或る病気についての考察、そして経過

参径

嗚呼、姉妹かくあるべし

「大変!千冬ちふゆが病気になっちゃったの‼︎」

「なんですって⁉︎」

 千冬の姉・百花ももかが病院に向かうと、愛しき妹は目隠しでベッドに寝かされていた。

「千冬!千冬!わかる?お姉ちゃんよ!」

「お姉ちゃん…来てくれたの?そんな…授業はどうしたの?」

「そんなのどうだっていいのよ…貴女が無事で良かった…」

 姉妹の感動の再会が一段落したところで、担当医は百花に千冬の病名を告げた。

「…妹さんは非常に珍しいご病気に罹患しています。その名も『覚醒時接吻症候群』…噛み砕いて説明すると、目が覚めて最初にその瞳に映した人間とキスをしたくなる、という奇病です…残念ながら現代医療に打つ手はありません」

「そんな……千冬……」

 この報告は百花にとってショックだった。幼い頃からずっと一緒だった最愛の妹が、手の施しようのない難病に侵されているのだ…無理もない。

「…気を落とさないでください。これまでの症例では、キスしさえすれば病状はたちまち良くなり、後遺症が出ることもなくスムーズに日常生活に戻れたケースがほとんどです」

「ほとんど…ということは例外もあるのですか?」

「…数年前、北海道でこの病気を発症した患者は、目に光を宿してすぐに目にした女性とキスを行いました。しかし欲求は治ることなく、仕方なくその患者は女性と一生を共にする羽目に…」

「あぁ……」

 百花は倒れそうになる自分を抑えるので精一杯だった。千冬はまだ中学生、ファーストキスすら未経験の身。それなのにこんな訳の分からない病のせいではじめてを喪失するどころか、一生その相手の唇を貪り続けることになるやもしれないというのだ!これを悲劇と言わずしてなんとする‼︎


 まるまる13時間、百花は悩み抜いた。彼女が試行錯誤する間じゅう、妹の千冬は苦しそうに呻いていた。ときおり、うわ言のようにキスがしたい…キスがしたい……と繰り返すのが百花にも聞こえて取れた。可哀想にもう病状が進行しているのだろう!百花はさめざめと涙を零しながら、ついに自分なりの結論へとたどり着いた。







 翌朝。

 よく晴れた朝で、病室にもカーテン越しの白い光があふれていた。主治医&両親も立ち会いのもと、百花はベッドの上で千冬と向かい合うように膝立ちしていた。

「では…百花さん、本当にいいんですね?」

「迷いはありません。妹のためですから」

「お、お姉ちゃん…わたし…」

「大丈夫。大丈夫よ千冬、怖がることはないわ。全部お姉ちゃんに任せて。妹のために尽くす覚悟は出来ているわ」

「お姉ちゃん……ありがとう、大好きだよ」

「私もよ」

 姉妹の間にはそれで充分だった。

 喜びと、ほんの少しの寂寞。幕間の演出は終わった。大団円のカーテンコールまであと一歩、百花は主演女優として、最高のラストを締めくくらねばならない。


「-では百花さん」

「……はい」

 メガホンは時を告げた。百花は熱い意志を瞳に、そして指先に込めて、そっと妹の……千冬の目隠しを、外した。



「お姉ちゃ…」

 それは久方ぶりに見る姉の顔。思わず漏れた言葉は安堵か、それとも…周囲に逡巡の隙を与えず、姉の唇がさっと形を作り……妹のそれを、塞いだ。






「……ぷはっ」

 愛の結晶が、吊り橋のごとく伸びた細い糸、結び目のような丸いたまゆらが…そっとふたりの間に紡がれ、揺れた。

 ぱちくり、と目を見開く千冬。ほんの少し顔を赤らめた姉・百花はほんの少し頬を染め-そして破顔した。


「おお…ブラボー!ブラボー‼︎」

 スタンディングオベーション!姉妹の絆は不治の病とて穿つことのできない強固な牙城であった…千冬は百花に飛びつき、涙さえも浮かべながら愛しの姉の麗らかなる額に、頬に鼻にそして唇に、あらん限りの接吻の雨を降らせた。そんな千冬をぎゅっと抱きとめ、姉妹はいつまでも、奇跡とも呼びうる抱擁をかわし続けていた……。













 -あれから5年あまりが経ち、百花は就職のことを考えなければならなくなり、千冬は希望した大学になんとか入ることができた。結論から言うと千冬の『覚醒時接吻症候群』は完治。もうキス願望にうなされることもなくなった。あの時、妹の苦しみを半分背負うと決意した百花の選択は間違いではなかったのだ。





 そして。





 百花が自室に戻ると、ベッドの上で千冬が待ち構えていた。

「お姉ちゃんっ」

「はいはい」

 苦笑しながら、期待の眼差しを向ける妹に手を伸ばす。千冬はえへへ、と笑みを漏らして、百花を熱く抱きしめる。

「…愛してるよ、お姉ちゃん」

「…私もよ」

 抱擁に抱擁を返すように、百花は、腕にきゅ、と力を込めた。互いの身体を…今そこにある証拠を、体温を交換し合い…そして。



「…ね、お姉ちゃん。そろそろ」

「……うん」

 すぅ、と、千冬が瞼を閉じる。ため息が出るほど美しい顔の造形…百花は思わず見惚れて、それでも湧き上がる思いを抑えきれなくて。


 …唇を、重ねた。ほんのり、桜のリップの香りがした。もちろん、それだけで済むはずもなく…姉の舌が、妹の歯列を、口腔をゆっくりと掻き分けていく。

「んむっ…んふぅ、んっぅ……」

 ねちゃ、ぴちゃ…艶めかしい水音が、ふたりだけの空間にこだまする。やがてどちらともなく、されど名残惜しそうに口を離した。あの時と同じ糸の橋が、玉が…ふたりを繋ぐ証が、つ、と揺蕩い、形作られた。

「……すごい、きもちよかった……」

「ふふ、ありがと」













 --きっとあの時、貴女の病気は。


 -私に、伝染うつってしまったんだわ。

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