素直な気持ち

 アル、そしてケーラと別れた俺はエマのいる自室に戻って来た。エマは相変わらずタンクトップに短めのパンツだけという露出の多い格好でベットに寝転がっていた。眠っているのだろうか、壁の方を向いて寝転がる彼女の表情はうかがえない。


「……どうだった?」

「なんだ、起きてたのか……」


 こちらに顔を向けず、彼女の声だけが聞こえてくる。その声色に明るさなんて欠片もない、ただただ寂しげな声。俺は彼女のベットに座って、そっと髪を撫でる。


「アルのことだけどな……一度だけ目を覚ましたんだ」

「ほ、本当!?」


 エマは跳ねるように起き上って、その見開かれた瞳でこちらを見る。きっと彼女にとって、これ以上ないほどの衝撃だったのか、そういう顔つきだ。


「ああ、ほんの一瞬だけどな……言葉もまともに喋れない様子だったけど……」

「そう……そうなのね……」


 エマはホッと胸をなでおろすと、肩の力が抜けたのか、ふらふらっと俺の体にもたれかかってくる。その彼女の肩にそっと手をまわす。彼女を安心させたくて、というのもあったけれどそれ以上に、俺が彼女のぬくもりを得たかったのかも知れない。


「アイキの手……震えてる……」

「ああ……だろうな……」


 せっかくの休養時間だというのに、まるで緊張がほぐれない。あのシヴァがやろうとしていることにビビっているわけじゃない。この震えはそう、武者震いだ。俺たちはこれから、俺たちの夢が詰まっている場所の目の前に行くんだ。地球への降下自体はまた先の話だろうけれど、それでも俺はその舞台に行く事そのものに緊張と同時に高揚感を得ていた。


「エマ……お前はどう思っているんだ、今回地球に近づくことを……」


 俺は共感を得たかったのか、自然とそんな問いが口から出ていた。だがエマは何も返してこない、反応すらしない。もしかしたら何か気に障るようなことを言っただろうか。


「すぅ……すぅ……」

「あれ、寝てるのか?」


 かすかに聞こえたのはエマの寝息。俺のもたれかかったまま眠っていた。アルの事がとりあえずわかって気が緩んだのだろう。俺はエマをそのままベットに寝かせて立ち上がる。軽くシャワーを浴びてから二段ベットの上の段によじ登って横になる。そして気付いた時には、俺は目蓋を閉じていた。


***


「あれ……アイキ……?」


 目を覚ますと、先ほどまで私を包み込んでくれていたぬくもりはなくなっていた。ベットから起き上って二段ベットの上を見ると、小さく寝息を立てて眠っているアイキがいた。


「今、何時だろ……」


 出発の予定時間まで、あと一時間半。お腹のすいた私はまだ営業時間中の食堂に向かう。食堂は既に今日の営業を終えるところだったようで、席には誰一人いなかった。


「エマさん!こんばんは!」

「あ、アビーさん、ごめんなさい、もう営業終わっちゃったわよね」

「いいえ!エマさんだけの貸し切りで営業してますよ!」


 後ろにいるおば様たちがギョッとしてアビーを見たけれど、すぐに諦めたかのように揃いも揃って大きなため息をついて、厨房から出て行った。


「じゃあ何が食べたいですか?」

「そうね……今日のオススメでお願いしますシェフさんっ」

「わっかりました!エマさんの専属シェフのアビーちゃんが腕によりをかけて手料理を振舞わせていただきます~!」


 私の専属シェフという言葉が余程嬉しかったのか、嬉々としてスキップをしながら厨房の奥に入っていったアビー。彼女の料理をする後ろ姿は本当に楽しそうで、いつどれだけ見ていても決して飽きるものではなかった。そんな後ろ姿に見とれて数十分が経った頃に、アビーは二人分の料理を持ってきて、私の正面の椅子に座った。


「それじゃあいただきまーす!」

「おいしそうね、いただきます」


 二人揃って手を合わせてから料理を口に運ぶ。チーズがたっぷり乗ったラザニアやアボカドのクリームパスタ、野菜と豆のミネストローネなど、イタリアン寄りな料理だ。イタリアンというのは地球の一つの国の事を指すらしいけど、いつか本場で食べれるかな、と少しだけ胸が躍る。


「ねぇねぇ、今日はアーくんいないの?」

「え、ああ、アイキなら今仕事場で居眠りこいてるわ」


 まさか二人一緒の部屋で寝ていたなんて、いくらやましいことをしていないとは言え、言えるわけがない。そう、なにもやましいことなんてしてない……。


「ねぇエマさん」

「ひゃい!?」


 突然眼前に躍り出てきていたアビーの顔に驚いて後ろに飛び跳ねそうになり、同時に変な声も出てしまう。なぜかアビーはとてもいやらしくニヤニヤと笑みを浮かべている。


「な、なに……!?」

「エマさんは、アーくんの事どう思ってるの?」

「は、はぁ!?」


 突然の問いかけに私の頭の中は一瞬でショートしそうになるまで回転を始めた。彼の事は確かに大切なパートナーだし、これから生死を共にするかもしれない相手だ。でもそんなやましいことなんて……そう考えた時、今までの事が脳裏に蘇ってくる。よくよく考えれば今更とはいえ下着一枚で彼の前に出て来たり、彼になんの許可も得ずにもたれかかったり……これじゃあまるで……まるで……。


