

コイツは年上だったとしても一度死ぬべきだ。

しかし、銃口が向けられたと言うのに怖がるフリをするだけで、実際は怖いなどと思っても無い道化だ。

それもそのはず、多田は俺が殺さないのを知っている。



「いやー怖いなー」


「演技は良い。用もなく来ないのは知ってる。本題を話せ」


「君はつくづくビジネスライクだね。もう少し気を抜きたまえよ。……さて本題に入ろう。昨日、亜美君から話はあったと思うが、正式に君には浅乃 亜美君の護衛をお願いしたい」



本題に入った多田は深刻そうな表情で護衛の依頼を切り出した。

その深刻さからか、真剣な顔をしている。

空から見てもその深刻度合いは相当のようである。



「警察は?」


「残念ながら動けない。理由は__」


「それは聞いた。敵は?」


「恐らく日本人。しかし、少々ストーカーの域を外れ始めている」


「武装でもしたか?」


「恐らく。裏の連中ともつるんでいるのが目撃されている。だが証拠が見つからない」


「公安によるでっち上げは?」


「それは3年前の君の粛清で人材不足だ。手が回らない」



ここに来て、そのツケが回ってくるとは……

日本の歌手を狙った犯罪。

自分の手中に収めたいのか、それとも収まらないから殺してしまうのか。

残念ながら犯罪心理とは無縁で分かりはしない。

同じ犯罪者だと言うのに。

多田さんが3人を連れ添った理由が見えてくる。

数を増やし安易に近づけなくした上での、大和 葵による護衛。

それなりか。



「やはり人手不足が深刻か……。公安も駄目か? 」


「そうしたいのだがね、今は会談に集中せざるおえない状況だ。あまりその辺は期待はしないでくれたまえ。それに、これを見て欲しい」



そう言って多田さんが出したのは一通のダイレクトメール。

受け取って確認したが、内容が酷かった。

どれだけ愛しているのかから始まり、思いが止まらないと熱烈アピール。そして、手に入らないのら綺麗なまま終わらせたいと殺害予告まで。更に俺の存在まで言及されている。

俺ですら吐き気を催すような内容だ。

俺の存在を認知したとなると、あの人質の中にいたのは明白だ。



「あのショッピングモールで感じた嫌な視線はそいつだったか」


「空くん会ったの?」


「いや。あんたが連れて行かれた後のホールで、人質から負の感情を向けられている。怯えとか敵意とか、多分その中に混じっていたはずだ」



あの時は向けられている事に慣れているからこその無視だった。

戦場で何度も体験した事だ。

助けたはずの味方から敵意を向けられる。

それに慣れていたからこそ、そう言うものだと認識していた。

結果として、知らない間に新たな敵が出来ている。

その内、呼吸しているだけで敵が出来そうだ。

だが、当のストーカーされている本人は深刻に捉えてはいない。

俺の勘に、素直に感心しているほどだ。



「凄いね、私気付かなかったよ」


「……それより、あんたには少し言いたい事がある。自己犠牲の精神はどうこう言うつもりは無いし、興味は無いが、それで俺にしわ寄せが来るのを理解してからやれ」


「あれっ!? 私、怒られてる?」


「あんたのせいで余計な仕事が増えたんだ。少しは反省してくれ……」


「ちょっと、あなた!」


「良いの。事実だから。でも、そのあんたって呼ばれるのはやだな……。亜美って名前で呼んでほしいな」


「はぁ……」



コイツも俺の精神を疲弊させるのか……

どいつもこいつも呑気なものだ。

危険に対して無知過ぎる。

ただでさえ有名人らしい彼女が怪我をすれば、俺は槍玉に上がることになる。

そうなれば表に出る事を避けて来た切り裂きジャックという存在が明るみになる訳で、新たな火種が生まれる。

それこそ誰も得しない。

彼女達に必要なのは、俺と言う存在がいかに劇物であるかを理解する事か。難しいな……



「私って、ため息吐かれる程度なの……」


「きっと、彼なりに考えてるんじゃないですかね?」


「そうかな?」


「ちょっとぉ。おじさん放置で仲良くなられてもお話しが進まないんだけど」



話を戻したかったのか、多田さんは引くレベルで2人に絡む。

恐怖すら感じた亜美は葵の後ろにかくれる始末。

肩を落としながらこちらに向き直った。



「で、空君。受けてくれる__」


「拒否する」


「はい?」


「だから拒否する。そもそも俺は護衛専門じゃないし、ストーカー撃退のために傭兵使うとか前代未聞だ。俺は子守をする為に日本に来た訳じゃない。書面もない以上は動く義理はない。夕、少し外すから後の処理は任せた」



