第5話
事の嚆矢濫觴はここからであった。
それはまるで悪を模し、正しき道の沙汰ではない目をする悪鬼とも成らん愚を持って笑い迫る道化。正しくそれに尽き、冗談めかしてごまかさんとするばかりの言葉を掛ける。
「きみきみ、こっち。こっち向いてよ」
追い剥ぎと見紛う似姿で、些末ほどの差ばかりが目につく。
言葉を入れようと考えるのならば、彼に求めるに相応しい取り入れ方というものがあり、サンドワームに娘を食われた事実をオッサンの耳に入れないよう焦る彼を、どう落ち着かせたものか。
彼は突然、踵を返して、歪に笑った。
「向いたがどうした、ブス男」
実直である事は時に求められるが、忌憚で恥を知らず、さらには謙遜とは程遠い彼を遠方から俯瞰している限り、内面を理解する事は出来ない。
ブス男と呼ばれた者は顰蹙しながらも顧みて答えた彼に呼応して名前を教えた。
「おれはジンカラだ。副団長を……してる」
人は天気に例えて上手いことを云ったものだと、ジンカラと云う人物の表情の移り変わりを見た者は思うはずだ。しかし、そう簡単に心を許すはずもなく、眉をひそめて愛想笑いを浮かべているものの顔色を伺わず訊く。
「亜団長でいいか。ちょうど良いところで会った」
合わせる事を知らない、というものはここまで酷くなるものなのか。
ジンカラは粘着質な唾液を口腔内の空気で口の壁へと寄せ、それを詰るように噛みしめるのみの、大人である屈辱であった。
その雰囲気は、悖る人へと変わる虚しさの種が舞って、栄養を奪われる苗床のようなもので、やつれた感じだ。
彼は察しが悪く、言葉を続けた。
「白髪の女、見なかったか。家が判りゃいいけど」
正気のない顔は首をかしげ、彼の質問を知らぬと、存じぬといった風に鈍かったが、誰のことかをもう一度考えたところ、件の人物を思った時に見せる嘘の笑い方をする。
「そうか、サブリナの事か。それならあそこの角を曲がって三軒目だよ……って、もう居ないのか」
ジンカラ曰く、体に目が行くという女性はサブリナといい、家は団長の家から離れている、殺風景の中心にあるらしい。
家に着くまでは緑が点在し、家もそこそこ。しかし上り坂になった砂の壁が近づくとともに家は減少し、勾配がゆるやかな下り坂へと差し掛かったあたりでは、声を張らない限り、異常事態とは捉えられないほどの不便な辺境の地だった。
「ごめんくださーい」
ドアノブは優しい夕焼けを反射させて光っているが、ドアをノックする物が付いていないため、砂漠よりも物寂しい印象を受けるだろう。
その湿っぽい物を手の甲で叩きながら、言葉の最後を伸ばして言った。
彼も薄々は気づいていただろう事だが、遠くから見る物寂しさは間違いなく、難民団の外での言葉に繋がる違和感そのものだ。
ゆっくりとドアが開き、ビクビクしているサブリナが顔を覗かせた。
「はい……」
出会った時の物々しさや荘厳な強さといったものが抜けた、雨に震える捨て猫のような眼差しは何かを恐れるような弱々しい目付きそのもので、白いタンクトップにブカブカなズボンを穿いていた彼女らしからぬ、枕営業と間違えるかわいい服装をしていた。
「普段はそんな服を着てるのかあ」
彼は犯そうかと考えた。
見違えた彼女が誘ってくれたのは、つまり、そういうことなんだと。しかし、何を思ったわけでもなく移した目に飛び込んできた物によってその心は一変。
夫と写る夫婦の姿があったのだ。
肩に手を伸ばし、実に幸せそうだった。
「いや、そういう訳ではないけどね……。さあ、上がっておいで。茶を用意するよ」
彼でも気を遣う時があり、どこまでも鬼畜ではない。
指を激しく動かして衝動が爆発しそうになるも、やはり、相手がその気でないのならば、ただ辛い思いをさせてしまうだけだ、と云う彼なりの結婚観念が拳を作らせて留める。
彼は言葉に誘われて家の中に入り、数十分話した後に家を出てきた。
他愛ない話をし、自己紹介や冒険の話をし、しんみりしたりするだけの、彼にとっては新鮮そのものな体験であっただろう。