「エマさんは、アーくんとお付き合いしてるんですか?」

「ああああああああああ!!」

「うわぁ!?ど、どうしたんですか!?」


 思わず大きな声を出してごまかしてしまったけれど、私はやっぱりアイキが好きなんだ……その気持ちは、ごまかしちゃいけないのかもしれない。


「やっぱり好きなんだ~へ~なるほどなるほど~」

「ちゃ、茶化さないでよ!」

「茶化してないないっ、でもさ、そういう気持ちはごまかさない方がいいよ」

「え……」


 まるで私の心を読んだかのようなその一言に、一瞬私は固まったけれど、彼女の真剣な眼差しに言葉が出なくなっていた。


「私がどうこう言う事でもないのかもしれないけどさ、後悔してからじゃ遅いこともあるからさ……」

「後悔……」


 そうか……かもしれないじゃなくて、ごまかしちゃダメなんだ。きっとそれは誰の為でもない、自分自身のこれからの為に。


「そういえば、アイキは何か言ってたの?」

「ん~言ってたけど、どっちだったかは教えないっ」

「そ、そんなぁ、そんなのまるで生殺しじゃない」

「知りたかったら、自分の言葉で直接聞かないと、ね」


 アビーの言う通りだ……私はいつも一緒にいる彼に気持ちを打ち明けるのが怖かったんだ。でも後悔はしたくないかな……シングルストライカー計画、その実行する前には気持ちを打ち明けよう。


「ごちそうさま、ありがとうアビー、おいしかったわ」

「うんうん!お粗末様でしたー!」


 アビーが食器を片付けに行くと、お金だけテーブルに置いて席を立つ。シヴァを止めたら、真っ先にここに食べに来よう。そう思って入り口に向かって歩き出すと、後ろからパタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえる。


「これ、持って行って!」

「あら、わざわざ悪いわね、また来るわ」

「うん!待ってるよ!!」


***


 俺のスマホ端末のアラームがけたたましい音を立てて枕もとで暴れている。もう三世代以上も前の超旧型端末にも関わらず、音声機能だけは異常に元気なままなのが嫌に鼻につく。


「よく壊れないわよね、それ」

「エマ、起きてたのか」

「ちょっとご飯食べてきたの」

「そうか……」


 心なしか頬が赤くなっているようにも見えるけど、多分気のせいだろう。それにしても彼女からおいしそうな匂いがする。もうすぐここを出るというのに腹が空いてきてしまう。


「そうだ、これアビーからアイキにだって」

「おお、マジでか」


 そう言って彼女が出したタッパーの中には、芳ばしい香りを漂わせるラザニアが入っていた。俺はベットから飛び降りると、そのタッパーを受け取り、一緒に備え付けられていたプラスチックのフォークで口に運ぶ。


「あ~空腹が満たされていく~」


 エマも食事をとってきたというなら遠慮はいらないだろうと、俺は彼女の前でもお構いなしに食べていく。しかしなぜか彼女の視線が気になる。何度もこちらをチラチラと見てくるのだ。


「……食べるか?」

「え、あ、いや、私は食べて来たから……」

「良いから食えよ、こっちも気になって落ち着かねぇよ」


 俺はタッパーとフォークの両方を渡し、彼女は一瞬躊躇したものの、なんだかんだで結構大きな一口を口に放り込む。しかし彼女は飲み込むと同時に呆然とフォークを睨みつけるように見つめていた。


「どうした?」

「いやこれ……関節……」


 そこまで言って言いたいことがわかった。俺は顔が熱くなっていくのを感じたのもあり、彼女から顔を逸らしてしまう。


「い、いいから、食ったら行くぞ!時間があるわけじゃないんだからな!」

「え、ええ……そうね」


 それから数分後には、俺たちは既に小型艇で地球に向かって出撃を始めていた。本来地球と月面間の航行は禁止されているため、都市政府でも本当に上層部しか、俺たちが地球に向かっていることを知らない。それから数時間経った頃……。


「あと何時間だ?」

「ちょうど半分、あと三時間だ」


 あと三時間、その間もユニヴェールとシエルの整備は続いていた。トラオムが無くなったにも関わらず整備を手伝ってくれているアポロの整備員さん達には本当に頭が上がらない。