少々、コイツらは現実を見るべきだ。

一度、どれだけ危険な状況なのかを理解して欲しい。

頭を抱えたくなる思考を振り払い、一度地下へと足を運んだ。




残された4人には微妙な空気が漂っていた。

夕はお盆に麦茶4つを並べ運んでくる。



「粗茶ですが」



4人の前へ麦茶を置くと、夕は空が座っていた場所に腰をかける。



「兄さんはああ言ってるけど、とても優しい人だから気を落とさないで」


「あれで優しいの?」



皮肉げに由奈が夕を睨む。

友達にあんな事を言われれば、恨み言の一つや二つは言いたくなる。

夕は甘んじてそれを聞き入れていた。



「兄さんはとても不器用で、人付き合いなんかロクにした事ない人で、デリカシーとか皆無だけど、正義にすら見捨てられる弱い人の為に戦うんだ」



空のフォローをするように語る夕の目は、憧れを抱いているかのようだ。

キラキラさせながら語る夕に4人は黙って聞くしかない。

だが、フォローと言っていいのか謎だ。



「それ、貶してるの?それとも褒めてるの?」


「どっちでもないよ。けど、兄さんはたった1人の為に世界に喧嘩を売れる。そんな人だ」


「分かってるよ。君のお兄さんに、私は助けられたから」



亜美は微笑むように答えた。

過去を懐かしむように、そして彼の理解者が他にいた事を嬉しく思っているかのように。



「なら良かった」



夕もホッとした。

そこへ多田は何を思ったのか、夕へある事を聞く。



「そう言えば夕君、お久しぶりだね。空君の代わりに君が護衛を受けてくれても良いんだけどなぁ?」



挨拶から始まり、途端に空が断った護衛を振る。

女子3人は、まだ中学生の彼を見つめて目を丸くした。



「お久しぶりですね、多田さん。兄がお世話になっています。頼られるのは嬉しいけど、兄さんに止められてるからお断りしますね」



空とは対照的に丁寧に断りを入れる。

その礼儀正しさに多田はダメージを受けていた。



「何という良い子。彼と違って礼儀正し過ぎて、おじさんが凄く汚れてるかのように感じる……」


「かのようじゃなくて、真っ黒に汚れてます」



更に、葵からの援護射撃まで受ける始末。

多田は膝をつき、ダメージに耐えている。



「ははっ、汚れちまった悲しみに……」


「山羊の歌を持ち出すなんて、渋いわね」


「よく知ってるね」


「中原中也は読みましたから」



いきなり知的な会話を始める多田と由奈に付いていけない亜美と葵の2人。

苦笑いで誤魔化している。

そこへ、空が携帯を片手にようやく帰って来た。

どうやら、誰かと通話をしていたようだ。



「チッ……依頼としては受けない。俺が個人的にやる。だから金はいらない。それでいいな」



突然、帰ってきたと思えば、傭兵ともあるまじき発言をした。

その場にいた全員が状況を飲み込めていない。



「えっ……でも傭兵って」


「俺の経歴に変なのを付けたくは無いからな」


「何という自己保身……」


「それに端金程度で動くと思われても困るからな。どうせ金を取ればあんたの会社は潰れる事になる。だったら双方が損をしなければそれで済む」


「あなた、損しかしてないようだけれど?」


「社長にやれと言われればやるしか無いのが社員だからな。命令された以上は俺に拒否権は無い」



その顔は渋々、もしくは遺憾ながらと言ったものだ。

快諾している訳では無かった。

だからこそ、そこに空は条件を付け加えた。



「ただし、条件がある。個人的に動く以上は、何かあればこちらの判断で全てを下す。危険と判断すればソイツが日本人であったとしても抹殺する。それで良いな」



私的な殺しを宣言したも同然の発言に多田は快諾は出来ない。

が、目の前の命も軽視出来ない以上は、首を渋々縦に振るしか無い。



「分かった。たが、なるべく穏便に済まして欲しい」


「保証しかねる。相手の出方次第だ」


「何という真っ黒。おじさん、少し安心したよ」


「世の中には黒より黒い奴なんて腐る程いる」


「ブレないわね、あなた」



先程まで夕が綺麗だの言っていた側からこれである。

それには多田が安心しきった笑顔を浮かべていた。

由奈の発言はどちらに向けたものなのかは不明だ。



「よ、よかったぁ」



亜美は安心したのか、泣きそうな顔でヘタリ込んでしまう。

それを由奈と葵の2人が支えに行き、多田はホッとしたように一息ついていた



「ねぇ、兄さん。これって兄さんが提案したの?それとも__」


「さぁ、どっちだろうな……」



夕に見抜かれている事に空は冷や汗を流すしか無かった。

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