団の集合した建物の当たりまで恍惚とした表情をして来た時だろうか。彼を蔑む目つきで眺め、視線があったらどこへ向かうのか、放浪者の如く去ってしまった。
彼は不思議に思いながらもオッサンの家に到着して、開口一番、気まずく思っていた言葉を素直に言う。
「オッサン、ただいま」
オッサンは気づいて血眼になって走って来た。
目は充血し、鼻からは噴火する山のような煙を立ち上らせ、一心不乱に走っている。
胸ぐらを掴まれた。
それは唐突に、普段ならば見せないだろう表情だが、心配して送り出して帰ってきた娘が血や砂、体液で汚れて、かつ、目を充血させて帰ってきたらどう思うだろうか。
「娘を汚したな、オマエ!」
拳を振りかざされたとき、バックを忘れた事に気づく。
大して重要ではなかったが、この状況は脳天をぶち抜くだけでは済みそうにもない、獰猛かつ狂暴な熊の様相を呈した化け物には、今のところ手を出せないために必要であった。
「ちょっと待ってくれ。バックを忘れた」
これで誰が収まるものか、とも思うだろうが、人とは不思議なモノである。
価値観が共有できれば頭のなかを覗けるが、覗けないものは仕方がない。
彼はオッサンをなだめ、彼女の家に向かった。
外出していようと、居留守を使われようと、彼はその場から逃げて事態の収集が着くまで潜められればそれでいいのだ。
家には明かりがついていた。
彼は事実を造る事に成功もするし、匿って貰う事も可能かもしれないため、鳥になって浮いていきそうな心を押さえつけながら犬歯を見せ、その時限りの幸せに浸る。
それは奇妙な間だった。
心臓が落ち着き、閑古鳥が鳴いているのに気づいたからだ。
家は不思議と静かで、一人だからなのだからあたりまえではないのか、そう思ったのも束の間、嫌がる声と艶やかな喘ぎ声が響いた。
ドアが開いていたから覗いてみるとそこにはジンカラが立っていて、サブリナが机に突っ伏しているのはよく見えるものの、ローソクの明かりの下では下半身が見えない。
「……ん。本当に、ダンナを探してくれるんだろうね」
ジンカラは鼻息を吐いて笑った。
「ああ、一週間の約束だったからな」
判った事は単純。
肉体を渡す代わりに捜索を手伝い、今、その対価を払っているということだ。
しかし、彼はその事以外に対して腹を立て、地獄の鬼になって腰に巻いたベルトから短い剣を引き抜く。そして、ドアを蹴り破って突入した。
「ブス男!亜団長のクセしてどんな面見せてんだ」
眉はつり上がり、手にした剣は揺れている。
ジンカラは叫んだ。
「やめてくれ!ちっとは、待ってくれねえのか!」
サブリナの家がある場所は普段静かで、生活音程度では届かない音も、大きな声を出して怒声を上げれば異常事態として捉えられることは必至。
人が集まって来た。
集まってきた人はこの事を知っていた人たちなのだろうが、副団長という立場の人間がしている事だから話づらかった人たちだ。
サブリナはジンカラが離れたことを見計らい、机に敷いていた布を引っ張りこんで手繰り寄せて抱き、たじろぎながら状況を把握しようとしていた。
「皆、聴いてくれ。こいつ、急に刃を向けてきやがったんだ!」
一斉に彼に視線が集まる。
亜団長は立場を理解し、力を振るっているのが顕著に表れている、ジリジリと身を焼く熱視線。
彼は無我夢中に叫んだ。
「コイツ、交換条件を付けて嫌がる女を犯してたんだぞ!惑わされんな、クズども」
口が悪いため、正しいのがどちらか解らなくなってざわつく。
結論を出してしまえば彼は圧倒的に不利で、責め立てようとすれば屁理屈がいくらでも通るが、彼の言葉には女性に思い当たるところがあるため、言葉にしたいのだろう。
そこで声が上がった。
激語に感化されたのかどうかはさておき、味方が増えたということだ。
「私、副団長に、『食料が欲しかったら服を脱げ』って言われたわ!」
それに便乗し、他の女性が言った。
「私も。『慰安婦なんかより、割のいい事させるぜ』って言われて、三回も犯されたわよ!」