「ねぇアイキ……今何を考えているの……?」

「ん、別に……みんながこうして手を取り合っているのはいいなぁって……」

「そう……」


 するとエマはどこか寂し気な表情でシエルのある方へと視線を移した。しかしこんな問いを突然投げかけられてもなんと言っていいものなのか……。


「なぁ、結局何が言いたいんだ?」

「んと……帰ってきたら話すね」

「ふーん、まぁわかったよ」


 あんな中途半端な話の振り方をして起きながら聞かせてくれないなんて、ずいぶん酷な話だと思う。これは早いとこ終わらせてエマからちゃんと聞かないといけないな……。


「オスカー所長!取り逃がしたシヴァの反応、キャッチしました!」

「ようやくか……二人とも、出撃準備だ」


 また二時間ほど経ったところで、ヤツにようやく追いついた。俺たちはそれぞれにスーツを身に纏って準備を進める。急繕いとは思えないほどの状態の良さは、着ただけですぐにわかった。


「念の為、大気圏突破時専用のプログラムに書き換えて、武装もそれに耐えうるものにしてはいるが、まだ万全ではない、地球には近付き過ぎないよう気を付けろ」

「ああ、わかっている」


 装備されているのは大気圏突破時に使う予定だった曲面の大型シールド。そして小型のマシンガンに小さなナイフのようなもの。


「おい、俺の太刀ノヴァブレードはどこだよ?」

「あれは刃こぼれやらが酷くて使い物にならん、今修理してるとこだから今度また使わせてやる、今は新しくそいつを使え」


 オスカーが言うには、ナイフの柄にあるボタンを押せとのことだが、それを押した瞬間に俺は驚きのあまりに手放してしまいそうになった。


「なんだこれ、シヴァのレーザーソードと同じじゃねぇか!?」


 そう、ナイフの刃先からは80センチほどの長さの刃の形を保ったレーザーが放出されていた。どこからどう見ても敵の武器だ。


「拾った奴らの装備を改良してな、エネルギーの消費も少ないし威力はそのまま、パイルバンカーを持たせると重量に難があるから、それを持っていけ」

「わかったけど……レーザーソードか、俺に扱えるかな……」

「そんなチンケな名前で呼ぶんじゃねぇよ」


 レーザーソードという名に意義を唱えたのは、いつもの整備士のおっちゃんだ。おっちゃんは端末片手に歩み寄ってくると、ユニヴェールにデータを転送してくる。


「よし、これでそいつの準備はバッチリだ」

「えっと……フルムーンセイバー?なんだこれ?」

「その剣の名前だ!カッコいいだろ!」

「うんと、今回は五十点かな」

「んなにぉう!男の浪漫もわからんなんて最近の若者は、ったく!」


 アンタそんなこと言うキャラじゃなかっただろう。と心の中でツッコミを入れてみるが、これ以上は色々と長引きそうな気がして、その言葉は胸の奥にしまっておいた。


「シエルにはそのフルムーンセイバーはくれないの?」

「お前のはロングレンジライフルでレーダーも撃ち出せるように改良しておいた、これを持っていけ」


 オスカーがエマに手渡したのは四角いライフル用の弾倉マガジン四つだ。エマのシエルは俺と同じ大気圏突破用シールドを背中に背負い、腰には近距離用のハンドガンが二丁、そして例のロングレンジレーザーライフルだ。


「ちなみにな、そのライフルの名前も決めてあってな……」

「いいわ、私興味ないから」

「一応グラスストラトスって名前があるのになぁ……」


 なんだかしょんぼりしているおっちゃんを見るとかわいそうになってきた。しかしそこに声をかけるまでもなく出撃予定ポイントまで接近する。小型艇の船尾に俺たち二人が立ち、二人と他のメンバーの間にエアロックの隔壁が降りてくる。完全に中が密閉されると同時に俺たちはバイザーを閉め、後部ハッチが開く。


「地球、大きいね……」

「ああ、月よりもずっとでかい……」


 俺たちの目の前に広がるのは、巨大な青い星。宇宙にいるはずなのに、高いところにいるという錯覚に襲われて一瞬足がすくむけれど、大きく息を吐いて気持ちを整える。


「ねぇ、緊張してる?」

「ああ、ほんの少しな……でもエマの方が緊張してるように見えるぞ」

「そうね……なんだかこのまま落ちてしまいそうな感覚になっちゃって……」

「じゃあ、さ……」


 俺はエマの手を強く握る。驚いたエマがほんの少しの身長差で上にある俺の顔を見上げてくる。彼女の手を握って緊張がほぐれた俺は、優しく笑いかける。


「一緒に行こう、手を繋いでさ」

「そうね……そういえば、結局デート行けなかったわね」

「そうだな……帰ったら一緒に遊びに行こう」

「うん……」


 俺たちは手を繋いだままゆっくりと小型艇の外に身を乗り出す。二人同時にスラスターを噴かして、レーダーに映るシヴァの方向に体を向ける。


「アイキ・ノヴァク、ユニヴェール!」

「エマ・フェレイラ、シエル!」


「「行きます!!」」

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