ジンカラに食われた女が次々と告白を始め、その発表は人妻が多く、酷い場合は嫁ぐ前の少女までも襲っていた事が発覚。
男は大激怒し怒りを歌う。
「ジンカラ、テメエはいっつもふざけた顔をしやがって!」
流石に回避できない状況だと、影で笑いながら土下座するジンカラは床に声をあてて言った。
「何でもしますから許してください」
心の中では女なんて孕んで子どもを産み続ければいい、と思っているだろう。
影からとはいえ、笑っていることは頭を見せている姿でも見ることが出来、その態度に腹を立てた男が殴り込もうとしたとき、ある影が一つ、理解者とも言える身近な人物が迫っており、殴るすんでに影は腕を掴んだ。
「ジンカラ、その言葉に嘘はないな?」
微笑みがジンカラから消えた。オッサンがやって来たのだ。 比べられて劣等感を抱き、常に悪役として扱われ、それでも力はあるのだと欺罔をして判断し、己の悪を正当化する内に光になった団長は悔し涙を流さざるを得ない。
そんな象徴のような男が憎くないはずがなく、反発する子どものような暴言を顔を上げて堂々と並べた。
「やってやるよ、クソ団長。お前の娘もいつか犯してやる!」
嫁ぐ前の愛娘を犯すと宣言し、その上、反省の余地を赦さないともなればただ一つ、この世界で許されている行使してよい行為を悪団長に使うオッサン。
数歩、歩いて目の前に立つと足を後ろに引き、顎を蹴り上げた。
怯む程度で堪えたジンカラは涙を浮かべてオッサンを見ると、腰から提げていたナイフを取り出して額に突き立てる。
「死んでも償え。お前はこれだけじゃ足りないはずだ」
恐怖で足が震えるジンカラ。
今までの行為が成すものは大きく、わざとらしく声を張って泣いているようにも聞こえる声を出し、拒否をした。
「アリの駆除をさせてください。死ぬのは嫌です……」
アリというのは、大砲を使わなければ蹴散らせないくらい丈夫で、砂漠の鎧剣士と呼ばれるほど強いと云われているのを彼は会い、死にかけた。
ブス男が言っている事を訳すのならば、『外に出るけどその気はない』という反省の色の見受けられない態度である、と。
オッサンは怒りながら笑った。
「今から準備しろ。お前一人で行くんだ」
ジンカラは凄まれて言われ、フラッシュバックをしたのか、突如、涙が溢れだし、同時に肩の力が希望を失ったかに見える動きを見せる。
「はい……」
彼はそんなジンカラをよそにサブリナに近寄り、下着のない上の服をかして半裸になると肩に手を掛けた。
優しく、今までにない険しい表情をしながら。
「ありがとう、ボルグ」
サブリナに礼を言われる彼。しかし、ここでも実直で清々しかった。
彼が起こした一連の行動はジンカラの行動とは違い、夫が居ることを知って躊躇ったところを弱味につけこんで食らわれた事に腹を立てたという、根本の考えは似てるもの、優しさがどうなのかで区別がつく。
謙遜せずに貪欲な彼は言った。
「一緒に寝させてくれ」
ここで口にしなければいいのだが、一言を余計に付けてしまう馬鹿らしさが彼とも言える。
サブリナは俯きながら主人公の顔を片手で掴み、指圧だけを加えて拒否をするが、笑っていた。しかし、指を舐めてそれへの反発の色を見せるのはいかんともしがたい女への考え方であった。
汚い、と言って手を放すと小さな声で言う。
「夫をジンカラの代わりに探してくれたら、いくらでも……」
不倫宣言。
目には涙を浮かべて、夫が見つけられなかった悔しさや亜団長が探してくれないという不安から解き放たれた顔をしている。
今にも崩れそうな壁のヒビを指でなぞり、突っついて崩してしまうのも彼には考えれる事だが、この折に彼がしようと考える事ではない。
彼は胸を手のひらで叩いた。
「よし、やってやろうじゃないか」
やすやすと引き受ける彼。
これには体を綺麗にして身を正した彼女も体を汚して飛び蹴りをしたいところ、後頭部を回し蹴りで済ませた。
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